イタムココロ | ナノ
【イタムココロ】


彼はいつだって、私を困惑させる。
途方もなく、苛立たせる。
逃げ道を、塞いで。
そうして、心を奪う。

―※―※―※―※―※―※―※―※―※―

「…また、間違えた」

順調に動いていた指が止まる。
手元の資料を確認すると、入力している数値が一行ずれている。
幸い、すぐにやり直せる程度のミスだけれど。
私らしくもないミスに、溜息が漏れる。
時間はもう、とうに定時を過ぎていて。
残業というには、涙が出そうな時間になっている。

「というか、今日中に帰れるのかな…」

思わうず零れた独り言を拾う人は、当然いない。
本当にひとりっきり。

(うわ…さみし…)

もとはといえば、自分のせいなので文句も言えないわけだけれど。
それにしても…納得がいかない。

(何が、急用よ…デートでしょうが!)

特別なイベントというのに縁がなくなって、どれくらい経つのかわからない。
いつも貧乏くじを引かされるのは、自分のような立場の人だけで。

(さっさと終わらせて、せめてケーキは買って帰ろう)

そう言い聞かせ、改めてマウスに手を伸ばしたところで、

「…まだいたんですか」

振り向かなくてもわかる。
今一番会いたくなくて。
いつも、心を乱される、相手。

「なにか忘れ物?」

手と口だけ動かし、視線は向けない。
振り向いたら、終わりだから。

(悔しいな)

彼と私が同期入社であることを知る人は、この会社にはもういない。
みんな、自分の道を見つけてしまった。
彼は順調にエリートコースを進んでいて。
私だけ、どこにも行けないまま。

「もういい加減にしないと、また日付が変わりますよ」

今日くらいは帰ったらどうですか、と続けられる言葉は、いつものこと。
いつも彼は、どこで聞き付けてくるのか、私が残業中に現れ、帰宅を促す。
それも絶妙なタイミングで。
でも、声をかけるだけで、一緒に帰るとか、そういうことはなく。
いつも、そのまま姿を消してしまう。
だから、その行動の意味がわからなくて。
時折、泣きたくなるのは内緒の話だ。

(…これ以上やっても同じか…)

キリのいいところまで進め、保存をする。
明日また続きをすればいい。
帰り支度をするために立ち上がると、背中に気配を感じた。

「…まだいたの?」

いつもと違う彼の様子に、心がざわめく。

「いい加減、いつ気付いてくれるかと思いましたよ」
「 ……どういう意味?」

眼鏡の奥の瞳の表情が読めない。
わかるのは、彼がなにか伝えたいことがあるのだということ。

(こんな日に?)

昼間、彼が他の課の女の子たちから誘われていたのを知っている。
それを見て、心が痛む理由も。

(気付かないままでいたかった)

「どうして、ここまで貴女を気にしている、その理由を考えたことは…なさそうですね」
「なにを…」

続けるべき言葉は消えてしまった。
彼の、思いがけない行動で。

「今日くらいは、一緒に帰りましょう」

その言葉は 、耳元で、直接囁かれて。
背中に回された腕が、優しく、けれど、拒絶することができない程度には強く。

(な、なんなの…)

ただわかるのは、頭のいい彼が、私の心の動きに気付かないわけがないということで。

(え…いつから…)

心は、もう既に、彼に奪われているということで。

「帰りますよ。…あぁ、でも…帰さない、ですよ」

微笑む彼の瞳の奥が、深く、輝いていて。
もうどこにも逃げられないことを知った。
心も。
身体も。

(…なにか、間違えた…?)

ほんの少し、後悔する気持ちが芽生えたけれど。
目の前の彼は、きっと許してくれないだろう。

「帰さない…って…」
「おや、わからないんですか」

(わかりたくない…)

とりあえずのところ、彼が好きだと、そう遠くないときに白状させられるだろうことは、容易に想像ができて。
けれど、それすらも少しだけ楽しみで。

(…でも)

今は、こうしてお互いの体温を、感じる。
それだけに心を寄せる。


【Fin.】

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後書代わりの戯れ言

やっと書けた〜♪
一回目はデータの海のなかに埋没して。
二回目は保存に不具合が生じた、因縁の作品になってしまった…。
モデルはあの人で(笑)
台詞は脳内変換で再生をお願いしますww

宜しければ感想等頂ければ幸いです!

web clap

2011/11/22 Wrote
2011/12/18 UP



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