何もかも 随分細い肩だと思った。もっと骨太かと思ったが、そうでもない。 これよりずっと華奢な肩に触れたことは山ほどある。手入れの行き届いた滑らかな項を見たことも。だが、Tシャツの襟から覗く平凡な項に、なぜかどきりとした。 日頃の疲れでパンパンに凝った、デスい肩なのにだ。 まったく、許しがたい。 「フィニ―――ッシュ!!」 最後のカットを華麗に決め、吉良はばさりとケープを払った。完璧に整ったヘアスタイルを満足げに見回す。 丁寧なカット、入念なヘッドスパとヘアトリートメントで仕上がった髪には、艶やかな天使の輪が輝いている。当然、切り落とした髪が顔や首に纏わり付くようなこともない。 「ありがとう、吉良」 「ふん。感謝しろ」 立ち上がりかけた夏見を、吉良は片手で押さえた。 「誰が立ちあがっていいと言った」 「え? でもさっき『フィニッシュ』って……」 「いいから座れ」 吉良はそう言って、もう一度夏見をカット台に座らせた。 ふ、と呼吸を整えて、しなやかな指先で彼女の肩に触れる。カットの後の軽いマッサージはいつもしているが、今日の夏見の肩はそれでは歯が立たないくらいに凝り固まっていた。念入りに揉みほぐしてやったが、まだ充分とは言えない。 その上決算期で仕事が忙しいのだろう、ただでさえ乾燥しがちな肌も、いつにも増して荒れている。 「この肌! この皺! お前、仕事を口実に手入れをサボっただろう」 「うっ…! だって……」 吉良はこれみよがしに溜息をつき、その肩に手を置いた。疲れた肩はひんやりして、吉良のてのひらの熱をじんわりと吸っていく。固く強張った筋を、ぐいぐいと押してやると、夏見は顔を歪めて情けない悲鳴を上げた。 「くうぅぅぅ…! い、痛……っ!」 「どうせストレッチもろくにしていないんだろう。デスい女め」 悪態をつきながら、少し力を弱めてやる。 髪からはいつもと同じ、店のシャンプーの爽やかな香りがしていた。自分の気に入っている香りが、自分の気に入っている女からするのは気分がいい。 「吉良?」 いつの間にか手を止めて、ただ肩に触れているだけになっていた。不審に思った夏見が鏡越しに吉良を見つめ、思い直して体ごと振り向く。 「どうしたの、吉良?」 まっすぐに見上げる視線。 その信頼しきった目の色に、ぐらっとする。 (この女はなんだってこんなに無防備なんだ?) 閉店後の店で、こんなに魅力に溢れたカリスマ美容師と二人きりで、普通ならもっと何かあるだろうに。なぜもっと焦らない。動揺しない。 もしや男として見られていないのだろうか。この店に来る大半の客のように、下心たっぷりに秋波を送りつけてくる女は願い下げだが、眼中にないなど言うなら万死に値する。 「吉良……吉良ってば!」 「うるさい!」 彼は自ら手入れしたばかりの、彼女の柔らかな髪を掻き分けると、その首筋に顔を伏せた。 「ぎゃっ! ちょ、なにするのよ! こらーっ!」 ようやく夏見がジタバタする。 遅い。もっと早くにジタバタすればよかったのだ。 吉良は軽く歯の跡まで残してキッチリ赤い痕を残すと、傲然と胸を反らした。 「ふん。人に見られたくなければストールでも巻いておくんだな」 そうして冷やさないことで、肩の凝りは少しは改善するだろう。そう思ったのだが。 「な…っ! 急に言われても持ってないわよ! っていうか風斗に見つかっちゃうでしょう!?」 「だからなんだ」 「なんだじゃないわよバカッ! あー、もー! 絆創膏絆創膏……」 「お前! そんなもの貼ったらますます目立つだろうが!」 「あんたがつけたんでしょう!?」 「そうだ!」 吉良はぐっと身を屈めると、うるさいくちびるを塞いだ。 「僕以外に見せるんじゃない」 「何を」 不満そうながら頬を染める夏見に、吉良は猫のように目を細めた。 「何もかもだ」 2010.09.22 |