トリックスターは着地しない 6


「卒業までは保たないかな……」
 萎れた葉を撫で、アラミスは呟く。薔薇は弱い花だ。病気に強い品種もあるが、彼はそういったものを極力避けた。花の形が好みじゃないとか、色がくすんでいるからとか、そういう理由は二の次だ。
 手のかかる面倒なものが良かった。彼がいなければ花を咲かせられないような、彼に依存しなければ生きていられない、不健全なものが。
 植物とは、本来はとても健全な生き物だ。動物よりずっと強い。太陽と土と水があれば生きて行ける。痩せた土地でも、雨のない土地でも生きて行ける。
 アラミスは萎れかけた葉をつけたその苗を、鋏で切り落とした。
「さよなら」











 カカオの甘い香りがあちこちに漂っている。アトスとアラミスは、これが学園生活最後のバレンタインとあって、今までで一番多くの贈り物を貰った。例年の如くアトスはクールに、アラミスは笑顔を振り撒いてそれらを受け取った。
「アトスさん、アラミスさん、ポルトス。これは私からの感謝の気持ちです」
 生徒会室にやってきたダルタニアンも、可愛らしい包みを差し出した。明らかな義理だったが、それなりに喜ぶ二人を前に、アラミスは皮肉たっぷりに笑う。
「僕にもくれるの?」
「……はい。お世話になりましたから」
「ふうん」
 くすくすと笑う。
「きみって偽善者だよね。自分を汚した相手に義理チョコをくれるなんて」
 場が凍った。
 そしてそれは、彼らに贈り物を渡すために戸外で待機していた女生徒らによって瞬く間に広がった。












 卒業を目前にして停学。というか、実質的には投獄だ。真冬の牢屋の余りの寒さに、もうこのまま凍死したいと何度思ったことか。
「秘密を守る気ないんですか?」
 アラミスは振り向き、退廃的な笑みを浮かべた。絶対に来ると思ったのだ。
 鉄格子の向こうに、少女の気配がした。その背に翼を隠しているか、或いは魔法の衣を纏っているかのように、どこにでも現れる。
「言わなければ、誰も知らなかったのに」
「もうどうでもいいんだ」
 アラミスは投げやりに言った。
 彼女以外にも、何人もの人間が牢にやってきた。取り巻きの女生徒たち、アトス、ポルトス、ダルタニアン。
 嘘じゃないのかと、否定してくれと、大体そんな内容ばかりだったように思う。
「ダルタニアンさんには申し訳なかったかな。彼女の名誉も汚してしまったし。ふふっ、ロシュフォール先生に決闘を申し込まれちゃうかな。そうしたら僕、八つ裂きにされちゃうね」
「…………」
 腹いせのように、彼女が鉄格子を蹴った。ガシャン!と激しい音が牢の石壁に反響する。
「あーあ、これで全部終わりかな」
 すべてを壊すカードを切った。躊躇いはあったが、一度切れば、あとはドミノ倒しだった。
 ダルタニアンを好きだった。愛されて育ったとわかる純粋な眼差しに憧れ、嫉妬し、憎んでもいた。彼女の揺るぎない心を羨ましく思っていた。あれ程敵対していたロシュフォールを、愛していたた唯一の父親を殺したかもしれない相手を、許し、愛せる彼女なら、醜いこの自分も許し、愛してくれるのではないかと思った。
 だが、かなわなかった。
 どんなことをしても。
 ――彼女は神でもキリストでも、聖母でもない。
 神のごとき愛を望んでいた。
 だが、それとて完全ではなかった。神すら人々に信仰を試すのだ。アブラハムにイサクを差し出させたように。
『アラミスさんが欲しがっているものは、きっともうありますよ。アラミスさんが気づいていないだけです』
 ダルタニアンは嘘をついた。
「僕は何も欲しがってなんかない」
 アラミスは闇に向かって言った。
「もう何もかも、壊れてしまえばいい」
 大切なものなんてない。いらない。
 見つけたって、どうしたら大切にできるかわからない。アトスもポルトスもダルタニアンも、彼の曖昧なごまかしやいつわりの優しさなど看破してしまう。彼らは知っている。それでも尚、与えられる気遣いや思いやりや、好意や友情が、怖かった。これに裏切られたら、壊れてしまう。
 だから先に壊した。壊される前に。
 闇の奥から笑い声が返ってきた。
「バカですね」
 凍りつきそうな頬に温もりが触れ、火傷のようにひりついた。違う、叩かれたのだ。パン、と乾いた平手打ちの音が、遅れて耳に届いた。
「…………え?」
「一発殴らせて下さい」
 殴った後で、少女はそう言った。







2011/11/02 up



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