王女様 貴女様を誘拐するお約束は 残念ながらここまでです
わたくしめの勝手を どうかお許しくださいませ
ヒルダガルデ3号がイーファの樹を離れ、ダガーは甲板で座り込んだ。
「姫様!」
護るべきアレクサンドリアの王女に慌てて駆け寄ったスタイナーは、彼女の傍らに膝をつく。目をつぶって、うわ言のように「大丈夫、大丈夫」と繰り返しているダガーに、彼はどう声をかけたらいいのか分からなかった。
そのとき、大きな爆発音や地響きの音が聞こえてきた。
ヒルダガルデ3号は、既に随分イーファの樹から離れている。しかし彼らの耳に、たしかにその音は響いた。
ダガーは弾かれたように立ち上がり、欄干に身を乗り出す。
「ジタン!!!」
彼女と同じような体勢である一同の口から、ほぼ同時に叫ばれた名前。
イーファの樹は遙か遠くだというのに、遠距離からでもイーファの樹が激しい暴走をしていることが見てとれた。周囲には大きな地割れが発生し、土煙が舞い上がってイーファの樹を覆い隠していく。
ダガーが、出し抜けに何度も首を横に振った。恐らく、頭に浮かんだ最悪の事態を振り払っているのだろう。
「………」
ビビが、踏み台に乗って遠くのイーファの樹を見つめている。
しかし、何となく違和感を覚えたエーコが、声をかけた。
「ビビ?」
声が少し震えているのは、泣きそうなのを堪えているからだろう。
「………」
「……ビビ?」
そこで、少年がハッとする。
「え、あ……ごめん。何?」
「どうしたのよ?」
ううん、とビビは首を横に振る。
視線をイーファの樹の方へ戻して、呟くように言う。
「あれだけイーファの樹が暴走しちゃうと……ジタン、帰ってくるの、大変だろうなぁって思って」
仲間たちの視線が、ビビに集まる。
少年は言葉を続けた。
「早く、帰ってきてほしいなぁって、思って」
ジタンが帰ってくると信じて疑わなかったのは、皆が小さいと思っていた、まだ子供だと感じていた、ビビだった。
少年の言葉に、彼らはまた救われた気持ちになった。
そう、ジタンが死ぬわけがないのだ。彼は宣言したとおり、クジャを救って、また、ここに戻ってくる。きっと。
きっと―――
* * *
テーブルの上に頬杖をつきながら、ぺらりぺらりと台本の頁を捲る。しかし、彼が果たして、文字を目で追っているのかどうかは謎だ。科白を全て頭に入れられているというわけではないが、二ヶ月後に演じることになっている劇目は、『君の小鳥になりたい』なのだ。以前と大して変わりはない。
「兄貴、珈琲、飲むっスか?」
「ああ」
目に見えて変わった部分といえば、一対一で斬り合うシーンのカットくらいだ。約一年半前、彼とジタンが担当したチャンバラ劇で、観衆にも好評だった。しかし、今は人員不足で、さらにはあの男ほど身軽に演じることのできる者はいない。
『君の小鳥になりたい』を公演する場所は、縁があるのか、またもやアレクサンドリアだ。ガーネット・ティル・アレクサンドロス17世の、十八歳の誕生日を記念してのことである。自然と、ガーネットを誘拐する、という目的を抱えて演じたときのことが思い出された。
(アレクサンドリア、か……)
劇場艇プリマビスタを、リンドブルムのシド大公に最新技術で修理してもらったため、以前よりも遠くへ劇団として赴くことが多くなった。ジタン達の活躍によって多くの大陸も発見されたわけで、行動範囲は以前と比べて格段に広くなっている。そもそもこのリンドブルムのアジトへ戻ってきたのも一年以上ぶりだ。アレクサンドリアにおいては、全くと言っていいほど足を運んでいない。ルビィの小劇場も、今はロウェルという男が一人で切り盛りをしている。
「ボス〜」
買い物から帰ってきたシナが、困り顔でアジトに入ってきた。
「どうしたぁ、シナ?」
盛大な鼾をかいていたくせに、まるでそうではなかったかのようにあっさりと起きてみせるバクー。
シナは相変わらず、愛用のトンカチを片手に握りしめている。
「それが……」
次いで、カシャンカシャンと金属の揺れる音が聞こえてきた。
このような五月蝿い音は、忘れようと思っても忘れられないものである。
「久しぶりっスね」
珈琲の入ったマグカップを両手に持ったマーカスが、アジトに入ってきた男を見て、心底驚いた様子でそう言った。
「シド大公殿下から、お前たちがリンドブルムに戻ってきていることを聞いたのである」
答えながら、スタイナーはアジトの中を落ち着きなく見回した。
暫く無言で、彼らは鎧の男を見守っていたが、やがてブランクが溜息を吐く。
「……いねーよ。あんたが捜してる奴は」
図星をつかれた様子のスタイナーが、顔をわずかに強張らせた。
「いいのかぁ? アレクサンドリアのプルート隊隊長様が、こんなところで油売っててよ。それとも、女王様にでも頼まれたのか?」
別にバクーはスタイナーを追い返したいわけではないのだろうが、それでもどこか皮肉めいていた。
「五月蝿いのである! これは自分が勝手にやっていることであって、女王陛下は関係ないのである!!」
「心配してくれてるっスか」
「あ、いや、その、……ええい、面倒くさい!」
「面倒くさいのはあんたやろ」
ルビィが呆れた声で呟く。
実は、タンタラスの面々はスタイナーが来ることは意外でも、仲間としての彼を見るのであれば別段驚くことはなかった。
タンタラスは、ちょっとは名の売れた劇団である。リンドブルムに戻ってくるとそれなりに噂として広まるらしく、既にフライヤやエーコがこのアジトに足を運んでいた。真っ先にやってきたのはエーコで、シド大公の養子となったのであるから、当然と言えば当然であった。
「……それで、ジタンのことは何も知らないのであるか?」
バクーが肩を竦める。
「さてな。あいつが何の連絡もなくひょっこり帰ってくることなんて、別に珍しいことでもねぇからなぁ」
……珍しいことでもない?
スタイナーが首をかしげると、近くのマットでごろりと横になったシナが言った。
「ちょっと前に、ジタンが家出したことがあるズラ。でも、一年近く経ったらいきなり帰ってきたズラよ。故郷を探してた、とか言ってたズラ」
俺はガイアの人間じゃない
ひとつ間違えば 俺がアレクサンドリアを破壊していたかもしれないんだぞ
そんな俺が のうのうとみんなと一緒にいられるか!?
見ていて、ひどく痛々しかったジタンを思い出し、スタイナーはつい顔を歪めた。
彼らは知らないのだな、とも思った。ジタンが故郷を見つけたこと。その故郷は、既にもうなくなったこと。――彼が、ガイアではなくテラの人間であるということ。
「……分かった。突然押しかけてしまい、すまなかった」
ピシッ、とまた敬礼をして、スタイナーは足早にアジトから出ていく。彼も何かと忙しいのであろう。以前と比べて、プルート隊は規模が大きくなり、仕事も増えていると聞く。世界を救ったといえる人間が隊長なのだから、わざわざ募集しなくともプルート隊入隊希望者は溢れんばかりになったのは、言うまでもない。今となっては、十人程度の小規模隊は何処へやらといったところで、計百人の大規模な兵士軍隊となっている。ちなみに、副隊長は女将軍・ベアトリクスだ。
「あのおっさんも、随分変わったっスねぇ……」
珈琲を啜りながら、マーカスはしみじみと呟く。
初めて会った頃のスタイナーからは考えられない行動だ。アレクサンドリアでの仕事を放って、僅かでも仲間を心配してリンドブルムにまでやってくるなど、「騎士道に反する!」などと叫んでいただろう。
「そうな」
ブランクは、パタンと台本を閉じて、マーカスが持ってきてくれたマグカップを手にとる。
ジタンがいなくなって、もう随分経った。初めはいまひとつ調子が戻らなかったタンタラスであったが、さすがにもう「慣れて」しまった。
「マーカス、ちょっと科白合わせしいひん?」
「いーっスよ」
今回、やはり紅一点であるルビィが、コーネリア姫を演じることになる。相手も以前と同じくマーカスなので、この二人の科白の量は、ブランクやシナよりは多い。練習量が余計に多くなるのも当然だった。
そのとき、アジトの入口部分で、ごとりと物音がしたことに気付く。
「また、さっきのおっさんズラか?」
「俺が出るよ」
忘れ物でもしてったかな。そう思ってブランクは何気なく視線を巡らせたが、スタイナーが置き忘れて行ったものと思われるものは何もなかった。もしかしたら、また彼の仲間かもしれない。帰ってきていないのか、と尋ねに来たのかもしれない、と思いながら扉を開けた。
「………」
ブランクの目が、見開かれる。
最初は、そこにいるのが誰なのか分からなかった。
動きやすそうな服。金髪。碧の瞳。金色の尻尾。
「………じ……」
そこに立っている彼は、ニッと無邪気に笑って見せた。
「よっ」
「……っ、……!?」
ブランクは慌ただしく彼に近づき、至近距離でまじまじと見つめる。頬や目許には白いテープのようなものが貼られており、首や右腕には白い包帯が巻かれている。小さな袋を肩からかけていた。普段は冷静なブランクらしからぬ様子で、彼の肩や腕に触れた。
それがくすぐったかったのか何なのかは分からないが、彼はまた笑う。
「幻覚かと思ったか?」
「……ジタン……」
「久しぶりだな、ブランク」
ひとまず彼から離れたブランクは、浅く俯いた。拳をギュッと握りしめる。そんな彼を、ジタンは覗き込んだ。
「お、どーしたんだよ? もしかして、俺に会えて泣きそうに」
「………して……っ…!」
「へ?」
突然ブランクは、ジタンを肩から突き飛ばした。とはいえ、その力はそれほど強くなかったので、彼が少しふらついて、二、三歩さがる程度に留まる。
「うわっとっとっと!? な、何す……」
「何してたんだよ、お前!!」
親友の怒鳴り声が響く。
アジトの奥から、その声を聞きつけたタンタラスの面々が出てくる。
「怒鳴り声なんかあげちゃって、どうしたズラ、ブラン……、!?」
「ジタンさん!?」
「ジタンやないの!!」
「ジタンが帰ってきたでよ!!!」
ずっと行方不明になっていた彼の帰還に、皆が喜びの声を上げる。が、
「答えろよ!」
その、一瞬賑やかになりかけた場の空気は、ブランクの怒鳴り声によって再び凍り付いた。彼はジタンにまた近づいていき、荒々しく肩を掴む。
「一年以上も、何も連絡よこさねえで! お前、何してたんだよ!?」
半ば、諦めていた。
彼らタンタラスも、最後の決戦の際には、銀竜の群に対抗するためにシド大公と共に飛空艇に乗っていた。イーファの樹の暴走も見ていたし、クジャという敵を助けるために残った話も、彼の仲間たちから聞いていた。
連絡は一切なく、ジタンの生存は皆願っていたけれど、心のどこかで否定してもいた。そんな状態で、もうじき二年になろうとしていたのだ。いつまでも待つことができるほど、強い心を持ってなどいなかった。
「……悪い、ブランク。ちゃんと説明するから」
歯を食いしばって、肩をつかんだまま固まっているブランクを宥めるように、静かに言う。また彼の顔を覗き込んで、いきなり、少年は盛大に吹き出した。
「おまっ……! 泣くなって〜!」
「うるせぇこのバカ!!」
少年の肩から手を離すと、腕で潤んできていた目を豪快にこする。
タンタラスのメンバーが立っている後ろから、巨体がのっそりとアジトから出てきた。そして、どんどん歩み出てくると、ジタンの前に立っているブランクをどかして、拳を引く。
やっぱりか、と少年が身構えてすぐ、バクーの拳が彼の側頭部を打ち据えた。
軽い脳震盪が起こり、少年は眉間に深く皺を刻んで耐える。
「今回は随分帰りが遅かったな」
嫌味たっぷりな言い方をして、バクーは、ニヤリと歯を見せて笑った。
対して、ジタンは顔を顰めながらも、二年前と同じの笑顔を浮かべる。
「ただいま」
その男はなぜか その笑顔を見て思ったんだよ
ああ ここが 俺の『いつか帰るところ』だって……
* * *
「全然変わんねーのな、ここ」
わざとらしくガッカリした声をあげる彼だが、体中からは以前と変わらないことへの嬉しさが溢れていた。
「そりゃそーっスよ。俺たちだって、帰ってきたの久しぶりっスから」
「え?」
袋を下ろしたジタンが、意外そうに眉を上げる。
いつもの調子を取り戻したブランクが、彼の分の珈琲を煎れながら言った。
「プリマビスタ、シド大公が修理してくれてな。霧の大陸以外の大陸回ってたんだ」
「そうだったのか」
プリマビスタは、かつて魔の森に落ちて壊れた上に、主であるモンスターを失った際に狂いだした森による石化に巻き込まれたものだと思っていた。
感心したように頷きながら椅子に腰かけようとして、一瞬固まった。ふらふらと揺れていた尻尾が、ぴんと伸びる。が、彼はすぐに座った。何でもない風を装っているが、そんな彼を見ていたシナが、マットの上を転がりながら首を傾げた。
「ジタン、どうかしたズラか?」
「ん。いや、大丈夫」
言いながらも、太腿を軽く片手でさすっているあたり、怪我をしているらしいことは一目瞭然だ。これ以上尋ねたところで、ジタンが素直に答えることはあまりないであろうと、誰も追及はしなかったが。
ブランクに渡された珈琲を飲んでいると、また、入口の方から慌ただしい音が聞こえた。
間もなくしてアジトに入ってきたのは、幼い男女。バンスとルシェラだ。
「「ただいまー!」」
二人が声を揃えて言うやいなや、ジタンの姿を認めると、
「ジタンだぁー!」
「ジタンお兄ちゃん!」
大喜びして、バンスとルシェラは勢いよくジタンに飛びつきにかかった。
彼は慌てて手に持っていた珈琲のマグカップをテーブルの中央の方へと置き、何とか二人の飛びつきを受ける。しかし、
「ちょ、バンス、ルシェラ! 待っ……いっ、てててて!!!」
悲鳴に近い声をあげると、微笑ましい光景だと思ってみていた周りが、急いでジタンに抱きついているバンスとルシェラを引きはがした。
二人は「なんだよぉ」と言いながら頬を膨らませているが、相手にせずにルビィが彼を助け起こした。
「大丈夫!? ジタン!!」
「ってて……平気……だけど、暫く抱き付くのは無しな……嬉しいけどさ……」
苦笑いを浮かべているが、怪我をしているのだから実際にはあまり余裕はないのだろう。ごめんな、とバンスとルシェラに謝罪したジタンは、改めて椅子に座りなおした。
「もー! ていうか、ずっと何してたんだよぉ! タンタラスの皆は心配してたんだぞ!」
バンスが文句を言ったが、丁度いい具合にその発言をしてくれた、とブランクは思った。
「そうだ。長い間、お前、どうしてたんだ?」
そのことに関しては、当然といえば当然だが全員興味があるらしい。バクーも含むタンタラス全員の視線が、ジタンに集中した。
彼は少し視線を彷徨わせてから、
「多分、ダガーとかから聞いてるとは思うんだけど。俺、クジャを助けるためにイーファの樹に残ったんだ。中心部に行ったら、傷だらけのそいつを見つけてさ……」
タンタラスのもとへ、戻って来るまでに経験したすべて。ジタンの中に残った大切な記憶。それを、一つ一つ、大切に、余すところの内容に手繰り寄せながら、彼は語り始めた。