トリックスターは着地しない 4


 後ろ盾になるものは、愛だけだった。
 父の、或いは伯母の、そのまた或いは他の誰かの寵愛という不確かなものだけが彼の拠り所だった。同じような立場の者から、その庇護者を奪ったこともある。勿論、奪われたことも。
 人は周囲に学んで育つ生き物だ。いや、生き物とはそういうものだ。
 愛されて育った子供は、愛する術を知っている。思いやりをもって育てられた子供は、他人に手を差し延べる術を知っている。
 試されて育った子供は、人を試すようになる。蔑まれて育った子供は、人を蔑むようになる。
 上辺だけの優しさや社交辞令ばかりに囲まれて育った子供は、何が本当の優しさを知らない。真心を尽くせば裏切られる中で育った子供は、自分が誰かを愛した時に、その愛を恐れる。
 アラミスには、母親に愛された記憶がない。母は女優とは名ばかりの高級娼婦だった。父は熱心なパトロンの一人で、彼女を愛人として遇した。彼女はしばらくは父に囲われていたが、アラミスを産むと不要な殻を脱ぎ捨てた蝶の如く、ひらひらと別の男の元へ行った。
 母にそっくりな息子を父は溺愛したが、それは毛並みのいい犬を可愛がるのと同じ程度の意味しか持たなかった。衣食住に苦労はなかったが、それ以外の与えられるべきものが彼に与えられる事はなかった。しかも母は時折、気まぐれに戻っては奔放に振る舞っていた。それがまた彼を苦しめた。
 そんな子供がどんな目に合うか、想像するのは難しくないだろう。
 彼が生きていく為には、母の真似をして他人に媚びる以外になかった。幸運な事に――そして不幸なことに、彼は天使のように美しく、そして賢かった。
 望まれるままに、彼は自分の美貌を差し出した。飽きられぬよう知識や教養を身につけ、一目置かせるように仕向けた。
 薄氷の上でワルツを踊るようなものだ。
 そして彼は、その舞台から降りられないでいる。


 ―――今も。
















「最近、お前林檎好きだよな」
 ポルトスに言われて、アラミスは撫でていた林檎を見下ろした。彼の繊手に磨かれた林檎はすっかりつやつやになって、美味しそうに光っている。
 アラミスには、アトスにもロシュフォールにもない独自のネットワークがある。
 取り巻きの女生徒達だ。噂好きな彼女らの情報網は、時として彼等を凌ぐ。
 しかしそれをもってしても、あの少女の正体を掴むことは出来なかった。彼女の名前はおろか、何の為に自分に近づこうとしているのか、それすらもわからない。
 ――あの子に、会いたい。
 彼女が現れるのはいつも一人になった時だから、アラミスは何度か授業を抜け出したり、放課後意味もなく学内を散歩してみたが、彼女は現れなかった。
「聞いてもいいか?」
「何?」
「お前とダルタニアンって、前は仲悪くなかったのに、あの悪魔事件以来よそよそしいだろ。なんかあったのか?」
「別に」
 憂鬱になっているところへデリケートな話題を持ち出され、アラミスは不愉快さをあらわにした。
「ダルタニアンさんにはアトス、コンスタンティンは僕、って引き継ぎを分担しているからそう見えるだけじゃない?」
「ほんとにそれだけかよ?」
「しつこいよ、ポルトス。何にもな――」
 ノックの音がアラミスの台詞を遮った。入室を許可するより早く、ノブが回ってドアが開く。ひょいと覗いた顔を見て、アラミスは林檎を取り落とした。
「お、なんだお前か」
 ポルトスが気安く手を挙げる。
「ちょっと待って、なんでポルトスが彼女を知ってるの!?」
「は? なんだよ。どういう事だ一体?」
 掴みかからんばかりの剣幕に、ポルトスが目を白黒させる。少女は宥めるように間に割って入ると、アラミスを見上げてにっこりした。
「私の名前も貴方は知らない」
「……っ、それは、きみが教えてくれないからでしょう?」
「でも、ポルトスとは友達だよ。ね?」
「おう」
 全身の血が音を立てて足元に落ちた。貴公子のアイテムたる貧血を起こして、アラミスはふりでなくよろめいた。
「よりによってポルトスに出し抜かれるなんて……」
「はあ? 何の話だよ?」
 首を傾げるポルトスの横で、彼女は声を上げて笑った。







2011/10/31 up



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