桃とレモンときみの声 「はぁ……」 アラミスは熱っぽい溜息をついた。実際熱があるのだから仕方ない。温くなった氷嚢を額から退けて、寝返りをうつ。 冬休みが終わり、学園に戻って早々、アラミスは酷い風邪をひいてしまった。ちょっとした呪いレベルだ。一晩経ったが、くわえた体温計はまだ38度から下がらなかった。汗をかいた寝巻が不快だが、体がしんどくて着替える気力がない。髪を梳かすどころか、スキンケアすら出来ない有様だ。 ふいにノックの音がした。枕から頭だけを持ち上げて誰何する。 「誰…? ポルトス……?」 「ダルタニアンです。アラミスさん、大丈夫ですか? 入りますよ」 「えっ」 アラミスは青ざめると、慌てて上掛けを頭の上まで引き上げた。ドアが開く音がして、聞き慣れた足音がやってくる。彼女の手がそっと触れた瞬間にアラミスは叫んだ。 「捲らないで!」 上掛けを掴んだ手にぎゅっと力を込める。 「どうしてですか? それだと蒸れますよ?」 「だって、出たらきみに見られちゃうでしょう。今の僕は美しくないもの」 髪はぐしゃぐしゃ肌はボロボロ、とても見せられる姿じゃない。にきびひとつ出来ただけで授業を欠席するアラミスだ。こんな姿を、しかも恋人になど見せられない。 「私は気にしませんよ?」 「僕は気にする」 上掛けの中でアラミスはふてた。ベッドの端が沈み、彼女がそこに腰を下ろす。上掛け越しにぽんぽん、と優しく背中を叩きながら、ダルタニアンがアラミスを呼んだ。 「じゃあアラミスさんは、私が風邪をひいたらお見舞いに来てくれないんですか?」 「行くよ。でもそれとこれとは別。もうちょっと元気が出て、見られても大丈夫な格好をしている時ならお見舞いに来て欲しいけどね」 喋っているうちに呼吸が詰まってきて、アラミスは咳込んだ。熱が篭って頭がぼうっとし出す。 「帰ってよ。僕の事は放っておいていいから」 「ほっとけません」 ダルタニアンは優しく言った。 「アラミスさんがどんな姿でいようと、私は幻滅したりしませんよ。大体悪魔になった姿とか、もっとひどい姿を散々見てるじゃないですか」 「…………」 「アラミスさん」 重ねて呼ばれて、アラミスはもぞもぞと頭を半分だけ覗かせた。半日振りに見た恋人の顔に、ほっと不安が和らぐのを感じる。 「本当に?」 「本当です」 上掛けを優しく押しのけて、ダルタニアンが微笑んだ。額に張り付いた髪をそっと掻き上げて、そのまま頭を撫でる。 「ふふっ、可愛い」 「……可愛い?」 アラミスは眉を八の字に下げた。 「綺麗だとか美しいと言われるのは好きだけど、可愛いと言われるのは不本意かなぁ」 「そうなんですか?」 「うん、男としてはね」 アラミスは頷くと、ダルタニアンを見上げた。 「可愛い恋人の前では、格好をつけていたいんだよ。下らない見栄だけどさ」 「病気の時くらい、甘えていいんですよ」 言われて、アラミスは益々困ってしまった。 いつも人の顔色を窺って、人に気に入られるように生きてきたアラミスは、我が儘に振る舞う事はあっても、自発的に甘える事は少ない。 「ねぇ。……甘えるって、どうすればいいの?」 おずおずと尋ねると、ダルタニアンは目を丸くしてくすくすと笑い出した。 「遠慮なくして欲しい事を言って下さい。アトスさんやポルトスに言うみたいに」 「その言い方だと、僕がいつも二人に甘えているみたいだけど?」 「え? ……もしかして自覚してなかったんですか?」 意外そうに言われて、アラミスは押し黙った。言われてみると、少しはそうかも知れないけれど。 「でも、こんな風に弱ってる時に甘えるのはきみにだけだよ」 言い訳がましく言って、アラミスは両手を持ち上げた。 「起こして。汗かいて気持ちが悪いから、着替えたい」 「はい」 「それから、桃が食べたい。あと喉が渇いたからレモネード。蜂蜜は百花のじゃなくてカミツレのやつ」 「わかりました」 「それから」 腕を取り背中を支えて起こしてもらいながら、アラミスは恋人の胸に深く凭れた。 「きょうは一日、きみの声を聞かせて」 2011/09/04 up back |