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 自殺の予兆こそなかったものの美人と見れば声をかけずにはいられない太宰を紙一重で制御しつつ捜索を続けていた敦だったが、日が暮れる寸前になっても大した成果は得られなかった。
「そういえば敦君。君は件の美女と直接対面したらしいが、会話などはあったのかな」
「はい、少しだけですけど。でも、取り立てて変わったことはなかったですよ」
「美人さんのことなら何だって知りたいのさ。参考程度に教えてはくれないかね」
「はぁ、いいですけど」
 敦は美女との邂逅を――あの恥ずかしい行動は伏せて――太宰に語って聞かせた。

 それを一通り話し終えた頃には街を抜け港まで来ていて、吹きすさぶ春先の冷たい風がパズルのように積み重なったコンテナや密集する倉庫にぶつかって金切り声を上げていた。
 敦の前方を進んでいた太宰が胸を押さえてしゃがみ込み、
「……はぁ、私は心が痛いよ、敦君。こんな寒空の下、あの淑やかなご麗人はたった独り。今頃どこぞの悪い男に捕まっているやもしれない」
「そ、それは……」
 ないとは言い切れない。
「しかもご覧よ、この写真を。背景も服も何もかもが闇のように暗い中、彼女だけが大輪の花の如く咲き誇っている。まるで夜闇に浮かぶ桜の如し。横顔だけでこの美貌なのだから、実物を真正面から拝んだらどうなっちゃうんだろう!」
 太宰は己の腕で己の体を抱きながら、
「私きっと、心中を申し込まずにはいられないよ! いや、申し込まなければ失礼だね!」
「不謹慎ですよ、もう!」
「どうしてだい。こんな美人と心中できるのなら、私は本望さ!」
「太宰さんのことはどうだっていいです。巻き込まれる女性のことを考えてください!」
 敦君が冷たい、と太宰がその場でうじうじし始めた。

 このまま置いて帰ろうかなぁ……。
 敦が冷ややかな眼差しを上司に向けていると突如、銃声が彼の耳をついた。しかも一発だけでは終わらず、二発三発とその音は続き、仕舞いには豪雨のような騒音となっていく。それがコンテナや倉庫に反響し、まるで銃撃戦の只中に身を置いているような感覚を敦は覚えた。
「と、とりあえず向かってみましょう……!」
 多少萎縮してしまった気持ちを振り払うように敦が音源へ走り出せば、太宰も無言でその後を追う。
 しばらく走っていると銃声は嘘のようにぴたりと鳴り止んだ。

 ここか……!
 ちょうど行き止まりに転げ落ちている倉庫の鉄扉を視界に捉え、敦は確信した。その扉は銃弾によって穿たれた穴だらけで、事件の凄惨さを物語っている。
 そしてがらんどうとした倉庫の入口では狐面をつけた何十という黒服の人間が事切れており、そのさらに奥には――倒れ伏す内藤と後姿の小柄な人影があった。
「内藤さん……?!」
 辛うじて意識はあるが立ち上がれずに蹲る内藤の腹からは大量の出血があり、早急な処置が必要であることは素人目にも明らかだ。
 すぐにでも救助に向かいたいのに謎の人物がいるため無闇に近づくのは得策ではなく敦がほぞを噛むと、人影が振り返ったものだからあっと声を上げてしまう。

「貴女は――!」
 行方を捜していた北森鴻その人である。出合ったときよりいくらか疲れた顔をしているが、その美しさは健在だ。
 しかし――
 この状況は……。
 銃撃戦の末、男たちは死に絶え内藤は重症を負ったと考えるのが自然であるが、それにしては落ち着き払った彼女の態度が解せない。
「まさか貴女が……?」
 問いかけるも答えない鴻に痺れを切らせ駆け寄ろうとする敦の腕を、背後から太宰が掴んだ。
「待つんだ、敦君」
「ちょっと、太宰さん?!」
 反論しようとする敦だったが、倉庫の屋根や外壁を吹き飛ばすほどの暴風によって言葉と視界を奪われてしまう。

 今度は何だ……?!
 ようやっと瞼を開いた敦の眼前には、ふわふわと空中に浮遊する壮年の男の姿がある。
 闇に溶けてしまいそうな濃紫の着物は、この強風の中でもその装いを乱してはいない。狐のような顔をしたその男に彼は全く見覚えがなかったが、内藤のほうは朦朧としながらも苦虫を噛み潰したような表情をしており、しかもなんの迷いもなく男に銃弾を放ったではないか。
「えっ……」
 ところがそれが狐男に届くことはなく、何かに阻まれるように勢いをなくし、地面へ落下した。
 これは……。
 内藤から一直線に伸びた弾は、打ち落とされたわけでも防弾チョッキに弾かれたわけでもなく、透明な壁のようなものに当たって動きを停止したように敦の目には映った。

「これは幸先がええ。まさかこんなにすぐ見つかはるとは」
 狙撃されておきながら、男は内藤などいないかのように振る舞い、
「こんなことなら菓子折りなんぞ、わざわざ用意する必要ありまへんでしたなぁ」
 すぐ傍の倉庫の天辺に降り立った。
 まるで敦たちのいる倉庫だけが嵐に遭遇したかのように、周囲には何ら影響が出ていない。

「鼠も何匹か混じっとるようやけど、まぁええ。はよ帰りましょか」
 男は敦と太宰には一瞥をくれたのみで、すぐにその視線を鴻へやった。それに彼女は数歩後ずさり、首を横に振りながら嫌ですと語気を強める。
「それは困りましたな。預かっているあんさんに何かあっては、ご両親にも顔向けできまへん」
「預かっているなどと、どの口が言うのです」
「はて、うちに自ら来なすったのはあんさんだったはずやけど」
「…………」
 反論できない鴻は悔しそうに男をねめつけるが、何の効果もないようで、
「我侭も大概にせなあきまへんよ。そこに転がっとる奴らが死んだんは、あんたのせいなんやで。家出なんてせずいつも通りやってくれていれば、死ぬことだけはなかったんに」
「ふざけるな!」
 息も絶え絶えな内藤が声を荒げる。
「こいつらを殺したのはオレだ。お嬢にはナンの落ち度もないし、二度とお前たちのトコロに戻ることもない!」
「あんさん、まだ生きとったんか。口だけは達者やなぁ……。ほな、まずは裏切り者のあんたから始末しときましょか」
 狐男の物騒な言葉でその場に緊張が走るが、またも突然の銃撃に見舞われ空気が一変する。

「今度は何ですかぁ?!」
「どうやらポートマフィアのようだね」
「ええ?!」
 太宰が冷静に状況を分析する一方、肝をつぶした敦は身を低くするばかり。目まぐるしく変化する現状についていくのがやっとだ。
「どうやら私たちの与り知らぬところで、随分と事は大きくなっていたようだ」
「そんなぁ……」
「落ち込んでいる暇はないよ、敦君。これは絶好の機会だ。幸い狐男は私たちのことなど眼中にすらないようだし、この隙に二人を連れてここから離脱しよう」
「は、はい!」
 見違えたように太宰が大きく見えて、敦も己に喝を入れる。
 相変わらず狙撃は続いていたが、弾道が狐男に集中しているためさほど恐怖心は湧いてこない。

「ポートマフィアか……。無能ならまだしも邪魔とはなぁ。田舎の非合法組織いうんは、礼儀も弁えとらんらしい」
 狐男が鬱陶しそうに腕を横に振れば台風のような強風が周囲の建物を巻き込んで舞い上がり、それが巨大な竜巻になったかと思うと途端に霧散して、粉々になった建物の残骸が無数の流れ星のようにあたり一帯に墜落し始めた。
「敦君!」
 太宰の掛け声で脚部にだけ異能――月下獣――を発動した敦は、落ちてくる破片を交わしながら鴻と内藤がいたはずの場所を目指した。しかしそこにいたのは内藤のみで、彼女の姿がどこにもない。
 くそっ、一体どこに……?!
 探ろうにもこの悪条件、しかも一刻を争う容態の怪我人をこれ以上放ってはおけない。
「大変です、太宰さん! 鴻さんが見当たりません!」
「残念だが敦君、一旦ここは引こう。これ以上は私たちも危険だ」
「はい……」
 辛うじて残っていた倉庫の一部に身を潜めていた太宰の先導により、内藤を背負った敦は倉庫街から脱出した。


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