シューレディンガーの悪魔


 もし、今指輪を外して再び嵌めた時、彼を呼び出せる確率は、いくらだろう。
 クリソベリルの指輪には、不可解な事が多すぎる。中がどうなっているのか、彼は語らない。封印されているという彼の本体は、本当に生きているのか。触れられる意識体など数えきれない程見てきた自分は、時々そんな事を考える。
 この世に絶対はない。
 次に指輪を嵌めた時に彼が現れない確率は、実は決して低くはないのだ。



 ――ガコン。
 不穏な音と振動が、悪魔と青年を揺さぶった。
「あれ?」
 明滅していた階数ランプが消えたのを見上げ、青年は間の抜けた声を上げる。
「止まっちゃいましたね」
 古い駅ビルのエレベーター。
 剥がれかけた緩衝材を鬱陶しげに押しやりながら、悪魔は顔を顰めた。
「……故障か?」
「さぁ……」
 これから仕事だというのに、幸先の悪いことだ。しばらく待ち、緊急用ボタンを押して見たが、なんの変化も応答も無かった。
「もしかして妨害、ですかね?」
「チッ。面倒だな」
 悪魔は明らさまに不機嫌になり、腕を組んでため息をつく。青年は笑顔にイラッとした気配を漂わせつつも、悪魔の肩に手を置いた。
「肩を借りますよ」
 天井には判り辛いが、メンテナンス用のハッチがある。青年は少し屈んだ悪魔の肩に膝をのせ、肩車のような状態でエレベーターの天井部分に手を這わせた。すぐに開閉口は見つかり、思い切って押し上げる。
 ――ガコン。
 開いた反動で、箱全体が揺れた。バランスを取りながら、青年は腕の力だけで体を引き上げる。
 エレベーターの内部は真っ暗だった。埃っぽく、配線と鉄骨が絡み合って歪つな森のようだ。小さな足音が走り、すぐ足元を二つの光点が駆け抜けた。
 鼠だ。気をつけて見ると、配線のあちこちに齧られた跡がある。もしや、これが原因だろうか。
「暁、どうだ?」
 下からの声に、青年は少し上を見上げた。ビル側のドアは青年の肩あたりにあった。古いが薄っぺらい鉄板は、二人がかりならこじ開けられそうだ。
「おい、手を貸せ」
 天に向かって手を伸べる悪魔を見下ろし、彼はにっこり笑った。
「ご自分でどうぞ」
「……お前」
「冗談ですよ」
 青年は指輪を抜き、素早く嵌め直した。悪魔の姿が一瞬消え、再び現れた時には目の前に在る。悪魔が不満を言う前に、青年はドアの右側を指差した。
「せーの、で引っぱって下さい」
「……わかった」
「いきますよ、せーの!」
 継ぎ目に指をかけ、左右に引く。
 ――ガ…コン……ガコン!
 何度かつっかえながらも、二人の渾身の引きによって、ドアはなんとか30cm程まで開いた。これだけあれば通れる。
 青年は開いたドアの左右に手をかけ、壁を蹴ってビルの中へと転がり込んだ。エレベーターが止まったというのに、誰が見に来る様子もない。
 シャツについた埃を払い、青年はエレベーターを振り返った。同じようにして上がろうとしていた悪魔に、左手を差し出す。
「指輪を外す距離でもないですから」
 悪魔は怪訝な顔をしたが、フンと鼻を鳴らすとその手を掴んだ。
 ぐっ、と力強く引き上げる。大した労力もなく、悪魔はビルの床に降り立った。青年はぱっと手を離すと、さりげなくマントを掴んで手を拭った。 
「さて、行きますよルーエンさん」
「俺のマントで手を拭くな」
「はいはい」
 軽口を叩き合いながら、二人は現場へと向かって歩く。
 薄暗い廊下でふと、青年は視線を落とした。
 手を握る。
 開く。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」



 自分は、なんだかんだで彼を信じてるんだと、そう気づいて少し可笑しかった。







2011/10/10 up
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