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 某番号が表示されたままの携帯電話と睨みあうこと約数分、ようやっと腹をくくった作之助が集合場所の伝達と時間の調整を行ったのが三日前で――現在は本部内のとある一室にて人を待っている最中である。
 汚くはないだろうか……。
 作之助は念を押すように室内を見渡した。
 テーブルと椅子、備え付けの棚があるだけの玩具みたいな造りだが、粉塵は積もっていないし事前に換気もしておいたので不快に感じることはないはずだ。

 ここはつい一週間ほど前に空室になったばかりの執務室である。
 人の入れ替わりが激しいポートマフィア内では、昨日まで使用していた部屋が翌日には空になるなんてことはざらにあって、そういった場所の清掃業務は専ら彼のような下級構成員に押し付けられる。しかし普段なら何の気なしにやっていたその雑務も、今回ばかりは棚からぼた餅であった。
 片付けを任されたのは彼自身であり、しばらく入室予定がないことも抜かりなく確認済み。数日前に面識を持ったばかりの美少女の自室から多少距離はあるが、他者の目が届かない場所となると限定されてしまうので我慢してもらうほかない。

 不躾な男に声をかけられたりしてやいないだろうか……。
 本心では迎えに参じたいところ、立場を考慮して彼は泣く泣く諦めたのだ。前回は友人の顔を立て同行したものの、最下級構成員がポートマフィアのお姫様を先導する光景は確実に、あらぬ憶測を呼ぶ。そもそもこうしてご足労願っていること自体が恐れ多い行為なのだから、この関係は極力周囲に秘するべきだろう。

 約束の時刻丁度、三度の控えめなノックがあった。そして細く開いたドアの隙間から、可憐な少女が作之助の前に現れる。
 本日のお召し物は赤が射し色になった黒いゴシック調の膝上ワンピースで、射し色と同色のリボンが後頭部で揺れている。先日より幾分か鮮やかな装いだ。
「お待たせしてしまいましたか?」
 窺うように見上げてくる少女を安心させるように作之助はかぶりを振って、窓際の壁にもたれかかった。一脚しかない椅子は当然のように彼女に勧める。美少女が座るとそれでなくとも簡素な椅子が余計に陳腐に見えた。

「元気そうだな」
「ええ、おかげさまで」
「そうか……」
 三日前に会ったばかりで元気かどうかもないだろう。
 作之助は己の訥弁さに落胆しつつ、
「こんな場所に呼び出してすまない、遠かっただろう」
「いいえ。これくらいの距離、何ともありません」
「それならいいが……」
 作之助はどうにか話を盛り上げようとするのだが、話題を準備するだけの余裕がなくて、月並みな質問しかできない。
「今いくつなんだ」
「先日、十六になりました」
「太宰より年下なのか」
「老けていますか?」
「いや、随分大人びていると思ってな」
「そうでしょうか」
 自覚がなく小首を傾げる少女の仕草は年相応だった。彼女の立場から慮るに、大人にならざるを得なかったというのが正解か。
 それよりも年齢が七つも違うという事実に、作之助は少なからずショックを受ける。
「作之助さんは落ち着きがあって、自立した大人の男性という感じで素敵ですね」
「そうだろうか……?」
 ぱっとしないだけではと作之助は自評したが、男というのは単純な生物でお世辞とはいえ女性に褒められて嬉しくないはずがなく、すぐに機嫌は直った。

「いつも何をして過ごしているんだ?」
「そうですね、読書が多いです。ミステリーや純文学、ホラーも読みますが、ジャンル問わず読了感の良いものを好んでいます」
「俺も結末が不幸なものはあまり好かないな」
「まぁ、そうなのですか」
 共感を得られたことで気分が乗った鴻は声を弾ませながら指折り好きな小説家や作品名を述べていき、作之助はその都度頷いてみせる。
 小さな共通点でも親近感は湧くものらしく、今度は彼女のほうから質問が投げかけられた。
「作之助さんは何か好きなものはないのですか?」
「強いて言うならカレーだな。特に混ぜカレー」
「混ぜカレー、ですか?」
「そう、初めからルーと米が混ぜてあって、上に卵が乗っている」
「まぁ、男性はそういうものがお好きなのですね」
 鴻は感心したように手を口にあてた。自身の好物の話だからか作之助も多弁になって、
「君もカレーは食べるのか」
「ええ、美味しいですもの。けれど混ぜカレーは食べたことがありません」
「そうなのか」
「私がよく頂くものは具の形がほとんど残っていなくて、ルーもソースポッドに入っています」
「……それは作る段階で材料を細切れにしているのか?」
「何日も煮込むので具がルーに溶け込んでいるだけですよ」
 色気のない話題だが少女が笑ってくれたので、作之助はほっと胸を撫で下ろし腕を組んだ。
 彼女は小窓から射す日光を浴び、まるで天からの使者の如くどこか神々しく気品がある。美人は三日で飽きるというが、彼女にだけはそれが当てはまらないと彼は心の底から思った。むしろ見れば見るほどその美しさに惹きつけられているのだ。

 そうすると自制が効かなくなったかのように、作之助の口は勝手に動き始めていた。
「恨んでいないのか」
「え?」
「ポートマフィアをだ」
「それは……」
「好きでここにいるわけではないんだろう」
「…………」
 核心を突くような問いに、鴻は一度視線を落とすも、
「家に帰りたくないと言えば嘘になります。ですが――どこにいようと私は私ですから」
 強い意志を感じさせる真っ直ぐな瞳で正面の男を見やった。それを直に捉えた作之助は一瞬息を呑んだが、すぐに意地の悪いことを訊いたなと詫びた。
 先日太宰から聞き及んでいた彼女の身の上を思い出し、かどわかした組織に与する己まで恨まれてやいないかと臆病風を吹かせただけなのだ。それに対して若い女性がこれだけ気丈だと、年上の男として立つ瀬がない。
「それに太宰さんや安吾さん、勿論、作之助さんもここにはいらっしゃいますから。寂しくはありません」
「そうか……」
 作之助は微笑し、彼女の艶々しい黒髪を一房手に取った。
 しっとりと重みのあるそれが、彼女が生きた人間であることを実感させてくれる。どれだけ器量が良くとも彼女はまだまだ大人の加護を必要とする年頃で、親の愛を欲する子供だ。
 少しでも彼女の孤独を埋めてあげられたら……。
 作之助は純粋に少女の幸せを願わずにはいられなかった。


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