愚直な恋

 ※こちらは本編とは違い、太宰さん離脱後に夢主がマフィアに誘拐される設定です。なので太宰さんは夢主の存在を知りません。



 闇組織に属する人間の活動時間は主に暮夜である。
 よってその日も中原中也は夜の帳が下りる頃に、鈍色のドアノブを捻った。
 見渡した室内は化粧台や椅子、時計に至るまで全てが一級品で揃えられ、壁一面にぴっちりと本棚が並んでいる様は圧巻だ。そして視線を窓辺にやれば、夕日に照らされた一人の美しい少女が、まるで一枚の絵画のようにベッドに佇んでいる。
 手触りの良い白い肌、吸い寄せられる黒い瞳、お行儀の良い筋の通った鼻、噛み付きたくなる小ぶりな赤い唇。
 人間の技量ではもはや如何様にも表現出来ないほどの圧倒的な美――。
 もし神様などという存在がいるのなら五体投地で礼を述べたっていいと、中也は本気で思っている。それほどこの美少女との出会いは、彼にとっての幸福だった。

「よう、お姫様。良い子にしてたか」
 中也は颯爽と麗しい少女に歩み寄り、そのまま天蓋付きのベッドへ腰掛けた。それから黒曜石の瞳を覗き込み、自身の姿が映っていることを確認して一息つく。
 この一連の行動はここ一月、休みなく続けられている。
 自ら彼女の身の回りの世話を率先して行い、彼女に似合う服や装飾品を贈り、首領に乞うて己の執務室からしかここに辿り着けない構造へ改築する徹底振りだ。

 中也は光り輝く錦糸のような少女の黒髪を手で遊ばせながら、今一度彼女の全身に目を通す。
「ああ、思った通りぴったりだな」
「ありがとうございます。中也さんがくださるお洋服は、いつも可愛いですから」
「着こなしてんのはお前だろう」
「いえ、そんな……。でもこんなに至れり尽くせりだと、何だか申し訳なくて……」
「お前のために用意したんだ、気に病むことはねぇ」
「はい……」
 少女は気丈に振舞っているが、来た当初より痩せていることは一目瞭然。目の下にも濃い隈がある。中也はそれを優しく摩り、
「また食事を残したらしいな」
「ごめんなさい……」
「謝ることじゃねぇさ。……ただ無理にとは言わねぇが、少しでも何か口にしてくれ」
 衰弱を危惧して中也が毎度こうして促してはいるのだが、どうにも固形物は喉を通らないらしかった。

 とはいえ突如として非合法組織に誘拐、監禁されたら誰だって恐怖に震えるのは無理からぬことだ。しかも魔都ヨコハマに君臨する巨悪組織ともなれば、いくら屈強な男といえども肝を冷やすのは必然。それが年端もいかぬ少女の身に降りかかっているのだから、彼女の心労は計り知れない。
 中也は拉致した側でありながら、それでも少女の恐怖を拭い去ってやりたくて、いつも小さな体をきつく抱きしめる。始めはそれにも全身を強張らせていたものだが、最近では徐々に体を預けてくれるようになった。危害を加えるつもりがないという彼の気持ちがようやく伝わったのだろう。
 ぐずる赤子をあやすように中也が細い背中を規則正しく叩いていると、そのうち少女は気絶するように寝入ってしまった。名残惜しむように彼はその青白い額にキスを落とし、定期報告のため首領の執務室へ足を運んだ。


「我らがお姫様――北森鴻ちゃんの様子はどうかな?」
「はい、相変わらずで……」
 中也が到着するなり開口一番に質問を投げかけた森鴎外だったが、現状を知ると思案顔になる。
「ふぅむ、中々どうして順調にはいかないものだ。殺めるつもりなんて毛頭ないのだけれど」
「俺が付いていながらこの現状、弁解の仕様もありません」
「いやいや、中原君は良くやってくれているよ。それよりも、やっぱりここへ連れてくる時に怪我をさせてしまったのが拙かったのかなぁ」
 怪我といっても腕に一箇所小さな打撲を負っただけであるし、その任を負った外部組織の人間は既に中也の手によって粛清されている。
「……やはり彼女が本調子になった暁には、異能を利用するお心算で?」
「おや、心配そうだねぇ」
「いえ……」
 中也は言葉尻を濁した。
 彼がこれほどまでに心を砕く少女がマフィア本部に囲われているのは、死を回避させるという稀有な異能を有しているからであって、それを活用しないなど土台無理な話なのだ。叶うならば無理強いなどさせたくはないが、ここは利用価値のない人間の面倒を見続けるような慈善団体ではない。

 ところが森の真意は彼の杞憂とは別のところにあるようで、
「彼女の異能が魅力的だったのは否めない。だから他組織の手に落ちる前に、我らポートマフィアの掌中に収めてしまいたかったのも事実だ。……ただ私はね、彼女のあの異能は切り札(ジョーカー)として最後まで残しておきたいのだよ」
 中也は合いの手すら入れられず、ただ森の言葉に耳を傾ける。
「生物として尤も忌避すべき”死”という恐怖を取り払った人間は、さぞや強靭だろう。危険な任務も率先して行い、行動も大胆に、いかに無謀な作戦であろうと完遂させる。ただし、それはあくまでも”生”の延長線上に過ぎない。……私が期待しているのはね、”死”と対面した生物の底力なのだよ。あの能力を安易に乱用するのは三流のすることさ」
「そこまでお考えのことでしたか。出過ぎた真似をしました」
 首領の慧眼に感服し、中也は許しを請うように頭を垂れた。しかし森は気分を害するどころか相も変わらず難しい顔をして、頬杖をついた。
「しかしどうしたものかなぁ。お姫様の憂いを晴らす魔法なんて、私にはさっぱりだ。……どうだね中原君。一番彼女の傍にいて、彼女から最も信頼を得ている君なら、何か浮かんだりしないかな」
「……過去があるから辛いのであれば、それを消してしまえば宜しいかと」
「おお、それは妙案だ!」
 森は中也の提案を手を叩いて賞賛し、
「最近うちの傘下に置いた組織で記憶に関係する能力者がいたはずだから、ご足労願おうじゃないか。やり方は全て中原君に任せるから、お姫様を救ってあげてくれ」
 瞬く間に決断は下され、中也は恭しくその指令を受諾するのだった。



 明朝、中也は作戦遂行に必要不可欠な下部組織の男の到着を、己の執務室で待ち構えていた。
 室内に彼以外の人影はなく、部下も外に待機させている。男が異能力者ということもあり部下たちは大分渋っていたが、格下相手に遅れを取る中也ではない。

「し、失礼します……」
 指定時刻の十分前、弱弱しいノックと共に現れた人物を見て、彼は盛大に顔を歪めた。
 資料には三十代後半と記されていたのに、入ってきたのがどう見繕っても十代半ばの少年だったからである。まさかマフィアを謀ったのかと視線をきつくすれば、少年は冷や汗を流しながら勝手に弁明を始めた。
「わ、私の異能は記憶の消去が可能ですが、その代償として、消した記憶の期間分、自分の年齢が巻き戻ってしまうのです。今でこそこんな子供のなりですが、本来は四十近い冴えない中年です……」
 外見と乖離した固い口調とかつぜつの悪さが癇に障ったが、こんな小者に構っている暇はないと中也は早々に本題へ入る。
「これから手前には、ある女の記憶を消してもらう。ただし、一瞬でも変な気を起こしてみろ――」
 最後まで口にせずとも鋭利な眼光で男は全てを理解し、もげそうなくらい首を縦に振る。中也はその動作をまるで蟻でも見下ろすように眺めてから、
「おい手前、今のその姿いくつくらいだ」
「十五、六くらいかと……」
「ほう、じゃあ丁度良いな」
 意図が掴めず阿呆面になる男を中也は鼻で笑い、お姫様の部屋へ通ずる扉を開けた。

 事前に来客の旨は伝えておいたため、鴻は行儀良く椅子に腰掛けて待っており、初対面の少年を目に留めると不思議そうに小首を傾げた。だが中也は自分以外の男が彼女の視界に入っていることが気に食わず、少女の顔を胸にうずめる様にして体ごと抱き上げ、そのままベッドに移動した。膝にちょこんと収まった彼女は小柄な中也でも包み込めてしまうくらい華奢で、それが無性に愛らしい。
「少しの間、耳を塞いでいられるか」
「耳ですか?」
「ああ。……なぁに、ちょっとした遊戯だ。俺がいいと言うまで塞いでいるだけのな」
「はい」
 鴻は疑うことなく中也に従い、白魚のような手で両耳を覆った。それを褒めるように中也は頭を撫でてから、億劫そうに男へ視線を投げる。

「消してもらいてぇのはこいつの記憶だ。家族や交友関係、幼少期の思い出――生活に必要な知識や常識以外は全て消して構わねぇ」
「は、はい……。それで、期間はどのくらいで……」
「全部だ」
「は、はい……?」
 男は呆然と中也を見つめ、
「ぜ、全部と言いますと、そのぅ、何年くらいになるのでしょうか……」
「十六年だ」
「…………」
 男は愕然としたようだったが、すぐに正気を取り戻して、
「わ、私の異能は先ほど説明したと思うのですが、十六年もの記憶を消却してしまうと、私の身体が――」
「だからなんだ」
「え……」
 相手が上部組織の幹部だということも忘れて反論した男だったが、中也はにべもなく切り捨てる。
「手前がどうなろうが知ったこっちゃねぇんだよ。それとも何か、この女より手前の命のほうが大事だってのか」
「そ、それは――」
「ここで異能を使って身体ごと消滅するか、それとも俺に殺されるか。手前に許された選択は二つに一つだ」
 あまりの恐怖に腰を抜かした男に対し、中也は追い打ちをかけるようにして、
「手前が命令に背いて命乞いをするなら、その落とし前は家族や縁者に払ってもらうことになるが」
 その一言で男は陥落し、青ざめた顔で二人に近寄った。足はもつれ口からもがちがちと歯のぶつかる音がするが、中也はそれを一瞥もせず、ただただ愛おしい少女を抱きしめる。

 この取るに足らない男の異能の利点を上げるとするならば、記憶の忘却ではなく消失であるという一点に尽きるだろう。忘れるだけではいずれ思い出す可能性もあるが、失ったものを取り戻すのは容易ではない。それこそ、そういう能力者を探さないことには、永久に戻ってくることはないのだから。
 彼女を苦しめるだけの過去など必要ない。
 必要なのは、これから己と築き上げていく未来だけ――。
 そのために異能を行使出来るのだからむしろ有難く思うべきだ、と少女の素晴らしさを微塵も理解出来ぬ男を中也は大いに卑しめた。

「では、は、始めます……」
 脂汗を流しつつ男がおもむろに鴻の頭に手をかざすと、次第に彼女の全身が淡緑色の光に包まれていき――それが収まる頃には男の姿は跡形もなく掻き消えていた。

「もういいぞ」
 中也が腕の中に声をかけたが、返事がない。顔を覗き込んでみれば、少女は静かに気を失っていた。今まで頭の中を占めていたものが突然掻き消えてしまったから、防衛反応でも起こしたのだろう。
 心が痛まないはずはないのだが、それ以上に中也は歓喜に酔いしれている。
 ここはどこなのか、以前は何をしていたのか、親は、きょうだいは――。
 自分のことが何も分からず脅える彼女に説明する内容を考えるだけで自然と顔が緩む。
 まさかこんなに上手くいくとはな……。
 記憶抹消能力を持つ異能者について、中也はその男がマフィア傘下に加わった当初から目をつけてはいた。首領に進言したのは一か八かであったが、気持ちを汲んでくれたのか、それとも日頃の行いが功を奏したか。
 何れにせよ、これでもう、彼女を悲しませるものはなくなった。



 飽きることなく中也が眠り姫のしっとりとした頬を撫でていれば、陽が落ちきる前に彼女は目を覚ました。彼は身じろぎした少女が膝から落ちないよう腰に腕を回して支え、耳元で囁く。
「どこか痛いところはねぇか。体に違和感は?」
「あの……」
 話しかけられた途端に鴻はおろおろし始めた。
「ここはどこでしょう……。それに、貴方は……?」
「記憶がねぇのか……。無理もねぇ、あんなことがあったんじゃな」
「あんなこと、ですか……?」
 少女が己の話に興味を示したことを確信し、中也は予め作っておいた設定を嘯く。
「お前は幼少期、その特異な異能力に目を付けた非合法組織に囚われ、長い間酷使され続けていた。……異能を持っていることは覚えているか?」
「はい……」
「それなら話は早ぇ。俺はその組織からお前を保護し、ここで匿っていたんだが――丁度一人で外出中だったお前は残党に狙われ、異能によって記憶を消されちまったんだ」
「まぁ、そうだったのですか……」
 予想だにしなかった己の生い立ちに、彼女は思考が追いついていないようだ。
「とはいえ、俺たちも大手を振って陽の下を歩けるような組織じゃないんだがな」
「え……?」
「ここはヨコハマの闇たるポートマフィアの根城だ」
 中也の言葉に、鴻ははっと息を呑んだ。
「ただし以前の組織と同じ轍を踏むつもりはねぇ。お前の意思を無視して異能を使用させるなんて愚行は、絶対にしないと誓う。それにここにいれば、何不自由ない生活と安全を保障出来る」
 所々に真実も織り交ぜた偽りの経歴は、半日で考えたにしては会心の出来だ。演技だって悪くない。
 しかし彼女は目の前の青年が信頼に足るかどうか判断しかねているようだったので、さらに中也は自分たちの関係を言って聞かせる。
「俺たちは恋人同士だったんだぜ。自慢じゃあないが、周囲も呆れるほどの仲睦まじさだった。外出、食事は勿論、ベッドも一緒だ」
「寝所も、ですか……?」
 少女は耳まで真っ赤にして俯いたが、中也はそんな奥ゆかしいところも堪らない。同時にこの疑うことを知らぬ純真さを守っていかなければという、使命感にも駆られていた。

 その後たっぷり時間をかけて落ち着きを取り戻した鴻は柳眉を下げて、
「助けていただいた身でありながら、何も覚えていなくてごめんさい……」
「なぁに、これからまた一緒に、一から築き上げていけばいい」
 謝る少女を中也は優しい声音で励ました。ところがすぐに悪戯っぽい笑みを浮かべたかと思うと、
「とりあえず、触れ合うことから慣れていくか」
 抱きつけと言わんばかりに両手を広げる。そうすると鴻は瞳を潤ませ狼狽えたが、ついに意を決して中也の胸に飛び込んできた。
 くっ……!
 中也はもう天にも昇る気持ちで、今後の彼女との関係発展に思考を巡らせるのだった。


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