表裏一体の愛憎を溶かした




 ディオは自分の生まれた日が嫌いだった。自分があの父親の子どもであると再認識してしまうからだ。母に迷惑ばかりかけて、死ぬ間際まで飲んだくれを卒業することの無かった、下衆で最低な父親。いや、ディオがあれを父親だと思ったことは、生まれてこの方一度だって無い。だからこそ簡単に毒殺することが出来たし、それを後悔することも無かった。しかし父親がこの世から消えたとしても、ディオの身体を駆け巡る血液に父親のものが混ざっているという事実が変わるわけも無く…。ディオはそれが、たまらなく嫌だった。
 そんな本日。ディオは周りの空気が凍りつくほどのオーラで、自身の部屋覆っていた。周りに決して人を寄せ付けない、怒りのオーラ。今日という日を意識するだけでディオの怒りのゲージはぐんぐんと上がっていき、その度に手当たり次第に物をベッドへと投げつけた。固い本の威力さえもマシュマロのように柔らかいベッドは吸収し、ジョースター卿や使用人、そしてジョナサンに気付かれることは無いだろう。だからディオはひたすら物へと当たる。行き場の無い鬱憤を憤怒を発散させるために。それはまるでディオの父親そのものだ。

「……クソッ!!」

 それを理解しているからこそ腹が立つ。そして改めて自分はあの男の子どもであることを悟るのだ。気持ち悪い、この血を一滴残らず吸い取ることが出来たなら、どれだけ幸せなんだろう。この髪も目も鼻も口も手足も皮膚も内臓も、自身を構成するすべてが元をたどれば父親だった物。汚らわしい汚らわしい!挙げ句の果てに、ディオは全身をかきむしった。白くて張りのある子どもらしい皮膚は爪で傷つけられ、じわりと溢れ出る雫はまるでディオの心中を表すかのように止めどなく溢れ出す。しかしそれさえも、あの男と同じものなのだ。ディオは咄嗟に傍に置いていたハンカチで、腕の血液を拭き取る。しかし拭いても拭いても穢れた血液が止まることは無く、気付いた時にはハンカチは真っ赤に染まっていた。

「……本当にどうしようも無い人間だな、貴様は。まだ僕に執着するつもりなのか」

 誰に言うわけでも無く、その小さな呟きは空中へと溶けていく。ディオは血だらけの両手を投げ出し、ベッドへと体を放り出す。シーツが赤にグラデーションされていくが、もうそんなものどうでも良かった。
 無音の空間は酷く心地良い。まるで自分が空間と同化して消えていくようだ。そんなこと毛ほども望んでいないというのに、どれもこれも今日という日が悪いのだ。とディオは思い、唇を軽く噛む。
 そんな時、コンコンという音が聞こえた。

「…………?」

 空間に溶け込むほどに意識がふらふらと彷徨っていたディオにとって、それは不思議な音だった。まるで自分の内側にある本心への扉をノックされているような、不思議な感覚。少しの間ぼーっとしていたディオだったが、二度目のその音に、完全に意識を覚醒させる。それはディオの部屋の扉をノックする音であり、心なしかさっきよりも音が強くなった気がした。
 しばらくの沈黙の中、ディオはゆっくりと上体を起こした。扉の向こうで息を吸う音が聞こえる。

「ディオ、いるんだろう?渡したいものがあるんだ。扉を開けてくれないかい?」

 頭で認識するよりも耳が記憶が音が、ディオの意識を刺激する。それは誰よりも優しくて気高き声。同時にディオが今、一番会いたくない相手だった。嫌でも思い出す、あの忌々しい出来事。女という事実に驚きこそしたが、何よりも屈辱的だったのだ。このディオが、あんなへらへらしているだけの女に負けるだなんてありえない。しかしその屈辱的な事実が、ディオの感情に拍車を駆ける。
 扉の向こうの人物、ジョナサン・ジョースターはそんなディオのことを気にすること無く、ひたすら扉を叩く。テンポ良いその音はディオの神経を逆撫でし、何とも言えない苛立ちが積もっていった。

「ディ……」
「うるさいなっ!プレゼントならあの犬っころにでもあげておけ!」
「…………」

 再び無音が流れる。扉の向こうからは一切音がせず、ジョナサンはもういなくなったかもしれない。しかしディオはそう考えなかった。面倒ごとはなるべく避けて通るような奴だが、ボロボロの人間を放っておけるような神経を持っている奴では無い。傷付いた人のためならば自身を投げ出すような奴なのだ、ジョナサン・ジョースターという人間は。
 ディオの予想通り、ジョナサンは扉の向こうに未だ立っていた。しかしその体はふるふると小刻みに震えており、その姿はまるで沸騰寸前のヤカンのようだ。ジョナサンはスカートがはだけることを気にする様子も無く、足を自身の胸のあたりまで引きつけて、一気に扉へとその長い足を放つ。
 それは何かが破裂する音にも似た衝撃音。ディオの双眼は長い足を地面へと下ろすジョナサンと、無残に砕け散った扉を映していた。呆然とするディオを余所にジョナサンは足早にディオへと近付き、ベッドのすぐ横で立ち止まる。その顔は、どこか機嫌が悪いように見えた。

「何か勘違いしているようだけど、私は君にプレゼントをあげに来たんじゃあ無いよ」
「…じゃあ、何を……」
「見て分からないかい?この包帯を渡そうと思ったんだよ。君は知らないだろうけど、私の部屋から君の部屋の音は結構筒抜けなんだ」

 そう言うとジョナサンは血だらけのディオの腕を掴み、何の躊躇も無く包帯でぐるぐる巻きにする。何か言おうと口を開いたディオだったがただただ腕を見詰めながら包帯を巻くジョナサンを見て、思わず口を閉ざしてしまう。
 嫌いなのに。ジョナサンのことが嫌いなはずなのに、彼女を見ていると不快感以外の別の感情が込み上げてくることを、ディオは自覚していた。そして自覚するたびに、喉の奥が痛くなる。何かを伝えたいのに言葉に言い表せないもどかしさは、言葉の話せない幼児が苛立ち怒りを表すようすに似ている。少なくともジョナサンにはディオが、苛立っている小さな子どもにしか見えなかった。
 ディオは一度閉じた口を再度開く。その控え目に開く唇は、とても弱々しい。

「…こういう時は、何があったのかを聞くのが普通なんじゃあないのか」
「あいにくと私はディオにあまり興味が無い」

 それは予想通りの言葉だった。だからこそディオは、自分も用意していた言葉を放つ。

「…そうだな、貴様は僕を心底嫌っているだろうからな。考えてみれば、当たり前のことだ」
「…………」

 ならどうしてジョナサンはディオの手当てをするのか。決まっている、見捨てることが出来ないからだ。彼女の人を助けたいという気持ちに、好き嫌いは関係無い。それはディオに対しても然り。
 そんなジョナサンは包帯を巻き終えて、ディオを見詰めていた。ディオは長い睫の下から覗く瞳に、すべてを見透かされていそうな気すらした。

「……君に渡したいものがあるんだ」

 そう言うとジョナサンはどこから取り出したのかその小さな手に、綺麗に包装された長方形の箱を乗せていた。橙色の箱に赤いリボンの添えられたその箱の配色は、ジョナサンに酷く不釣り合いだ、とディオは思う。
 それはどう見ても生まれてきた日を祝福するためのプレゼント。気付いた時にはディオはその箱を受け取り、真っ赤なリボンを解いていた。
 中から出てきた物は、黒塗りの美しい闇のように真っ黒な万年筆。指先で触れると、酷く冷たかった。

「…プレゼントなんて、無かったんじゃないのか」
「父さんがどうしてもって言うから、仕方なく買ったのよ。いらなかったら捨ててもらっても構わない」

 ジョナサンは顔をそらしながら言う。ディオは困惑した。さっきまでの誕生日に対する不快感が、プレゼントを貰っただけでまるで浄化されたかように消えていくからだ。どろどろと心にこびり付いていたドス黒い感情が、綺麗な水で洗い流されたかのように心地良い。しかしその意味を知らないディオは自身の感情を理解することが出来ず、不快感とはまた違った奇妙な感情を抱いていた。理解出来ないもどかしさこそあれど、なぜか悪い気はしない。
 ジョナサンはいつの間にか視線をディオに向けていた。今までに見せたことの無い、まるで暗闇に希望の光をさす月のような微笑みに、ディオは思わず目を奪われた。

「君は心底父親が嫌いなんだね。でも君がいなければ、私はここまで強くならなかった。生まれてきた意味は、きちんとある」

 橙色の箱に添えられていた赤いリボンが、優しくベッドへと落ちて、くしゃくしゃになった。







 月の光さえ遮断して、蝋燭の光だけが灯る部屋に、一人の男がいた。蝋燭の光に黄金の髪が照らされ、まるで闇に浮かぶ月のようだ。
 男は楽しそうに口角を釣り上げ、真っ赤に輝く瞳を手元へと落とす。その美しい瞳が映すものは、部屋の闇と同化するほどに真っ黒な、万年筆。男はそれを、愛しい女にでも触れるような手つきで弄んでいた。

「それは……」
「あぁ、テレンスか。これは私の命と彼女の命の次に大切な物だよ」

 テレンスと呼ばれたその男は妙に納得した。ああ、だからそんなに愛しそうに見詰めているのか、と。今までに見たことの無い表情だったが、違和感が無い。万年筆はきっとあの女から貰ったものなんだろう。どういう経緯で状況で貰ったものか分からないが、テレンスにとってそれは喜ばしいことだった。自分が敬愛する人が幸せを感じていると、こちらも自然と幸せに感じるのだ。
 テレンスは伏し目がちに微笑む。

「テレンス、私は私が生まれたことを誇りに思うのだ」

 ほとんど空気に近い言葉だったが、テレンスはすべてを理解した。彼は彼女がいてこその彼であり、彼女のいない生活など自身が存在しないことに等しいのだ。しかしそれを、その万年筆で補っている。それが唯一の繋がりであるかのように大切に、触れている。
 彼女がここに来るのも時間の問題だ。その時彼は何を思い、その美しい顔を弛めるのだろうか。想像することなど容易い。
 テレンスは部屋の扉をゆっくりと開き、部屋を後にする。相変わらず男は飽きもせずに、万年筆を愛撫していた。






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -