I drop.


 いつの間にか寄っていた眉間の皺に気づき、美咲はパソコンから目を上げて目頭を揉んだ。普段は紙媒体が主だから、たまにやると非常に目に来る。
「お疲れ様です」
 楚々として熱い煎茶を出してくれたのは、月蛙寮の紅一点だった。少女の気遣いに、顔が自然と綻ぶ。
「お、ありがとな、菅野」
 美咲は礼を言い、目にも優しい、明るい翡翠色の茶に口をつけた。
 飲み頃に少し冷ました煎茶はすっきりとして、軽い苦みが疲れを慰撫してくれる。
「先生、目薬を持って来ましょうか」
「あれ、俺、そんなに疲れ目?」
「はい、見事に真っ赤です」
「あー、ちょっと使い過ぎたか」
 苦笑して、美咲は胡座を崩した。乾いた目がしぱしぱして、何度となく瞬きを繰り返す。
「他の連中は?」
「米原先生が珍しく真面目にお仕事をなさっていたので、部屋に引き上げました」
 いやに静かだと思ったら、そうだったのか。美咲は罰の悪い思いで頭を掻いた。
「悪いな、気を遣わせて」
「いいえ。皆、好きでやっている事です」
 ―――好き。
 特別な意味のない、ただの言い回しなのに、彼女の口から出ただけで一瞬どきりとする。
 だが表には出さず、大人な美咲さんは小さく微笑み返した。
「ありがとな」
 すると少女ははにかんで頬を染めた。頭の触角が、心なしかピンと元気になる。
 ――菅野風羽は、彼に恋をしている。
 知っていながら、喜ばせるのは罪深い事だろうかと、教師たる彼はしばし忸怩たる思いに睫毛を伏せた。そうすると残念さが隠れてただのイケメンになってしまう事を、彼は知らない。
「……目薬をとってきます」
 湯呑みにお茶のおかわりを注いで、風羽は席を立った。彼がおかわりを飲み切らないうちに、すぐに目薬の容器を手に戻って来る。
「どうぞ」
「サンキュ」
 目薬を受け取り、蓋をあけて上を向いた。ぷるぷる震える指で、容器を押す。
「…………」
 ぽたり、と垂れてきた目薬は瞼の上に落ちた。気合いを入れてリトライするも、今度は下過ぎて頬を流れ落ちる。
「先生、もしや目薬が苦手なのでは」
「えへっ☆」
 美咲さんは笑って誤魔化した。
「お手伝いします」
「え? 目薬点すのを?」
「はい。さ、私の膝に頭を乗せて下さい」
「いや、いくらなんでもそれはマズいぞ菅野?」
「問題ありません。その方が手元が安定します」
「いやいや、お前の手元が安定しても俺のハートが温帯低気圧並に不安定になるから。な?」
「なるほど。少しは動揺して下さるのですね」
「…………あのな、菅野」
「冗談です。さ、先生。上を向いて下さい」
 さっと目薬を取り上げ、少女はほっそりとした指で彼の顎を持ち上げた。一瞬、倒錯めいた気分になったのを、理性で明後日に投げやる。
「行きます」
 目を閉じないよう瞼を押さえられ、覗き込む少女の顔が視界を覆った。
 ぽたり、と垂れた冷たい雫。
「反対です」
 同じように瞼を押さえられて、もう一滴。
「〜〜〜くーっ」
 ツーンと鼻の方まで染みてきて、目頭を押さえた。普段使い慣れていないから、少々辛い。
 馴染むまで閉じた瞼に、ふいに予想もしない柔らかなものが触れた。
「っ!?」
 思わず目を見開いたが、視界はまだ目薬でぼやけて、少女の輪郭しか判別できない。
「本日は目の愛護デーです。先生の目も愛護して差し上げて下さい」
 ぼやけた顔は生真面目で、今した事など素知らぬ風だ。彼女と違って照れた顔を隠せもしない美咲は、目頭を揉む振りで誤魔化すしかなかった。
「あー…染みる」
 大人気なく嘯く。

 参りました、と彼が両手を上げる日は、着々と近づいているようだ。







2011/10/10 up
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