アタマとキミをつなぐせかい

トト | update : 2014.12.18
森の奥の寂れた屋敷の中には、生涯に一度だけ、図書館が現れる。その図書館に、求められない本はない。


 森の奥の寂れた屋敷は、生涯に一度だけ、その内部を図書館の姿に変える。
 何とも不思議な話である。町の近くにある森は、ビルやショッピングモールを作るためにと潰されて来た公園が多くある中で、唯一未だ多くの自然を保っている場所であった。そのため、森の存在を知らない人は皆無と言ってもいいし、森の入り口付近は子供達の遊び場として重宝されている。そして、その森の奥深くに、どうしてか一軒の屋敷があることもまた、有名であった。数十年も前に、興味本位で森を探検した町の人間が見つけたらしい。
「誰が、屋敷の中が図書館だなんて言ったんだ?」
 それだけが、町の人々の間で唯一疑問として残るものだ。屋敷自体にたどり着くことは、遠いということだけを除けば、そう難しいことではない。今となっては、好奇心でしばしば訪れる人がいるために足で地面が踏み均されて、ちょっとした整備の行き届いていない道くらいにはなっており、屋敷までは一直線に向かうことができる。ところが現在、実際に「屋敷の中の図書館」に行ったと明言する人間は一人もいなかった。「屋敷の中の図書館」という存在は、ただ、都市伝説かのように延々と語られており、童話か何かの如く人々の心に、不安定に漂うだけのものとなっていた。
 そんな童話を頭に浮かべてみていると、ふいに、行ってみようという気になることがある。それは単なる思い付きや、何をしているというわけでもないのに、唐突に「勉強しよう」あるいは「遊ぼう」「出かけよう」といった正体不明の欲求に駆られるのと同じであった。
 踏み荒らされた森の中を突き進み、足元の枯葉を蹴り上げながら進む。息を吐き出すと、あっという間に白に塗られて小さな雲を作り出し、一瞬にして霧散していく。冬の森は閑散としていて、生き物の気配も希薄で、いつもより淋しい。軽く身震いして手と手をこすり合わせても、木々の隙間から流れて来る風であっという間に温度を攫って行ってしまう。スン、と鼻を鳴らして、少しだけ足を早めた。もう少し厚着をしてくるべきだったかもしれない。
 歩き始めてから一時間半ほどが経って、漸く、木々の隙間から建物と思しきものが見え始めた。そうなれば全体が見えるまでにはそれほどの時間もかからない。急斜面になっているところを、気を付けながら歩いて、倒れている巨木を踏み越えれば、不自然に森が開けたところに出た。天を仰いでみると、森の木のてっぺんが互いを求め合うように中央に突き出し合うことで出来た丸い空が見えた。時刻は、丁度日が最も高い位置にある頃であり、太陽は屋敷の真上の空に鎮座している。
 目線を下げると、改めてこの屋敷は汚れ寂れていることが分かった。元は白かったのであろう壁もひび割れ、土埃に塗れ、森に住む虫が這っている。屋根は群青色であったが、木から落ちてきた枯葉が大部分を覆い隠している。しかし、太陽の光を受けて、群青色の屋根の一部は、翡翠色に輝いている部分もあった。それは斑に屋根を彩っており、もしや群青色も、あの翡翠色が長年の間に変色してしまったのではないかと思わせられるほどに不自然な並びであった。降り積もっている枯葉を落すことができてしまえば、もう少しはっきり分かるのかもしれない。が、無論、此方から見えるのはごく一部であり、それも手前側だけだ。空から見ようにも、残念ながら人間に翼が生えようはずもない。
 扉に近づいて行くと、そこには意図的につけられた傷が沢山あった。「3.13 リョウスケ」「6/22 ハナ」「十二月 ×」等である。探検した末にここにたどり着く、もしくは、元々この屋敷を目指して探検を始める子供は数多い。恐らく、その子供達がここに来た日付を記念に刻み込んでいったのであろう。ここの屋敷はいつも人もいないので、怒られることもない。取っ手は元の色は何であったのかは、分からないほどに茶色く錆びついている。しかし、金であったなら想像通りというところだ。取っ手を握ってみると、掌に錆のざらついた感触が伝わって来た。扉を押し開ける。ここの扉は、大人でも少しだけ重いと感じられる程度だ。中が暗いので、屋敷の内部まで行く人はなかなかいない。誰がここで死んだというわけでもないのに、入ったら祟られるであるとか、根も葉もない噂話を広げて行くのは人々の得意技である。
 と、
 灯った光を反射して、シャンデリアのガラスがきらきらと眩く輝く。
「やあ、珍しい。邪魔者だ」
 壁一面が本棚となっており、何百冊、何千冊の本があることは一目瞭然である。外観よりも天井は高く思われ、本は天井のすぐそこまで高く、ぎっしりと並べられていた。その、一番上の棚をとるためと思われる、常識外れに高い木製の脚立の上で、一人の少年が足を組んで座っている。あの高さから落ちたら、下手したら怪我では済まないと思うけれども、そう思ったのは見た初めの一瞬だけであった。不思議と、それだけ安定感があったともいえる。
パタン、と音がした。少年が一切怖がるような素振りも見せず、平気な顔で分厚い本を閉じた音だ。
「ちょっと、ちょっと」
 一度振って、その手をクリーム色のハードカバーの上に下ろし、撫でながら少年は口角を吊り上げる。危なげもなく、右足と左足をぱたぱたと交互に揺らした。ぎっ、ぎっ、と脚立が鳴く。
「そう、君だよ。君。邪魔者って、君のこと。僕の読書を邪魔しに来てるんだから、君は邪魔者で違いないでしょう?」
 一番上の棚にあった、本と本の隙間に、持っていた本を押し込んだ。次いで、指で本の背を順番に叩いていき、今度は夕焼け色の布でカバーされた本を引き抜く。雑にページを捲ってから、少年はしかめっ面を此方に向ける。
「僕に名前を訊くなんて野暮だなぁ。嗚呼、そうだ、君、今日は一体何の本を借りに来たんだい?」
 この空間全てを支配しているように思える、無数の本。いつの間にか、入ってきたはずの扉も何処へと消えて、四方八方が本棚である。しかし、シャンデリアから降ってくる明かりが温かく、高い本棚による圧迫感は紛れて、寧ろ何かに抱擁されているかのような安心感を覚えた。
「君はどんな話を求めてるのかな。何でも言ってみるといいよ。ここには求められない本なんか何もないからね」
 そこで、少年はふと思案顔になったかと思えば、ページの上で、とと、と人差し指と中指を交互に躍らせた。
「前に来た子は、家族愛の物語を薦めたら借りて行ったよ。言うほど分厚くない、素人が書いたようなぺらっぺらの本だけれどね、本来ならあんなもの、図書館にも本屋にも置かれないから。世間的に、価値は零なのさ。ま、素人の書いたものの方が受け取りやすい書き方してるかなぁ、なんて思った部分もあって、敢えて僕はそれを渡したんだけれどね」
 膝の上で本を開いて置いたまま、背筋をぐっと伸ばして頭上にある本を迷わず引き抜く。それは桜色の文庫本であり、ページを開くこともなく表紙を叩いた。本をとるたびに、少年の表情は少しずつ変化する。それが遠目でも分かった。否、変化しているのは表情だけではなさそうである。
「これなんかは、青春時代を謳歌する恋愛小説。だけどこれ、駄作でねぇ。ただ主人公の女の子が、好き好きーって騒いでばっかり。その果てにあっさり想い人と恋が実っちゃうんだから、まあ、君達に弾かれて当然だよね。理想を望むくせに、あまりに現実離れしてると敬遠しがちなのは、君達の特徴だし。あ、ちょっと、機嫌悪くならないでよ? 何も悪口を言ってるわけじゃあない。ただ事実を言ってるだけだよ。でもね、この弾かれた本には僕もあんまり同情してないんだ。僕だって、これ読んだときは、あまりのつまらなさに愕然としちゃったもの。これが現実なら、こんなに愉快なことはないだろうとは思ったけれど」
 無造作に、少年が文庫本を放って来た。しかし、一体どうしたことか、勢いよく落ちてくることなく、そこの時間だけが操られたかのように、ゆっくりゆっくり回転しながら文庫本は空中を堪能し、足元に静かに落ちた。拾い上げてみて、初めて、文庫本は表紙も背表紙もよれよれになっていることに気付く。ページも端が折れ曲がっていて、良く見てみるとかなり日に焼けてしまって色が変わっていた。
 かなり何度も読まれた形跡があるようであるが、開いてみると、文章は非常に単調で、まさに少年の説明したような話の展開を見せているようである。数行読んだはずだが、何も頭に残らずに素通りしていった。
「でも、その単調な話が、ときに人を助けたりするんだ」
 不思議だよね。僕も不思議。でもそれが僕のやらなければいけないことで、僕が好き好んでやっていることでもある。
 少年は口を開いていないのに、言葉が届いてきた。
 この本の最大の特徴は単調で、つまらないってこと。でも、ある人にはこんな風に読める。作者は素直に文字を書く人だなって。嗚呼、勿論だけど、素人目線での話ね? だって、文芸評論家とかにはそんな風に評価されるわけないもの。
 腰を捻って後ろを向くと、今度は身体を折って少し下の段に並べてある本の中から、分厚いチョコレート色のハードカバーを少年が引き抜いたのを見て、開いていた文庫本を閉じる。
「おっとっと」
 口で言うほどふらついてはいないが、少年はその新たな本を抱えると、少し腰を浮かせたりして脚立の上で座り直し、ぐっと引き寄せた膝の上に開いた。少年の口許が、微かに緩む。
「最近、ここに来る人が、めっきり減っちゃってね。折角、ここにはこれだけ沢山の世界があるっていうのにさ。君達の中にも世界は無数にあるっていうのに、それを表に出す機会をみすみす逃しているんだもの。哀れというか、何というか」
 本から視線を外して、よいしょと立ち上がる。少年は、手を使うこともなく、まるで階段を下りるかのように身軽に脚立を下り始めた。かなり長い脚立だと思っていたが、その様な下り方をされたらあっという間のことであった。彼が床に足をつけたと同時に、大きな木造の脚立はその存在を不安定にして、息を呑む暇もなく空気に溶けて行く。そんなことには気にも留めずに少年が目の前まで歩いてきた。ぱっと両腕を広げて見せて、首を傾げる。
「どう?」
 どう、とは。
「君に僕は、どう見える?」
 顔色を窺う。軽く背伸びをして此方を覗き込んでいたが、やがて少年は自分自身の白い歯を見せるように、にーっと笑った。
「さてさて、じゃあ最初にした質問をもう一度しよう。君はどんな本を借りに来たんだい?」
 確かに最初にされた質問ではあるが、唐突に投げられた質問のようにも思えるのはどうしてか。戸惑いながらも、何とか答えるために口を開こうとしたところで、少年に手を取られていた。右手の中に何かを押し込まれる。少年の手は、考えていた通りに小さかった。
「君にはこれをあげようか。君はまだ自分で何とかできそうだからね、次に来るときまでに、決めておいで」
 分厚い本を脇に挟んで、踵を返す。歩幅は小さいであろうに、みるみるうちに少年が遠くなっていく。この図書館に、そんなに距離が離れられるほどの奥行があっただろうか。
「さようなら。次に会う時、僕の姿は君の目にどんなふうに映るのか、楽しみだね」
 それから一度、瞬いた。その瞼が下りた一瞬の内に、一体何が起きたというのか。目の前には自宅があり、自身が立っている足元はアスファルトだった。町の近くにある森に行っていたはずでは、と思うものの、どうにも頭がふわふわしていて現実味がない。少し首を振って、手の甲で目を擦った。そのとき、手に握られている紙に気付き、手を開く。無理矢理押し込まれたせいか、皺が寄っている。細長い紙の片端に穴が開いており、そこに、若草色のリボンが通して結ばれていた。
『君との再会は、君の好きな本の中で』
 次にあの少年に会うとき。それはあの、屋敷の中に突如現れた不思議な図書館に行ったときではなく、棚に並んだ数多くの本の中から一冊を選び開いたときである。紙に書かれた文字は、手書きであるように見える一方で、綺麗な明朝体の姿をしていた。
 ―――君に僕は、どう見える?
 ふと、顔を上げる。冬の痺れを感じさせる風に晒されながら、一番近所にある本屋へと足を進めた。
 頭の奥で、少年が悪戯っぽく笑っているのが見えるようだった。





fin.





大学の講義で書いた作品でした。不思議な図書館に訪れるお話で、壁一面にある本棚にいる少年を描いてみたくて挑戦したものです。内容は私が常日頃思っている、本の力。本って人に影響を与えまくってくれるものだよね、と思いまして。
少年が何者なのかは明言しませんが、不思議な図書館に訪れた人達に必ず一冊、本を薦めます。でもそれは偉い文豪が書いたとかのものではなくて、ど素人が書いたものかもしれない。

世間というか、社会が爪弾きにしちゃうものもあるのがこの不思議な図書館の特徴です。
忘れかけた価値観を提供してくれる場、というイメージで書きました。

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