ともだち一歩先


 森の中を走る。
 昨日まで住んだラ・ロワールの森を。
(お父さん……お父さん……お父さん……!)
 その先にある出来事を、私は知っているはずだった。運命が変わるなら、その為ならばなんだってする。祈るような気持ちで、少女は走っていた。
 その背中を、不意に強い羽撃きが打ち据える。
「っあ!」
 つんのめり、上体を捻りながら振り返った先には、赤眼を炯々と燃やす黒い使い魔の姿が幾つも迫っていた。
 私に力があれば。
 私が男だったら。
 あの時、武器を取って闘う事が出来たのに。
 むざむざと父を死なせることはなかったのに。
 嘆く背中を、悪魔の羽撃きが追ってくる。
「逃げろ、ダルタニアン!」
 父の声がする。彼女の走る先にいるはずの父は胸を引き裂かれ、救いを求めるように片手を伸ばした。
「逃げろ…!」
「いやっ! お父さん! お父さん!!」
 叫んで戻ろうとするが、使い魔達の太い腕がそれを阻んだ。牙と爪とが襲ってくる。少女は歯を食いしばり、地面に倒れ伏している父に背を向けた。
 走る。
「いやっ…!」
 弱々しい悲鳴が口をついた。
 恐怖で胸が詰まる。
(いやっ! 誰か…っ)
 ――――助けて。


 
 


「―――ニアン、ダルタニアン! 起きろ―っ!」
「きゃあ!」
 降ってきた大喝に、私は飛び上がった。その拍子に腕が近くの幹にぶつかり、赤く色づいたカエデの葉がどさどさと滝のように落ちてくる。
「わぷっ、な、なに!?」
「おわっ、悪い!」
 乱暴に肩を揺さぶっていたのはポルトスだった。色黒の大きな手が、癖のあるブロンドの頭から落ち葉を払い落としてくれる。
「ポルトス?」
 ダルタニアンは周囲を見回した。ここは緑濃いラ・ロワールの森じゃない。秋の色に染まったシュバリエ島の北にあるグリモーの森だ。今日は午後から、芸術の授業で野外スケッチに来ていたのだ。両手で顔を覆い、私は深く息をついた。
「大丈夫か?」
 気遣わしげな声に目を上げると、銃士隊一のお調子者がひどく真面目な顔でこちらを見詰めていた。
「お前が珍しく居眠りしてっからさ。……最初は、寝かせてやろうと思ってたんだけど、なんかうーうー始めるし」
「うん……ちょっと怖い夢見ちゃって」
「夢ぇ? どんなんだよ」
 私は口を閉ざした。あまりに女々しくて、言いたくない。夢の中の私は、ただあの日と同じにただ逃げるだけだった。自分で闘わず、誰かに助けを求めてた。
 夢は内面の鏡という。だとしたら、私はなんて弱いんだろう。父の仇をこの手で取る、そう誓ったはずなのに。
 そうして俯いていたら、突然頬を摘まれた。
「ひゃひふふほほふほふ
(なにするのポルトス)」
 縦縦横横、と頬を引っ張られる。
「いひゃい、いひゃ…痛いってば!」
 無理矢理振り払って、私はポルトスから離れようとした。馬鹿力で抓られたおかげで、頬があっという間にじんじんと熱を持つ。腫れ上がった顔を見て、彼は盛大に噴き出した。かっとして、頬を押さえながらポルトスを見上げる。
「ポルトス……!」
「怒れよ」
 大笑いした顔のまま、彼は目元を和ませた。
「ほんとは笑ったほうがいいんだけどさ。お前のそういう死んだみたいな顔、俺嫌いだ。だから、やめろ。今度したら擽んぞ」
「私、くすぐり効かないけど」
「マジで!? 強えな……じゃなくて!」
 友人にするように、ポルトスは拳で軽く私の肩を叩いた。
「ひとりで抱えんなよ。仲間だろ」
 そう言って、にかっと笑う。
 それが彼流の励まし方なんだと、そう気づいてようやく肩から力が抜けた――そう、気づかぬうちにずっと、肩に力が入りっぱなしだったのだ。まるで、入学したての頃のように。
 ふいに拍手の音が森にこだまする。
「そろそろ授業を終わりにするよ。全員、集まって」
 トレヴィル先生が集合の声を上げた。はっとして、自分のスケッチブックを見遣る。なんということだろう、まだ半分も描いてない。
「はぁ……」
「なんだよ、お前全然描いてないじゃん」
「そういうポルトスは?」
「俺? うん、まあ一応出来てるけど」
 じゃーんと広げて見せたスケッチブックには、子どもの落書きでももうちょっと描き込むだろうというくらいあっさりしたスケッチが無駄に力強い筆致で描かれていた。
 真っ直ぐに、力強く。
「……ふふっ」
 なんだかおかしくて、私は書きかけのスケッチを閉じて笑った。
「なんだよ」
 拗ねたように口を尖らせたポルトスのスケッチブックを、さっきの彼を真似してこつんと拳で叩く。
「ポルトスらしくて、好きよ」
「っ!」
 なぜか真っ赤になったポルトスは、雄叫びを上げて森の奥へと走っていった。
 別の場所でスケッチしていたプランシェが、画材を小脇に提げて寄ってくる。
「どうしちゃったの、あいつ?」
「さあ……。でも友達っていいね」
「は? あんたもどうしちゃったの?」
「ううん。なんでもない」
 笑って、私は首を振った。


ともだち一歩先
「またかよ畜生おおおおおお!」




 






2011/08/19 up



back





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -