Gallop 「おい、ダルタニアン」 放課後、図書室へ向かおうとしていた彼女を呼び止めたのは、恋人であるポルトスだった。 「今日、暇か?」 背の高い彼がずいっと詰め寄ると、まるで大型の犬にのしかかられるような圧迫感がある。さりげなく一歩引き、ダルタニアンは頷いた。 「特に用事はないけど……どうかしたの?」 「どうかって、なんつーか、その…………」 ポルトスは顔を赤くして口ごもった後、無駄に気合を込めた大声で言った。 「デートしようぜっつってんだよ!」 「ああ……」 周囲の視線を気にしつつ、ダルタニアンは恋人を見上げた。もうとっくに恋人同士であるのに、デートひとつ誘うのにこんなふうに照れる。そんな彼が愛しくて、ダルタニアンは小さく笑った。それを見て、ポルトスがちょっと怯む。 「……なんだよ」 「ううん。いいよ、どこに行くの?」 「遠乗り。お前、ここ来てから馬に乗ったことないだろ?」 「うん……」 男子と違って、女子には乗馬の授業はない。希望者は受講できるが、良家の子女が多いこの学校は当然どこぞの令嬢ばかりで、そういった女性たちは大抵が馬車を使うし、馬に乗る場合もせいぜいが品のいい横乗りだ。彼女には向いていない。 「じゃあ、ちょっと待ってて。着替えてくるから」 ダルタニアンは昔父から乗馬も教わっていたが、まさか膝丈のスカートでは乗れない。だが、短気なポルトスは強引に彼女の手首を掴んだ。 「そんなん、まどろっこしいだろ。いいから来いよ。早く行かないと帰るまでに日が暮れちまう」 「でも……」 ダルタニアンは躊躇したが、彼の手が彼女のてのひらに滑りこむと、その火照った体温にほだされてしまった。 「いいよ。行こう」 「よっしゃ! そうこなくちゃな!」 ポルトスは意気揚々と、恋人の手をとって歩き出した。 シュバリエ島は狭い。 馬を自由の駆けさせようと思ったら、校外にある演習場まで出向く必要がある。 校庭の外れにある厩舎から体の大きな栗毛の馬を引き出したポルトスは、慣れた動きで鞍や馬銜をつけると、両手でがっしとダルタニアンの腰を持ち上げた。 「きゃああっ!」 不意打ちにそんな場所を掴まれて、ダルタニアンは悲鳴を上げて身を捩った。 「うわっ! な、なんだよ!」 「だっ、だって、いきなりそんなところ触るから」 赤くなったダルタニアンを見て、彼も何をしたか察したのだろう。沸騰した薬缶のごことく湯気を噴き上げた。 「ばっばっばっバカヤロー! べっべつに変な意味で触ったわけじゃねえよ! だってお前、それじゃ自分で乗れねえだろ!!」 そんなことをしたらスカートの中が丸見えだ。どうやら、彼は馬に載せようとしてくれたらしい。気を使うポイントは間違ってないが、いかんせん配慮が足りない。まあ、そんな不器用なところも、彼女にとっては愛おしいのだが。 「わかってるよ…! 急だったから、びっくりしただけ……」 頬が赤らむのを両手で隠しながら、ダルタニアンはポルトスの方に手を置いた。 「はい、じゃあお願い」 「……お前」 今度はポルトスが赤くなる。顔が近いのだ。 「この体勢だと、キスしたくなんだろ」 「えっ、ごめん」 「謝んなよ! そこで!」 喚きながらポルトスはダルタニアンの腰をぐっと引き寄せると、くちびるを合わせた。小さく音を立てて離す時には、くすぐったい気持ちがお互いに伝わっていた。 「今度は暴れんなよ」 「うん」 ポルトスは丁寧にダルタニアンを抱き上げると、軽々と鞍の上に押し上げた。 いい風が吹いていた。 春の野には一面、レンゲやキンポウゲが咲き乱れ、花の絨毯になっている。 「どうだ、気持ちいいだろ?」 駈歩の振動に身を任せつつ、ポルトスは笑った。揺れる度に顎の下で、ダルタニアンの金褐色の髪がくすぐったい。 「ちょっ、ポルトス、もうすこしゆっくり……!」 横乗りに慣れていないダルタニアンは、不安定な姿勢に投げ出されまいと、ぎゅっとポルトスの胸にしがみついている。あまりこんな風に甘えてくることのない彼女なだけに、ポルトスの気分は益々高揚した。 突き抜けるように空が青い。馬鹿みたいな好い天気だ。 「イヤッホ――――!」 手綱を放して両手を広げると、胸が空いた。風が甘い。 「ポルトス、手綱! 手綱!」 「だーいじょうぶだって。落ちたりしねえよ」 青い顔をして鞍を掴むダルタニアンが可愛くて、つい意地悪したくなる。ぶんぶんと腕を振って見せると、ダルタニアンは半泣きの顔でポルトスを睨んだ。 「ポルトス……」 「悪ぃ、そんな顔すんなって。ほら、ちゃんと掴まってろよ」 ポルトスは手綱を掴み直すと、馬の腹を蹴った。ぐっと速度が上がる。暖かな春の風の中を、彼らは一気に丘の上まで駆け上がった。蹄が芝を蹴散らして、青い草の香りが汗ばんだシャツに纏わり付いた。 「ほい、到着」 馬の足を止め、ポルトスはひらりと鞍から飛び降りた。散々駈け回った後だというのに、元気いっぱいだ。慣れない振動と緊張でへとへとになったダルタニアンは、両腕を広げる恋人の胸に素直に抱きついた。地面に下ろされると思いきや、そのまま抱えられる。 「ちょっ、ポルトス……!」 「あん?」 「重いよ、降ろして」 「は? 別に全然重くねえし。ほら」 抱えたまま、くるりと回る。可愛らしい悲鳴を上げて、ダルタニアンはポルトスの頭にしがみついた。腕の中で、軽やかな笑い声が弾ける。しばらくの間くるくるとポルトスは回り続け、飽きたところでようやくダルタニアンを下ろした。 くるくると回る視界に、足元がおぼつかなくて座り込む。素足をちくちくと草の葉が差し、ダルタニアンはさりげなくスカートの裾を揃えた。 「あー、疲れた」 「やっぱり重かったんだ」 「重くねえよ」 草地にごろんと寝転んで、ポルトスが見上げる。 「嘘」 「嘘じゃねえって。ほれ、乗ってみ?」 ちょいちょいと手招きされ、ダルタニアンは寝転ぶポルトスの横に座った。すると、ぐっと腕を掴まれ、引き寄せられる。バランスを崩したダルタニアンは、ポルトスの胸の上に倒れこんだ。 「ほらな。ぜーんぜん軽いし」 にんまりするポルトスが面白くなくて、ダルタニアンは四肢を地面についてポルトスにのしかかった。 「…………」 「……あー、えーっと」 じっと見つめられて、ポルトスが戸惑う。ダルタニアンはそのまま顔を伏せた。汗ばんだ額にキスをする。 「……そっちかよ」 「?」 「普通、こういうときはこっちにすんだろ」 持ち上がった彼の手のひらが、ダルタニアンの頬を包み、引き寄せる。ポルトスの手のひらは大きくて、指の付け根に剣と乗馬のたこができていた。二人は夢中でキスした。風がダルタニアンの髪を揺らして、遠くに駆けていく。 「……なあ、ダルタニアン」 「なに?」 「しねえ?」 ゴッ! 「いってえ!」 振り下ろされた拳に、ポルトスは額を押さえた。拳だ。平手ですらなく、拳。しかも右。 「いくらなんでもそれはないよ」 「すんませんっした!」 絶対零度の視線に、ポルトスは五体投地で謝った。 のんびりしすぎたせいで、帰るころにはすっかり遅くなっていた。 「やべえ、夕飯食いっぱぐれる!」 「必死になるとこそこなんだね……」 「黙ってろって、舌噛むぞ!」 行きの優雅さなどかけらもなく、二人を載せた栗毛の馬はなだらかな道を駆け下りた。駆け抜けるその後に、二人の頭や体についた草のかけらが、はらはらと落ちて流れていく。 ため息混じりに、ダルタニアンは抱きついたポルトスの胸に頬を押し付けた。心臓の鼓動が早いのは、ときめきでなく純粋に運動のためだ。 だが、 「ポルトス!」 「ん?」 驚くほど器用に手綱を――本当、そういうところばかり器用だ――捌きつつ、ポルトスは彼女の顔を見遣った。 屈託ない子供みたいな目をしてるくせに、いざとなったら格好良いのだ、この人は。 「また連れてってくれる?」 「………おう」 ぶっきらぼうに言いながら、彼は照れくさそうに、顔全部で笑った。 彼が翌日の乗馬の授業で、思い出し妄想で落馬骨折したのは、また別の話である。 back |