天使の耳


 時刻は七時を回ったところ。
 ルーブル寮は朝のざわめきに満ちている。
「おはよう、ダルタニアンさん。起きてる?」
 朝食を一緒に食べようと、昨日約束をしていたアラミスは、恋人の部屋をノックした。
 彼女はいつも、朝が早い。当然、起きているものと思ったのに、返ってきたのは慌てたような返事だった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
 珍しく寝坊でもしたのだろうか。アラミスは苦笑しながら、了承して、扉の脇に寄りかかった。
 乙女の身支度は時間がかかるもの。かくいう彼も(乙女ではないが)身支度には時間をかける。何せ、美の化身を自負するアラミスである。崇拝者たちに期待に応えるため、何より自分自身のために、髪の先から爪先まで、常に磨き上げておらねば気が済まないのだ。
 自分の烟るような純金の巻き毛をくるくると回していたアラミスだったが、ドアがいつまで経っても開かない。おそらく十分以上は過ぎているだろう。あんまりにも遅いと、今度は朝食に間に合わなくなってしまう。
「ダルタニアンさん?」
 再びノックをし、耳を澄ます。なにやらがたがたと騒がしい。
「ダルタニアンさん、入るよ?」
 訝しんだアラミスは、返事を待たずにドアを開けた。
「あ、アラミスさん!」
 造り付けの調度に囲まれた部屋で、果たして彼の恋人はきちんと制服を着込んで鏡に向かっていた。
「なんだ、支度できてるんじゃない」
「それが……」
 ダルタニアンは頬を赤くしながら、しきりに髪を撫で付けている。
「どうしたの?」
「えっと、その……髪が、直らなくて」
 恥ずかしそうに俯く恋人の手をどけると、艶やかな金褐色の髪が、耳の上あたりでぴょこんと跳ねた。しかも、左右両方だ。
「…………ふふっ」
 まるで動物の耳のようだ。うっかり笑い声をたてると、恋人は少し拗ねたように頬を頬を膨らませた。
「笑わなくてもいいじゃないですか」
「ごめんごめん。君があんまりに可愛らしくてね」
 女性よりも白く優雅な指先で、アラミスは恋人の髪を撫でた。
「櫛を貸してご覧。直してあげる」
 微笑みながら言うと、恋人はおとなしく櫛を差し出した。アラミスは水差しの水をハンカチに少し取り、それを跳ねた髪に当てながら丁寧に梳る。
「はい、できた」
 櫛を返し、鏡の前に彼女を立たせた。手馴れたもので、跳ねは見事に直っている。それどころか、普段より綺麗に纏まっている感じだ。
「ありがとうございます」
「さっきの髪型も可愛かったけれどね」
「もう、からかわないで下さい」
 照れて顔を背ける恋人の頬を後ろから押さえ、アラミスは鏡の中の少女に微笑みかけた。
「綺麗だよ、僕のファム・ファタール」
 左巻きのつむじに羽根のようなキスを落として、アラミスは食堂へ誘うべく、恋人の手を取った。







2011/08/19 up



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