可愛いにも程がある


 溜息と共に、アトスは白手袋の手で額を覆った。
 生徒会の仕事を終えて自室に戻ったアトスが見たのは、彼の帰りを待っていたのだろう、ベッドの上で安らかな寝息を立てる恋人の姿だった。胸にはしっかといつもの恋愛小説が抱かれている。
「おい、ダルタニアン」
 小声で呼び、肩をそっと揺するが、鼻にかかった甘い声を上げるだけで、瞼はしっかりと閉ざされている。
「……やれやれ」
 アトスは上体を戻すと、上着の襟を外した。釦を片手で開けて上着を脱ぎ捨て、シャツ一枚でバスルームに向かう。セットしていた前髪をがしがしと崩して裸になり、シャワーのコックを捻る。すぐに少し熱めの湯が、疲れた肌を心地好く叩いた。全身を隈なく洗い立てながら、今日一日を反芻する。
 卒業までもう間がない。アトスは進学先を国外に決めた。だから卒業したらしばらくは、彼女と会う時間もなかなか取れないだろう。
 自分が彼女に捧げた愛と忠誠は揺るがない事を確信していたが、彼女については少し不安だった。彼女の気持ちについてではない。何にでも不慮の事態というものがある。あの時、心臓を刺し貫かれて絶命しかけた彼女の姿は、助かった今でも容易には拭い去れなかった。
 彼女が弱い女だとは思っていない。寧ろ逆で、だからこそ心配なのだ。傍にいて護れないというのは、中々に辛いものがある。かといって、他の男に護らせる気は更々ないが。
 決着の着かない想いを中断して、アトスはシャワーを止めた。体を拭い、頭をタオルでごしごしとやりながら、バスルームを出る。
「………ん?」
 視界の端に過ぎった影に視線を落とすと、バスルームのドアの横にダルタニアンが踞っていた。ベッドの方を見ると、彼女の寝ていた跡は整えられており、上着もきちんとブラシをかけてハンガーに下がっている。ダルタニアンが抱えているものも、小説からタオルに変わっていた。
「……………」
 アトスはダルタニアンの前にしゃがみ込んだ。
「おい、ダルタニアン。起きろ。風邪をひくぞ?」
 さっきよりは強く揺するが、やはり駄目だ。タオルを首にかけ、アトスはダルタニアンの寝顔に顔を近づけた。触れるか触れないかのぎりぎりで、耳元に囁く。
「襲うぞ?」
 吐息のくすぐったさに、ダルタニアンがピクリと反応した。くるんとカールした睫毛がしばたたき、とろんと潤んだ瞳が彼を見上げる。アトスは嘆息した。
「やっと起きたか。部屋に戻……」
 ぎゅっ、と強く抱き着かれて、言葉が切れた。事の最中でも聞けないような甘い声で、ダルタニアンが彼の名前を呼ぶ。
「襲ってください、アトスさん…」
 思わず身を固くしたアトスの肩に、ダルタニアンの体重が凭れかかった。そのまま、一呼吸分の間を置いて、健やかな寝息が首筋をくすぐる。
「……………………」
 先程の倍も沈黙し、アトスは今度こそ完璧に寝入ってしまった恋人を抱え上げた。
「可愛いにも程があるぞ」
 呟きには、健全なる青年故の歯痒さが若干滲んだ。









2011/09/06 up



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