月の仮面


 影時間の月は朱い。
 少年は抜き身をぶら下げたまま、天を仰いだ。満月を過ぎ、月は真円より少し欠けている。
 空気はひどく澄んでいた。
 影時間に動くのは、シャドウとペルソナ使いだけだ。命あるものはすべて、一切の機械ですらも死に擬した眠りの中にある。
 人の営みが停止するだけで、世界は浄化されていく。ひょっとしたら、この影時間は世界が生み出した免疫機能なのかもしれない。人の侵略から、世界が生き残る為に。
「どうしたのですか?」
 玄関ポーチに佇む彼に呼び掛けたのは、アイギスだった。
「今夜はタルタロスへは行かないのではなかったのですか?」
 一切の無駄を排した精緻な造形が持つ美しさは、彼女が傑出した武器である故だ。人の業を追わされた人形に、少年は淡く微笑んだ。
「……行かないよ。ただ……月が、見たくて」
 それに、影時間でもなければ真剣で素振りなど出来ない。
 実戦に勝る訓練はないが、基礎的な修練はそれとはまた別物である。先日の大型シャドウ戦は何度かヒヤリとすることがあった。敵は回を増す毎に強くなっている。
 少年は剣を構え、灰色の闇を裂いた。切っ先を天に向ける。銀の刃の延長線上には月があった。夜の女王の心臓を貫くような錯覚。
「リーダー」
 アイギスが呼んだ。少年はゆっくりと振り返る。人の手で造られた彼女に劣らぬ程、彼の姿は整っている。その事に、アイギスは一種の連帯感、或いはシンパシーの様なものを感じていた。その反面、彼の矛盾する言動――それは極めて人間的な――に理解できずに困惑を感じることもある。
 『感じる』。それがペルソナという特殊技能を扱う為の機械には与えられれている。人に限りなく近くなるよう、努力することを義務づけられている。
 アイギスは月を見上げた。彼が人間的な『物思い』に耽っていることを察したからだ。しかし、同じように見上げても、彼が何を感じ何を思っているかを知ることは出来なかった。継続することを無駄と判断し、視線を少年へと転じる。
 月のような頬の色。といっても影時間のではない、正常な――清浄な月の顔だ。
「…………なに?」
 凝視を受けて戸惑った風に切っ先を下ろした少年を、アイギスはじっと見つめた。
「あなたは不思議です」
「……僕からしたら、アイギスの方が不思議」
 くす、と笑みを零す。
 少年からすれば、機械なのに『感じる』アイギスの方が不思議だった。突き詰めると自己同一性についての哲学的な議論になりそうだから、今はしないけれど。
「変な事を考えるのは、月が明るいせいかな……」
「月が明るいと、人間はなぜ変な事を考えるのですか?」
 今度はアイギスが首を傾げた。
「満月時の犯罪件数は他の場合と比較して非常に……」
「……それは今はいいかな」
 延々と蓄積データの分析を吐き出しそうなアイギスを止めて、少年はクレッセントを鞘に納めた。
 そして、ふと思う。
 アイギス――無機の魂にもペルソナが宿るなら、天上の月のペルソナは一体どんな顔をしているのかと。









2011/12/11 up







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