トリックスターは着地しない 3


 アラミスの部屋には、彼の肖像画がある。花に囲まれて微笑む天使のような青年が、いつも彼を見ている。これを見て、人は美しいという。彼に生き写しだという。
「…………」
 肖像画の向かいに据えた姿見に、アラミスは己の裸身を写した。青い瞳、黄金の巻き毛、薔薇色の頬、紅いくちびる。
 白い肌の胸元に、今はもう百合の刻印はない。
 ――あの人が醜いと、罪人の証だと蔑んだ刻印は、もうない。
 アラミスはそっと、跡もない場所を指でなぞった。
「…………醜い」













 カフェ・キッチンに降りると、席は生徒達でいっぱいだった。だが、問題ない。
「あ、アラミス様だわ!」
 取り巻きの女生徒がすぐに気づいて、席を空けてくれる。礼を言って、アラミスはその席についた。
「珍しいですわね。アラミス様がおひとりでカフェにいらっしゃるなんて。アトス様はご一緒ではないのですか?」
「うん、アトスは今日は忙しいみたいだから、生徒会室で食べるって。僕はみんなの顔が見たかったから」
 アラミスが微笑むと、わっと周囲が沸いた。女生徒達の笑顔に、アラミスは満足そうに水のグラスをとりあげた。
 アトスはロシュフォールとダルタニアンと三人で昼食がてらの会議をしている。アラミスが遠慮したのはそういう理由だ。
 一人で食事をとるのは嫌いだった。だったら食べない方がいい。こうして一挙一動を見守られながら食べるのも、煩わしくはあるがもう慣れた。美容と健康の為に食べるものには気を使っても、味の方は割とどうでも良かった。美味しければそれでよし、美味しくなければそういう味なんだと思う。第一、美食家だったら数多ある女生徒達からの贈り物を完食することなど出来ないだろう。料理上手な女性は可愛らしいが、可愛らしい女性すべてが料理上手とは限らない。
 和やかに話していると、予鈴が鳴った。
「あら、もうこんな時間」
 女生徒達は名残惜しそうな顔をしつつ、優雅に一礼して次々と退席していった。アラミスはというと、次の授業は芸術なので出席する必要がない。担当講師だったトレヴィルの後任はまだ決まっていなかった。
「…………ふぅ」
 急に閑散としたカフェを見回し、アラミスは溜息をついた。 空になりかけのグラスを回す。
「たいした事ないんですね」
 後ろから掛かった声に、アラミスは振り向いた。
「……きみ」
 例の少女だった。今日はセーラー服でもシュバリエ学園の制服でもない。温かそうなモヘアのニットにボックススカートという出で立ちだった。
「隣、いいですか?」
 頷くと、彼女はひとつ席を空けて彼の右側に座った。
「大したことがないって、何のこと?」
「貴方の取り巻き」
 アラミスの目の前で、少女は袖口から魔法のように真っ赤な林檎を取り出した。
「誰も、貴方が水しか飲んでないのに気づきもしませんでした。……ううん、気づいてたのかも。でも誰も言わなかった」
「お腹が空いてなかったんだよ」
「……カフェに来たのに?」
 少女は林檎を袖口で磨くと、両手で持って指を立てた。
「んっ……!」
 どうやら、半分に割りたいようだ。顔を真っ赤にして力を込めるが、一向に割れる気配はない。
 今までのクールな様子とは打って変わった可愛らしさに、アラミスは堪えきれずに吹き出した。
「貸して。やってあげるよ」
 アラミスが手を差し出すと、少女は頬に赤みを残したまま、林檎を彼に預けた。良く熟れた林檎は艶やかで、アラミスは少し力を込めてそれを半分に割る。
「はい、どうぞ」
「……ありがとうございます」
 割れ目を合わせて返すと、少女はそれをじっと見分して、片方をアラミスの手に残した。
「お礼です。お腹空いてないかもしれないけど、良かったら食べて」
「……ふふっ、ありがとう」
 こぼれそうな果汁を指で掬うようにしながら、アラミスは林檎に歯を立てた。カシュッ、と瑞々しい歯ざわりと共に、甘酸っぱい香りが口いっぱいに広がる。
「ふふっ」
 アラミスを見つめていた少女は、初めて笑った。ツンと上向きだったくちびるが綻び、白い歯が覗く。予想以上に可愛い笑顔だった。
「美味しい?」
「うん」
「そっか」
 少女は嬉しそうに目を細めると、自分も林檎に齧りついた。そのままなんとなく、分け合った林檎を黙々と食べる。
 林檎は甘くて美味しかった。口の端についた果汁を拭いながら、アラミスは少女に尋ねる。
「きみ、授業は?」
「ん? ないよ」
「ほんとに?」
「うん」
「………………」
 少女はテーブルの下で、子供っぽく足をぶらぶらさせた。アラミスの視線に気づくと、顔をあげてにこりとする。
「一人でご飯食べるの、私も好きじゃないんだ」
「え…………?」
「ごちそうさま」
 芯だけになった林檎をぶら下げて、少女はカタンと椅子を引いた。
「またね、アラミス様」







2011/10/31 up



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