Strawberry demanded that Death should help him.4



 所々に灯があるので、何とか足元が見える。しかし、はっきり言ってこの階段を下り始めて以降、“真っ暗闇”そのものであるので、これまでに足を踏み外す等の事故は起こらなかったのか、と疑う。自分自身、ここまでで何度か踏み外しかけている。実際口にして尋ねてはみたが、「そもそもここを通る人など、皆無に等しい」と返されたので、理解はいった。だから通りやすい形にする必要もない、ということだろう。今まさにそこを通る自分としては、なかなか辛いところもあるが、仕方ない。
 世界の裏側に行ってしまうのでは、というほど長い階段を下りきって、息を吐く。
「冷たいっスね」
「ああ、気付いたの?」
 くるりと振り向くのは、百余年振りという、曳舟桐生である。
 対し、浦原喜助は何気なく周囲を見た。
「ええ、さっき。…霊圧ですか?」
「そうね。半分正解。“彼”の霊圧の再燃を防ぐ為の、方法の一つ、とでも言っておきましょうか」
 地下監獄最下層第八監獄“無間”。
 この投獄刑に罰するのは、中央四十六室の役割であるが、実行するのは王属特務の管轄だ。よって、ここを訪れるには、零番隊の何者かに同伴してもらう必要があった。

『浦原喜助』
 元柳斎に呼び止められ、振り向く。
『おぬしには話がある』
 ああ、と思い出したように歩み寄ると、彼の目の前に、一人の死神が現れた。
『あなたは…!』
 浦原が、目を見開いた。
『曳舟隊長…!』
 灰色に金の刺繍が施された羽織が、目に焼きつく。
 桐生は、挨拶もそこそこに、話を切り出す。
『喜助。中央四十六室から、許可が下ろされたわ。面会時間は限られるけどね』
『じゃあ…!』
 真剣な様子で、はっきりと言葉を紡ぐ。
『これから、貴方と私の二人で、地下監獄最下層第八監獄“無間”に向かいます』

「にしても、随分歩きましたねぇ。丸一日以上は歩いた気がします」
「喜助の感覚は正常ね。丸三日よ」
「深いっスね」
「まぁ、“無間”だし」
 コツコツと足音が響く中で、桐生が徐に手を差し出し、
「破道の三十一、“赤火砲”」
 ボン、と小さくも鋭い音が鳴り、卵ほどの大きさの火の玉が、彼女の手の上に留まる。
 大きさにはそぐわない明るさが、二人を照らした。
「あとちょっとだけど、この先はもっと暗くなるから、ちゃんとついてきなさい」
「はい」
 そうして、再び歩き始める。

「そういえば、曳舟隊長」
「隊長じゃないって」
 あまり、もうその呼ばれ方は嬉しくないのか、浦原を睨んだ。
 それに少し気まずそうに目を伏せ、
「桐生サン」
「何?」
 “赤火砲”に照らされ、キラキラと光る金の刺繍を何となく眺めつつ、口を開く。
「浮竹隊長は、どっスか?」
 ビク!!
 突然、桐生の肩が跳ねた。
 暫しの沈黙がおりると、「えーと…」と浦原が明後日の方向を向く。
「…訊いちゃ、いけませんでした?」
「いや……その…」
 知る限りサバサバとしている彼女が、ここまで明らかに口ごもるのは珍しい。
 問いかけ方に問題があったか、と思い、言い直す。
「浮竹隊長は、元気ですか?」
「え、ええ! 元気よ!!」
 今回はどういうわけか、即答だ。
 ボソリ、と「………ていうか、怖いわ…」付け足す。
 どうやら王土の方で、彼と何かしらのことがあったらしいことを察し、「それはよかった」と答えておいた。
 やがて、一番奥の鉄格子の前で、二人は足を止める。
 桐生が、牢の中を照らした。中央に、口以外の全てを拘束具で固定した男が見えた。
「………誰だ?」
 掠れた声。言葉を紡ぐのも久しぶりであるらしく、呂律があまり回っていないようにも思えた。
「今日だけ、口の拘束具を外したのよ。口が聞けないと意味が無いでしょう?」
 訝しげにしている浦原に、説明する。
「その声は、曳舟か…」
「ええ。でも、あなたに用があるのは、私じゃなくて彼よ」
 浦原は密かに息を吸い込み、男に向け、鉄格子越しに声を発した。
「お久しぶりっス。……藍染サン」

   *   *   *

 コトリ、と置かれた湯呑みの中で、緑茶の水面が音もなく揺れる。
 夏梨と遊子はとくに怪我も何もなかったので、とりあえず学校に戻った。あの後、浦原商店に戻ってくるや否や、携帯から店の電話に、織姫、石田、チャド、たつき、啓吾、水色が立て続けにかけてくるのを対処したテッサイは、なかなかの被害者だった。まぁ、本人はマントを着ていたとはいえ、それは現世以外の世界からの感知を遮断するためのものだ。彼の結界から飛び出してしまえば、現世のいる誰もが、その霊圧には気付いただろう。電話をかけてきた彼等は、大学やバイト等がそれぞれ終り次第、各自浦原商店に集まるとのことで話を終えたのだった。また、たまたま現世で調査を続けていたらしい夜一も、異常な霊圧と彼の霊圧に気づき、浦原商店の方へ戻ってきた。
 ちゃぶ台の前に胡坐をかいて座った一護は、息を吐くと改めて彼等を見た。
「……ごめん」
「何を謝っておるのだ」
 ルキアは微笑む。
 彼は、記憶がないにも関わらず、自らの妹の危機を察知し、救った。このことで、どのようになっても、やはり一護は一護なのだということがよく分かり、安心する一方で嬉しくもあった。
「で、お前、思いだしたわけじゃあねーんだよな?」
 恋次が期待を滲ませて尋ねるが、彼は首を横に振った。
「ごめん」
「だから、何で謝るんだっての」
 顔を顰める。幾度も謝罪するのは、彼らしくないと思った。
 一護は少し頭を掻くと、
「…俺、やっぱり、そうみてぇだから、さ……」
 手をおろし、静かに呼吸して、掌を見つめる。
「…気付かなかったわけじゃねぇ。ただ、今の俺っていう存在にだけ、目を向けたかったんだ。そうやって、俺自身のことくらいは、よく分かっていたかった。虚圏には、俺を慕ってくれるヤツがいる。居場所はあそこなんだ・って。いていいんだ・って、思ってた」
 相槌もうたず、りりん、蔵人、之芭、コン、テッサイ、夜一、それにルキアと恋次は、無言で彼の声に耳を傾ける。
「だけど…時々、俺って何だろう・って、思うときもあった」
 天井を見上げる。
「さっき、あの二人の子供を助けて、無事なのを見て、凄げぇ安心して」
 淋しそうに笑った。
「それで、もう嫌でも、理解できたんだ。俺…何か、忘れてるんだ・って」
 湯呑みに手を伸ばし、一気に煽る。苦味が口中に残る。数回目を瞬かせ、ゆっくりと顔を上げた。
「あんたたちは、俺のことを知ってんだろ?」
 無論だといわんばかりに、彼等は即座に首肯した。
「なら、まず、『今の俺』について説明する。その後、『昔の俺』を聞かせてくれねぇか? 何がどう違うのか、確認してぇし…」
 ルキアに、目を向ける。
「とくに、あんたから聞きてぇ」
 彼女は頷いて、了解の意を示した。
「あと…」
「まだあんのかよ」
 決まりが悪そうにしている一護に、恋次が首をかしげる。
 少し視線を彷徨わせた後、
「……その…ごめん。あんたらの名前なんだけど……」
 どうやら、全員の名前が分からない、ということを言いたいらしい。「あんたら」と言ったときはルキア以外の全員に顔を向けたのだが、最後の方でチラリと彼女を見たので、何となくは覚えているけれど、ルキアの名前も確認したい、という感じだった。
「私は、握菱鉄裁(つかびしてっさい)と申します」
 巨体を折り曲げ、お辞儀をする。なかなか顔が近いので、あまりの言い知れぬ威圧感に、一護はたじたじになりつつ何度も頷いた。
 ひよこ、亀、ウサギの三つの人形が彼の前に並ぶ。
「あたしは、りりん」
「……之芭だ」
「私は蔵人です」
 人形が動いていることを不思議に思っているのか、今度は眉根を寄せつつ頷く。
 遅れて、三つの人形の隣りに、新たなライオンの人形が立つ。
「俺様は、コンだ」
 いつもはやいのやいのと五月蝿い彼だが、一護を混乱させまいと思ったか、コンは無駄な言葉を並べず、実に簡潔に済ます。
「儂は四楓院夜一。“瞬神”の異名を持っておる」
 元・二番隊隊長兼隠密機動総司令官であることも言おうか迷ったが、今言ってもほんの僅かも今の一護には理解できないと見て、当たり障りのないところを自己紹介に加える。
「俺は阿散井恋次。今は三番隊の隊長をやってるが、オメーが知ってる俺は、六番隊の副隊長のときだ」
 言いながら、隊首羽織を脱ぐ。できるだけ、外見を四年前に近くしようとしているらしい。長くなった髪の毛は、どうしようもない。
「私は朽木ルキアだ。私も、今は九番隊の副隊長だが、貴様の知る私は、十三番隊の隊士だ」
 恋次にならって、彼女も副官章を外した。こちらもこちらで、長くなった髪の毛は、どうしようもない。
「握菱に、りりん、之芭、蔵人、コン…で、四楓院に、阿散井に、朽木な」
 全員の名を順に呟き、よし、と膝を少し叩くと、テッサイに言った。
「紙か何か、あるか?」
「少々お待ちを」
 数分の後、テッサイはスケッチブックとペンを持って居間に戻ってきて、それを一護に手渡した。
 彼はペンのキャップを外すと、スケッチブックを開く。
「じゃあ、とりあえず一応、説明するな」
 用紙の左上に、“虚圏”と大きく書く。
「まず、俺は、破面No.159、ナリア・ユペ・モントーラ。虚圏で、バートン・ヒャド・レニツァの統べる破面軍の一人だ」
 非難するように見られ、視線をそらす。どう思われても、これが自分のよく知る「自分」だ。一護は、一番上んところに“バートン・ヒャド・レニツァ”と記す。そこから、太めの線で下へと引いて、九本にまで枝分かれさせる。
「基本的に、かつて藍染の下についていた破面が、身を寄せ合いできた団体だ。その上位にいるのが、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)。それが、こいつらだ」
 枝分かれした先に、ドルドーニ・アレッサンドロ・デル・ソカッチオ、チルッチ・サンダーウィッチ、ガンテンバイン・モスケーダ、ティファニー・リック・コム、ユウ・フェーン、ガレット・スミザーハース、ナリア・ユペ・モントーラ、と残りの二つの空白には“?”と記した。
「…分かんねぇのか?」
 恋次が首をかしげながら尋ねる。
「……たてついたせいで、藍染に殺されたってガレットは言ってた。なんか、斬魄刀の能力で訳わかんねぇようにしたんだってさ」
 藍染の斬魄刀といえば、完全催眠の能力をもつ鏡花水月に他ならない。なるほどあれならどうにでもなりそうである。
 一護は続いて、ドルドーニ、チルッチの二人の名前の上から、大きく×印を書いた。
「この二人は、葬討部隊(エクセキアス)に殺されたらしい。…まぁ、それが、こいつらの仕事だしな…」
 枝分かれの数を増やし、更に下の方へと線を引いて、再び枝分かれをさせる。一番左にロリ・アイヴァーン、一番右に従獣(ヘラミエンタ)と記す。
「ロリはバートンが保護した破面。放浪してたとこを発見してな。そういえば、さっきのガンテンバインもそれだ。で、従獣の方が、簡単に言えば俺達破面のペットだ」
 手を止め、紙から視線を外し、顔を上げる。
「ほら、さっき、あの二人の子供を襲ってたデケぇやつ。あれがこれだ」
 ペンの先で、トントンと文字を叩く。
 納得したように、彼等は頷いた。
「他にも多分色々あるはずだけど、俺の知ってる範囲だとこの程度の組織図だな…」
 書いてみて、初めて自分にあまり有益な情報が与えられていないことに気付き、歯噛みした。ペンのキャップをとり、しめる。
 普段の規模から言って、ここまで組織図が小さいはずはないのだ。自分が明らかに、いた場所のことのほとんどを伏せられていたとしか思えないレベルだった。
「…俺達十刃落ちは、大体藍染が崩玉を手にするまでに最大級大虚(ヴァストローデ)から成体になった。だから、崩玉で完成度の高くなった破面に十刃の位を譲ることになった。バートンは、破面の多くを殺した死神と、俺達をゴミのように扱った藍染に復讐するのが目的らしい」
 一同を見回す。
「………ここまでで質問はあるか?」
 ルキアが考える仕草をし、
「それは、貴様の記憶にあることなのか?」
 もしそうなら、まず一護は自分が元々十刃であった・という嘘の過去に捕らわれてしまっていることになり、本来の自分を取り戻すことは困難になるだろう。
 しかし、幸い彼は首を横に振った。
「全部、バートンとガレット、ティファニーあたりに聞いたことだ。俺は、虚夜宮が崩壊した後、どこかで気を失ってたところを凄い後になってからバートンに保護されたらしくて、その寝てた時間が長かったから混乱してるだけって聞いてた」
 一瞬ルキアは眉間に皺をよせ、しかしホッと息を吐いた。
 記憶を操作するという能力は、破面側は持ち合わせていないらしい。
「…あの、保護されたってのも、混乱してるだけってのも、普通に信じてたんだけど…あんたの様子じゃ、それも嘘なのかな」
 辛そうに笑う一護を見ていられなくて、彼女は俯いた。
 そこで、恋次が「なぁ」と口火を切る。
「お前、No.159って言ったよな? 元はいくつだったとか、知ってんのか?」
 彼はまた肩を竦める。
「知ってるけど、それもティファニーから聞いたんだ。元々はNo.4。ウルキオラ・シファーとか言うやつと交代したって」
 あまりの言葉に、つい、息を呑む。
 一護がキョトンとするが、ルキアは低い声で言った。
「貴様……それも、ずっと、本当だと思っていたのか…?」
「え? あ…ああ…まぁな…」
 何て、嘘なんだ。
「貴様は、あやつを、井上を、ウルキオラから命懸けで……!」
 ウルキオラとの戦いのことは、織姫と石田から詳しく聞いていた。
 一護の胸に穴が空けられたこと、底から完全虚化することで復活し、ウルキオラと戦ったこと。結局、ウルキオラと決着はつけられなかったこと。そして最後は、互いに納得のいかない、虚しいものにしかならなかったということ。
 その激闘も、一切覚えていない。伝えられた嘘は、そのウルキオラと交代しただけという、軽すぎる内容。あまりに、許しがたかった。
「まぁ、落ち着け」
 後ろから声をかけられ、ルキアがピクリと反応する。
 夜一は、あくまで自然に、
「事実は変わらぬぞ」
 遠まわしに嗜めた。
 沈黙がおりると、一護は手に持ったままだったペンを、ちゃぶ台の上に放った。スケッチブックの上を、コロコロと転がる。
「今の俺が言えるのは、これくらいだ」
 全員浅く頷くと、ルキアは懐から、B5版ほどのノートを取り出し、口を開いた。
「では、今度は我々の知る貴様について説明する」
 ペラリ、と一頁目を捲った。
 ルキアが、ノートを彼に見えるように持って支えた。同時に、一護の顔が強張る。しかし、そんな様子もとくに気にしないで、恋次が口を動かし始めた。
「テメェの名前は、黒崎一護。霊感のクソ強い人間で、高校生だ」
「くろさき、いちご……」
 復唱する。多くの死神達に叫ばれた名前だ。さすがに、覚えた。
 改めて二人を見る。やはり顔は強張った。
「だが、貴様は幼い頃に、母親を亡くしている」
「………え?」
 予想外の言葉に、一護が目を丸くする。まず、未だ自分は破面である気がしているゆえに、「母親」などという存在があることにもだが、更にその「母親」という存在が死んでいる、という事実にも、身に覚えはなく、無駄に驚いた。
「幼少のときから、霊力が強かったから目をつけられたのだ。そして、五年近く前にも、貴様の家族は虚に襲われた。そのとき、貴様は何も術を持たぬというのに無茶をしたのでな。私も傷を負った」
 ふと、一護は思い出す。
 現世にやってくる前、虚圏で見た夢。そのときに血まみれになっていた、一人の女の姿。すべてセピア色で、状況もよく分からなかったけど、あの女は、何かを自分に喋っていた。それに、自分は「当たり前だ、あるのか方法が」と叫んだ。一体、何を言ったのだろう。夢で見たものを、必死に思い出す。
「……一護?」
 ルキアが不思議そうに声をかける。
 ゆっくりと、一護の口が開いた。何かを言うのかと思えば、結局無言のまま口を閉じる。やがて、再び開く。
「……か……」
 夢の中の、女の唇の動きを思い出し、真似る。
「か……ぞ、くを………たす………け…たい、か……」
「!?」
 思わず、ルキアが身を乗り出す。
 覚えている。これはたしかに、自分が、初めて会った一護に向けて発した言葉だ。
「…一護…!?」
 しかし、彼は額を押さえ、頭を振った。
 雨の中で感じたものよりは軽いが、そこに痛みがある。このままでは、また意識が飛びかねないと思い、「悪い」と軽く手を挙げた。
「やっぱダメだ。……話、続けてくれ」
 ルキアは、戸惑いつつも頷く。改めてノートを持ち直した。
「その、虚に襲われ、私も動けないとき。たった一つの手段として、私が貴様に、死神の力を分け与えた。そして黒崎一護は、人間でありながら死神となったのだ」
 またペラリ、とめくられた。
黒髪のカツラをかぶり、黒い着物を着た(状況的に死覇装)謎の生物(耳が長いので多分ウサギ)が、柱によりかかった様子がある。その手には、刀(つまようじにも見えるが、鍔を思われる突起があるのできっと斬魄刀)が握られており、切っ先の向いた方向に、灰色の服(十中八九、空座第一高等学校の制服)を着た、オレンジ髪のカツラを被った生物(耳もないので特定不可)が困り顔で立っている、そんな絵が描かれていた。
「これが、すべての始まりだろう。…分かるか?」
 ルキアが問いかけると、一護は明らかなウンザリ顔で言う。
「……絵がなけりゃな…」
 ガゴン!!!
「ってぇ!!!」
 ノートを思い切り投げ飛ばされ、丁度角が頭に直撃したので、痛みに悶える。
 腕組みをし、不機嫌な顔をしつつ、
「説明を続けるぞ、一護」
 コホン、と咳払いをする。
 そこから、全てを語った。死神の力の譲渡は重罪であり、ルキアが尸魂界で罰せられることになった際、一護が助けに向かったことから、藍染を倒すべく、最後の月牙天衝“無月”を使い、霊力を失うことになったことまで、全て。勿論、霊力を失うまでにあった、霊骸の事件のことも話した。
 一護はただ黙って頷いていたが、ふと気になることが頭に浮かんだ。
「えーっと…その、“斬月”ってのが、俺の…」
「ああ。テメェの斬魄刀だ」
 恋次の言葉に、一護は、傍らに置いた自らの斬魄刀を手にした。
「…もしかして、その斬魄刀…名前、違うのか?」
 尋ねられ、言葉もなくそれを眺めていた彼は、小さく首を横に振った。そして、ポツリと一言。
「……知らねぇ…」
 そんな馬鹿なことがあるか、と自分に向けて、声には出さず叫ぶ。瞳を揺らし、必死に自分の記憶を辿る。しかし、どんなに頭を回転させても、それらしいものは一切出てこない。
 いっそ、今聞いたばかりの“斬月”という名でも良いのに、それも記憶に残ってはいない。

 ――――前を見―。進め、―っして立―止ま―な。

「っ!!?」
 ガシャン!
 ちゃぶ台の上に、倒れこむようにして伏す。頭を両手でおさえ、痛みに耐える。ガチガチと、震えるに伴って鳴る歯を、鬱陶しく感じながら、荒く息を吐き出す。
「一護!!」
 ルキアの声に、慌てて目を開く。激しい動悸に、呼吸を乱しながらもゆっくりと体を起こした。不安そうに揺れる目が、縋るように、こちらを見ていた。
「朽木………」

 ――――悪い。キツかったろ。

 かつての師・志波海燕と、大きく被るものがあり、思わずルキアは息を呑む。しかし、すぐに我に返り、
「……あまり、焦るな」
 安心させるように、できるだけ優しげな声で言う。
 しかし、一護は未だに泣きそうな表情で、彼等を見回す。
「ゆっくり思い出しゃいい。…ちなみに」
 恋次が腰を浮かせ、鼻と鼻がくっつくのではというほど、彼に顔を寄せ、尋ねた。
「…お前、まだ俺達のこと、敵だと思ってんじゃねぇだろうな?」
 少しの合間はあったが、意外にも一護は、口許に笑みを浮かべた。随分久しぶりに見せた、仲間へのものだ。
「答える必要は…あんのか?」
 四年前と変わらぬ、生意気な物言いに、つい口角が吊り上がる。

   *   *   *

「…つまり」
 掠れた声で、呟く。
「黒崎一護が死に、魂魄が行方不明となって数日、破面の姿で現れた。しかし、成体となるにしても、この早さは有り得ない。そして、“崩玉”がもう一つ存在する、と…」
 拘束具があるために見えないが、藍染の目がこちらに向けられたように思えた。
「仮定したわけか」
 彼の言い方に、眉根を寄せる。
「まるで、あくまで全てそれは、仮定の事象である・とでも言いたげっスね」
 浦原は目を細める。
「あれを開発したのはアタシですが、実際に“崩玉”を保持し、覚醒させてきたのはアナタっス。アナタがこうなる前に、何かしら仕組んでいた。…違いますか」
 唯一、拘束されていない口の端が、くっと上がる。
「驚いたよ。まさか君の口から、そんな科白が吐かれるとはね。浦原喜助」
「……どういうイミっスか」
 平静を装い、尋ねる。本当は、かなり混乱していた。これでは、今まで恐らくこうであろう、と推測してきたもの全てが間違っているといわれているのと、同じではないか。しかし、短期間で一護が破面となるには、この仮説が一番有益だと思われていた。間違っているのなら、再び全てが謎に閉ざされることになる。
 案の定、藍染から、こういった言葉が発せられた。
「問いの答えは、“いいえ”だ。私は、“崩玉”の分離・増殖には成功していない」
 成功していない、と言うからには、恐らく試みたことはあるのだろう。
「私は“崩玉”の意思に従ったまでだ」
 たしかに、藍染は事実を述べている。
 “崩玉”の『藍染を主として認めない』という意思により、彼はこうして“無間”にいる。彼とて、“崩玉”の意思に背くことはできなかったはずなのだ。後にも先にも、である。
「黒崎一護の破面化には、もっと別の原因がある。そして今回は、私も関与してはいない」
 理解できたかな、という藍染の声が、遠い。
 これでは、本当に振り出しだ。ならばどうして、一護は短期間のうちに破面化した? “崩玉”が二つなければ有り得ぬこと。しかし、彼の言葉が全て本当なら、“崩玉”なくして、短期間で成体の破面をつくることなど、可能なのか。
「喜助」
 ハッとし、隣りを見る。
「面会時間、そろそろ終わりよ。もういい?」
 世界を一時は窮地に追いやった大罪人との面会に、そうそう多くの時間を割くことができないのは当然だ。それに、もうこれ以上話したところで、新たな情報はないだろう。
 混乱する頭を一度休ませ、頷く。
「はい。藍染サン、お邪魔しました」
 桐生と共に踵を返した矢先、「浦原喜助」と呼ばれて、足を止める。
「何スか?」
 一度、息を吐くような音がした。
「……雛森くんは、どうしている?」
 驚き、焦った。そんなことを問いかけてくるとは、思わなかった。
「元気ですよ。それがどうかしました?」
「いや」
 ふー、と。また、今度はとても長く、息を吐く。
「…ほんの、暇つぶしで訊いただけさ」
「もういい? 行くわよ」
 歩き始めた桐生について、彼も歩みを刻み始める。
 その、後方の鉄格子の奥からの小さい声が、辛うじて、浦原の鼓膜を震わせた。
「それは、良かった」
 一瞬だが、浦原は首を回して彼を見た。
 灯りもなく、暗くて何も見えないけれど、それでも、見えた気がした。実に久しぶりだ。何年ぶりだろう。五番隊隊長の、藍染惣右介の声を聞くのは。
 もう聞くことも無いだろうな、と思う。
 ガシャン、という音が聞こえてきた。拘束具を付けた音かもしれない。
 桐生についていきながら、思った。先ほどの言葉は、偽りではないことを祈ろうと。




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