トリックスターは着地しない 9 世界を覆すトリックスター。 その切り取られたふたつ星。 それはある雪の深い日の事だった。 「僕を愛さない君を愛してた」 少年はそこに佇んでいた。愛した少女が果てたその場所に。 バッキンガム塔は、墓すらない彼女の為の慰霊碑だ。少年は髪で隠れた半面を押さえた。焼け爛れたその顔に浮かぶのは、ただ透明な悲しみだった。 彼女への愛は、彼の手でそこに埋められた。 ――そこに小さな花が咲くまでは。 「どこに行くの? 引き潮はまだ先だよ」 振り向いた少女の目は大きく見開かれた。冷たい海風に、黄昏に輝く雲のような彼の髪が靡いている。ブーツで砂浜を歩くという暴挙を敢行した彼の上着は砂で汚れて、今もよたよたと頼りない足取りで彼女の元へとやってくる。 手を差し延べそうになるのを、少女はぐっとこらえた。 ギャラリーがいる。ひとりふたりどころではない。開き直った彼は、皆を使って大捜索をかけたようだ。 「泳いで渡るんでほっといてください」 「真冬だよ? 死ぬよ?」 「死なないよ。第一、海は私の故郷だもん」 「きみが良くても、僕が死んじゃうから駄目」 目を閉じたまま、アラミスは両腕を広げた。 「きみ、目立つの嫌いじゃないでしょう?」 恥ずかしがりの癖にね、彼はそう笑って囁く。 「僕がきみのものだって、今ここで証明しておかないと、またややこしい事になるよ? いいの?」 「……私は」 「雨が嫌い」 少女の言葉を彼が攫った。 「それから蝶々が嫌いで、一人の食事が嫌いで、先のひっかかるペンが嫌いで、寂しいって口にするのが嫌い」 アラミスは歌うように続ける。 「向日葵が好きで、夜明けの空が好きで、星が好きで、人をびっくりさせるのが好きで、キラキラ光るものが好きで、そして僕が好き」 「ちょっと、最後の」 「違うなんて言わせないよ」 彼はみえない両目を開いた。 暗闇ではなかった。 「じゃなきゃ、折れた天使の羽根を治しにわざわざこんなところまで来ないでしょう?」 星のように遠く、けれど決して消えない小さな光を、アラミスは広げた両腕で抱きしめた。 2011/11/06 up back |