逃げてるだけの、恋でした。


かも、と小さく呼んだ声は、届かない。
それも当然だろう。
繁華街の雑踏の中。
小さな、ちいさな呟き。
視線の先には彼がいて。
彼の隣には、きれいなおんなのひとがいて。

(なぁ、俺は、遅かったのか?)

胸が締め付けられるようだ。
あぁ、ちがう。
締め付けられる。
こんなにも苦しくて切なくて痛い想いをするなら。
もっと早く、言ってしまえばよかった。

(好きだ…って)

なりふり構わず。
縋りついて。
他の誰にも目が行かないように。

「加茂…」

痛い、痛い。
泣きそうだ。
けれど、泣くわけにはいかない。
どんなに悲しくて、切なくて、辛くても。

(好きだ…好きだ)

どうしたらいいのか。
いつの間にこんなにも、想うようになっていたのか。

「道明寺、どうしたんだ」

不意に掛けられた声に、涙が止まる。
顔を上げると、訝しげな顔をする彼が、立っていた。
隣にいたはずの女性の姿は、そこにはない。

「いや、ちょっと…ゴミが目に、」
「大丈夫か」
「う、ん」

笑って、誤魔化す。
彼の表情を曇らせたくない。
お願いだから、気付かないでほしい。

「それより、いいのかよ。あの人ほったらかしで」
「あ、あぁ…いや、大丈夫だ。同僚を見つけたと言ってきたから」

同僚、と彼の放った言葉に、勝手に傷付く。
おかしい。
ほんとうに、おかしい。

(こんなに、弱くなかったのに)

「ばっかじゃねぇの。折角の非番なのに、俺を見つけたからって、」
「様子がおかしそうだったからな。まぁ、…大丈夫なら、いいんだが」
「大丈夫だよ、俺は。さっさと戻んないと、あの人、帰っちまうぞ」

知っている。
彼が、どんなに、静かに、優しく、大事にしているのか。
そして、思い知って、しまった。
自分がどれほど、激しく、つよく、彼を想っているのか。

「なぁ、加茂」
「なんだ」
「俺がもし、…」

もし、好きだと言っていたら。
あの時に、俺も好きだと、言っていたら。

(…今、お前の隣にいるのは、俺だったか…?)

「…なんでもない。さっさと行っちまえ」
「今日は戻る」
「いちいち言わなくていいよ。じゃあな、」

背中を向けようとした瞬間、腕を強く掴まれて。
引き寄せられて。

「…俺の、思い違いだったら、笑ってくれていい。その涙は、俺のせいか」

耳元で囁かれる声が、熱を帯びていて。
酔ってしまいそうになる。

「ば、か」

呟いた言葉の真意をどう受け取ったのか。
彼は嬉しそうに笑って。
そして、また雑踏の中に消えた。

『今夜、もう一度話をしよう』

そう言い残して。


【Fin.】

お題:贖罪アニュス‐デイ


2013/08/05 Wrote


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