苦手


 よく喋る女は苦手だ。ひとつ言うと十返ってくるし、何かにつけて理不尽で、甲高い声で騒がれると耳が痛くなる。
 だが、喋らなくても苦手なのだということを、俺は最近しみじみと認識した。


 遠野紗夜。俺は彼女が少し苦手だ。




「……っ!」
 反射的に伸ばした手に、重厚な革の背表紙が飛び込む。間一髪、ほっと溜息をついたすぐ真下には、小さな丸い頭があった。円らな瞳を零れそうに見開いて、俺と、つい一瞬前までぶつかりそうだった世界文学大全集第八巻を見上げている。
「気をつけろ」
 本を棚に押し戻して、俺は彼女を見下ろした。折れそうに華奢で小柄な体躯。こんなものがぶっかってみろ、ひとたまりもないだろう。
「……ありがとうございます」
 びっくりした顔のまま、彼女は俺と、俺の後方――さっきまで俺がいた参考書の棚辺りを交互に眺めた。
「なんだ」
「桐島先輩はすごいのですね」
「………何がだ?」
「あそこからここまで、一瞬でした」
 感心しているらしいが、だからといって無言で凝視するのはやめてくれ。見つめ返すのもなんだか具合が悪くて、俺は視線を本棚へ逃がした。
「次からは、上の方の本を取るときは脚立を使え」
 彼女が取ろうとしていた第七巻を下ろしてやる。撲殺できそうに分厚いそれを、小さな両手に載せた。重さに取り落とさないか心配になったが、彼女は危なげなく大事そうに本を抱えた。
「それか、誰かに言え。俺が近くにいる時は、また取ってやるから」
「……ありがとう」
 嬉しげに笑われ、俺は軽く頷きだけ返して元の位置に戻った。借りる筈だった参考書を探して、眉間の皺を深くする。
 さっきまであったのが、なくなっている。どうやらタッチの差で借りられてしまったらしい。俺は嘆息して、敗因となった人物をもう一度見遣った。
 彼女は閲覧席で、嬉々としてあの分厚い全集を読み耽っている。
「……………」
 再度、嘆息する。





 喋っても喋らなくとも、俺は遠野紗夜が苦手だ。










2011/05/17 up









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