さみしさのあと
「伏見さん、いないなぁ…」
ぽつり、と呟いた言葉は、隣にいた弁財に苦笑をもたらしたようだった。
彼が笑うのは、これが今日初めての事ではないからだろう。
「20回目だな」
「…そんなに言ってた?」
今は昼休憩が終わって、暫くした頃で。
朝から一緒にいたのは弁財で。
その彼が、言うのだから…。
「…だって、さみしい、し…」
ぽつり、と呟いた言葉に、彼はただ、苦笑した。
伏見さんとは別に何の関係性もない。
ただ、自分が一方的に想いを募らせているだけだ。
他の隊員よりもほんの少しだけ、親しいと思っていても。
それは、上司と部下の域を超えない。
「…早く、明日にならないかな…」
シフト上では、明日は伏見さんは出勤で。
自分も出勤で。
朝から一緒に働けるのだ。
「まずは今日を終わらせることを考えろ」
弁財の小言を、肩を竦めて答えを返す。
* * *
長い一日が終わり、やっと帰れる、と言う頃になって。
伏見さんがいうところの、「どこかの馬鹿」が大きなミスを発生させ、残業を余儀なくされた。
(今日は早く帰りたかったのになぁ…)
早く帰って。
疲れた身体を癒して。
そうして、明日に備えようと思っていたのに。
「…ひだかのばか」
「口より手を動かせ、秋山の馬鹿」
すかさず弁財が返してくるから。
仕方なく、手を動かす。
今日の晩御飯はなんだっただろうか。
寝酒用に用意していたビールは誰にも取られていないだろうか。
手を動かしながら、つらつらと考えている、と。
「…秋山、俺はこれを室長に出しに行くけど、大丈夫か」
「あ、あぁ…大丈夫。あと少しだし」
「…ん、わかった」
意味ありげに微笑まれて、そうして広い執務室にひとり、取り残される。
省エネということで、必要最低限の光源しか与えられていない為、入口付近等はぼんやりと暗い。
「伏見さん、逢いたいなぁ…」
ぽつり、と呟く、と。
「へぇ…秋山さん、そんなに俺に逢いたかったんですか」
あり得ない筈の声が響いて。
キーを叩く指が、狂う。
慌てて振り返ると、そこには私服を着て、楽しそうに微笑む伏見さんが、いた。
「ふ、伏見、さん…?」
「秋山さんが逢いたがってるって聞いたもので」
一歩ずつ近づいてくる影が、はっきりする。
あぁ、伏見さんだ。
誰かの悪戯でもなんでもない。
間違いない。
「ど、どうして此処に…」
「…あと少し、でしょう」
首を傾げられて。
はっ、と気付く。
処理待ちのデータは、確かにあと少しだ。
それさえ終われば、帰れるのだ。
「は、はい…」
「じゃあ…激励と…」
後ろからぎゅぅ、と抱きしめられて。
頭の中が真っ白になる。
何の夢を見ているのだろうと。
混乱する。
「…ご褒美」
頬に残された温もりが、夢ではないことを教えてくれて。
涙が、出そうになる。
「…あと5分で終わらせてくれたら…もっと、ご褒美あげますから」
時計を見ると、日付が変わるまで、あと5分だった。
くすくす、と耳元で笑い声がして。
震える指がなんとかデータを完了させた頃。
ちょうど、日付は変わって。
「…なぁ、俺に何か、言うことないんですか?」
「……え…っと」
ぐるぐる、と一生懸命考える。
でも、わからなくて。
少し、涙目になっていると。
「今日、何日、ですか」
「あ…っ」
不満げな伏見さんの言葉に、漸く気付く。
そうだ、今日は…。
「お、お誕生日…おめでとうございます…」
「ん、ありがとう」
プレゼント、貰うからな、という一言の意味を問う間もなく。
さっきよりも、強く抱きしめられて。
顔を、引き寄せられて。
「んん…っ」
「…あんた…遅いんだよ…ずっと待ってたんだからな…」
唇の上で囁かれた言葉は、甘く響いて。
その言葉に後押しされて。
漸く俺は、すきです、と告げることが出来たのだ。
【Fin.】
――大切な人の大切な日を願って。
2013/10/07
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