5

 間一髪で倉庫街から探偵社へ帰還した後、太宰が事前に呼び出しておいた与謝野晶子女医の異能――君死給勿――によって内藤は見事に回復した。夜間の呼び出しにも関わらず応じてくれた彼女には後日、酒でも振舞われることだろう。
 探偵社内の医務室のベッドに横たえられた内藤の表情は、外傷が消えてもなお苦痛に歪んでいる。
「敦君、色々と思うところがあるのも分かるが、一度帰宅してきちんと休んだほうがいい」
「太宰さん……」
 ベッドにイスを横付けて夜通し看病していた敦のところに、差し入れを持参した太宰が訪れた。それをありがたく受け取ると少年の腹は盛大な音を鳴らす。
 窓の外はもう夕暮れ時。彼は丸一日何も食べていなかったことになる。どうりで腹も空くわけだ。

 敦はおにぎりの保護フィルムに四苦八苦しつつ、
「仮眠は取ってますし、日中は与謝野先生が看ていてくれてましたから」
「こういうときは強情だよねぇ。……しかし女性ならまだしも、よくそんなに男の世話を焼けるね」
「まぁ、太宰さんはそうでしょうね……」
 苦笑いをした敦は不恰好なおにぎりに噛り付いた。
「いつ目が覚めるのだろうねぇ」
「先生は今日中にはって」
「そうかい。……それから敦君。口に物を含んだまま喋らない」
「ふぁい……」
 そんなに急がなくともおにぎりは逃げないよ、と太宰は若干呆れながらも夢中で食べ進める少年を見守る。そして四つも購入した差し入れが腹に収まったのを見届けてから、
「彼女が狐面の黒服たちを手にかけたわけじゃないと判明しただけ、今は善しとしようじゃないか」
「僕だってそう思いたいですけど、あんな状況で鴻さんはいなくなってしまうし……。そもそも狐男と内藤さんたちはどういう関係なんですか? 裏切り者とか家出とか、仲間なのかそうじゃないのか……」
「まぁ、実際のところは当事者本人に訊くのが一番だろう。それから追々考えればいいさ」
 太宰は後輩の柔らかい頭を優しく叩いた。腹が膨れたのもあって敦がほっとしていると、ようやく内藤が目を覚ます。

「アナタたちは……」
 内藤はそう呟いてからのろのろと上体を起こし、段々と意識が明瞭になってくると同時に痛みがないことに瞠目して何度も腹部を触った。そして腹の風穴が一晩の内になくなっていることを理解しても取り乱すことなく、
「お世話になりました、アリガトウございます。もう、あの依頼は取り下げていただいて結構です」
 ベッドから降りてそれだけ言うと、何と医務室を出て行こうとする。
「ちょ、ちょっと待ってください。事情はぜんぜん分かりませんが、一人じゃ危険ですよ!」
 敦は引き止めるも内藤が聞く耳を持たないので、太宰も援護に加わり、
「そんな病み上がりの身体で何が出来るっていうんです。彼女の居場所だってようとして知れぬ今、闇雲に走り回るのは得策ではありません」
「じゃあドウしろと言うんですか! 彼女にはヨコハマを去るように説得されたが、おいそれと承諾デキルはずがない!」
「とりあえず、ここで全て白日の下に晒すというのはどうでしょう」
「それは……」
 答えあぐねる内藤に、太宰は畳み掛けるようにして、
「貴方は何らかの理由から彼女を助けるために狐男たちを裏切り、ここヨコハマまで逃げおうせてきた。そして重症を負いながらも追っ手を返り討ちにしてまで守った彼女は今、独りにならざるを得ない状況に追い込まれている。違いますか?」
「…………」
「貴方たちは一体、何に追われているのです」
 問いかける二対の瞳を前にして、ようやく内藤は腹をくくったらしく口調を砕いた。

「あのキツネみたいな男は児玉花外。そして――露葉組の組長をしている男だ」
「露葉組?」
 聞き覚えのない敦が鸚鵡返しをすると太宰がすかさず、
「京都に拠点を構える、関西最大級の暴力団組織のことだよ。ここ数年でえらく勢力を増していたはずだ。構成員の中には異能力者も複数存在し、中でも組長は強力な異能を有していると聞くね」
「ええ、それってかなりまずいんじゃ……」
「そうだねぇ、まずいねぇ」
 緊張感の欠片もない太宰は小さく挙手をして、
「ちなみに内藤さん。貴方は組長がどのような異能力を持っているかご存知ですか?」
「ああ、ヤツの異能は『天風魔帆(てんぷうまほ)』。風を自在に操るモノだ。こう聞くとサホド強そうには感じないが、実際には単純なだけに使い勝手がよく、制約や対価の少ないベンリな異能。風に乗っての移動や竜巻を発生させての破壊はオハコだ。さらに弾丸さえも通さない防御力と的確なコントロール。ヤツによって葬られてきた敵対勢力は多い」

 せっかく内藤が素直に情報を開示し始めてくれたのに、敦は徐々に不安になってきた。「そんな恐ろしい組織が鴻さんを探していて、しかもポートマフィアまで絡んでるなんて……。そもそもポートマフィアとその露葉組はどういった関係なんでしょう。まさか友好関係にあるとか?」
「いや、あの組長の言動とポートマフィアの動きからしてその線は低い。おそらく接触済みではあるがマフィアにも一物あって、結局仲違いに終わったというのが妥当なところだろう」
「良かった、仲間じゃないんですね」
「安心するのは時期尚早だよ、敦君。彼らが結託していなかったことは不幸中の幸いだが、ポートマフィアの目的が分からない以上、警戒は怠れない」
 太宰の的確な推理に表情が強張る内藤を、敦はとりあえずベッドへ連れ戻す。
「しかし私がそれよりも不思議に思っているのは、お嬢さんのことです。露葉の組長が直々にヨコハマまで出向くなんて、彼女は一体、何者なんです」
 太宰が核心をついた。

「……モトモトは、京都にある全国有数の神社の愛娘だ。アソコは観光地としても有名だし、たぶん名前くらいならダレでも知ってる」
 ものは試しと敦が名前を尋ねてみると、確かに彼の知識にも存在する神社だった。
「実家が有名なうえにアノ容姿。身代金や悪戯目的の誘拐なんてのはショッチュウあって、小さい頃から過保護に育てられてた。エスカレーター式のお嬢様学校に通い、外出するときはカナラズ護衛がつく。一人で出歩くことはホトンドなかったな。ただ、それでもアノ頃は平和だったんだ――」
 そこで内藤は一旦話を切って、
「異能が発覚するあの時までは……」
「鴻さんって異能力者なんですか?!」
 敦が驚愕すると内藤は深く頷き、
「欲しいヤツは血眼になってでも探すだろう。今だって露葉が草の根掻き分けてユクエを追ってるんだからな。お嬢の異能は制約は多いけど貴重――トクニ裏社会では重宝される能力だ」
「具体的にはどのような異能なのです」
 すかさず太宰が質問を投げかかる。

「簡単に言えば死ななくなる能力だ。アル条件を満たした人物にのみ発動し、対象者に襲い掛かるあらゆる”危険”を、何らかの方法で回避させるコトができる。能力名は『花の下にて春死なむ』。ただし効果があるのは突発的な危険ノミ。長く患っている病や老衰なんかは範疇外だ。それから逃れた危険の回数や危険度にヒレイして効力は次第に落ちていく」
「なるほど。彼女の異能を持ってすれば、死なない兵士を量産することなど容易い。それは裏に生きる人間からすれば、喉から手が出るほど欲しいでしょう」
「ああ、そうだ。それをお嬢はイツモ、任務前の組員に使わされてた。だから例え重傷にはなっても最悪死ぬことだけはなかったんだ。児玉はアアしてお嬢の罪悪感や良心に訴えかけて、戻らせようって魂胆なんだろう。相変わらずやることがえげつない」
 内藤は半ばやけくそに続ける。

「異能が発覚したのは、境内で可愛がってたネコが参拝者の運転する車に轢かれそうになったトキだった。車はぶつかる寸前で不自然に大きくスリップし、境内の大木に激突。ネコが無事な上に運転手もマサカの打撲のみだったからお嬢は喜んだが、反対に周囲は焦った。車が猫にぶつかる寸前、猫の回りを舞う桜の花を目撃したヤツらがいたんだ。当時の季節は秋。桜なんかあるはずがない……。コンナ異能を持っていると外部に知れたら、利用されかねない。だからアレ以降、今まで以上に目を光らせていたんだが――」
「思わぬところから情報が漏れてしまった」
「ああ、カネに目のくらんだ家政婦のせいでな。その後はもう、サカミチを転がり落ちるようなものだ。その稀有な異能に目をつけた児玉によってお嬢は監禁され、連日連夜後ろ暗い連中のためだけに異能を使うことを強制されている。……モウ、二年もだ」
「その間に何か対策を講じたりはしなかったのですか」
「ムロン、北森だって黙ってたわけじゃない。歴史ある家だから声をかければチカラになってくれるところはあった。だが反抗のキザシあればお嬢本人に手を出すと脅され、何も……。藁にもすがる思いで市警や軍警などの警察機関にも訴え出たが、ヤツラは自分の身可愛さに捜査することもせず、それどころか失踪という烙印を押してアトは門前払いだ」
「だからあなたはあれだけ市警に憎まれ口を叩いていたのですね」
 依頼中に垣間見えた内藤の態度に合点がいき、太宰は指を鳴らした。
「お嬢本人も由緒ある神社を破壊されたらセンジンたちに申し訳がたたないと言うし、それ以前に家族や家人、観光客にまで被害が及ぶかもしれないのだからと、自らその身を差し出したんだ」
 二進も三進もいかない内藤は、乱暴に頭を掻き毟った。
 大切なものを守るために自ら敵の檻に入るなんて、鴻の心情は察するに余りある。

「さしずめ内藤さんと彼女の関係は、主人と従者ですね」
 矢継ぎ早に重ねられる太宰の質問にも、内藤は嫌な顔一つせず、
「そのトウリだ。元々オレは家なき子で大阪のほうでずっとワルサしてたんだが、ある時大きなヘマをして命からがら京都に逃げたのさ。そこをたまたま北森に拾われ、そのまま一門に加わった。上質な衣食住と教育を施してもらい、お嬢の付き人になったのは十年ほどマエになる。お嬢が露葉の人質になったアトは、すぐに身分を偽って潜入した。二年かかって逃走経路を確保し、数日前にヤツラの隙を狙ってヨウヤク脱出させたってのに、結局このざまだ。組織の目を欺くためとはいえ、イットキでも離れたのは間違いだった。アナタたちにまで重荷を背負わせてしまって……」
「いえいえ、僕らは仕事ですから。それに内藤さんは十二分に凄いですよ。僕なんか、二年も敵地で頑張れるかどうか……」
 大切なお嬢様を救うために骨身を削ってきた彼を非難出来るはずもなく、敦は懸命に内藤を慰撫する。
「事情は大体、把握できました。そこで私からの提案なのですが――どうでしょう、改めて我々武装探偵社に、彼女の救出、奪還をご依頼されるというのは」
 願ってもいない太宰の提案に内藤は勢いよく頭を下げ、次いで自分のことは名前で読んで欲しいと願い出た。拾われた直後、まだ幼かった鴻に貰ったという名前を彼はことのほか気に入っているそうだ。

「さて――」
 太宰がぱんと手を打って、話題転換をする。
「では早速、作戦会議といこう。まず敦君には露葉の組長をどうにかしてもらいたい」
「はいぃ?! そんなの無理ですよ!」
「大丈夫だよ。組長を誘い出す役はこちらで受け持つし」
「いやいや、ていうか何で僕だけなんです?! 三國さんは病み上がりとして、太宰さんはどうするんですか!」
「他にもやることは山積みなのだよ、敦君。そもそも最たる目的はお姫様の救出。それを確実なものにするためにも、君に組長を抑えてもらいたいんじゃないか」
 言っていることは尤もだが、敦は快諾しかねる。
「倉庫だって吹き飛んじゃう強風に、どうやって立ち向かうんですか。僕なんかひとたまりもありませんよ。しかも風は無味無臭だから、どこから襲ってくるか……」
「なぁに、そのための作戦会議だよ」
 太宰はニヤっと口の端を上げて、
「目で見えないなら見えるようにすればいいのさ」
「そんな簡単に言わないでくださいよぉ」
「そうかなぁ、色を付けるなんて、良い策だと思うけれどねぇ」
「風に色、ですか? そんなこと出来るわけ――」
「いいや、敦君なら出来る!」
 過剰な期待されてしまい敦が二の句を告げないでいると太宰は調子づいて、
「これまでだって君は、数多の危機を脱してきたじゃないか。この私が言うんだ、間違いない」
「えぇ、だったら答えを教えてくれたって……」
「甘いな敦君。私と君とでは身体能力も思考回路も違う。仮に私が最善だと判断した方法を君が実践したとして、上手くいくとは限らないのだよ」
「そうですけど……」
 敦は何だかはぐらかされた気がしてならない。

「……ああ、それから敦君にこれを」
「何ですか?」
 太宰が外套のポケットから摘み出したメモが一枚、敦の手に渡る。しかし彼は中身を検めることもできず、急かされるようにして医務室を追い出されてしまった。
 それを他人事のように大手を振って見送っていた太宰は、足音が聞こえなくなるなりくるりと内藤に向き直って、
「さて三國さん。ここからはちょっと込み入った話になりますが、宜しいですか」
 すうっと目を細めた。


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