3

 ヨコハマの裏社会を牛耳るポートマフィアの首領である森鴎外はその日、柔らかいソファーに身を預けながらもどこかつまらなそうにしていた。目に入れても痛くないほど溺愛しているエリスという少女が傍らにいないからだろうか。
 そんな森から一人分の間を空けて幹部である尾崎紅葉が、同じく幹部の中原中也は二人の背後に控えている。

 尾崎は三匹の蝶が舞う扇子で口元を隠しながら、
「鴎外殿、此度の会合、我々が応じる必要はあったのかえ?」
「おや、乗り気じゃなさそうだねぇ」
「当然じゃろう。いきなり接触してくるなり、明日にでも目通りしたいなどと……」
「いいじゃないか。中々会えるお人じゃないのだし」
「それは鴎外殿にも当てはまることじゃ。こんな安請け合いをしていては、我らポートマフィアを疎んじる者共が出てくるとも限らぬ」
 苦言を呈する尾崎であったが、森はどこ吹く風。彼女は首領たる森に意見できる数少ない女傑であるが、当の本人がそれを素直に聞き入れることは少ない。

 姐さんと呼び慕う女性の機嫌をこれ以上損ねるのもいかがなものかと思い、助け舟を出すつもりで中也が口を挟む。
「首領はあちらにも勢力を拡大するお心算で?」
「あはは、まさか。さすがにそこまでは考えていないよ。風呂敷は広げすぎないのが、一組織を束ねる者としての教訓かな。ヨコハマだけでも我々の手には余っているじゃないか。それは中原君だって実感しているだろう?」
「はい……」
 同意はしたものの、この男がその気になれば国を掌握することすら容易いのではないか、と中也は真剣に勘ぐってしまう。
 幹部連中からあまり賛同を得られていないことが殊更面白いのか、一転して森が鼻歌でも歌い出しそうになるや否や、不意にノック音が響いた。
 客人の来訪を告げる部下の声に続き重厚な扉が開いて、そこから痩身の男が姿を現す。

 こいつが『児玉花外(こだまかがい)』か……。
 中也は決して悟られぬように客人を値踏みする。
 笑みなのかそれとも元来のものなのか目と口は糸のように横に伸び、鼻や顎、肩に至るまで鋭利に尖っている。年の頃なら五十がらみで、頭髪の半分が既に白く覆われているため、その容貌と相まってまるで稲荷のような男だ。全体的に細長い体躯に洒落た濃紫の着物を纏う様は、一見すると老舗呉服屋の店主と見紛うばかりであるが――隠しきれない貫禄のようなものが、男の正体をひしひしと訴えてくる。

 何を隠そう、児玉は京都に拠点を置く非合法組織『露葉組(つゆばぐみ)』の組長である。立場だけなら森と何ら遜色ない。
 組員はその全員が一様に狐の面を着用し互いの顔すら満足に知らず、日夜危険な任務に赴いているという。これは組員間に情を芽生えさせないための措置であり、それによって反逆者の始末を滞りなく敢行できるという非常に合理的な手法ではあるのだが、代わりなどいくらでもいると暗喩されているようで中也はいけ好かない。
 関西地方は長らく露葉組を含めた三勢力が睨み合いながらも絶妙な均衡を保っており、その歴史はポートマフィアよりも古いとされている。それがどういうカラクリかここ数年、露葉の勢力が急速に拡大し、関西最大級の組織へと成長を遂げた。
 これは露葉の組長が代替わりしてからの功績であると中也は記憶しているので、児玉はよほどの豪腕の持ち主なのだろうか。

 いずれにせよポートマフィアと露葉組は今まで互いにその存在を知りこそすれ、接点を持ったことはただの一度もなかった。それが突如として一方的に『会合の場を設けたい』とコンタクトを取ってきたものだから、緊急に催された幹部会議でも意見が二分した。終始優勢だったのは反対派で――無論、尾崎も中也もこちら側であったのだが――結局は首領の鶴の一声で賛成派に軍配が上がったのだった。

「まずは突然の訪問、ご勘弁ください」
 室内に通された児玉は訛りのない生粋の京都弁で一言陳謝し、
「そして貴重なお時間わざわざ割いていただいて、誠にありがとう存じます。その礼と言ってはなんですが、ちょっとした土産を用意しましたんで、我々の顔を立てる思うてどうぞ受け取ってやってください」
 児玉が背後の従者に目配せすると、テーブルの上に一つの桐箱が置かれた。
 熨斗には京都老舗和菓子店の名が刻まれているが、闇組織から贈呈される手土産が食品だけの可愛らしいもののはずがなく、おそらく江戸の悪代官よろしく下部に何かが敷き詰められていることだろう。
 それを森は心なしか嬉しそうに――きっとエリスが喜ぶ顔を想像している――受領した。

「早速ですが、今回はどのようなご用件で? こちらとしては思い当たる節がないものですから、部下たちに責められて肩身が狭いのです」
「そうですな、お互い忙しい身、さくっと終わらせましょ」
 森の冗談を聞き流した児玉は袖から両手を出して、
「実は人探しにご助力願いたいんですわ」
「人、ですか」
「横浜はお宅さんらのお膝元。情報はすぐに集るかと思いましてな」
「まぁ、部下たちの頑張り次第でしょう」
 森はへりくだりつつ、
「しかし、組長である貴君自らが足を運ぶようなお人なのですかな」
「へぇ、実はうちのおひいさんでして」
「ほう」
 興味深げな森に、児玉は着物の袂から数枚の写真を提示した。
「えらい別嬪さんですやろ。せやからうちも心配で心配で。心無い輩にかどわかされでもしたら一大事や」
 手の平サイズのそれには胸像、横顔、全身など様々な方向から撮られた女性が映っており、しかも俄かには信じられないほどの美姫だったものだから中也は一瞬、息をするのも忘れてしまった。

「いやぁ、驚きました。写真だけでこの輝きよう。実物はさぞ麗しいのでしょうね」
「そらぁもう。女慣れしてへんと、気を失う男もおりますさかい」
「止むを得ませんな」
「名前は北森鴻言います……。まぁ、うちのもんは皆、姫と呼んどりますが」
「お気持ちは理解出来ます」
 幼女趣味にとっては守備範囲外だったようで、森はすらすらと口を動かしている。同性である尾崎も感心したように写真を眺めただけで、取り立てて何かを発言することもない。
 そういった上司たちの振る舞いを目の当たりにすると、中也は写真に目が釘付けになっていた己が酷く不甲斐なくなる。こんな失態が忌々しい元相棒にでも知れたら、一生笑いの種にされるに違いない。

 しっかし、女一人のためにわざわざねぇ……。
 児玉は女に現を抜かすような男には見受けられないが、森のような特例もあるため一概には言い切れない。少なくとも組長が『おひいさん』と躊躇いもなく口述する存在である上にこれほどの美貌の持ち主であれば、敵対勢力に付け狙われている可能性もあるのか。

 そうして中也が疑念を抱く一方で、森は早々に会合の結果を告げた。
「そういう事情なら、こちらも微力ながらにご協力させていただきましょう」
「微力などと……。天下のポートマフィアは慎ましくていらっしゃる」
「古都の魍魎たるそちらに比べれば、我々など矮小都市の卑陋な組織ですからな」
「何を仰る、横浜の闇が」
 両組織長の瞳はニイっと孤を描き、
「ご謙遜を」
「お互い様ですな」
 終には声を立てて笑い合った。
 直に会話をしているわけではないのに、中也の背を冷たいものが流れる。口を挟んだら最後、次の瞬間には泉下の客となっていそうだ。
 一国一城の主が集うということは、かくも恐ろしいことなのか――。



 その後、両長のやり取りは他愛ない会話を二つ三つするだけに止まり、児玉は退出した。
 その気配が失せると途端に森はとろけそうな顔つきになって、早速エリスに菓子を与える。
「待たせてごめんねぇ、エリスちゃん。寂しかったよねぇ。お詫びというほどではないけれど、今日はお土産があるんだよぉ」
「リンタロウ、きもい。いいから早く出しなさいよ」
 鼻息荒い森を鬱陶しそうにしながらも、見るからに高そうな菓子折りに少女も幾分か機嫌を良くして、迷わず正面から熨斗を真っ二つに引きちぎり蓋をどけた。
 桐箱の中身は桜の花や小鳥などを模した愛らしい和三盆で、春を先取りしたかのような色合いをしている。
「あら、可愛い」
 エリスは嬉々として桜の形をしたものを一齧りするも、どういう訳かすぐに食べるのを止めてしまった。

「おや、どうしたんだい、エリスちゃん。それは京都の有名な和菓子屋の一品みたいだし、不味いってことはないと思うんだけど……」
「別に不味いなんて言ってないでしょ。でも、昨日食べたマカロンのほうが甘くて美味しかったわ」
 少女は食べかけのそれをぽいっと箱へ投げ返し、そっぽを向いてしまった。どうやら上品すぎる甘みが若い女の子の口には合わなかったようで、既に興味は失せている。
 そんなエリスの態度に森は残念がるかと思いきや、自ら用意したマカロンを褒められたことへの歓喜が勝って少女に抱きつこうとしている。それは当然のように拒まれたのだけれど、起き上がった男はさもたった今閃きましたとばかりに、そうだ彼女をマフィアに招待しようなどとのたまった。

「本気ですか、首領!」
 中也の口角が引きつる。
 普通の男ならまだしもあの首領が、妙齢の美女に興味を持つはずがない。
 となると――”招待”というのは比喩で真意は”拐引”ということか。

「ヨコハマは物騒な街だからねぇ。発見出来てもあちらに引き渡す前に何かあっては、ポートマフィアの名折れだろう」
「いや、しかしですね――」
「保護だよ、保護」
 眉間を揉みながらも懸命に異を唱える中也に嘯く森であったが、
「今度は一体、何を企んでおる?」
 これまで黙って成り行きを概観していた尾崎に真意を問われ、静かに執務席へ腰を落ろした。

「ただ綺麗なだけの女性に、同業の中でも冷酷無残で有名なあの露葉の組長が直々に動くとは、どうにも思えなくてねぇ」
「あの女に何ぞあると?」
「そこまで定かではないねぇ。組長の息女かもしれないし、年の離れた細君かもしれない。もしかすれば情婦という可能性だってある」
「例えそうだとしても、下手をすれば敵対関係になり得る危険を犯してまで、鴎外殿が欲するだけの価値があるとは思えぬが……」
「それこそ会って話してみないことには判断の仕様もないさ。ただ――純粋に露葉のお姫様には興味もあるしね」
 それでもなお尾崎は釈然としない様子だったが、森はもうこの話題は終いだとばかりに、
「それでお姫様の捜索だけど――中原君に任せるよ」
「承知しました」
「くれぐれも紳士的にね」
「はい」
 中也は唯々諾々と従ったが今夜の予定がおじゃんになってしまい、腹いせに乾き始めた京菓子を睨んだ。


[3/25]

[戻る]
[しおりを挟む]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -