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 同深夜、馴染みのバーで普段より早いペースでグラスを空けていた作之助の背後から、聞き知った声が降ってきた。
「やぁ、織田作。君も来ていたんだね」
「ああ、太宰か……」
 彼を悩ませる原因を間接的に作った男が、黒い外套をなびかせながらするりと隣席に腰掛ける。
「もう鎮圧任務は終わったのか」
「ふふん、当然だろう。私の手にかかえればあの程度、赤子の手を捻るより容易い。というか、どうしてあれしきのことで私を呼んだのか、いささか理解に苦しむよ」
「そう言ってやるな。構成員と幹部様ではわけが違う」
「ええー、そうかい?」
 嗜める作之助だったが太宰はぶつくさと文句を垂れながらカウンターに突っ伏し、マスターに酒を要求した。その横顔には真新しい包帯が増えており、彼は何とも形容しがたくなって、
「その米神はどうした」
「ああ、これかい? これはね、昨日まで舗装されていた道路に突然、工事だとかで穴が開いていて――」
「落ちたのか」
「ううん。華麗に避けたところまでは順調だったんだが、その拍子に傍にあった立て看板に激突した」
「それは災難だったな」
「そうだろう、不慮の事故さ」

 酒が運ばれると太宰は上体を起こし、一口流し込んでから口を開く。
「実のところ今夜は、君がここにいることを少しだけ期待していた」
「何かあったか」
「いやね、織田作にはお鴻ちゃんのこと、きちんと教えておこうかと思って」
 少女の名に心臓が大きく鼓動を打ったが、作之助は素知らぬふりをして、
「何故だ」
「これといった理由はないのだけれど――強いて言うなら私の勘かな。いいじゃないか、ちょっとした参考までに聞きたまえよ」
 人の気も知らないで喋る友人の勘は良く当たるものの、真意を読みかねた作之助が無言で先を促す。
「彼女はねぇ、元は京都のさる有名神社の愛娘だったのだよ。進学のためにヨコハマに出てきたところを、その稀有な異能に目をつけた我々ポートマフィアによって誘拐された身なんだ」
「異能を持っているのか」
「うん。……ただ、その内容には首領の緘口令が敷かれていてね。さしもの私もこればかりは他言が出来ない。ただ一つ言えるとするなら、先代の御代に彼女が拉致されなかったことは不幸中の幸いだったということだ」
「まぁ、穏やかではなかっただろうな」
「そもそも人としての生活を送れていたかどうかすら怪しいよ」
「そんなにか」
 作之助の眉間には自ずと皺が寄っていく。
 先代首領の晩年は病による朝令暮改が繰り返され、組織は疲弊、ヨコハマの街も荒廃を極めていた。そんな時世に彼女の類稀だという異能があれば限界まで搾取され、彼女自身も無事ではいられなかった可能性が大きいということだろうか。しかし現状とて肉体的危害がないだけで不自由という点ではそう大差ない。
 生家との接触を絶たれ、学舎に通うこともままならず、用意された檻の中でのみ咲くことを許された花――。

 思案する作之助の隣で太宰はグラスを遊ばせながら、
「暗闇の組織内にあって穢れなき彼女の存在は、私たちの荒んだ心を生き返らせてくれる。だから関わりを持った者達は誰もが足しげく彼女の元に通うんだ。あの安吾だって、大事な取引の前後にはよく顔を出しているそうだよ」
「真面目一徹のあいつが?」
「そう、取引が上手くいくとかいかないとか。根拠もないのに笑っちゃうだろう」
 共通の友人の意外な一面を垣間見た作之助が瞬きを繰り返す中、太宰は言うほど面白くなさそうに頬杖をつき、
「ただねぇ、私たちは彼女に救われているけれど、お鴻ちゃん本人はどうなのだろうと、たまに意味もなく考えてしまうのだよ。彼女の世界はとてつもなく狭い。任務に赴くわけでも家事を任されるでもなく、己のものであるはずの異能すら使用を制限されて、ただそこにあることだけを求められる。頼る親も信頼する友もおらず、ただ与えられるものだけに囲まれる生活は、さぞ息苦しいことだろう」
「……そうだろうか。お前の存在には彼女も随分と助けられているように見えたが」
 嘘偽りのない作之助の言葉に太宰は一瞬目を丸くした後、僅かに相好を崩して、
「もしそうだったら素敵だね」
「たとえお前が組織の人間だとしても、彼女にとってのお前は水のように必要不可欠な存在なんじゃないか。笑い合える相手すらいなかったら、もうきっと、彼女はとっくに枯れているよ」
「……織田作は詩人だなぁ」
 せっかく真剣に応じたというのに太宰が茶化すものだから、作之助は少しだけ残念に思う。
「少しでも彼女のことを気にかけてくれる人が増えることを祈るよ」
「そうだな」
 首肯した作之助は解けた氷で薄くなった酒を一息に呷った。太宰の言う”気にかけてくれる人”にいつの間にか組み込まれていたようだが、悪い気はしない。

「それにしても、どうして彼女は異能を使うことすら禁止されているんだ。組織は異能目的で攫ったんだろう」
 次の酒を頼んだ作之助が不明点を挙げる。
「首領は士気が下がるからと周囲には説明しているね」
「違うのか」
「いや、理由の一つであることは間違いないのだけれど……。私も彼女の異能を公にしない首領の方針には賛成だし」
 太宰は腕を組んでうんうん唸り、
「ただこれは憶測の域を出ないからなぁ。そもそもこんな答えを導き出したとなると、なんだか私が自信過剰な男みたいで……。いや、でもなぁ……」
「なんだ、はっきりしないな」
「まぁ、織田作にならいいか……」
 太宰は意を決したように作之助へ向き直り、
「首領はね、お鴻ちゃんを私の奥さんに据えるつもりなのだよ」
「……は?」
 作之助は開いた口が塞がらない。
「もう、そういう反応をされると思ったから嫌だったんだ。でも状況証拠から推測するにそれが自然なんだもの。連れ去られたお鴻ちゃんを首領がいの一番に会わせたのは私だし、それからしばらくは誰の目にも触れさせず、私に世話を任せたくらいなんだからね。……けれど性別が違うことでお互い不便なことも多かったし、お鴻ちゃんの情操教育にも悪かろうと、徐々に交友関係を広げさせたんだけどさ」
 太宰は居心地の悪さを誤魔化すように捲くし立てる。

「私をポートマフィアの首領に祀り上げた後、その傍らに絶世の美女を置くことで箔を付けるのが狙いなんじゃないかな。しかもその美女が貴重な異能を有しているとなれば、敵対勢力の抑止にも繋がる」
「……お前はそれをどう思っているんだ」
「どうって、そりゃあ――男だったら誰だって歓喜に酔いしれるだろう。お鴻ちゃんみたいに麗しいご婦人が、いつでも出迎えてくれるのだよ。毎日がお祭り騒ぎじゃないか」
「……そうだな」
「けれど私は承服しかねる」
 相槌を打つのがやっとといった作之助に、太宰はらしくない返答をした。
「お鴻ちゃんのことは大好きさ。お願いなら何だって叶えてあげたいし、彼女が望むなら時間だっていくらでも作る。……でも私にとって彼女はそういう対象ではないんだ。私なんかが汚してはいけない、うんと尊い存在なのだよ。まぁ、首領の掌で踊らされるのが癪だというのも大きいのだけれど」
「そうか……」
「このことは私と織田作だけの内緒だよ。口外法度。安吾にも漏らしちゃ駄目なんだからね」
「分かったよ」
 必死な太宰を尻目に、作之助はどこか安堵していた。


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