更生の時間

トト | update : 2016.7.4
暗殺教室、最終回のその後。私立極楽高等学校に教育実習に来ている渚の話。


「殺せるといいね! 卒業までに」

 初めてだった。
 いや、初めてだと、そのときに気付いた。




 私立極楽高等学校・三年五組。まあ見ての通り、勉強なんかクソくらえ、自由に生きるのが自分達の生き方、法律だ何だ関係ねえ。俺らの前にたてつくやつはぶっ殺す。そんな生き方をしてるハズレ者が集まったクラスだ。
 そもそも、別に進学校ってわけでもねえし、元々校則が緩い事と、教師の方が生徒にそれほどの関心を向けていないことも相まって、当然の様にこの学校は全体が荒れていた。無論俺のいる教室は中でも格別なわけだが。
 あるとき、俺らの教室に教育実習中だというクソガキが入って来た。教育実習ってんだから、俺らより年上なんだろう。だが教室に入ってきたとき、すぐに、やつは「的」にされた。当たり前だ、あんな細い上にちっせぇ身なりして、童顔ときた。ガタイがいいやつが多い分なよっちいのは目立つし、声もぼそぼそと小さい。ガンつけられただけで半泣き。俺からしてみてもうざってぇ。女みてえだ。
 こんな、世の中でつまはじきにされるような「ハズレ者」の俺らに教育だ? 馬鹿馬鹿しい。何だってこんなやつが、わざわざ三年五組で教育実習をすることになったのかは疑問だが、知ったことか。俺らに教育は必要ない。どうせ社会では俺らみてえな人間は「いらない」んだ。さっさと、場違いな野郎はここから、出て行け。
『俺らに命令すんじゃねえ。殺すぞ』
 この言葉を投げかければ、こんな弱そうな、小動物のようなやつ、すくみあがって飛び出していくに決まってる。……と思っていただけに、ぽかんとした顔になったそいつに、今度は俺が眉をひそめた。
 ビビるとこだろう、ここは。なのに何でそんな、気が抜けた様な顔をしてやがる?
 ――――ピリッ、

(……あ…?)
 微かにそいつが、目を覗かせた。肌が痺れているような、いないような、妙な感覚。何だ? と、このときは思った。
 何かおかしいと、俺は警戒心を強めた瞬間だった。身体を突き抜ける様な衝撃、そして麻痺。頭が真っ白になり、身体が仰け反る。何が起きたのか、全く分からなかった。気が付いたときには、俺が脅していたはずの教育実習生は、俺の背後を取り、首に指をあてていた。俺はどうしても体を動かすことができなかった。足やら腕やらを振り回しゃ、こんなやつ、振り払うのは簡単だったはずだ。だが、全身が金縛りにあったように、俺は何もすることができなかった。
 椅子に俺を軽く座らせたそいつは、相変わらずの小動物の顔で、へらりと、敵意の無い笑顔で、言う。

『殺せるといいね! 卒業までに』

 そしてこのとき、俺は初めて気付いた。
 さっきの妙な感覚。――――“殺意”だ。

 俺らみたいな「ハズレ者」は、喧嘩も勿論日常茶飯事なわけで、「殺す」と言えば文字通り……
(―――――っ!)
 ………殺したことが、あるか?
 いくら「殺す」と言っても、実際に殺してしまうことは至極稀だ。「殺す」ことが、道徳的に悪い事だと考えられているから。法律で裁かれもするし、そうしたら自由に生きるだなんだという話ではなくなってくる。だから、俺らみてえな血の気の多いやつの場合、「殺してしまう」ケースはあっても、実際に「殺す」と宣言して「殺す」ことは稀で。「殺す」とは、脅しであり、それでひれ伏すやつは多い便利な言葉でしかない。実際に行うとして、半殺しだ。爪を剥がそうが腕や足の骨を折ろうが、一応、命だけはとらない。最低限の人間としての「善」の部分とでもいうのか。
 そこで、ぞくりと背筋が寒くなる。

 ……何故、あんなクソガキが、喧嘩なんかしたこともなさそうなクソガキが。
 ……本気の殺意を向けられる?
 想像する。俺の首にあてられた、奴の指。あの指がもし、刃物だったら? そしてクソガキに、俺を「殺す目的」があったとしたら?
 結論に行き着くのは早かった。周りの奴らが動揺しているが、直に指をあてられた俺には分かる。確実に、殺されていた。
(……何者なんだ、こいつは)
 一度は、リーダー格である俺がやられたことに対して動揺が広がっていた教室だったが、次第にいつもの調子を取り戻し始めて、授業の中盤からは怒号やら教科書やらが飛び交っていた。
 だが、この教育実習生のやばさに気付いた俺は、同じように騒ぐ気には到底なれなかった。
 お前ら、豪く騒いでて殺されねえの、多分こいつの良心だって気付いてるか? さっきからお前らが投げてるもの、教科書は勿論、消しゴムでさえ、全部躱して、かすりもしてないことに、気付いてるか?
 そんな思いで、俺はそいつらを見つめていた。

   *   *   *

 教育実習が始まって……つまり、教育実習生が俺らのクラスに来て、三日目。
 教室のドアをがらりと開けて入って来るあいつに、俺の取り巻きの一人が飛びかかる。だが、それを平気な顔で躱した。驚く素振りもなく、まるで開ける前から気付いていたかのように。二日目のときは物を投げて躱されたから、なら教室に入ってきた瞬間に殴ってやればいい、という結論を出して決行したのだ。……自分でも思うが、俺らは本当に単細胞だ。勉強してねえんだから、当たり前っちゃ当たり前だが、若干呆れた。
 教育実習生が躱した結果、取り巻きのやつはその横にあった柱に派手に激突し、鼻血を出して悶絶した。そこでやつは屈みこむ。
「わ、ちょっ、大丈夫!?」
「うるっせぇ! てめぇが躱しやがるからだろうが!!! このクソガキ!!!」
 鼻血をまき散らしながら、拳骨を繰り出す。それを教育実習生は、軽く受け流した。完全に見切っている。ポケットティッシュを取り出して差し出し、
「あはは、ごめん……」
 でも、とそいつは付け足す。
「それなら、僕が躱しても自分が怪我しない方法、選んでほしいな。今は鼻血で済んでるけど、大怪我したら大変だからさ」
「………ぐっ……!!!」
 やり場のない苛立ちをぶつけるように、床を叩いた。
 俺は何も言わずに、じっとそいつを観察した。机は横に全て避けてある(というかぐちゃぐちゃに置いてある)が、一応、この教育実習生が来ると誰からともなく椅子には座る。初日で、やばさには多少気付いているのかもしれない。が、飛びかかって行く奴らは俺以外の全員だ。だからやはり、一番生々しく感じてるのは俺だけのようだ。
「じゃあ授業を始めるよ。…と、その前に」
 コン、とチョーク入れを叩く。一昨日と昨日の同じ行為をするなら、チョーク入れの中にあるチョークを取り出すところだ。黒板の前に出してあるチョークは大抵、俺らの手によって粉々にされているからだ。
 周りの奴らの何人かが、ギクリと表情を強張らせる。
「ここの中に、刃物入ってるでしょ? 開けた途端飛び出して来たら怖いし、誰か処理してくれると嬉しいな。僕、どうなってるのかまでは分からないし」
 ごめんね、と頬を掻いて笑う顔が腹立たしい。っていうか、「どうなってるのかまでは分からない」って、寧ろ刃物が入ってるところまでは何で分かるんだ。
 観念した奴が、しぶしぶ、チョーク入れに仕掛けたトラップを解除しに向かう。それを眺めながら、俺は呟いた。

「………気持ち悪りぃ……」

 不気味だと思った。





 そんな、不毛な日々を続けて、一週間。俺は、例の教育実習生が面白くないと感じて、わざと遅刻して登校した。だが、よりにもよってそいつと、廊下で鉢合わせる。
「わっ、吃驚した!」
 目を丸くしている相手に、舌打ちをする。
 こうして見ると、わけがわからない思いが増す。俺らの暴力はほいほい躱すくせに、何だってこういう場で鉢合わせるのは驚くんだ。教室に来ることで警戒心を芽生えさせ、ああいった行為ができているのではと思いもしたが、それは違うのは分かってる。実際、教育実習生が帰るときとか、逆に来るときとかに、教室にたどり着くまでに奇襲をかけたことは何度もあった(って、周りからは聞いている)。しかし全て結果は不発。頭を抱える子分たちを見るのもそうそうあることじゃねえし、まあ、面白いと言えば面白かった。けど俺が不気味に感じているのはそこじゃねえ。さしずめ、避けることができるのは所謂「殺気」や「敵意」ってもんを敏感に感じ取って逃げてるに決まってる。だが、問題は、こんななよっちいやつが、一体どこで、そんなもんを敏感に感じ取れるようになるほどの修羅場を潜り抜けて来たか、だ。
「遅刻?」
 俺は無視をして教室に向かう。教育実習生は、慌てて俺を追いかけ、並んで歩き始めた。何が嬉しくて俺はお前と歩いてるんだ馬鹿か。
 にも関わらず、そいつはへらへらと人の好さそうな笑顔を浮かべやがって、返事をしないにも関わらず俺にあれこれ声をかける。なんなんだ、本当に。俺なんかと話したところでてめえにメリットは何もねえだろう。一ヶ月もすりゃ、てめえはこの学校からいなくなる。たかが短期間の接点なんざ大切にすることもねえだろう。
 ひたすら無視を続けて教室へつくと、中が妙に騒がしい事に気付く。
「?」
 騒がしいのはいつものことだ。だが、今日はいつもと、違う。
 訝し気にしながら俺がドアに手をかける。――――と、
「んなっ!?」
 首根っこを掴まれ、強引に後ろへと引っ張られた。無様にも尻もちをつく形になった瞬間、ドアが全開きになる。とたんに、箒が物凄い速さで吹っ飛んできた。教育実習生に引っ張られ、転んでいなければ、派手に顔に当たってたはずだ。隣を見れば、勿論、教育実習生も腰を低く屈めて躱していた。その目に灯る光は、先ほどまでのなよっちいクソガキからは想像できないものだ。
 教室の中では、クラスの連中の中でも、暴れん坊である二人が豪快な喧嘩を繰り広げていた。恐らく止めようとしたやつは、口許から血を流したり、割れた眼鏡を片手に呆然としていたりと様々。
 俺らは不良ってやつなわけで、そんな奴らが喧嘩をすりゃ、警察沙汰になることは珍しくない。前にも、こういった喧嘩をして、学校と退学していった奴もいた。これだって俺らからすりゃ日常の一つだ。ただ、ここまで暴れん坊の二人が喧嘩をしたことはなく、箒が飛んできたこともほとんどない。今までで一番派手な喧嘩だろう。
 多くの喧嘩を経験している俺は本能的に、やべえな、と思った。どう見ても、双方が目が血走っていて、完全に激情に任せて喧嘩をしている。片方が死なない限り止まらない可能性だってある。よくニュースか何かで聞く、「ここまでやるつもりはなかった」とか、「死ぬとは思わなかった」とか、そういうときの状態だ。

 ―――ぱさ、

 出席簿と教科書と参考書が、落ちる。
 俺が半ば呆けた状態で顔を上げたとき、教育実習生は勢いをつけて、教室の中に飛び込んでいくところだった。その背中を見たとき、不思議と俺には「何か」が被って見えた。とてつもない、教育の精神をまとった、それでいて「殺し」の何たるかを心得た、アンバランスで、だが妙に「生徒を大切に想う」、怪物のような―――
 喧嘩をする二人の間に、真っ向から、割り込む。目を丸くした、喧嘩をしていた二人の馬鹿。
「あ」
 教育実習生の間の抜けた声が聞こえてすぐ、ぱぁん、と何かが破裂するような音が響いた。
 傍目だとただの猫騙し。だが、仰け反って体を痙攣させているあいつらを見て、俺が初日に食らったのはこれか、と思った。だから、恐らく「ただの」猫騙しじゃないんだろう。
 だが二人は、俺のときほどのダメージを喰らっていないかのように、すぐ体を起こした。懐から取り出したのはポケットナイフ。それを、全力で振るう。相手は勿論、喧嘩している同士。だが、それを、どちらを庇うというのでもなく、しかしどちらにも刃が届くことがないように、再び教育実習生が間に、強引に割り込んだ。刃が教育実習生の頭を掠めた。床を血が濡らす。しかし怯まずに、二人の腕をまとめて掴むと、教育実習生は叫び声をあげながら渾身の力で捩じ上げ、ポケットナイフを叩き落とした。そして、そのまままとめて二人を、強引に床へと倒す。全身を投じた勢い任せの、かなり無理矢理な技だった。今度こそ、喧嘩していた二人は呆けたように、倒れたまま天井を見上げている。それを押し倒している形で、息を切らせた教育実習生が見下ろしていた。
 ぽたぽたと、教育実習生の頭から流れ落ちる血。それほど傷は深くはねえだろう。だが人間の頭ってのは、大事な部分であるためか、一回切ると、浅くとも結構な血が出て、それほど危険でなさそうでも危険信号を報せて来る。
「――――……るな」
 震えた声で何事かを紡ぐ。「あ?」とやっと我に返った様子の、倒された二人は鬱陶しそうに訊き返した。そして、


「殺す覚悟もないのに殺しの真似事なんかするな!!!!!!!」


 この一週間、一度も聞いたことのなかった教育実習生の怒号が、教室中に響き渡った。ぎらつく目。驚いている様子の二人の胸倉を、教育実習生が乱暴に掴んだ。自分の頭から流れる血を、拭おうともしない。
「喧嘩をするなとは言わない! でも喧嘩をするならお互いが満足する喧嘩をするんだ!! 殺した後の後悔も想像せずに、衝動的に殺そうとするな!!!」
「な、……な、……」
 呆けていた、喧嘩していた二人が次第に、いつもの柄の悪い言葉を吐こうとする。が、何なんだろうな。
 俺は立ち上がって教室に入り、そいつらの前に立った。そしてその、吐こうとされた言葉を遮断するように言ってしまった。
「お前らの負けだよ、ばーか」
 二人が黙り込む。喧嘩していたときは感情的になっていたから、俺が止めたところで聞かなかっただろう。だが、今は幾分冷静になっているらしい。リーダー格の俺に逆らおうという姿勢は見せなかった。俺が「負け」と判断したんだから、こいつらは「負け」を認めるしかねえんだ。
 不良の世界ってのも、上下関係の面で言や、随分と単純な世界だからな。
 俺は次に、教育実習生に視線を移した。
「おい。あんたも保健室行ってこい」
 胸倉をつかんでいる手が、震えているのが見える。怒りで震えているのか、それとも俺達みてえな不良を叱って、あとの復讐に恐れているのか。………まあ、前者だろうな。
「俺達ゃ世間で言う不良だろうがな、血を流してる教師が授業してんの見て喜ぶとか、そういう悪趣味なもんでもねえのよ」
「…………」
 ゆるゆると、手を離す。ふらつく様子で立ち上がって、教育実習生はちっせぇ声で、
「……ごめん、今日は……自習で……」
 ふらつきながら、教室を出て行く。教室を出たとたん、逃げるように保健室のある方向へと、走り去っていく。
 点々と落ちている血を見て、意外と傷が深かったかもしれねえと、俺は思った。ふと、喧嘩していた二人を俺は振り返った。もう教育実習生もいなくなってんのに、未だに起き上がろうともしねえ。
「……お前らなにしてんだ」
 不審に思った俺が、問いかける。すると、二人は言った。
「…………誰かに怒られたの、チョー久しぶりだったわ……」
「俺もガキのとき万引きして、母ちゃんに叱られて以来……」
 ガキの頃からろくでもなかったんだなぁと、自分のことを棚に上げて俺は呆れる。
 続けられた言葉。
「やべ、俺、クソ女々しいんすけど。結構、凹んだ……」
 先ほどまでの喧嘩の激情は何処へやら、だ。
 文字通り、悪戯を叱られた子供のごとく、妙に拗ねた顔をしていた。



 下校時刻を過ぎても、俺は裏門の近くで暫く煙草を吸いながらうろうろしていた。他の連中はいつも通り、ゲーセンなりバイクなりしに行ったんだろう。下校するときにゃ、何事もなかったかのように、いつも通りにしてたしな。
 学校から教育実習生が出てくるのが遠目に見えた。額にはガーゼをあてている。
 俺を見つけると、驚いた様子で足を止め、固まっていた。だがすぐに、へらりと笑う。いつも通りの、いけすかねえ、小動物みたいな笑い方だ。
「………どうしたの? 帰ったんじゃなかったんだ?」
「あんたに聞きてぇことがある」
「僕に?」
 少し思案顔になると、教育実習生は肩を竦める。それが、話を聞くことに対して、よしとする回答だと気付くことは、簡単だった。




「はい」
 近場の公園のベンチで腰を落ち着けた俺達だったが、教育実習生は少し待ってて、といなくなっていた。戻ってきたら、缶コーラを俺に差し出してきた。どうやら公園の入口のところにあった自動販売機で買ってきたらしい。とりあえず貰えるもんは貰っとく。俺はそれを受け取り、視線を前へと投げた。
 教育実習生は、きもち俺から距離を置いて隣りに座った。多分不良である俺が怖えんだろう。まあそうなるのが普通だろうなとは思う。
「それで、話って何?」
「何で喧嘩を止めた」
 聞きたいことは山ほどある。だが、最初はここからだ。話に入りやすいし、気になっていたのも事実だ。
 教育実習生は困った様に笑った。
「何でって、普通、止めるものじゃない?」
「俺らはハズレ者だ。ああやって刃物を喧嘩で出すことだって珍しくもなんともねえ。そんな不毛な喧嘩を止めようとする方がバカだってんだ。利口なやつは割り込んだりしねえよ」
「あの、ごめん、ちょっと待って、ハズレ者って?」
「はぁ?」
 俺はきょとんとした顔で此方を見て来る馬鹿野郎に、思い切り顔を顰めて見せた。ハズレ者はハズレ者だろうが。
「一般常識からも道徳からも社会からも外れた…ようは、障害だよ、障害。俺らみてーなまともな生き方してねえやつらのことだよ」
「君達生徒をハズレ者だなんて思ったこと、ないよ?」
「っ!!!!」
 ガン、と思い切りベンチをぶっ叩いた。教育実習生の肩が跳ね上がる。睨みつけた。
「そーゆーとこが気に食わねえってんだよ。思わないわけねえだろうが、何なんだよてめぇは」
 めき、と音が鳴る。缶コーラを握る手に力が籠ったせいだ。
 教育実習生は少し唸り、首を傾げる。
「………だって、君達まだ、高校生だよ」
「………?」
「まだ作っていく未来がある自分達のこと“ハズレ者”なんて呼ぶの、やめた方がいいと思う。大人にも悪いやつなんて沢山いるし、悪い事を職業にしてる人だっている。でも僕は、どれも“ハズレ者”だなんて思わないよ。そういう人達もみんないて、この世界ができてる。そりゃ、許せない事も、理不尽なことも、沢山あるけどさ」
 俺は鼻で笑う。所謂きれいごとってやつだ。そんなもんで俺を丸め込めると思うな。お前の、普段から考えている思惑とか、策略とか、そういうのが聞きてえんだ。俺は。
 だから、俺は否定されるであろうことをわざと口にする。
「へーぇ。じゃあ何か? 例えば人を殺すのが仕事の殺し屋も、“ハズレ者”じゃないってか?」
「うん」
 …………。
 …………………。
 ……………………………。
「………あの、その顔、やめてほしいんだけど……」
 指摘されて、俺がとんでもなく変な顔で教育実習生のことを見ていたということを漸く自覚する。
 いやいや、そんなことよりも、ちょっと待て。こいつ今なんて言った? 殺し屋もハズレ者じゃない? ちょっと待て、こいつまさか俺らよりも頭湧いてんじゃねえか。
「殺し屋も暗殺者も、“ハズレ者”じゃない。まあ日陰者であることに違いはないと思うけど」
 いやあはは、じゃねえよ。そして暗殺者どこから来た。
 俺は困惑して、頭をがしがしと掻いた。だめだ、まどろっこしいのも、頭使うのも、俺には合わない。
「てめえは一体何者なんだ?」
 はっきりと、尋ねる。
 目をぱちぱちと瞬かせている教育実習生に、言葉を重ねる。
「てめえのその、独特の“殺し”の技。ただの教育実習生だとは、言わせねえ」
 俺のことをじっと見ていたそいつは、やがて、微かに口許に笑みを浮かべた。なかなか、言葉を発しようとはしない。何か、どこか懐かしむように、目を細めるだけだ。
 もう一押しか、と思い、俺は言った。
「てめぇは誰かを殺したことがあんのか」
「『椚ヶ丘中学校、三年E組。怪物からの解放』」
 ぽつ、と呟かれた言葉に、俺が口を閉じる。聞き覚えがあった。たしか、俺がまだガキ……小学生くらいの頃に、新聞沙汰になってたものだ。何でも地球を崩壊させるとか厨二くせぇことをほざいてた怪物が、当時、支配下に置かれていた生徒の手で殺されたとか、そうじゃなくて、国そのものが直接手を下したとか、それもまた違うとか何か、そんな話だったような。色んな情報が錯綜してて、学校でも面白がって、どの説を推すかとか言って遊んでた記憶がある。
「その顔だと、知ってるね。そりゃそっか」
「それが何だってんだよ」
「僕はその、椚ヶ丘中学校の三年E組出身でさ。それこそ、七年前、怪物のいる教室にいたんだ」
 ぎょっとする。そんじゃ、まさか……
「……てめぇが、殺したのか。怪物を」
「…………」
 複雑な表情になり、目を伏せる。頬を掻く仕草は、いつも通りだ。
「………そう、かな。……うん、まあ、そうかも」
 でも、多分、君達が思ってるような怪物とは、違うよ。そう、教育実習生は付け足した。
「その怪物、僕等にしてみれば、先生だったんだ。凄い先生だった。僕等に沢山、大事なことを教えてくれた先生だった」

 ――――本当は、助けたかった。

 後悔の滲む声で言い、俯く。
「……だけど、あの人のおかげで、僕は教師になりたいと思えたし、沢山の勇気をもらった」
 怪物のことを「人」というのか、と俺はいよいよわけがわからなくなってくる。ちょっと、理解ができそうにねえ。怪物は怪物だろう。
「…その怪物に洗脳でもされてんじゃねえの」
「あはは、ある種の洗脳かも。一年も一緒にいたから。でも洗脳されてたら殺せると思う?」
 さらりと「殺す」という言葉が出てきて、焦る。焦ってから、気付く。
 ……そうか。「殺す」意味をちゃんとわかってる人が、「殺す」という言葉を使うと、こんなにも印象が変わるのか。こんなにも、重い言葉なのか。そんなことを俺は思った。「殺す」という言葉は、いつも、脅すことに使っていた。便利な言葉としての武器だった。
 刃の扱い方を間違える。それは言葉にも言えることだったのだ。
「………殺せない、か……」
 教育実習生は俺を見て、くすりと笑った。
「気付いてそうだから、言っちゃうとね」
「?」
「僕には、多分、殺しの才能がある」
「……ああ、気付いてた」
「だからその、怪物に、一回進路相談したことがあるんだよ。殺しの道を歩むべきか、それとももっと別の道かって」
「激しい進路相談だな」
「うん。あの教室だからこそできた進路相談だと思ってる」
 髪を掻きむしる。進路相談が進学か就職かなら分かる。そこに殺しが混ざって来る進路相談とは。
「どんな教室だよ」
「三年E組、暗殺教室」
「………どんな教室だよ」
 結局回答らしい回答が得られず、俺は頭を抱えた。予想以上に強者だ。言葉のドッジボールとはまさにこのこと。だが、何が問題と言えば、こいつが多分真面目に、俺の問いに答えてくれていること。だからほとんどが、事実なのだろう。暗殺教室というのが何なのか、全く持って疑問だが。中学生ごときが暗殺なんか習うわけねえだろう。まあ、たしかにこいつには、その素質があるようだが。
「……で。じゃあその殺しの才能があるてめえが、何でわざわざ喧嘩を止めた? 怪我もなく止められる自信があったからか?」
「ないよ、君達羨ましい事に体も大きいし、力の押し合いしたら負けるのは目に見えてるし、実際怪我してる」
 頭のガーゼを指さして苦笑する。
「そういや、今まで、あんな風に攻撃食らったこと、なかっただろ。二人まとめては流石にきつかったか?」
「いや……ちょっと、ね。僕も、二人が怪我しちゃうって焦ったから。ちょっと、波長の頂点見逃したっていうか……タイミングを見誤ってやっちゃったから、失敗したっていうか…」
 何を言っているのかはさっぱりわからない。だが少なくとも、怪我をする覚悟はあった上で、わざわざ止めるという、バカげたことをしたらしい。
「じゃあ何で」
 顎に手を添え、首をひねった後、
「……怪物なら、きっと僕等が喧嘩をしたとき、こうしただろうなって、思ったから」
 どうやらこいつにとって、七年前にいたというその怪物は、かけがえのない存在だったらしい。そこからもう、なんのこっちゃ、という世界だが。
「それに、覚悟をしてても、やっぱり『殺す』って、凄く重くて、凄くのしかかってくるものがあるんだよ。それを君達に背負わせたくなんかない。ましてや『殺す』意味もろくに考えずに、衝動的にやるなんてとんでもないよ」
 説得力はあった。一般的な道徳として、「人は殺しをしてはいけない」等と言われても、結局ぴんとこないのだ。とくに、下手したら人を殺す確率の高い俺らのような人間の中では、何も響かない。だがこの教育実習生は、殺したことがある上で述べている。だから、自然に、悔しい事に、豪く自然に、飲み込むことができてしまう。
「教育実習で君達のクラスにきたときは、大変な修羅場に来ちゃったなって思ったんだけど……何となく。君達が色んなことに投げやりになってる気がしてさ。何か、もったいないなって思っちゃって。余計に色々教えたくなったっていうか……。何より、あの学校、こう言ったら悪いかもしれないんだけど、教師の皆さんって、生徒にそんなに関心をもってくれてないんだなぁって思って。ほら、教師と生徒って、本来もっと距離を縮められるものなのに。それももったいないなって思ったし。教育実習生なのに、烏滸がましいんだけどね」
 あんだけ派手に喧嘩を止めたり、俺達の攻撃を躱したりしてるのに何が今更烏滸がましいんだ、と思うが、この遠慮深い、どことなく大人しそうな様子は、きっと素の性格なんだろう。
 こんだけ分かれば充分かもしれないと、思った。同時に、信じてみてもいいのかもしれない、と思った。
「……わぁったよ。今日は引き留めて悪かったな」
 ベンチから立ち上がった俺に、また、へらりと笑う。
「あ、ううん、大丈夫。嬉しかったくらいだよ」
「……嬉しかったぁ?」
 俺がまたすげぇ顔をして振り返る。
 対して教育実習生、当然、という顔で頷く。
「だって、僕が声かけても、いつも無視されちゃってたからさ、ちゃんと喋れたの初めてで嬉しかったんだ」
「………」


 だめだ。
 完敗だ。
 俺もまた、俺の、負けだ。


「……わぁったよ、もう……。明日からまた授業、宜しく頼んますわ、『センセー』」
 ぽかんとした『センセー』が、次第に笑顔になる。
「うん! ありがとう! また明日!」
 『センセー』を残して、俺は公園を出る。


 ――――どうです? 私の生徒は、良い教師でしょう?
「………?」
 何か、上手く表現ができないのだが、ねっとりというか、ぬるぬるとした声が聞こえた気がして、俺は振り向いた。何もいない。誰もいない。どうやらただの空耳のようだ。
 ……だが。

「ああ。すげえ『センセー』が来たみたいだよ」 

 オレンジ色の空に、俺は一応、本当に一応、返事を投げかけてみた。そして、缶コーラのプルタブを開け、一気に胃へと流し込む。ほっと息を吐いたら、げっぷが出た。
 明日から、『センセー』はまた、俺らの教室にやって来る。そして、きっとそこから、始まる。既にこうして、何か、違うものを得てしまった俺を、皮切りにして。

 これは、私立極楽高等学校・三年五組。勉強なんかクソくらえ、自由に生きるのが自分達の生き方、法律だ何だ関係ねえ。俺らの前にたてつくやつはぶっ殺す。そんな生き方をしてるハズレ者が集まったクラスの、更生の物語。





 教育実習終了期限まで、あと二週間。






fin.


原作じゃなく、アニメだけを追っかけてたのですが、あまりにもすごくて感激して、勢いあまって、下書きもせず、ばーっと書いてみた産物となります。暗殺教室、話が本当によくまとまってて素敵でした……実は原作一回も読んだことないんですが本当にアニメ凄かった。短髪な渚は慣れませんね!
あの殺せんせーを見習っていれば、きっと不良相手でも歩み寄ろうとする教師になるんだろうなあと妄想しました。殺すって言葉を聞くと目が妖しくなる渚くんがかっこいい。
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