感謝の出会い

トト | update : 2013.4.14
ジタンとフライヤの出会いの話。フライヤ目線。


 彼女はよろよろと座り込んで、全体重を地面から突出している岩に委ねた。闇雲に振り回していた槍を傍らに置き、天を仰いで目を閉じる。
 疲れた。そう思った。
(何を、しているのか)
 ふと頭に浮かび、自嘲気味に口許を歪めた。
 ――――諦めた方がよいぞ。フラットレイは、もう……
 突然、鉄の味が口中に広がった。無意識に歯を食いしばった際、うっかり舌を噛んでしまったようだ。喉を鳴らして、舌に溜まっている血を飲み込む。
(自国を捨てて、まで……)
 重い腕を持ち上げて、赤い帽子に手を触れた。
 深手を負っているわけではない。しかし気力が尽きたとでもいうのか、立ち上がることができなかった。町を離れ、ここまで歩いてくることができただけでも奇跡だった。
 アレクサンドリアにまでやってきた彼女は、愛しいフラットレイが訪れたはずだと思い、必死に彼の消息をたどった。だが、これといった情報は手に入らず、城にまで出向いて、直にベアトリクスという女将軍に話を聞きたくとも、身分の差はそれを不可能にしてしまった。
「フラット、レイ、様……一体……どこ、に……」
 呟いた己の声は、震えていた。情けないほどに小さかった。
 閉じられた目の端から、滴が零れ落ちた。



 目を開けてみて、頭の芯が妙に働かず、どうやら知らないうちに眠ってしまっていたことに気付いた。だが、体を起こしてすぐ、自分が岩にもたれていたはずの事実を思い出す。別に屋内にいた、というわけではないのだが、それでも少なからず、自身の状況には変化があった。柔らかな草の上に寝ていたようで、いつもより体が少し解れている。腕を見下ろし、袖をまくってみると、白い包帯が顔を覗かせた。傍らには愛用の槍と、ポーションの瓶が二本並べられている。ただし、片方は空っぽだった。
「お、目が覚めたか!」
 突如として声をかけられ、体をびくつかせて振り向いた。
 そこにいたのは、無邪気な笑顔を浮かべた少年だった。
「大丈夫かい? 道端でぶっ倒れてるもんだから、焦ったよ。まぁ、そんな怪我してるわけじゃなかったから、まだ俺の手持ちのポーションで何とかなったけど」
 彼女の前にまで歩いてきて、肩に担いでいた荷物袋を下ろすと、どっかりと胡坐をかく。
「……そなたは……?」
 少年は、変わった出で立ちをしていた。中途半端に長い金髪を後ろで結っており、瞳は吸い込まれるような碧。耳に青い珠のついたピアスをつけており、衣服もあまり見慣れないものを着ている。何より、彼のもつ金色の尻尾に驚かされた。このような種の者に、旅の道中会ったことは、一度もなかった。
 舐めるように眺める彼女に、少年は「恥ずかしいな」と苦笑する。
「俺はジタン。ジタン・トライバル。ちょっと訳ありで、旅してんだ」
「……それは?」
 彼女の視線が、荷物袋に注がれたことに気付いた。袋口から、宝石と思しきものがこぼれ出ていたのだ。
「え? あ、これは……」
 ジタン、と名乗った少年は、途端にわたわたと出ていた宝石を袋の中へと戻す。その様子を見て、目を細める。
「……まさかとは思うが、盗んだものではあるまいな?」
 ぎくりとジタンの顔が強張るのを、彼女は見逃さなかった。
「やはりの……私も堕ちたものじゃな。盗人に怪我の世話までされるとは」
 明らかに蔑むような声音であったので、少年は眉を吊り上げる。
「仕方ないだろ!? こうでもしないと、旅の資金も稼げないし、それに、俺は汚い手で金持ちになった奴しか狙ってない!」
 開き直る少年に、彼女は肩を竦める。
「盗みは盗みじゃろう? 褒められるものではないな」
「んだよ、助けられといて」
「誰も“助けてくれ”と言った記憶はないがの?」
 そうだ、そうなのだと、彼女は思った。自分は岩に身を委ね、眠っていただけのことだ。その寝ている間に少年が何をしていようと、関係がない。ましてや、怪我だって大したことはなかった。治療を受けるまでもなかったのだ。全ては、少年のお節介な精神が招いたことである。
「あんな顔してたら、“助けてくれ”って言ってるようなもんじゃねぇか……」
 心底不快である様子で、ジタンが独り言ちる。
 彼女が眉を顰めた。
「……あんな顔……?」
 問われ、ジタンは浅く頷く。
「すっげぇ、疲れた顔してさ。死んだみたいに岩にもたれかかってんの。大丈夫かなーって思って覗き込んだら、おねーさん泣きながら寝てんだもん」
 手を目許に持っていく。竜騎士たるもの、そうそう涙を見られてはならないのだ。寝ていたとはいえ、迂闊だったと思う。
 何気なく顔を上げると、ジタンがこちらを真っ直ぐに見つめていた。碧い瞳は、まるで自分の全てを見透かすかのように澄んでいる。
「こりゃ、何かあったんだなーと思って。俺、綺麗な女の人はほっとけない男なんだよね」
 少年の言い草に、彼女は思わず噴き出す。
「そ、そなた、まだ子供ではないか……!」
 どうやら、年齢に見合った科白でなかったのがよほど可笑しく思えたらしい。クックッと喉の奥で笑いを噛み殺している彼女に、ジタンは頬を膨らます。
「なんだと! 子供扱いするな!!」
 怒ったところで、彼女はいまだ笑い続ける。
 すると、当然のようにジタンは機嫌を悪くして、そっぽを向いた。憮然とした様子で、胡坐をかいた膝に頬杖をつく。
 ひとしきり笑ったところで、彼女は改めて少年を見つめた。こちらに背を向けた少年のお尻から生えた、ゆらゆらと揺れるもの。深く考えずに手を伸ばし、握ってみた。温かさと毛の触感が、肌を越えて伝わってくる。
「ぎゃっ!!」
 短く叫んだジタンは、慌てて振り返って彼女の手を払いのけた。
「痛てぇよ! 握るなっ」
「ほう、その尻尾、やはり本物なのじゃな」
「当たり前だ!」
 いてーなぁ、もう、と呟きながら、彼女に握られた箇所を手でさすっている。
「私は、そなたのような種族を見たことがないのじゃが……」
「うん。俺もだよ」
 あっさりと答えたジタンは、顔を上げてから決まりが悪そうに頬を掻く。
「……俺以外に、こんな変な姿の奴、見たことない。おねーさんはネズミ族だろ? でも、俺はネズミ族には似ても似つかない。俺自身……種族、わからないんだ」
 そこで彼女は考える。
 自分のことがわからないとは、どういうことなのか。ひょっとしたら、この少年は記憶喪失障害にでもかかっているのではないか。自分のことがわからないのは、歯痒いものだろう。そういえば、少年は先ほど、「ちょっと訳ありで旅をしている」と言っていた。その「訳」とは、一体――。
「なあ、名前くらい教えてくれよ」
 思考を巡らせていたところで、出し抜けにジタンが尋ねてきた。
 一瞬、返答に詰まる。旅をする中で不用意に名前を教えて、良い目にあった記憶はほとんどなかった。悪用したがるものほど、相手の名前を聞きたがるのだ。しかし、仮にもこの少年は、沈んでいた自分を放っておけずにいてくれたわけで。
「……まぁ、無理にとは言わないけど」
 とくに気分を害した様子もなく、ジタンは荷物袋を拾い上げる。
「そのポーションはおねーさんにあげるよ。俺、まだ持ってるから」
 荷物袋を肩に担ぐと、ニッと笑って白い歯を見せる。
「じゃあ、またね。おねーさん」
 もう出発するつもりらしい。歩き始めようとした少年の背中に、小さい声で答える。
「………フライヤ……」
「え?」
 くるりと振り返った。
 今の声量で聞こえたのか、と彼女は密かに嘆息し、傍らの槍を手にして立ち上がる。初めて、ジタンと目を合わせた。
「……竜騎士の、フライヤ・クレセントじゃ」
 暫し呆けていた少年であったが、優しく微笑んだ。
「そっか。じゃ、またね。フライヤ」
 長い金色の尻尾を揺らしながら、少年はその場を去った。
 フライヤは彼を見送った後、槍を握りなおす。
「……私も、そろそろ行くか……」
 足元にあるポーションの瓶を二つ持ち上げ、鞄の中に収める。片方は空っぽの瓶だが、どこかの町に着いた時に捨てればいいと思った。
 アレクサンドリアにフラットレイの情報がなかったからといって、諦める必要などない。彼はもしかしたら、まだどこかの町に滞在しているだけかもしれないのだ。
 不思議な少年だった、と微かに笑う。先ほどまで絶望を見ていたように思ったのに、ジタンの何気ない性格にずいぶんと救われたような気がしていた。
 さあ出発だ、とフライヤは顔を上げた。
 リンドブルムも回ったし、次に行くとすれば何処だろうか……。勢いに任せてブルメシアを飛び出してきてしまったので、世界地図さえ持っていなかった。
(とりあえず、歩いてみよう)
 一人頷き、歩みを刻み始めた。


 決してこの世界に、旅人は自分と、昼頃に会ったジタンという少年だけではない。道行く旅人に声をかけてみたところ、この先に駅があり、トレノという町に続いているという話を聞いた。カードゲームの大会が催されたり、オークション会場が設けられていたりと栄えているとのことだ。人も多いというので、情報収集にはうってつけの場所かもしれないと思い、フライヤはそのトレノに行ってみることにした。だが、駅まではかなりの距離があり、彼女はこの深い森で野営にすることに決めたのだった。丁度良い具合にあった切り株に腰かけ、前でメラメラと燃えている焚火を静かに見つめる。鞄をあされば、少ない旅の資金で買った木の実が少し出てきた。
 元々大食いではないフライヤは、これで充分足りる。二、三個は焚火にかざして炙ってみるが、一つはそのまま口の中に放り込んだ。生臭いが、食べられないことはない。
「フラットレイ様………」
 木々の隙間から見える星空を見上げて、恋人の名前を呟く。
 恋人であるフラットレイが、フライヤを残してブルメシアを発ったのは、もう随分前のことのように思えた。フラットレイは竜騎士で、槍一本で母国・ブルメシアをどこまで守りきることができるかに不安を覚えていた。そして、大陸でも強いと名高い、アレクサンドリアの女将軍ベアトリクスと刃を交えることを初め、多くの強者と戦うことで腕を磨いてくる。そう言っていた。大陸を一回りすれば、ブルメシアに帰ってくると。
 しかし結局、待てども待てども時が過ぎていくばかりで、フラットレイはブルメシアに帰ってこなかった。挙句の果てには、彼はどこかの地で果てたという噂が流れ始めた。
 フライヤは、俄かには信じられなかったのだった。あのフラットレイが、そう簡単に死ぬはずがないと、信じてやまなかった。だから彼女もブルメシアから飛び出して、恋人を捜す旅を決意したのだ。絶対に生きている。絶対に見つけることができる。そう信じたのだ。
 パチパチと、枝が火に包まれて燃えていく音がする。一人で自分は何をしているのか。何度目かわからない自問に入りかけて、フライヤは小さく首を横に振った。後悔はしない。フラットレイは生きているのだから。そのはずだから。
 そのとき、ガサガサと近くの茂みが大きく揺れたことに気付いた。大抵の獣は皆、焚火を恐れて近づいてくることはないのだが、慌てて立ち上がる。油断は禁物だ。槍を手にとると同時に、茂みから姿を現した「それ」に向ける。が、飛び出してきたのはごく普通の旅商人のようであった。
「そなたは…?」
 訝し気にして、槍を下ろす。旅商人は槍先をこちらに向けられたことで初め、目を白黒させていたが、我に返ったようにフライヤに縋り付く。その手は、震えていた。
「あ、あ、あんた! あんた、その恰好、騎士か!? た、頼む! た、たす、助けてくれっ……!!」
 すっかり混乱した様子の彼の肩に手を置く。
「落ち着け。一体何があったのじゃ?」
「く、暗闇からモンスターが……! モンスターが、襲い掛かってきて……!」
「わかった。何とかするから、落ち着け」
「違うんだよっ!!」
 旅商人が声を荒げる。フライヤの服裾を掴む手に、力が込められた。
 何が違うのかわからず、彼女は小首を傾げる。
「逃げまくってたら、その、木の上から、なんか下りてきた奴がいて……! そいつが、俺を逃がしてくれたんだ! でも、そいつまだ、一人でモンスターと戦ってて……! あんなでっかいの、ガキ一人じゃ無理だ!!!」
 ――――ガキ一人……?
 まさか、と思い、フライヤは口を開いた。
「おい。まさか、その子供……尻尾のある、金髪の少年ではないか?」
 震えながらも、彼ははっきりと頷いた。
「頼む! 俺じゃ、どうにもなんねぇんだ! あいつを、あいつを助けてやってくれ!!」
「だから、落ち着くのじゃ。そなたはここにおれ。その子供も必ず助ける」
 安心をさせるように旅商人の肩を軽く叩くと、フライヤは走り出した。
 心中は酷く焦っていた。見たところ、少年はまだ十代後半にもなっていなかった。体も大きくはなく、武器も腰のホルスターに入った短剣だけだ。戦い慣れていなければ、大怪我では済まないかもしれない。
(馬鹿者が……! 妙なところで正義感を働かせおって!)
 毒づいて、暗い森の中を疾走する。
 そのとき、南の方向から雄叫びが響いた。フライヤは茂みを出て、すぐに方向を変えてまた、走り出す。
 森を抜けると、そこには巨大なモンスターが佇んでおり、正面で大きく跳ね、短剣を振り上げている少年の姿が見られた。少年の振り下ろした短剣は、太い蔓のような腕に容易に弾き返されてしまう。が、少年は器用に空中で回転して、地面に降り立った。
「くそっ……!」
「おい!!」
 フライヤが声をかけると、少年がこちらを向いた。瞳が、驚いたように大きく見開かれる。
「あんた、なんで」
「前じゃ!!!」
 刹那。驚愕のうち、判断が一瞬遅れた。大きくしならせて迫ってきた蔓をかわすことができず、それは少年の腹部に派手に炸裂された。
「か、は……!」
 肺から空気が一気に押し出され、華奢な体が宙を舞う。
 少年を、フライヤは跳躍して受け止めた。腕の中で、彼は何度か咳を繰り返し、疲れた顔をあげる。
「ふ……フライヤ……」
「大丈夫か?」
「…大丈、夫……」
 合間合間で咳をするあたり、呼吸器官のどこかに支障をきたしているらしいのを察する。
「そなたはよくやった。あとは私に任せろ」
 ゆっくりと大樹の根本にジタンを下ろそうとしたが、彼はそれを拒み、よろつく足で立ち上がった。
「冗談だろ。俺は……っ、まだ戦える」
「何を言っておる。そんなにフラフラで」
 よく見てみれば、彼の腕にも多くの傷があり、こめかみからも血が流れているような状態だ。苦戦を強いられていたのであろうことはすぐにわかった。
「フラフラでもなんでも、女性一人に戦わせるなんて、俺のプライドが許さなくてな」
 苦しそうに咳をしながらもそんなことを口にするジタンに、フライヤは肩をすぼめる。
「……全く、変わった子じゃな、そなたは」
「うるせーや」
 不敵に笑って見せる少年を、彼女はどこかたくましく感じられていた。さて、とフライヤはモンスターを見上げた。予想していたよりもかなり大きいモンスターだ。植物系のようだが、残念ながらフライヤは黒魔法を得意としてはおらず、炎の類の攻撃は繰り出すことができない。仮に繰り出すことができたとしても、森が燃えてしまわないようにとかなり難しい調整が必要になる。ジタンもまた、魔法に関しての知識は皆無に近いようだ。
 考えている中、モンスターが動いた。再び、鞭の如く蔓が振るわれてくる。
 フライヤは即座に反応して横跳びしかわした。すぐにジタンの安否を確認しようと視線を巡らせれば、彼もまた身軽に木の上へと逃げていた。次の瞬間、彼は木の幹を蹴ってモンスターに急接近し、短剣を突き刺す。断末魔が上がる直前に血の一線を引き、傷口を抉るようにして短剣を握りなおした。激痛にモンスターが悶えだす前に少年は跳び退って、地面にまた着地をする。
(成程……戦いのセンスは良いのか)
 槍を構えて、フライヤは高く跳躍した。顔を顰め、真っ直ぐ槍を向けて落下する。
 その槍先は、モンスターの目に直撃した。
 胸の悪くなるような派手な叫び声をあげ、モンスターは急いで森の中へと逃げていく。さすがに目への打撃は、モンスターも耐え難いものがあったのだろう。急所へ攻撃した彼女に恐れをなしたか、振り返る素振りも見せず、森の奥に消えた。
 息を吐いて構えを解くと、フライヤは急いでジタンに駆け寄った。少年は、木にもたれて座り込んでいた。
「ジタン、大丈夫か?」
「へーき……」
 げほっ、と変な咳の音をさせながらフライヤを見上げる。
「フライヤって、強いんだな。驚いたよ」
「伊達に竜騎士ではないからな。それより、傷を見せてみろ」
「大丈夫だよ……」
 冷や汗を流して顔を歪めている少年の「大丈夫」は、あまりにも説得力に欠けていた。彼の顔に少し耳を寄せると、呼吸が浅く、抜けていくような音になっていることがわかる。
「そなた、苦しいのか?」
「…………」
 小さく首を横に振るが、明らかに様子がおかしい。どんどん息が浅くなる上、最早声さえ出さないような状態だ。
「……失礼」
 フライヤは言うやいなや、蹲っているジタンの上体を無理矢理起こし、お腹の上に重ねられている両手をどかした。その手もまた、ひどく汗ばんでいる。さらにまた、フライヤは驚いた。彼の腹部は酷く出血しており、衣服が赤く染まってしまっていた。しかも、妙な色の粉末が傷口で光っている。
(……毒か……)
 道理で、少年の様子がどんどんおかしくなるわけだ。恐らく、先ほど派手に打ち飛ばされた際に負ったものだろう。そのあと彼は素早く動いて、モンスターに傷を負わせているわけだが、動いたことで毒はさらに全身に回ってしまったはずだ。フライヤは困り顔で俯く。野営しようとしたところへ戻っても、あるのは昼にジタンが譲ってくれたポーションが一本で、毒消しといったものは一切所持していなかった。
 ふと、自分に助けを求めてきた旅商人のことを思い出す。もしかしたら、あの旅商人ならば毒消しを持っているかもしれない――。
「動くぞ、良いな?」
 落ちている短剣をジタンのホルスターの中におさめてやると、フライヤは少年を抱え上げる。そのときに、少年の体が尋常ではなく熱くなっていることに気付いた。
「ボ……ス……」
「?」
 フライヤの腕の中で、身じろぎをする。
「ルビ……ィ………シ、ナ……マーカ……ス……ブラ……ンク……」
 震える唇から、かちかちと歯と歯が当たる音がする。熱い息に交えて呟かれた何人かの名前。仲間のことだろうか。
 兎に角、このままでは本当にまずい。フライヤはジタンを抱えて駆け出した。

   

 目を覚まして、ジタンは勢いよく体を起こした。何度か瞬き、そのあと顔を歪めて額に手を当てる。眩暈が酷い。
「起きたか?」
 徐に視線を上げると、木の実を葉の上に並べているフライヤがいた。
「……フライヤ……? あれ? 俺……」
「少々強い毒にやられたようじゃの。まあ、あと半刻ほど休めば自由に動けるようになる。それまでは安静にするのじゃな」
「フライヤが、俺を助けてくれたのか?」
 木の実を並べ終えて、皿の役割を果たしている葉ごと持ち上げると、ジタンの元へと持っていく。
「助けたのは、そなたの助けた旅商人じゃ。彼の毒消しがなければ、今頃あの世であるぞ」
「でも、あの商人のおっさんとこに俺を運んでくれたのはフライヤだろ?」
 ジタンの傍らに腰をおろすと、葉を彼の手元に置いた。しかし、それを気にも留めず、少年は柔らかく微笑んだ。
「ありがとな」
「……そもそも、そなた、何故あのような無茶をしたのじゃ……」
「へ?」
 見向きもしなかったくせに、早々に木の実を手に取って齧っているジタンを、責めるような目でフライヤは見つめた。
「あのモンスターを、一人で倒せると思ったのか?」
「いや、こりゃちょっときついかなーとは思ったよ」
 あっけらかんと答えた彼は、困ったような顔で眉根を寄せて己の金髪を梳くように掻いた。
「そこそこ戦って時間稼いだら、とっとと逃げようかなーとは思ってたんだけど……その、タイミング逃して……」
「タイミング?」
 問い返されて、ジタンは曖昧に頷いた。
 齧った木の実を下ろして、上目遣いにフライヤを見る。
「……あんたが、来ちゃったから……」
「……?」
 今一つ言われていることが理解できていないようである竜騎士に、ああもう、と少年は首を振る。
「だから……女の人が見てるのに、逃げるなんてかっこわりーじゃん……!」
 思わぬ発言に、フライヤは思わず絶句した。
 まさか。まさかこの少年が死にかけたのは、自分が来たせいだというのだろうか。わざわざ助けに現れたというのに、死にかけたのは少年が、「女性の前」での独特のプライドを発揮したためだというのか。
「……そ、そなたは……! 馬鹿者か!!!」
「うぅ……怒鳴るなよ……耳痛てぇ……」
 わざとらしく顔を顰めるジタンに、これでもかというほどフライヤもまた、不機嫌そうな顔を向ける。彼女が本気で怒っているということを察したらしいジタンは、慌てて両手を上にあげた。
「ご、ごめんって。悪かったよ。俺もドジ踏んで、結局あんたに迷惑かけたし……」
 呆れ返ったフライヤは深い溜息を吐き、ジタンから離れていくと、先ほどまで座っていた切り株に改めて腰を下ろした。鞄の中をあさり、自分の木の実を口に含む。
「……そなたに訊きたいことがある」
「なんだ?」
 うえ、渋い、などと呟きながら木の実を食べている少年を見つめる。
「そなたは何故旅をしておるのじゃ?」
「………」
 ふいに、ジタンの表情が改まる。暫しの間、無言で口をもぐもぐと動かしている。
「……マーカス、ブランク……」
 何気なく呟いてみると、少年は驚いた表情をした。
「……そなたが毒におかされているときに呟いていた名じゃ。他にも名前を呟いていたようじゃが……仲間か?」
 考え込むような仕草をしてから、漸く、ジタンは首を縦に振る。
「うん……仲間だな」
「つい口にしてしまうほど大切な仲間なら、何故その仲間のもとに帰らない? そこまでして旅をする目的は何なのじゃ?」
 また、沈黙がおりる。
 別段ジタンが機嫌を悪くしているようでもないのだが、どう答えたものかと考えているようにも見えた。フライヤは黙って、ただ彼の返答を待った。答えることができないと言われれば、もう追求する気はなかった。
 しかし、彼はとうとう口を開いた。
「……フライヤはさ……フラットレイって奴を捜してるんだろ?」
「っ!!!」
 フライヤの表情が急変し、立ち上がる。
「何故、その名前を…!? そなた、フラットレイ様のことを知っているのか!?」
 近づいてきて、ジタンの肩を掴む。
「教えてくれ! フラットレイ様は今どこに!? あの方は……!」
「っ……! 揺らさないでくれ、フライヤ……! 酔う……」
 そこで我に返った彼女は、慌てて肩から手を離し、少年の前で首を垂れた。つい、フラットレイの名を聞いて冷静さを失ってしまっていた。しかし彼の体には、まだ少なからず毒が残っているはずだ。体を揺り動かすなど、一番やってはいけないことだった。
「すまぬ……」
 小さく咳き込みながらも、ジタンは静かに笑った。
「……混乱させるようなこと言って、ごめん。俺、フラットレイのことは何も知らない。あんたが眠ってたときに、何度も呼ぶのを聞いてただけだから」
 初対面の段階で、ジタンはもう分かっていたのだ。自分が、フラットレイという名前の者を捜し求めているということに。
 少年は上を見た。木々の隙間から零れてくる太陽の光が気持ちいい。
「……俺も、それと同じなんだ。探してるんだ」
「何をじゃ……?」
 こちらを向いたジタンの目は、決意の光に満ちていた。
「……俺の生まれたところ」
 とっさに返す言葉が見つからず、フライヤは黙り込む。
 自分自身の掌を見下ろして、自嘲気味に笑った。
「……俺さ、子供の頃の記憶が何もないんだ。親の顔も、どこで生まれたのかも……何もない。気が付いたら俺は、ある人に拾われて、ある団の中に入れられてた。ブランク達とはそこで知り合ったんだ」
 寂しげに、目を細める。
「……でも、さ。意外と、故郷を知らないって、不安なんだ。俺は、故郷がどこにあるのかを知りたい……」
 俯く彼は、先ほどまでとは打って変わって、どこか危なげだった。一人きりで、何も覚えていない故郷を探す。仲間のもとを離れるほどに勇気を持っていたのだろうが、それでも、怖いことは沢山あっただろう。
「……ジタン……」
「なあ、青い光って、なんだと思う?」
 突然の質問に、え? とフライヤは尋ね返す。
「青い光。普通の光じゃなくて、ちょっと深くて、綺麗で、でも、なんか怖い感じがする光。俺が唯一、覚えてることなんだ。俺は海かなって思ったんだけど……」
 たしかに、海という選択肢もある。だが、一言に海と言っても、それでは故郷を探す手がかりにはなり得ないように思った。海の見える地域など数えきれないほどあるのだ。
「ま、わかんねーよな。……その点、フライヤが捜してるフラットレイっていうのを、フライヤはよく知ってるんだろ?」
 無論だと言わんばかりに、即座に頷いた。
 よく知っている。恋人として、普通の者以上に自分は、フラットレイと共にいた時間は長い。姿形は勿論、瞳の色も、ちょっとした癖でさえ知っている。本当に、彼の全てを愛していた。
「……なら大丈夫。フラットレイは、きっと見つかるよ」
 いまだにこちらを安心させるようなことを言うジタンに、呆れる一方で、有難いと思った。フライヤは頷く。
「……ああ。ありがとう、ジタン……そなたも……」
「俺も見つけるよ……絶対に。いつか帰るところ……」
 ゆるぎない決意がはっきりとみられる少年は、年齢には相応しくない輝かしさがあった。
 フライヤが、「ジタン」と声をかける。彼は不思議そうに首をかしげ、こちらを向いた。
「……しばらく、私と共に旅をせぬか?」
「え?」
「一緒に旅をしていれば、お互いに探しているものを見つけられるやもしれぬ……それに、二人の方が何かと都合も良いのではないかと思ってな。無理にとは言わぬが……」
「な、なに言ってんだよ!」
 いきなりジタンは立ち上がり、近くにあった倒れた木の上に飛び乗る。が、ひどい立ち眩みに足元をよろつかせ、豪快に転んだ。まだ安静にしてなければいけないような体で突然することではない。腰を打ったらしく、そこをさすりながらもフライヤを見上げ、へへ、と笑った。
「どこの世界に、女の人との二人旅を喜ばない男がいるんだい?」
 毒が抜けきっていないのに動いたことに関して慌てたフライヤは、彼を支えようととっさに差し出していた手を引っ込めて腕組みをした。その顔は、微笑んでいた。
「全く、そなたは……」
「よろしくな、フライヤ!! これからは、俺があんたのこと助けるよ!」
 ナンパのような科白に、また、フライヤは首を振った。
「そう動き回るな。もう少し休憩して、それから出発するぞ」
「んー」
 さすがにいきなり動き回りすぎたためか、頭痛を覚え始めていたジタンは、大人しくまた横になる。
 そんな少年を尻目に、フライヤは密かに嘆息した。
 既にもう、色々な面でジタンに救われたのを、フライヤは自覚していた。
 もう一度、フラットレイを捜そうと思えたのも、また立ち上がることができたのも。全て、少年に出会ったからだった。あのとき一人きりのままだったら、もしジタンが声をかけてくれなかったならば、自分はどうなっていただろう。
 ありがとう、と小声で言った。
 それが彼の耳に届いたかどうかは分からなかったが、ジタンは優しく笑んでいた。

   *   *   *

 小さな店であるにも関わらず、多くの客が賑わってそれぞれが談笑する中、彼女はスープを啜っていた。そのすぐ近くで、若い女性店員を飛空艇でのクルージングに誘っている、呆れた少年が一人いた。
 初めのうちはただ黙っていたのだが、彼女は溜息交じりに声を発す。
「そこの尻尾、他の客に迷惑だぞ」
 つい先ほどまで、わざとらしく整えていた表情を一変させ、少年はこちらを睨みつける。
「なんだと!? そういうお前も尻尾があるじゃねえか!」
 女は口許だけで笑い、またスープを飲んだ。
「私の尻尾をお前のと一緒にしないでほしいな」
 悔しそうにギリギリと歯を食いしばっている少年の方を、向いた。
 すると、彼は目を丸くして、ぽかんと口を開ける。
「久しぶりじゃな。ジタン」
 三年ぶりに出会った少年は、わざと彼女の名前を間違えて何度も呼んだ。
 いい加減にしろ、と女が目を剥き始めたあたりで、少年は、へへ、と笑う。相変わらずの調子で答えた。
「冗談だよ。いい女の名前は忘れないさ」


 この再会が、長い旅の始まりの一部であることを、竜騎士と盗賊は、まだ知らない。


fin.



ジタンとフライヤが酒場(?)で再会した際に、「久しぶりじゃな、ジタン」と声をかけてきたときは本当に驚きました。「あら、顔見知り?」と。それに対してふざけた対応をしながらも「良い女の名前は忘れないさ」というジタンに「この人女なの!?」とまた衝撃を受けたのも、今となっては良い思い出です。某笑顔の動画で実況とか見たら、多くの人がフライヤ姐さんを男だと勘違いしていて安心しました。女竜騎士ってかっこいいよね!

フライヤは旅の中でもかなり真面目なキャラクターという印象で、唯一、周りをちゃんと叱ってくれる存在じゃないかなと思いました。だってサラマンダーとか無視しそうだし、エーコだとめっちゃ背伸びしてる感じになるし、ビビはオロオロしちゃうし、ガーネットは……何か叱っても迫力なさそうだし……スタイナー?喧しい。(好きです)

でもくっそ真面目であけっぴろげというか、そういうジタンに会ったら何となく気を許すところもあるんじゃないかなぁという妄想でした。笑

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