夢と知りせば


 見上げた時計塔の短針は、とっくに11時を回っている。
 ロシュフォールは眉間に深く皺を刻んで、組んだ腕を人差し指でノックした。待つことかれこれ三十分、時間に正確な質である彼には許し難い遅延だ。
「あの……」
 横合いから若い女の声がかかり、不機嫌な顔で振り返る。だがそこにいたのは待ち人ではなく、見知らぬ二人組だった。
「あのっ、もしお暇ならお茶でもしませんか?」
「失せろ」
「…………」
 一言で追い払われ、女性らはしょんぼりしながら立ち去っていった。
 ロシュフォールはため息をつく。
 これが一度なら、彼もああすげなくは追い払うまい。しかしもう5組目ともなれば、忍耐強い彼もうんざりする。しかしそのうんざりした顔も端正なものだから、たちが悪いのだ。
 無駄のない引き締まった長身に、見る人をはっとさせるほどの蒼い双眸。待つ間も何かに寄りかかるでなく、まっすぐ佇む姿勢の良さが、人目を引いた。
 髪を短くしたせいかもしれない。ロシュフォールは鬱陶しい逆ナンの原因について、そう分析した。
 恋人はまだ来ない。事故にでもあったのだろうか。いや、そそっかしい彼女のことだ、忘れ物をしたりして、出かけるのが遅くなったに違いない。だからあれほど準備は前日に怠るなと言っているのに。
 癖のように手を首元にやり、そこに馴染んだ感覚がないのに戸惑い、そうでないことを思い出して苦笑した。
 長かった銀髪は、シュバリエ島を出るときに切った。彼女はもったいないと言ったが、彼は気持ちを切り替える為に躊躇はなかった。さりとて随分長い間あの髪の長さでいたので、短い毛先が襟足をくすぐるのにまだ少し慣れない。
「ロシュフォール先生!」
 行き交う車の間をすり抜けながら走ってくる恋人の姿を見つけて、ロシュフォールは一喝した。
「遅い!」
「すみません…! おまたせしました」
 頭から転げ落ちそうになった帽子を押さえて、ダルタニアンが頭を下げた。走ってきたせいで、頬が真っ赤になっている。
「出掛けに忘れ物をしてしまって……」
「貴様……だから前日あれほど言っただろう」
「ごめんなさい。昨夜ほとんど寝てなかったから、朝ぼーっとしてしまって」
 慌てて支度をしたら忘れ物をした、というわけだ。
「でも、ふふっ、ちゃんと完成したんですよ」
 彼女は大事そうに抱えていた紙袋から、ごそごそと何かを取り出すと、ふわりと広げて彼の肩に巻きつけた。
「はい、これ、先生にあげます。髪を切ったから、首のあたりが寒いんじゃないかと思って」
 柔らかい感触は、手編みのマフラーだった。グレーの混毛の毛糸は太めので、ざっくり編んであるから目の粗さも目立たない。
 明らかに寝不足な赤い目を見下ろし、ロシュフォールは眉間に皺を寄せた。これの為に三十分の苦行に耐えたのかと思うと、素直に喜べない悔しさのようなものがある。
「……ふん」
 褒めるのは後回しにして、ロシュフォールはマフラーの具合を整えた。肌なじみのいいそれは、ふわりと温かい。
「……なんだ」
 じっと見上げる彼女の視線に、彼は怪訝な顔をした。ダルタニアンは笑って、満足そうに端につけたタッセルを指で梳いた。
「似合いますね」
「くだらんことばかり言うな」
 彼は彼女の手からタッセルを取り上げると、代わりに自分の手を滑り込ませた。
「行くぞ」
「はい」
 枯葉舞うシャンゼリゼを、二人は並んで歩き出した。
 銀杏が小さな鳥のような葉を、風にくるくると遊ばせている。季節は秋のはずなのに、その風は甘い花の香りがした。ひらひらと舞い落ちる一枚が彼の目の前にも降ってきた。彼は戯れにそれを掴もうとして――……。










 ――そこで、目を覚ました。
「…………」
 髪が首に巻き付いている。細く絡みつくそれを指で鬱陶しげに払い、ロシュフォールは半身を起こした。
 反射的に時計を見やる。朝方だ。カーテンの隙間の向こうはまだ闇で、寝入ってから大した時間も経っていないようだった。
「う……ん」
 寝ぼけた声がして、隣を見ると、カステルモールの娘が寝ていた。監禁されているというのに、随分呑気な寝顔だ。幸せそうに綻んだくちびるを見て、ロシュフォールは鼻を鳴らした。話をするなどと言っていたくせに、あっという間に寝入ったダルタニアンは、娘特有の甘い香りをさせながら、ロシュフォールの横で丸くなっている。
 妙な夢を見たものだ。
 ロシュフォールは苦い唾を飲み下した。親の仇かもしれない男と、主の野望の為に殺さなければいけない娘。そんな二人がたとえ夢の中だとはいえ、恋人どうしのように振る舞うなど。
 彼は乱れた髪を梳いた。主に出会った時から伸ばしている髪だ。半分、願掛けのようなものである。この髪を切る日が来るのを、彼は切望している。だが、その時に横に眠る娘はいない。
 身動ぎした拍子にずれた毛布を、ダルタニアンの肩に掛け直してやる。細い肩から流れる曲線が、ふっくらとした胸元に続く。彼は片手で少女の肩を開いた。寝入った少女の体はあっけなく仰向けに転がり、呼吸にあわせて毛布がゆるやかに上下している。
 ここに、剣を突き立てるのだ。
 そっと指を這わせても、ダルタニアンは目覚めなかった。
「…………くっ、」
 夢で見た、上気した笑顔が眼裏に浮かぶ。
「……あれが、夢と知っていたなら」
 もう少し、二人で歩いていたかった。




 金色の秋の道を。もう過ぎ去った季節を。







2011/11/07 up



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