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 職場へ戻った敦はただいまと告げる暇もなく、連絡を寄こした上司によって社の一角にある応接間に連行された。朝一で仕事を押し付けられたというのに、昼食を取る時間すら与えてはもらえないらしい。
 うう、あんなに走り回ったのに……。
 敦は鳴りそうになる腹の虫を励ましながら、斜向かいに座す見知らぬ男性をそろりと観察した。
 年はおそらく三十前後。長身で体格もよく、純粋な殴り合いなら敦など一発で伸されてしまいそうだ。浅黒い顔には大きなパーツが窮屈そうに配置され、短髪に真っ黒いスーツをぴっちりと着込んだ厳つい出で立ちは控えめにいっても堅気には見えない。とはいえ事件の犯人ならば警察機関に身柄を引き渡されているはずだから、おそらく依頼人なのだろう。
 ただ――隣席の国木田独歩が今にも怒鳴り出しそうなオーラを放っているため、経緯を知る手立てがない。加えておそらくは国木田の怒りの原因でもあり、敦をここに放り込んだ張本人――太宰治からは男性の名前が『内藤三國(ないとうみくに)』であること以外何の説明もないので、ただただ黙って小さくなっているしかなかった。

 ちなみに太宰はというと――多少離れた場所から高みの見物と洒落込んでいる。曲がりなりにも依頼人であるというのに、男相手だといつもこの体たらくだ。
 まさか僕をスケープゴートにするために連絡したんじゃ……。
 敦が恨めしそうな視線を送っていれば、正解だとばかりに太宰がピースサインをした。
 あのポンコツ上司め……!
 恩人であるし尊敬もしているが、こういう人を食ったような言動はどうにかならないものか。

 呆れる敦の隣で必要以上に眼鏡を磨いていた国木田の咳払いにより、ようやく事態は動き出す。
「……お待たせして申し訳ありません。なにぶん、我が社は少数精鋭。日々舞い込む依頼を完遂するためには、いくら人手があっても足りぬのです」
 物は言いようだな、と敦は心中で拍手喝采した。社の評判向上も国木田にとっては重要業務なのだ。
「それで内藤さん、我々”武装”探偵社に、いかようなご依頼でしょうか」
 そう問う国木田は既に仕事の顔になっているが依頼人はそれを一瞥したのみで、ヒトを探して頂きたいと告げた。
「はぁ、人探しですか」
「ソウです。なにせ連絡手段がなく……」
「手段がない……? 住所や電話番号を知らないということですか?」
「というか、住居がコチラではありませんし、そもそもアノ人は電話を持っていません」
「それはその、昨今では大変珍しい。……かなりお年を召されているので?」
「いいえ。先日、成人したバカリの若者です」
「そ、そうですか……。文明の利器に頼らないというのは、現代に生きる者としてはかなり挑戦的ですね」
「はァ、どうでしょう」
 何とか言い繕う国木田であったが、言葉を重ねる度にどつぼにはまっている気がしてならない。

 国木田はずれてもいない眼鏡の位置を直し、
「それにしても、どうしてうちへお越しに? 人探しであれば”普通の”探偵事務所でも事足りるでしょうし、それこそ市警に任せるという手もあったのでは。……申し上げにくいことですが、我が社の仕事はその名の通り荒事専門。平和的解決が望めそうであれば、お断りする場合もあります」
「そういった疑問を抱くのはシゴク当然です。オレも始めはそう考えていました。しかし生憎とこの街の事情には精通しておりません。フツウの探偵事務所の良し悪しなど知る由もありませんし、焦るあまりに三流をつかまされては困ります。それから市警などは、モットモ忌避せねばならない組織です。手続きはナガク煩雑なくせに、実害がなければ動きもしない烏合の衆なのですから。……そこでコチラを頼った次第です。武装探偵社の名声や武功は、オレの耳にも届いていましたから」
 依頼人は市警に対して何ぞ私怨でもあるのか、敦と国木田が引いてしまうくらい扱き下ろしてくる。

「まぁ、事情は十人十色ですからね……。我々以外にあてがないというのであればその依頼、承ることもやぶさかではありません。ただ人員の確保もそうですが、費用や期限についての取り決めもありまして――」
「カネに糸目はつけなくて結構です。その代わり、すぐにでもお願いしたい。コトは一刻を争うのです。何としてもイマすぐに、一分一秒でも早く見つけ出してください」
 内藤の口ぶりから事態が切迫しているのを察したのか、今まで依頼人の勢いに押されぎみだった国木田は眉間に皺を寄せ、
「それは構いませんが――いくつか質問をさせてください。探す相手とはどういった関係で、どのような理由から探しているのです。失礼ですが同窓会のためというには内藤さんはお若くないようですし、かといって大きな子供がいるような年齢にも見えません。……であれば、恋人か兄弟ですか」
「彼女は『北森鴻(きたもりこう)』いう名の列記とした女性ですが、そんなタイソウな関係ではありませんよ。ただの職場の上司と部下です。ワケあって別々にヨコハマ入りしたのですが、急だったために落ち合う場所や連絡方法を決めておくことができなかったんです」
「それではいささか過保護が過ぎるのでは? なったばかりとはいえ成人なのでしょう、その方も。共通の友人知人に伝言を頼むなど、方法はいかようにもあると思いますが……」

 尋問のような国木田からの質問を受けた内藤は鞄から一枚の写真を取り出し、
「コレを見ていただければ、理由は分かっていただけるかと……」
 敦たちの眼前へ滑らせた。
 そこに収められていたのは遠目から撮影された横顔の女性で、場所が暗がりの上に被写体が小さくとも大層な器量良しであることは明々白々。誘拐などの犯罪を危惧してしまうのも無理からぬことだった。
 だから横で石のように固まってしまった上司を敦は責められない。美人に弱いのは男の性だ。

 あれ、でもこの女の人、どこかで――?
 小首を傾げた敦はすぐにはっとした。
「僕、さっき会いましたよ、この人に……!」
「……なにぃ?! それは本当か、小僧!」
 国木田の掴みかからんばかりの剣幕に敦はうろたえながらも、
「……はい、すぐそこの繁華街で会いました。たぶん、三十分も経ってませんよ」
「間違いないんだな」
「僕の記憶が正しければ……」
「ええい、はっきりせんか!」
「だって、正面からしか見てないんですもん……」
「何だそれは羨ましい――じゃなく、もっとよく思い出せ!」
 二人がやいのやいのと舌戦を展開していると、俯瞰するだけだった太宰がここにきて動きをみせる。

「ご心配には及びません。この麗しいお嬢さんは私――もとい、我々が責任をもって捜索させていただきます。この騒々しい二人はお嬢さんの美しさにあてられただけですので、どうかご容赦ください。何か進展があり次第、ご連絡させていただきますよ」
 知らぬ間に出入り口まで移動していた内藤は、自身の前に躍り出てた太宰の言葉に首肯だけすると事務所を飛び出してしまった。



「あーあー、もう。君たち依頼人の前で何をやっているんだい。私のフォローがなければ今頃、探偵社の評判はガタ落ちだよ」
 感謝して欲しいよね、と太宰はまさかの失態に固まる二人へ近寄る。そして国木田へと標的を定めて、
「それにしても、何だかんだ言ったって国木田君も男だねぇ。美しい女性に茫然自失しちゃうなんてさ。しかもいくら容姿端麗とはいえ、写真越しの」
 敦が気を遣って黙認していたことを、いとも容易く弄りの材料にする。
 自覚があるため反論できず恥辱に耐える国木田だったが、ニヤニヤしながら頬を突かれ続ければさすがに怒髪天を衝き、
「ええい、喧しいぞ太宰! そもそも貴様が初めから真面目に対応していれば、こんなことにはならなかったんだ!」
「なぁに、今度は責任転嫁? 大人気ないよ、国木田くーん」
「もう、いい加減にしてくださいよぉ……」
 上司たちの幼稚な口論に嫌気の差した敦が弱弱しく叫ぶと、国木田はまるで憑き物が落ちたかのように握り揺さぶっていた太宰の胸倉を手放して平素に戻った。

「問題はこの案件を誰が担当するかだが――生憎、皆他の仕事で出払っていてな。手伝ってやりたいのは山々だが、かくいう俺もこれから別件で社を空ける」
「そうですよねぇ……」
 敦が見渡した探偵社は本日、閑古鳥が鳴いている。出張やら非番やら有給やらが重なって朝からこんな光景だった。普段が賑やかなだけにちょっとだけ寂しさを感じたのは、彼の内緒だ。
「どうやらお手すきなのは私と敦君だけのようだね」
 共に励もうではないか、といつにも増して意欲的な太宰が敦の肩を叩く。
 いつもこのくらいやる気を出してくれたらいいのに……。
 しかしあれだけ可憐な美女を探すとなると、少なくとも今回は途中で川に身投げしたりビルから飛び降りたりする心配は少ないという結論に至って、敦も腹をくくる。
 それに、あんなに優しそうな女性が困ってるんだもんな……。
 道で出会い頭に軽く衝突しただけの間柄だが、それでも彼は力になってあげたいという気持ちが強い。
「いいか、しっかり励め。周囲に迷惑をかけるな、絶対に社の評判を落とすなよ!」
 注意という名の小言を貰い、敦と太宰の二人は連れたって街へと繰り出した。


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