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 あれから数日後、鴻が内藤を伴って武装探偵社を訪れていた。
 事情を知らぬはずの他の社員は事前に敦から一通りの説明を受けており、各々の業務を進めながらも野次馬根性で耳をそば立てている。

 一度目の依頼を受理した時と同じ応接間で、敦と太宰が二人を出迎えた。
「今回は本当に、ありがとうございました。いくらお礼を申し上げても足りないくらいです」
 謝意を述べる鴻に倣い、内藤も深くお辞儀をする。
「それであのぅ、大したものではないのですけれど、どうぞ皆さんで召し上がってください」
 お嬢様の言葉に促された内藤の手によってテーブルに乗せられたのは、何やら高そうな木箱が三つ。包装紙は鶯色で、金色に印字された店名が中央で存在感を放っている。
 敦の鼻が甘い匂いを感知したので、どうやらお菓子のようだった。
「気を遣わせてしまったようで申し訳ありません。では早速、本日のお茶請けにでも頂きましょう」
 太宰が恭しく受け取ったそれが谷崎ナオミの手へ渡ると、たちどころに事務所の四方八方から女性たちの黄色い歓声が上がった。

 何だどうしたと男性陣が矢継ぎ早に問いかければ、どうやらその菓子折りの中身というのが――予約一年半待ちも珍しくない超有名な京都の抹茶パウンドケーキで、素材にこだわり過ぎるあまり材料が揃わなければ製造もせず、たとえ製造したとしても完成には三日を費やし、無添加防腐剤不使用のため賞味期限は二日間、しかも通販限定商品だから輸送日数が一日以内の地域にしか販売されていない、現在若い女性たちから絶大な人気を誇るスイーツなので、食すどころか実物を目にすることすら奇跡なのだとか。

「こんな大変なもの頂いてしまって本当に宜しいんですの?! しかも三箱も!」
 女性を代表してナオミが一応お伺いを立てるが、その両手は二度と離さんばかりに箱に張り付いており食べたいのがありありだ。他の女性たちも――しかも与謝野までもが瞳を爛々とさせている様が恐ろしくて、社の男性たちは口を出せない。
「そちらの菓子店は私の実家が昔から贔屓にしていたお店でして、事情を説明したら休日を返上して、しかもヨコハマまで出向いて作ってくれたのです。皆さんの為に手塩をかけて焼いてくれたのですから、むしろ食べていただかないと職人たちが悲しみます」
「それでは、遠慮なく……!」
 にこやかに勧めてくる鴻に、女性たちは手を取り合って喜んだ。お嬢様にとっては小さい頃から慣れ親しんだ味なので、”大したもの”という感覚がないのだ。だからこれだけ喜んでもらえて、彼女もさぞご満悦だろう。

 浮ついた社内の雰囲気は国木田が一喝することで締めてくれたので、敦も堂々と話題を修正できる。
「お二人とも、元気そうで何よりです」
 目立った外傷が確認出来なかった鴻の治療は、探偵社が懇意にしている一般医院で行われた。診察結果が極度の疲労と捻挫だったため、異能を使うまでもないという与謝野女医ご本人の判断である。決していたいけな美女に女医の異能を使用させたくない、などという男たちの邪な動機からではない。
「それは敦さんもです。児玉と交戦したとお聞きました。どこかお怪我はされていませんか?」
「いえいえ、全然。体が丈夫なことだけが取り柄ですから――というか、これは前にも言いましたね」
「ええ」
 以前、同じような会話をしたことを思い出して、二人は表情を緩めた。

「……敦くーん。君も隅に置けないねぇ」
「別にそんなんじゃ……!」
 太宰にからかわれた敦は照れ隠しをするように、
「鴻さんこそ、あの強風の中よく逃げられましたね」
「見た目に騙されるヤツが多いけど、お嬢は足腰は強いんだ。実家がバクダイな敷地面積の山中にあって、遊び場といえばノヤマを駆け回ることくらいしかなかったから、自然と鍛えられたんだろうな」
「もう、止めてください、ミクニ……!」
 遠慮なく自分の秘密を暴露する内藤を、鴻が頬を染めながら叱責する。おそらくこれが二人の日常なのだろう。
 そんな二人の仲睦まじい様子に敦はもう大丈夫だろうと確信して、いい加減に説明してくださいと太宰に詰め寄った。
 それでようやく種明かしが始まる。

「とりあえず三國さんも能力者だよ」
「えっ、鴻さんだけじゃなく三國さんも?! あ、でもそれじゃあ、”あの”太宰さんはやっぱり僕の見間違いなんかじゃなく……」
「そう、あれが三國さんの異能さ」
 太宰が二人存在するという信じられない光景を回想していた敦に、太宰は事も無げに言ってのける。
 詳細については内藤が引き継ぎ、
「オレの異能力は『凶笑面(きょうしょうめん)』といって、要は他人に変身できる異能だ」
 まるで奇術でも披露するかの如くおもむろに顔を手で覆い、その強面を敦や太宰、国木田などにテンポよく変えていく。
「タダシ相手についてオレが認識している情報しか反映させることが出来ない。例えば写真だけ提示された人物に変身する場合、変えられるのは写真で確認できた範囲の姿形だけ。この場合は非常にザックリとしたもんで、見えないホクロとかシワの数、声なんかまでは変えることができない。しかも変身した本人に見られると異能が解けるし、アタマの中のデキまでは変えられない。だからどれだけ親密な相手に変身したとして、外見はカンペキにマネ出来ても性格や口調には限界がるから、あんまり喋りすぎるとボロが出る。どこまでいっても内面についてはオレの主観でしかないんだ」
「最初の倉庫での銃撃戦。あれは三國さんがおびき出した組員を一掃していたわけだが――たかだか一人の謀反人相手に編成されるような人数じゃなかったから、もしや三國さんは他人の目を欺ける異能でも持っているのではないかと、私は目星をつけていた。組織の宝物と一介の反逆者なら、どちらに人員を裂くかなんて火を見るより明らかだからね。それは敦君が児玉を倒すため勇んで探偵社を出た後、見事に実証され今回の作戦の鍵となった」
「まぁ、想像以上にカズが多くて何発か食らっちまったけどな」
「名誉の負傷というやつですよ。……ちなみに敦君の待機していた倉庫に組長を誘導したのも、その足で彼女の救助に向かったのも彼だ。組織に自分の異能をひた隠していた三國さんの賢明な判断が功を奏したのだね」
 急ごしらえで太宰さんになりきるのはタイヘンだったと内藤は肩を回し、なぜか太宰はそうでしょうそうでしょうと誇らしげだ。
「三國さんは鴻さんの居場所が分かってたんですか?」
「いいや。オレはただ太宰さんの指示ドウリに動いただけだからなぁ」
「へぇ……」
 内藤はその手腕に関心しきりだが、敦はどこか目が据わっている。にこにことするだけの太宰は明言を避けた。
 とはいえ探偵社の面々には彼の手癖の悪さなど周知の事実。今回もどうせ発信機でも付けたんだろうと皆、勘付いている。両陣営を同時に相手取ることの不利さは理解できるし助かってもいるのだけれど、中々どうして素直に喜べない。

「あれ、ちょっと待ってください……」
 ふと一つの疑問が生じた敦は首を傾げ、
「児玉と戦ったのが僕で、鴻さんを助けたのが三國さんで……。それじゃあ一体、太宰さんは何をしていたんですか?」
「ああ、ちょっとした取引をね。本質大元をどうにかしないことには、真の解決にはならないと思って。一生逃げ隠れる生活なんてつまらないし、彼女の実家だって被害を被るだろうから」
「大元ってなんです?」
「法律だよ。現在のものでは幽鬼の如く寺社仏閣にまとわりつく非合法組織の弾圧が難しい。それをより確固たるものに改めることが今回は必要不可欠だったんだ。京都は今でも時代錯誤な旧体制がまかり通る数少ない土地だけれど、これからは強引にでも露葉のような組織をお縄にしてもらわないとねぇ」
「ほうりつ……」
「これから京都の裏社会は大きな転換期に入る。そしてその波は否応なしに世界に波及していき、新たな争いの火種にもなるだろう。統べる土地こそ違えどポートマフィアも闇の一角。その実害が早くも出始めたから、今回は大人しく手を引いたのだね。……ただ、小さな寺社はこれから運営が厳しくなるかもしれないが、まぁ、それをどうにかするのは私たちの領分ではないさ」
 いつにも増して解決手段が物々しい気がして、敦は息を呑んだ。多方面に謎の伝手がある太宰だからこそ可能な解決方法だったのだろうが、鴻一人のために国まで動くとは。まさに傾国ではないか――。

 社員が面食らっていると鴻も居心地悪そうにするものだから、このままではいかんと意気込んだ敦が雰囲気を塗り替えるように、
「……ええと、鴻さんたちはこれからどうするんですか? やっぱり京都に帰るんですよね」
「いいえ、しばらくあちらに戻るつもりはないのです。私は探偵社の近くにある神社に身を寄せることになりました」
 鴻からは予想外の返答があった。
「ええと、本気なんですよね? ここも治安が良いとは言えないですし、ご両親だって心配してるんじゃ……」
「けれど京都に戻れば露葉の残党に狙われたり、下部組織や関連団体の逆恨みがあるかもしれません。これ以上、実家に迷惑をかけたくないのです。私のせいでこれまで親戚縁類、一門の者たちが被ってきた心労は計り知れません。近々、兄が実家の神社を継ぐことも決まりましたし、私がいると余計な問題を増やすことになりますから」
「そうですか……」
 既に決意が固まっているらしい彼女に、これ以上敦が言えることはない。

「本当に、太宰さんにはお世話になってばかりです」
「いえいえ、私の力など微々たるものですよ。元々あそこの神主はかなりのご高齢でして、以前から隠居したいとぼやいてはいたのですが残念ながら跡継ぎに恵まれず、ご老体に鞭打って働いていましてね。聞けばあなたは既に神職免許をお持もちだというし、それでビビっときたわけです。まぁ、話をつけたのはうちの社長ですが、神主もこんな老いぼれより美女に世話してもらったほうが神様も喜ばしかろうと、とんとん拍子に決まりました」
「まぁ、太宰さんは謙虚なんですね」
 月も恥らう美女に褒められて嬉しくないはずがなく、太宰はでれでれと目尻を下げた。
 どうやらこの采配には社長も一枚絡んでいるようで、普段さぼっているくせにこういう時の仕事の速さには目を見張るものがある。
 しかしその男に騙されてはいけない、と敦はこれまでの太宰の素行を訴えてやりたかった。

「オレは異能特務課へ協力することになったよ」
 今度は内藤の報告が始まる。
「オレの異能は諜報活動に打ってつけだからな。しかも京都ってのは政府もそうそう簡単に首を突っ込めないパンドラの箱。北森の家人であるオレなら、その繋ぎ役にも適任って腹積もりだろう」
「三國さんはそれで納得されてるんですか? せっかく鴻さんとも会えたのに、離れ離れになってしまうわけでしょう」
「オレが協力するだけでお嬢を守れるんならヤスイもんさ。いやぁ、ほんと、太宰さんにはアタマが上がらんな」
 内藤も鴻も太宰を絶賛しすぎである。敦は心配して損した気分だ。
「それにチョット嫌らしい話、ココからならお嬢のいる神社も近いし、キミたちの目も届きやすかろうと」
「いやそれは……」
 聞き捨てならんと即座に国木田が口を挟んだが、内藤は負けじと、
「その際発生した経費や損失はスベテこちらが出すし、了承してくれるのであればスポンサーとしてワズカばかりだが活動費を援助してもいいと、北森から仰せつかってる」
 日頃出費が嵩んでいる探偵社にとっては願ってもいない大変魅力的な申し出だ。しかも出所は正当どころか格式高く、有名神社と繋がりがあるとなれば社の信用、評判もうなぎ登り。ただでさえ鴻が就労する神社は探偵社の氏社であり、社長も息抜きがてらよく参拝しているから快諾するのは明らか。
 素早く脳内で算盤を弾いた国木田はそれ以降、口を噤んだ。
 現金ではあるが社の財布の紐を握る男としては死活問題であろうし、お金はないよりあるに越したことはない。

 ここは穏便に取り計らうべきだろうと敦も理解を示し、
「難しいことはよく分からないですけど、出来るだけお手伝いはしますよ」
「そうだねぇ。でも私たちなんかより、三國さんの監視のほうが効果はありそうだ。政府機関の目を掻い潜ってまで手を出そうなんていう連中は、そうそう現れないだろうから。何より私は――」
 太宰が鴻の前にさっと跪き、流れるような動作で彼女の小さい両手を握り締め、
「美しいあなたと離れたくないのです」
 などと甘い台詞を吐きながら連絡先までしたためている。そして今まで抑え付けていたものを一気に噴出させるかのように、彼女のありとあらゆる箇所を褒め称えた。
「困ったことがあればすぐに私に連絡をください。貴女のためなら例え火の中水の中、この太宰治すぐに馳せ参じましょう」
「……ちょっと、どさくさに紛れて何やってんですか、あんたは!」
 敦が太宰を引き剥がし、内藤がお嬢様の体を検め、加勢に入った国木田によって簀巻きにされた太宰は冷たい地面に転がされた。いつも通りの騒がしい探偵社だ。

「うん……?」
 するとその喧騒を鎮めるかのように、桜の花弁が敦の視界をちらついた。仰ぎ見た中空からは次から次へと花弁が舞い降り、接した場所から桜色の光の粒となって体内に溶け込んでいく。
 春の陽だまりの中にいるような暖かさに包まれ、あまりの心地よさに誰もがほうっと息をついた。
「ああ、何ということだ! まるで貴女のために創られたかのような美しい異能! 私はもう、貴女に首っ丈です!」
 知らぬ間に縄抜けしていた太宰が再び鴻の目の前に参上した。手を握らなかったのは彼女の異能が消失してしまうことを憂慮したからか。
「はっはっは。季節ハズレの花見にはもってこいだろう。特に冬に見る桜はオツなんだ」
「いえいえ、彼女自身が花ですからね。異能がなくとも私の目の保養にはなっています」
 お嬢様を魔の手から救うように内藤が両者の間に割り込んだ。あれだけ感謝していた太宰にも容赦がないのは、それだけ彼女の存在が大きいということなのだろう。

 敦は冷戦を繰り広げる二人を早々に見放して、
「本当に綺麗ですね、びっくりしました。本物より綺麗なんじゃないですか」
「うふふ、ありがとうございます。お世話になった皆さんに私の異能を知って欲しかったというのが大きいのですけれど、そう言ってもらえてほっとしました」
「それに何だか、気力も出てきたような気がします」
「私の異能を受けた方は口を揃えてそう仰いますね。……既にミクニから説明は受けていると思いますが、私の異能の発動条件は事前にこの桜花に触れることです。そしてこれはあくまで憶測ですが――桜の花弁はある種のエネルギー体のようなものなのではないでしょうか」
「エネルギー体、ですか」
「私の異能力は対象者に襲い掛かるあらゆる危険に干渉し、それを回避させるものですが――おそらくその原理は、事前に体内に融和し蓄積されていたこのエネルギー体が代替となっているのではないか、と。そして蓄積された量に伴って、回避できる危険の度合いや回数も増えていきます」
「……つまり、花びらが身代わりになってくれてるってことですか!」
 鴻は微笑みながら相槌を打った。まるで他者を思う彼女の気持ちがそのまま形になったかのような能力だ。

「難しい話はこのへんで仕舞いにしようじゃないか」
「よ、与謝野先生?!」
 包丁片手に与謝野が声をかけてきたものだから敦は途端に縮み上がったものの、その刀身に付着していたのは赤い液体ではなく緑色の固体で、どうやらケーキの破片のようだった。
「まぁ、そうですね。長々とつき合わせてしまってごめんなさい、敦君」
「い、いいえ……」
 刃物を携えた女性にも求愛する男性にも顔色一つ変えないお嬢様は果たして、大物なのか鈍感なのか。
 何にせよ、どうせなら一緒に食べましょうと誘うナオミに促されるまま乙女の輪に加わった鴻は、年相応の明るさを取り戻しているようだった。
 とにもかくにも一件落着かな……。
 切り分けたケーキを手に大はしゃぎする女性陣のご相伴に預かろうと敦も腰を上げ、ついでに貰った二皿を仕方なく太宰と内藤にも恵んでやった。




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