Irregular Life



「ただいまー。あー、疲れたー」
 仕事帰りに買い込んできたスーパーの袋を玄関にどさりと下ろし、ぱっぱと靴を脱ぎ捨てる。秋分を過ぎてからの夕暮れは早く、家の中は真っ暗だ。
 高2になる息子の姿はない。今日はバイトの曜日ではなかったような、そう思いながら再び荷物を持ち上げて台所の電気をつけると、テーブルに置かれたプリントに気付いた。
 『三者面談のお知らせ』
 手に取って紙面に目を走らせ、夏見はふっと溜息をつく。
「………早いなぁ」
 子供はみんな大人になる。
 夏見はプリントを冷蔵庫の表にマグネットでぱちんと留めた。



 夕飯は親子丼にした。割り下は市販のめんつゆベースで、玉ねぎはトロトロの飴色になるまでじっくり煮る。冷めても美味しく食べられるようにと思って作り始めたが、ちょうど仕上げの卵を入れたところで玄関のドアがガチャリと開いた。
「ただいまー。あー、疲れたー」
「おかえり、雷斗」
 さっきの自分と全く同じ台詞で帰って来た息子に、夏見は笑いを噛み殺した。
「バイトだったの?」
 コンロの火加減を見ながら声だけで問うと、雷斗がスポーツバッグを肩にかけたまま、顔だけ台所に突き出す。
「先輩が急に変わってくれっつってさ。めっちゃいい匂いしてるけど、夕飯なに?」
「親子丼。すぐできるから手ぇ洗っておいで」
「うぃース」
 雷斗はニカッと歯を見せて、トントンと二階へ上がって行った。
 フライパンがくつくつ鳴っているのを聞きながら、夏見は食器棚から丼を取って出し、炊き上がった白飯を注ぐ。雷斗の分はガッツリと、夏見の分はちょっと少なめに。
 そうしたところでフライパンの蓋を開けると、ふわっと甘い湯気と共にちょうどいい案配に半熟の卵がプルプルと揺れていた。
「よし、バッチリ」
 にんまりしながら丼に移し、三ツ葉を散らして蓋をする。付け合わせは胡瓜のぬか漬けとインスタントのお吸い物。
 着替えとうがいを済ませた雷斗が、箸とコップを用意して先に席についた。匂いに我慢出来ず、丼の蓋を開けて歓声を上げる。
「おおー、うまそー!」
「はいはいお待たせ。いただきまーす」
「いただきまーすッ」
 パチン!と両手を合わせ、雷斗は勢い良く親子丼を掻き込みはじめた。
「再来週、三者面談だって?」
 はふはふと食べながら、夏見が口火を切る。
「進学と就職どっちにするの?」
 雷斗はつかの間箸を止め、
「まだわかんねー」
 再びはふはふと親子丼を掻き込む。
「そっか。一生を左右する大事な通過点だからね。あんたのやりたいようにして、じっくり選びなさい」
「ん」
 頷く雷斗を確かめて、夏見は丼に目を戻した。半熟卵がつゆだくの白飯に絡んで、口いっぱいに旨味が広がる。
「母さんは進学したんだろ」
「うん。結局中退しちゃったけどね」
 両親を早くに亡くした夏見が大学に進学するのは、そう簡単ではなかった。浪人は出来ないし、私立はお金がかかるから、国立一本に絞って猛勉強した。
 姉の冬美は就職を選んでいたが、夏見の進学を応援してくれた。そうしてなんとか受かった大学で、清四郎に出会ったのだ。
「なあ、後悔してる?」
「ん? 何を?」
「その……清四郎と結婚して、さ」
 言い淀んで丼を置いた雷斗の口の箸に、飯粒が張り付いている。夏見は笑いながら手を伸ばし、それをひょいと摘み取った。
「馬鹿ね。そんなわけないでしょ」
 ぱくんと口にほうり込む。雷斗が小さな頃からよくやった仕草。まったく、いつまでたっても手がかかる――そう思いたいのは母親の驕りだろうか。
「そりゃあ、勉強したくて入ったわけだから、悔しい気持ちも多少はあったわよ。でもね」
 もっとたくさんの事を学んだ。
 もっとたくさんの幸せを貰った。
「もっとやりたいことが出来たんだもの。この道を選んだことを一度だって後悔したことない」
 この道を選んだ時は、あんなに小さかった可愛い我が子が、こんなにでっかく立派に育って巣立って行くなんて、考える余裕もなかったけれど。
 子供が大人になって行くのと一緒に、夏見自身も成長していったのだと思う。
「だからあんたも好きにやりなさい。好きにやってたって、思いも寄らない事がいつ降ってくるかわかんないんだからさ」
「そうかぁ?」
「そうよ」
 さっき汚した口の端をぐいぐいと手で拭う雷斗を見ながら、夏見は笑った。


「人生なんて、予想外の連続よ!」



2012.09.21
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