ムーンフェイス 今夜は中秋の名月だ。しかしそれを通りかかったスーパーの菓子コーナーに陳列された月見団子を見て思いだしたというのだから、風情のないことである。 「お月見かぁ……」 夏見はひとりごち、少し迷った末に小さめのパックに手を伸ばした。缶詰の餡子と白玉粉で作ってもいいが、二人分程度だとかえって手間だ。風斗が小さい頃は芒も飾ってベランダでお月見をしたものだが、大きくなるにつれ、季節らしいイベントはクリスマスと正月くらいしかしなくなってしまった。 お花見も去年は行けなかった。七夕飾りは一昨年前まで、節分の豆まきなんていつまでやっていただろうか。 「はぁぁ…………」 なんとなくしみじみしながら、夏見は会計を済ませ、買い物袋を両手に提げて帰路についた。が、重い。安いと買いすぎてしまうのは、夏見の悪い癖だ。 「風斗、迎えに来てくれないかな……なんて、今日たしかバイトだったっけ」 一か八かでメールをしたが、帰って来たのは『ごめーん! 仕事中><』という可愛くもあっさりした断りの返事だった。仕方がない、買いすぎたのは自業自得だ。 せめて自転車で来ればよかったと思うが、後悔先に立たず、夏見は諦めてぐっと荷物を握り直した。 公園までさしかかったところで、荷物の重さに音をあげた夏見はベンチに避難した。 こおろぎ。鈴虫。キリギリス。茂みの間から波打つように、虫の音が引いては寄せてくる。つい先日まで半袖でも暑いくらいの残暑だったのに、夕風はひんやりとシャツの隙間から滑り込んでくる。荷物を置いてベンチに腰掛けると、かいた汗が急速に冷えて思わず身震いした。 と、その時である。 「わあ……!」 ちょっと視線をあげるだけで、住宅街の屋根の上にまあるく太った月が見えた。なめらかなカスタードのようにやわらかいクリーム色をした月は、遠目には満月と大差ない。 「……なんだか大きなプリンみたい」 とろりとなめらかな、生クリームたっぷりのやつだ。 プリンはいい。人類が生み出した食文化の極みだ。うっとりしていると、横合いから傍若無人な声がかかった。 「おい! こんなところで何をしている!」 どきりとして振り向き、夏見はつい反射的に笑顔になった。 「あ、吉良」 「なんだその薄着は! 冷やすとますます二の腕に脂肪が定着するだろうが!」 「う……っ! 仕方ないじゃない、こんなに遅くなるつもりなかったんだもの」 汗の冷えてきた腕を軽くさすって言い訳するが、そんなものが吉良に通じるわけもない。 「天気予報くらい毎日チェックしろ。昼間は暖かくても、秋の夜は急に冷え込むことくらい念頭においておけ」 頭ごなしに叱られて少しむっとするけれど、これが吉良なりの心配の仕方とわかっているから、ぐっとこらえる。 「うん。明日から気をつける」 素直に頷くと、吉良は鼻を鳴らして勝手に夏見の横に座った。自然、並んで月を見上げる形になる。 「ねぇ、吉良。お団子食べない?」 「は?」 思いついた夏見はごそごそと買い物袋を探り、先程買ったばかりの月見団子のパックを取り出した。 「貴様、夕食前にこんなものを食べるからブタになるんだぞ」 「いいからいいから」 パカッと蓋を開けて、ひとつつまむ。仕事の後はお腹がすくものだ。ましてや主婦はこれから更に一仕事ある。 「いただきまーす」 はくん、とかぶりつくと、意外とさっくりした歯ざわりの後、こしあんの甘さが舌を慰撫する。 「んー、美味しい」 満面の笑みを浮かべる夏見の手から、しかし吉良が渋面でパックを取り上げた。 「それ以上食うと、お前のその顔で月見をする羽目になるぞ」 「!」 思わず両手で顎の下を押さえる。薄化粧した両頬は、まだ張りを失っていないのは自慢だが、ぷにぷにしている感は否めない。 「わかればいい」 吉良は薄い唇を三日月にすると、夏見の横から買い物袋をひとつ奪って立ち上がった。キョトンとする夏見を見て、また目を吊り上げる。 「何をグズグズしている。この僕がついでだから送ってやると言ってるんだ、さっさと行くぞ」 「あ、うん」 残りの荷物を掴んで、もう歩き始めた吉良の背中を追いかけた。歩きながら携帯を引っ張り出してメールをチェック。風斗から1件、だが見る前に吉良の声が遮る。 「おい」 「はいはい! 今行くってば」 何かぶつくさ言っている吉良に追いつき、並んで歩く。 満月が照らす夜道は明るい。 女ひとりで帰っても支障ない程度には、この辺りは安全でもある。 「ねえ、吉良。どうして公園になんて来たの?」 携帯のメールランプがちかちかしている。 少し意地悪に尋ねると、いつも多忙なカリスマ美容師は、つんと細い顎を反らした。「たまたまだ」 まあるい月が出ている。 月の顔は日々違うようでいて、実は結構ワンパターンだ。 2010.09.30 |