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 その後も二人は幾度となく他者の目を盗んでは密会を重ねた。
 会う度に美少女との思い出が増えていくことが作之助はことのほか楽しくて、当初感じていた後ろめたさのようなものはいつの間にか消えていた。いかにも箱入り娘といった外見とは裏腹にお転婆で、よく笑い、そして少々鈍感――。
 二人だけの秘密の集いが二桁を超える頃には、彼女に心を許してもらっているという自負も彼には生まれ始め、裏社会にいるのが嘘のような平穏な日々が続いていた。
 ところがそんな折、海外からの異能犯罪集団――ミミックの登場により彼らの状況は一変する。作之助は対応に時間と労力を取られ、鴻と会う機会がめっきり減少してしまったのだ。しかも敵組織の長である男に対抗しうるのが同様の異能を所持している作之助しかおらず、露払いをせねばならなくなってしまう。

「今回の騒動にはお鴻ちゃんも酷く心を痛めていてねぇ……」
 そんなことを見舞いに訪れた太宰が漏らすものだから、彼は無意識に彼女へと電話を繋いでいた。
 本当は遠慮したほうがいいのだろうが……。
 決心が揺らいでしまいそうで作之助の頭には躊躇いがあるのだけれど、一度動き出してしまった体は言うことを聞かない。幸いにも傷口は服で隠れる箇所なのでいらぬ心配をかけることはないだろう、と彼は自分を説き伏せた。


「作之助さん……」
 入室した作之助を認めるとすぐに鴻が走り寄ってきて、彼のシャツを掴み、
「太宰さんから少しだけお聞きしました。何だかとても大変なことに巻き込まれて、怪我までされていると」
 いらんことを言うんじゃない、と作之助はここにいない友人を心中で責めつつ、
「かすり傷だ、心配には及ばない」
「でも……」
「全て終わったら、屋上庭園でも案内してくれ」
「ええ……」
「美味い混ぜカレーも食べさせてやる」
「はい……」
 不安というより恐れを抱いているようにも見える少女の白い頬を、作之助はあやすように撫でた。
 片手ですっぽりと包めてしまえるほど小さく頼りない顔(かんばせ)だ。身長だって彼の肩にも届いていない。それが無性に愛らしくて手をどけるのが名残惜しくなるのだけれど、彼にはまだやらねばならないことがあった。
「すまない、またすぐに行かなければならない」
「……はい、ご武運を」
 鴻は祈るように口にして、何かを堪えるように作之助の胸元に顔を埋めた。鼻腔をくすぐる甘い匂いに彼は狼狽したものの自然と両手が細い背中に伸びていき、気が付けば抱きしめている。
 それからそっと瞳を閉じると、満開の桜に抱擁されているような安堵感に包まれた。
 ああ、俺は――。
 作之助は意味もなく泣きたくなった。


 その後、作之助は敵の姦詐により養い子を惨殺され、引き止める友人の嘆願にも耳を貸さず、招待されるがまま敵本拠地に赴き、文字通りの死闘を繰り広げた。

「織田作!」
 天を仰ぐように倒れた作之助は息を切らせた太宰によって助け起こされ、閉じていた瞼を開いた。霞む視界には苦痛に顔を歪める珍しい友人の姿がある。そして彼が何事か言わんとしているのを遮り、
「よく聞け……」
 指摘したら何か大事なものが崩れていきそうで今まで胸の内に溜めてきたことが、作之助の口から次々に音となって紡がれていく。それを一言一句聞き逃さぬように傾聴していた太宰は、最後に一度大きく頷いた。

 これで俺も終わりか……。
 そう自嘲した作之助は友人の顔にまるで免罪符のように巻かれた包帯を解き、その手で穿たれたはずの胸部を触り――瞠目した。
「傷が……」
 捲った外套の内側には銃弾の痕跡がなく、代わりに桜の花弁がひらひら零れ落ちては瞬く間に消えていく。
「……それは、お鴻ちゃんの異能じゃないか!」
「何だって?」
 驚愕する太宰に負けず劣らず作之助も目を剥いた。
「間違いないよ、その桜花。お鴻ちゃんの異能『花の下にて春死なむ』だ。……しかし、どうして織田作に? 異能の使用は首領の許可が――」
「よく分からんが、とりあえず移動しないか」
 ぶつぶつと推論を展開する太宰に、作之助が声をかけた。事態が飲み込めないのは彼とて同様だが、ここに長居するのは避けるべきだということは未だ不明瞭な思考でも判断出来る。
 すると太宰も我に返って、肩を貸しながら作之助を立ち上がらせた。

「君はどこかに身を隠しているんだ」
「何故だ」
「君もマフィアにいるべきじゃないからさ」
「それは――」
「私にあれだけ説教を垂れておいて、自分のことは棚に上げるつもりかい?」
「いや……」
 確かに太宰の提案は作之助にとって大層魅力的だ。長年抱えていた夢を叶えたい気持ちは、未だにくすぶっている。このままマフィアに籍を置き続ければ、いずれまた今回のように他者の命を散らさねばならない状況はきっとくる。
「大丈夫さ、私を誰だと思っているんだい。君の死を偽装し、マフィアから名を消すなんて朝飯前だよ。……私も用意が整い次第、抜けようと思う。そうして準備が整ったら、きっと人を助ける仕事をしよう」
「……ああ」
 賛同はしたものの、作之助には一つだけ心残りがあった。子供たちを殺された当初は望みなどたった一つだけだと思っていたのに、存外人間というのは欲深い生き物らしい。

「彼女を――鴻を外に連れ出すことはできないだろうか」
「それは不可能ではないだろうけど、さっきのことといい突然どうしたんだい。君たちそんなに仲良かったっけ」
「以前から考えてはいた。あんな鬱屈としたところ、彼女には似合わない」
「そりゃあ、私だって同意見だけれども。でも彼女の異能がそれを許すかどうか……」
「俺が守ろう」
 満身創痍の友人の決意表明に太宰はきょとんとした後、すぐさま強張った表情になって、
「もしかして織田作――」
「ああ、憎からず思っているよ」
 作之助は初めて素直にその好意を表に現した。本当はずっと以前から――それこそ出合った頃から自覚をしていたのに、年齢や立場等いらぬことばかりを気にして見て見ぬ振りをしていただけなのだ。
 手で顔を覆った太宰は盛大にため息をつき、
「……分かったよ、大切な友人たちの門出だ。私も一肌脱ごうじゃないか」
 その痩身のどこからそんな力が出ているのか、疲労困憊の作之助を引きずるようにしてアジトから離脱した。


 それから作之助は太宰の指示に従いしばらく身を潜めながら静養に勤め、あらかた回復した頃合で組織を抜けた友人と合流した。言うまでもなく彼の傍らには、夢にまで見た少女の姿もある。
 自らの手で救いたい気持ちは大きかったが重症の人間に出来ることなど限られているし、こういった謀は太宰のほうが圧倒的に適任であるから委ねたのだ。信頼あってこそである。

「まさか君たちがそんな関係だったなんて……。安吾はともかくとして、どうして私にも黙っていたんだい。私たち友達じゃなかったの。私はあんなに骨身を砕いたっていうのに……。しかも紹介したのだって私なのだよ……」
 太宰が不貞腐れながら仲睦まじい男女に向かって愚痴る。しかし闇のような外套を取り払ったその姿はどこか清清しくもあった。
「まだそんな関係じゃない」
「さ、作之助さん……」
 照れる鴻を見つめる作之助たちの様子は薄暗い路地裏でも眩い。
「しかもなんか吹っ切れてるし……」
 羨ましいやら恨めしいやら、太宰の心中は複雑極まりない。惚気なら他所でやってくれとも思うが、大切な友人たちが幸せならこれ以上の喜びはないと――ただし鴻に無理はさせぬようしっかり釘を刺してから――祝福することにした。

「私は経歴を洗うためにしばし地下に潜るけど、君たちはどうするんだい。お鴻ちゃんを脱出させることで精一杯で、そこまでは私も手が回らなかったのだよ。まぁ、私と違って選択肢は多いだろうけれど」
「とりあえず、私の実家を目指そうかと思っています。伝手なら沢山あるでしょうし、京都であればポートマフィアの目も届き難いはずです。私たちもほとぼりが冷めるまでは、大人しくしています」
「それがいい」
 鴻が語った今後の予定に太鼓判を押した太宰は次に、真剣な眼差しで作之助を射抜き、
「あの時、君は私のことを水だと言ったが、あれは間違いだ。私にとっては水だったのだろうが、きっと彼女にとって私は、栄養剤か殺虫剤が関の山だよ」
「殺虫剤?」
「……いや待って、殺虫剤は中也だから私はやっぱり栄養剤で」
「栄養剤か」
「そう。私はせいぜい、延命させていただけに過ぎないのさ。だからこれからは君が水になるんだ。くれぐれも枯らさないようにしてくれよ」
「ああ、任せておけ」
 男たちの間でだけ成立する会話に、置いてきぼりを食らった少女は意味も分からず首を傾げるばかり。自分が話の主軸になっているなど露ほどにも思っていない様子だ。

「さて、そろそろ私は行こうかな。人気者の私は追っ手からもモテモテだからねぇ」
 太宰はいつものおどけた調子で短い挨拶をし、一度も振り返ることなく去っていった。それは他人からすれば少々薄情に映るかもしれないが、いずれ近いうちに再会できることを確信しているからこその行為だ。いつも通り、特別なことなど何一つ必要ない。
 暗い過去に見切りをつけ、明るい場所へ踏み出そうとしている友人を見送った作之助と鴻は、示し合わせたように顔を見合わせる。
「俺たちも行くか」
「はい」
 これから訪れるであろう様々な困難も、二人なら乗り越えられる。
 実家に戻ったらすぐに子供たちのお弔いをしましょうね、と申し出る想い人の左手を握ることで是と応えた作之助もゆっくりと歩み出した。


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