一人で舞い上がって馬鹿みたいだ


 ぱちりと目を開けると、宇宙船の銀色の天井じゃなくて、石膏ボードのそれだった。
(あれ、僕……)
 混濁した記憶を整理するのに少しかかった。地球、学校、授業、マラソン。
(そうか……僕、マラソンの途中で息が苦しくなって……)
 ツキツキと最近常態化してきた肺の痛みを感じて、アジュコは胸を抑える。
 と、その時だった。
 ひょいと陰った視界いっぱいに、均整の取れた白い貌が被さって来る。
「おっはよ、アジュコくん」
「わあああ! ぶぶぶ鰤さん!?」
 慌てて体を起こした瞬間、アジュコの額が少女の顎にクリーンヒットした。
「キャ―――ッ! ごごめんなさいごめんなさい鰤さあああんっ!!」
 自分も眩暈がする程の強烈な衝撃であったが、アジュコはくずおれた少女の元へとベッドを転がり落ちた。少女はというと、きゅうと目を回して床に倒れている。
「キャアアア鰤さああああん」
 慌てたアジュコは脳内にゃっ様の制止を無視して、両てのひらを少女に翳した。ポワワ…と淡い光が少女に注がれ、程なくして長い睫毛がぴくりと震える。
「鰤さああああん大丈夫ですか!?」
「む? んー?」
 気絶した割には痛くない顎を摩り、少女はアジュコを手招きした。愛の鞭――平手がくるかと身構えたアジュコに、少女はツンと顎を反らした。
「痛い」
「ごごごめんなさいごめんなさいごめ」
「ちゅーして」
「んなさいわかりま……えええええ!?」
 ハイソプラノまで裏返ったアジュコの声が、共振動で近くのステンレス皿を跳ね上げる。
「ぶぶぶ鰤さん今なんて!?」
「二回は言わないお」
 顎を反らして長い睫毛を伏せて、少女はアジュコを見下ろした。
「new愛の鞭」
「えっ、あっ、えっ」
「しないなら絶交」
「う……それは嫌ですっ」
 アジュコは弱り切った顔で少女の慈悲を乞うたが、少女は無言でアジュコを見下ろしている。
 勝てない。絶対に勝てない。
「い、い、一回だけですからね!」
 アジュコは両手を床につくと、伸び上がる猫のように首を伸ばした。触れる寸前のギリギリのところで目を閉じる。
 ちゅっ、といきそうなその瞬間。
 パチーンッ!
「ぎゃふっ」
 頬を張られてアジュコはひっくり返った。
(だよねー!)
 床に力無く倒れながら、アジュコは羞恥と後悔で頬を染めながらキラキラと涙を流した。
(一人で舞い上がって、馬鹿みたいだ……!)
 ドサリと床に突っ伏したアジュコは、しくしくしながら体を丸めた。脳内にゃっ様の罵倒がこれでもかとぐるぐるしている。
(気絶するなら今したい……)
 旁沱と流す涙にこめかみを濡らすアジュコの上に、再びふっと影がさす。ぎょっとして目を開けると、四つん這いに覆い被さった少女がにんまりしていた。
「鰤アジュの攻める方、鰤でーすッ☆ミ」
「キャアアアーッ」
 

 その後何がどうなったかは、脳内にゃっ様すら知る由もない。







2012/02/16 up



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