春待つ雨


 氷雨が降っている。出しなに降り出したその雨にロシュフォールは眉を曇らせた。
 傘がないのだ。
 無駄を嫌うロシュフォールが唯一持つ傘は、先日ダルタニアンに貸したまま帰ってきていない。少々の雨なら走って済ませるが、それをするには少々雨足が強かった。
 ロシナンテから一本取り上げてくるか、とも思う。あの男のやることは須らく無駄が多く、無駄な収集癖のなかに確か傘も含まれていた気がする。そうでなくてもロシュフォールはかまわないのだが。
 踵を返しかけたその時、灰色の戸外から誰かが彼を呼んだ。
「ロシュフォール先生! おはようございます」
「ダルタニアン……」
 足元に泥を跳ねさせないよう、気をつけながらも足早にやってきたのは彼の傘の借主だった。
「すみません。先日お借りしたまま返していなかったので、さぞお困りだったでしょう」
「遅い」
 フン、と鼻を鳴らして、ロシュフォールはダルタニアンから傘を取り返した。ルーブル寮と教員宿舎は、学園を挟んで反対にある。急いで来たらしいダルタニアンの頬は林檎のように赤かった。
「先生、良かったら一緒に登校しませんか」
「何?」
「これからお出になるところだったんでしょう? 私も今から学校に行くところなんです」
 あかるい鳶色の瞳が、期待するようにロシュフォールを見上げる。もしやこの為に傘を返さなかったのではなかろうか、と勘繰ったが、そう尋ねたところで素直に頷く娘ではない。
 まあいい、ロシュフォールは傘を開いた。彼らしい真っ黒の蝙蝠傘だ。
「私は行く。ついて来たければ好きにしろ」
「はい」
 ついてくるダルタニアンの傘は、春の花の模様をしていた。雪が氷雨に変わるのは、春が近い証拠だ。
 ロシュフォールはふと傘を傾け、ダルタニアンのさすその縁に重ねた。真っ赤な頬にキスをする。
「っ!」
「冷たいな」
 そんなに血色が良いものだから、もっとあたたかいかと思ったのに、そうでもなかった。
「どうしたんですか、いきなり……」
「私がしたかったからしたまでだ」
 口づけられた頬を隠すようにダルタニアンが頬を押さえたので、彼はムッとして再度腰を屈めると、開きかけの花のような彼女のくちびるにキスをした。寒さのせいか、こちらも冷たい。
「先生……っ」
 照れて困惑しているダルタニアンに、ロシュフォールは満足げな笑みを零した。
「行くぞ」
 並んだ傘に氷雨が煙る。
 待ち遠しい春は、もうすぐそこだ。








2012/01/20 up



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