Sanctus


※トレヴィルEND後、コンス→ダル

 彼女は、海辺の街に住んでいる。
 天気の良い日に丘を上れば、海の向こうに遥かなシュバリエ島が見える。
 遠浅の海に浮かぶ島。
 水位の低さと岩礁のせいで、船でもほとんど近づけないのは、今も変わらない。
 しかしもうあの島に学園はない。理事長が殺され、教師生徒合わせて計7人もの死者を出したシュバリエ学園は閉鎖された。
 もう、誰もいない。
 毎年、新年をそこで過ごす彼女を除いては。
 僕はそんな彼女の元へ、毎年両腕に抱えきれない程の贈り物を持って行く。ケーキにターキー、丁子を刺してハリネズミみたいになった林檎、手袋やマフラーや、天球儀やオルゴールや、思いつくものすべて。
「こんばんは、先輩!」
 雪塗れになってやってきた俺を、彼女は明るい笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃい、コンス」
 微笑む彼女は、いくつになっても綺麗だ。小首を傾げる可愛い癖も、変わらない。
 彼女は今でも、僕の好きな人だ。
 こじんまりした小さな家は、一度訪れた彼女の実家――亡くなった父親と最後に暮らしていた家に、どことなく雰囲気が似ている。壁にかかった一枚の絵に、僕は目を移した。これも、ずっと変わらない。
 肖像画の彼女は、鮮やかな瞳で僕を見つめていた。微かに笑うようなくちびる。薔薇色の頬は瑞々しく、思わず触れたくなるようだ。描いた本人もきっと、そう思いながら描いたに違いない、そう思わせる筆致だった。
「あのね、毎年こんな贈り物してくれるのは嬉しいんだけど、もうやめにして欲しいの」
「どうしてですか?」
 帽子とコートを脱ぎ、暖炉の火にあたりながら、熱いコーヒーを頂いていた僕は、彼女の言葉にカップを下ろした。
「コンスに迷惑をかけたくないの」
 いつか言われると思っていたから、取り乱すことはなかったが、実際に聞くと堪える。僕は努めて明るく振る舞った。
「迷惑だなんて、とんでもない。僕がやりたくてやっているだけですから。先輩の力になれるのが嬉しいんです」
 僕ももういい年齢になった。父や母からは何度も縁談を勧められたけれど、彼女より好きになれる人はいなかった。
「先輩。俺じゃだめですか」
 愛した人の面影を抱いて生きるのは、ひとつの美しい純愛の形だ。だけど、人生は長い―――あまりにも。
「僕、先輩がトレヴィル先生を好きなままでもいいです。そんな先輩を、僕はまるごと愛する自信があります」
 彼女が誰を愛していてもかまわない、なんて嘘は言えない。
 愛した相手に愛されたい。それは当然のことだし、そうであれば最高だ。
 だけど、それ以上に僕は彼女に幸せであって欲しかった。もっとたくさん人生の楽しみを知って欲しかった。
「僕は先輩に笑っていてほしいんです。嘘の、上辺だけの笑顔でもいい。愛想笑いでもいいんです」
 いつかそれが本物になるように、努力は惜しまないつもりだ。
「僕は先輩の笑顔が好きです。だから、先輩。そんな寂しい事を言わないで下さい」
「………ごめんなさい、コンス。私……」
「先輩、今日は僕、いい本を持って来たんです」
 僕は先輩の声を遮り、立ち上がった。贈り物の中から一つ、小振りな包みを取って開く。
「これ、東洋の思想について書かれた本なんですよ。アジアの方では輪廻転生といって、魂は死後、生まれ変わるんだそうです」
 キリスト教圏の思想では魂は一度きり、転生は悪魔の差配と言われる。三百年前の魂を受け継いで生まれた僕等は、文字通りそうなのだけど、その悪魔であったトレヴィル先生は既に亡く、召された後に行く先も、彼女は彼とは異なるだろう。
「なら、いっそ宗旨替えしちゃったらどうかなって。一度生まれ変わったんですから、きっと二度目もありますよ!」
「コンス……」
「僕、もし今度生まれ変わったら、先輩より年上に生まれたいです。だって先輩、いつまでたっても僕の事年下扱いするんですもん。あっ、どうせならお兄さんか、お父さんでもいいかも。そうしたら先輩が生まれた時から一緒にいられるし、悪い虫が寄って来たら追い払ってやりますよ!」
 胸を反らして言うと、彼女は小さく吹き出した。くすくすと、鈴を転がすように笑う。
 そう、それが見たかったんだ。
「ね、先輩。そばにいさせて下さい。貴女を支えさせて下さい」
 僕は彼女の手を取った。身寄りのない未亡人の暮らしは楽ではない。だが、生活で荒れた指先の温もりは優しかった。
「コンス……」
 片手で本を抱きしめながら、彼女は俯いた。長い睫毛の先から、涙が綺麗な玉になってぽたり、ぽたりと落ちる。
 僕は雪の降る窓の向こう、水平線の彼方を見遣った。そして、俯く彼女のつむじにキスを落とす。
「兄妹のキスですよ。未来のね」
 驚いて顔をあげる彼女に、僕は片目を瞑って見せた。
 これくらいは許して欲しい。だって先生、貴方がここにいないのが悪い。



 遠く遠く鐘が鳴る。
 開かれ朽ちた塔の鐘が、ノエルの訪れを僕等に告げる。



「希望はきっとありますよ、先輩」
 だから僕も、望みを捨てない。 



 たとえそれが叶わなくとも、ずっと。
Sanctus、Sanctus、Sanctus
主よ 聞き届け給え








2011/10/06 up



back





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -