目覚めの野ばら


 薔薇の香りで目が覚めた。香水ではない、生花独特のしっとりとした香気。指の背で擦りながら瞼を開けると、一年でますます磨きが掛かった恋人の美貌がそこにあった。
「おはよう、ダルタニアンさん」
「……おはよございます?」
 寝ぼけた頭が昨日の事を思い出すのに、少し時間が掛かった。そうだ、彼の誕生日を一緒に過ごすために、アラミスが昨日の土曜日からシュバリエ島に来ていたのだ。
「ふふ、可愛い寝顔だったよ」
 アラミスはベッドに寝そべったまま、ダルタニアンの前髪を軽く梳いた。
 枕元には秋の夕暮れのような深紅の秋薔薇が、青磁の花瓶に一輪差してある。ラ・ヴォリエルで育てた今年最後の薔薇だ。
 眺めながら、彼は軽やかにハミングする。シューベルトの『野ばら』だ。
「ドイツ語って四角四面な感じがしてあまり好きじゃないんだけど、この詩は好きなんだ」
 言いながら、彼は小さく歌う。柔らかな声が刻む正確な発音と音律に、ダルタニアンはしばし聞き惚れた。ふと思いついて訊ねる。
「アラミスさんは、もし荒野で薔薇を見つけたら、こんな風に手折ってしまいますか?」
 彼は面白そうに水色の瞳を瞬かせた。
「そうだね。昔の僕ならそうしたかもね。切り花にして、僕の部屋に飾る為だけに」
 花瓶から薔薇を引き抜くと、寛いだ花の先でダルタニアンの頬をちょんとつついた。ひんやりとした花弁の感触が伝う。
「でも今は違うよ」
「そっとしておくんです?」
「ううん。地面を掘って根ごと持ち帰って、庭に植えるよ。そうすれば、一時だけじゃなく、ずっとその姿を見ていられるでしょう?」
 薔薇の香気が頬を、くちびるを、喉を、鎖骨を撫でた。
「もしも手折ったとしても、きみになら棘を刺されてもかまわないよ」
「私は薔薇みたいに綺麗じゃないですよ? それにアラミスさんを刺したりしません」
 くすぐったそうに頬を染めるダルタニアンから花を離し、彼女をなぞった花弁にアラミスはくちびるを寄せる。
「そうだね」
 ふふっ、と小さく笑い、アラミスは歌うように囁いた。

 ――薔薇の花より甘く芳しい
   きみは僕の愛しいひと。










2011ラブコレ配布ペーパーより改訂再録

2011/12/30 up




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