「君」の番

トト | update : 2012.2.12
彼らは寄せ集め家族。身寄りのない子供が一人の男に集まった。そしてその日も、新しい家族が一人加わったが……。


―――――――――――――――
【 二〇一二年 五月七日(月)       「あや」の番です】

 タッツーがまた変な子拾ってきたよ。あたし、あの子きらーい。だって、全然しゃべらなくて気持ち悪いんだもん。あのね、それに、あの子ったら夜、あたしの毛布を勝手に自分の布団の中にもってったんだよ。本当に気持ち悪い。タッツー、なんでよけいなことするのかなぁ。これでもう五人目だよ。

 今日のごはんは出来そこないのからあげでした。タッツーは相変わらず料理がうまくない・・・。カリッとすべきところがべちゃべちゃしてて、見かけだけのからあげなんだよ。あれじゃあ、給食の方がずーっとずーっとおいしいよー。あたしが教えてあげるって言ってるのに、タッツーは、「あぶないからキッチンに入っちゃダメ!」だって。

 明日の夜は、ちゃんとしたハンバーグがいいなぁ。

【                   次は「さとる」です】


―――――――――――――――
【 二〇一二年 五月八日(火)       「さとる」の番です】

 今日、試しにナオキと喋ってみた。でも会話らしい会話にならねーな…。何でだろう。辛いことでもあったのかね。まぁ、アイツはあんま話したくなさそうだったし、スルーしといたけどさ。
 ところで、タツヤが色々と拾ってくるのを、今更止めはしねーけど、正直なところ大丈夫なのかって思う。
 俺ももう高一だ。ちょっとくらいは、タツヤの手伝いを出来るんじゃねぇかって思うんだけど、なんか「大丈夫」の一点張りなんだよな。そこが気に食わねぇ…。タツヤ、あいつ、自己中だ。
 あと何をカンベンしてほしいって、アイロンかけ。ワイシャツにアイロンかけてくれるのは有難い。でも背中にがっつり、アイロン型の焦げ目つけといて気付かねーってどうよ? ブレザーあることにこんなに感謝したことはないぜ。

 今日の夕飯のハンバーグは、案の定、クソ不味かった。
 あや、ドンマイ。
【                   次は「こうすけ」です】


―――――――――――――――
【 二〇一二年 五月九日(水)     「こうすけ」の番です】

 いつもながら何書きゃいーのかわかんねー。てかぶっちゃけ、これもうよくね? オッサンがサトルに昔、これやれっつったから、なんか恒例行事のごとく俺達はやり続けてるわけだけどさぁ。
 やっぱ俺だけじゃなかったのか! ハンバーグ、やっぱりまずかったよな。いっそ言ってよかったんじゃねぇのか。オッサン、どんくせぇし、案外自分では、うまくできた、なんて思ってるかもしれねーぜ。
 ナオキって、こないだオッサンが拾ってきたあのガキか。あいつキモイ。あんま近くにいたくねー。無言で目でうったえかけてくるのとかマジむり。

 なぁ、これ、ナオキに回すのか? やめよーぜ。
 オッサンは「仲間はずれはだめだ」なんて言いそうだけど、ちがうからいーじゃん。ナオキは、別に部外者だろ。

【                   次は「りこ」です】


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【 二〇一三年 五月十日(金)     「なおき」の番です】



  E コ π

 め ソ が ヒ ウ







【                    次は「あや」です】


―――――――――――――――
【 二〇一二年 五月十一日(金)     「りこ」の番です】

 なおきは きょうも しゃべりませんでした。
 あやちゃんが おこってました。
 さとると こうすけも おこってますか。


 りこは なおきと あそびたいです。
 おままごとが したいです。
 おいしゃさんごっこも したいです。

 あさに たつやが だいじなおはなしをしてました。
 りこは びっくりしました。

 こうすけ ごめんね。
 これを なおきに わたします。
                   次は「なおき」です
【                   次は「あや」です



















          1


「ただいまー!」
 夜の八時ごろ、両手一杯にスーパーの袋を持って、辰也は『くずれ屋』に帰還した。
このアパート『くずれ屋』は、なかなか長い歴史をその壁や廊下に刻むが、名前の通りに今に崩れそうなほどボロボロだ。建て直せばいいものを、大家が大のギャンブル好きであるために、金はほとんどそちらへ流れていく、という噂がある。部屋も簡素なもので、リビングにあたると思われる、多少広い部屋が一つと、六畳分の部屋が一つ。キッチンは狭いが、一応一つ。トイレは外にあるものをアパートで暮らす全員が共同で使用し、風呂に関しては銭湯に行くしかない。幸い、それはここから徒歩五分ほどのところにあるので、慣れればさして不便でもないのだが。
 しかしである。大人一人に子供五人が暮らすとなると、本当に「ひしきめきあう」ようになる。いつか、そこそこの大きい家に住む、というのは、辰也の密かな夢だ。
「おかえり。遅かったな」
 ジャージ姿で出てきたさとるは、玄関で辰也からスーパーの袋を受け取り、そのままキッチンへと直行した。
「え? 仕方ないだろ? 仕事だったんだから」
 花粉症である彼は、マスクを外しながら訴える。
 ドタドタと騒がしく走ってきて、さとると入れ替わりで出迎えたりこは、大声で叫んだ。
「おかえり、にーと!」
「ただいまー、元気だなぁ、りこ」
 髪を二つに結った小さな頭を、グリグリと撫でてやる。
「よーし、りこにこの言葉(ニート)教えたヤツ大人しく出てこい」
 満面の笑みにドスのきいた声を発し、辰也はリビングで群がっている彼等を見回した。
 あからさまに目線をそらして、ニンテンドーDSの電源を入れる少年が約一名。
「やっぱりお前か、こうすけ…」
「え、何。俺しらねー」
 わざと音量をあげる。このポップな感じの音は、もしかしなくともマリオカートだ。ちなみに、3DSは予算オーバーのために辰也に断られ、未だ購入せずである。
「おかえり、フリーター」
 思わぬ方向から飛んでくる言葉に、辰也は少し傷ついた表情でそちらを振り返る。
 『ピーナッツ』の主人公・スヌーピーが表紙である漢字ドリルを進める少女が視界に映った。
「いや、あのね、あや。間違っちゃいないよ。間違っちゃいないけどさ…もっとこう、ね。オブラートにっていうか…ダイレクトだと結構なんか、俺でもこの辺に刺さるものがあるっていうか…」
 心臓のあたりをさすって見せる。
 しかし、あやは、年齢にはそぐわぬ冷ややかな視線をこちらにやってから、溜息を吐いた。
「タッツーも、そろそろちゃんとした仕事見つけりゃいーのに」
 本当にませた娘である。
 改めてピンク色のグリップを握りなおし、シャープペンシルをドリルの上で走らせた。
 ぐるりと視線を巡らせ、部屋の隅で、カーテンに隠れるようにして座る少年を見た。目は合うが、何を思っているのかサッパリ理解できない。
「ただいま、なおき」
 声をかける。なおきはちょっと視線を上げはしたが、再び抱えた膝に顎を埋めた。当然ながら、進歩はゼロだ。
 溜息混じりにネクタイを外し、無造作においてあったハンガーを手にとって、そこにかける。上着も同様にそうした。部屋着に着替えようか迷ったが、今日は時間が遅い。明日は残念ながら土曜ではなく木曜なので、彼等は学校がある。全員が寝坊して一番大変なのは自分だ。何より、まずは夕飯の支度が最優先である。
 ワイシャツの袖のボタンを外し、腕まくりをすると、キッチンへと入った。
 さとるが既にジャガイモを切っていた。どうやら、スーパーで買ってきたものを見て、今日のメニューを察したらしい。
「さとる、もういいから、宿題やってろ」
「もう終わったよ」
「じゃあ、こうすけに勉強教えてやってくれよ。あいつ、ずっとゲームばっかなんだから」
 DSなんて買ってやるんじゃなかった…。
 そう独り言ちているのを何となく聞き、さとるは肩を竦める。
「あいつが今更俺の言うことを聞くか? つか、こないだも言ったろ。ちょっとくらい、手伝わせろよ」
 辰也は困った様子で首をかしげた。
「別に気を遣わなくていいんだぞ。俺が好きでやってんだから」
「でも俺はあんたに感謝してるよ」
 均等に切り分けたジャガイモを鍋に入れ、今度は洗い済みの玉葱をざるから取り出し、切り始める。
「感謝されるほどのもんかねぇ…」
 呟き、袋からカレールーのパッケージを出すと、後ろに載っているカレーの作り方を眺める。
 グズッ、と鼻を鳴らす音がしたかと思えば、さとるはTシャツの袖で目を擦っていた。
「玉葱か」
「苦手なんだよ…」
「だから、いいって。もうジャガイモ切ってくれただけで大助かりだって」
 しかし聞かず、彼は再び玉葱と格闘し始める。
 辰也は鍋に水を入れ始め、カレールーをいつでも入れられるように傍らに置いた。ガスコンロも随分古くなったので、いつ火事になるだろうかと気が気ではない。
 再び、足元に置いたスーパーの袋の中をあさり、板チョコ七枚を片手に鍋に向かう。
「おいちょっとまて」
 また目を赤くしながらも、さとるは内心慌てて辰也に声をかけた。
 彼は不思議そうに手をとめる。
「なんだ?」
「何やってんだ」
「何って、チョコを入れるんだよ。カレーの隠し味。コクが出るとか、よく言うだろ」
「うん、よく言う。よく言うけど、どれくらい入れる気?」
 目をぱちくりと瞬かせ、片手に持つそれらをちょっと挙げる。
「これくらい」
「いや七枚って。隠し味じゃないからもう。隠れないからな。入れるにしても数カケラでいいし、入れるのももうちょい後」
 鍋と板チョコとを見比べ、改めて首をかしげた。
「でも、これくらい入れないと、チョコの味がしないだろ」
「だからチョコの味がしたらアウトなんだっつの!」
 辰也の最大の欠点だ。とにかく、料理音痴かつ謎の味覚の持ち主である。さとる達にとっては、世話をしてくれている辰也には心から感謝しているが、ご飯時が修羅場なのだ。
「とにかく、せめて六枚はそのままで、あや達にやれ!」
「そういうもんか…」
 不承不承に頷く辰也を見て、さとるはホッと胸を撫で下ろす。無理矢理にでもキッチンにいてよかった。先日、恐ろしい味のハンバーグを食べさせられたばかりなのだ。何年も彼と過ごしてきているさとるは慣れがあるが、こうすけとりこ、なおきにおいては、他二人ほど長くない。ある程度、辰也の味に慣れるまでは、どうにかして、連日の食事の修羅を避けなければならない。…最近になって、さとるはやっと、そう学んだ。

 彼等は、辰也の子供ではない。あやにはあやの、こうすけにはこうすけの、りこにはりこの、なおきにはなおきの、さとるにはさとるの両親がいる。本来ならば、この五人は児童養護施設に入れられるべきだった。その、施設に入る前に、自主的に彼等を引き取ったのが辰也だ。里親になりたいだとか、そういうことではなく、彼は純粋なボランティアとして、引き取ったのだった。この中で、最初に引き取られたのがさとるである。
 さとるが辰也に引き取られたのは今から五年前。当時、小学五年生だった。不慮の事故であったとしか言えないのだが、両親と妹を火事で亡くしたのだ。親戚は外国暮らしということで頼りにはならず、施設に入ることになったのだが、彼はそれを嫌がった。そのとき、彼は現実を直視できなかったのだ。「これはただの悪夢。施設になど入らず、焼け焦げたこの家で眠れば、次の日の朝には全て元通りになっている。悪夢から目が覚める」。施設にやろうとしていた大人達は、「現実を見ろ」「もう諦めろ」と、なかなか大騒ぎになった。
『そうだな。悪夢だ』
 そこで現れたのが、辰也。彼はさとるの言葉を否定しはしなかった。ただ、肯定してくれた。
『だから、悪夢から目が覚めるまでは、俺と一緒にいよう』
 心の拠りどころというのは、こういうことを言うのだと思った。
 今でこそさとるは、現実を見ている。そうすることができるようになったのは、辰也のおかげだ。

 次に引き取られたのが、あや。彼女は四年前、幼稚園の年中の頃だ。彼女の場合は実にシンプルなもので、両親が虐待をしていた、ということだ。辰也が昔、あやの両親と同じ仕事場にいたということで、その繋がりで少女を引き取ったのだという。ただ、だらしない性格が昔からであるからか、いつの間にか随分と、あやはませた性格になってしまった。

 次に引き取られたのは、こうすけだ。ほんの一年前のことで、中学一年生。不良と喧嘩しているところを、辰也が助けたのだそうだ。尤も、彼が強いわけではなく、結果的に二人揃って殴られただけであったが、一人を集中的に叩かれるよりはと思ったのであろう。
 どうしてこんなことになっていたのか、と問うたところ、こうすけは母子家庭であったが、母親が病に倒れ、自棄になって、よりにもよって不良に喧嘩を吹っかけたのだ。
『こうすけを、お願いできますか』
 こうすけの母親に、直に頼まれては断れるわけもなかった。後から聞く話だが、彼の母親の病とは、癌であったらしい。

 次に引き取られたのが、りこ。彼女はたったの十ヶ月前。こうすけが引き取られた二ヵ月後だった。今からは想像もできないが、当時のりこは何も喋らなかった。引き取られた、というのも、やむを得ずといった具合だ。何せ、体中に痣を作った状態で、裸足で外をうろついているのを目撃したのだ。「パパがママをたたくの」。どうやら、横暴な父親が原因であったようだ。

 そして、二日前に、また引き取られたのが、なおきである。

 俎板の端に、切った玉葱を包丁で追いやった。
 それに気付いた彼は、板チョコを袋の中に戻すと、玉葱を両手ですくうようにして持ち上げて、鍋の中へと投じた。
 今度は人参を俎板にのせ、トントンと規則正しい音を立てて切っていく。作業を進めつつ、何気なくさとるが口を開く。
「訊きてぇことがあるんだけどさ」
「ん?」
 声を潜め、
「なおきって、なんなの?」
 漠然とした問いかけに、辰也はひとまず考え込む仕草をする。
「話しかけても返事しねぇし、あやも言ってたけど、時々俺達の物、寝るときにもってってるみてぇだし」
「ああ〜……うーん…なおきは…ねぇ…」
 しどろもどろになる辰也に、怪訝そうな顔つきをする。
「まぁ…仲良く、してやってくれよ。家族なんだし」
「見かけだけの、な」
「淋しいこと言うなぁ」
 自嘲気味にも聞こえるその言葉からは、本当に淋しい感情がにじみ出ていて、つい、さとるは人参を切る手を止めていた。



          2


 真夜中に、辰也はリビングで一人、テーブルの上に箱を置いて、そこに入っている紙幣の枚数を数えていた。さとる達は、六畳部屋で熟睡中だ。
「だめかぁ…」
 頭を抱え、テーブルに突っ伏す。
「これじゃ、ギリギリ生計たてられない…」
 火の車、とはこういうことか。
 ちゃんとした仕事を見つけたら? という、小学三年生の小娘の、冷ややかな科白を頭の中で反芻する。
「仕事ねぇ……」
 現在、やはりあやの言っていた通り、辰也はフリーターである。正社員となっても彼は長続きしないのだ。持ち前の天然さであったり、マヌケなところにその原因があるのだろう。ちなみに、その点を本人は自覚していない。
 しかしたしかに、自らの意思で引き取ったとはいえ、彼には五人の子供がいるも同然。しかも男手一つで育てようというのだ。そろそろ定職について、安定した生活を手に入れなければならないときである。実に残念ながら、彼のもとへ嫁いでくれそうな女性は皆無だ。
(…求人誌でも買うか…)
 買ったところで、しっかりと読むのかといえば、それは分からない。買って満足してしまうかもしれない。
(…もったいないか…)
 そうは言っても、ここにはパソコンも何もないのだ。職を探すというと、せいぜい外の掲示板を眺める程度しかできない。それ以外の手段で、しかも安価でも済むといえば、やはり求人誌。
 一向に考えがまとまらず、辰也はゴロリと身体を倒した。
 そのとき、自分の頭の下に、何かを敷いてしまっていることに気付き、身体を起こす。そこにあったのは、一冊のB5版のノートだった。表紙には、油性ペンで「交換日記」と書いてある。
 交換日記をやるように言い出したのは、他でもない辰也で、その最初はこうすけを引き取った頃からである。
 初めのころ、こうすけはやはり荒れていた。不良に喧嘩をふっかけたくらいなので、それは当然だ。そして、先に引き取られていたさとるとあやに馴染まなかった。
 血は繋がっていないにしても、これから家族となるのだ。馴染まないというのは致命的だとみて、辰也はノートを渡した。「普段喋ろうとしないのなら、毎日、交換日記はやっていろ。そして互いのことを知れ」と。
 書く、という行為は不思議なものであって、言葉に発するより遙に、自分に素直になれる。狙いはピタリと的中して、交換日記をやっているうちに、自然とこうすけは、さとる・あやと、口をきくようになっていった。
 それからは、交換日記をやるのは当然のことのようになって、五人になった今でも続いているのだ。無論、もう十五冊目くらいに突入しており、これは丁度二日前、なおきを引き取ったときにまた新しいノートに変わったところだ。
(こんなところにほっぽりだすなよなぁ…)
 頭を掻くと、ノートを手に取った。次は誰なのだろう。その人の枕の横にでも置いておいてやろう、と思って、深く考えずに表紙を開く。新しいので、まだ少し開く時の感覚が固い。
 罫線と罫線の七ミリの間を、可愛らしい文字が躍っている。と思えば、次のページでは随分と角ばった文字が、貼りついたようにそこに並んでいた。
 よしよし、ちゃんとやってるな。
 サラッと見ただけだが、一番最初のページのあやの番で、一行目から「タッツーがまた変な子拾ってきたよ」には、苦笑させられた。まだ、なおきは彼等に馴染んでいない。しかし問題はないだろう。そういうときのための交換日記だ。
 ページを捲っていき、最後は今日の日付の、こうすけの番で止まっていた。
 最後の行の文字は、こうすけの文字ではない。また角ばっている。どうやらさとるが、次が誰の番なのかをすべてのページに書いてくれているようだ。それは、一番上の余白部分の、「○○の番です」、あと、日付も同様だった。
 次は、りこだな。
 一人頷いて、ノートを閉じかけ―――ふと、頭にひっかかるものがあり、もう一度開いた。
 辰也は、顔を顰めた。



          3


 三人が、揃いも揃って寝ぼけ眼を擦りながらリビングに出てきた。先に起きてきていたさとるは、リビングの隅に置いてあるスクールバッグに教科書を入れながら、呆れ顔で振り向く。
「だから、お前等、まだ全然余裕だろ。何で俺が起きると、お前等も起きてくるわけ?」
 さとるは高校一年生の最年長だ。この時間に起きて準備をしないと、学校に間に合わない。しかし、あとの四人は、まだ寝ていても問題のない時間だ。まだ起きてきていない、なおきが一番正しい。
「さとるが何か忘れていかないか、チェックしてあげるのー…」
 眠いくせに、また生意気なことを口にするあやには、肩を竦めるしかなかった。「そりゃどーも」と、一言。
 キッチンから出てきた辰也は、「おはよう」と言いながらトーストをテーブルに並べた。彼等は、「おはよう」と返す代わりに、大欠伸をした。

「なぁ、辰也。マーマレードは?」
 こうすけが、トーストの半分ほどを食べ終えてから尋ねてきた。
「ああ、まだ、買ってないんだ」
「あたしが買ってきてあげるー」
 あやの言葉に、辰也は少し頬を緩める。
 しかし、その顔はすぐに真面目になった。食べかけのトーストを皿の上に置くと、「お前等」と切り出す。
「話がある」
 四人は互いの顔を見合わせた。普段、どこか抜けているところのある辰也であるだけ、彼がこのような顔をするのは久しぶりで、違和感さえ感じる。
 人間の感性は、センサーのように鋭い。この場の空気で、決して楽しい話ではないのだということを、悟ることが出来た。
「りこ」
 トーストを食べ続けようとするりこを、こうすけは声をかけることでやめさせた。
「なおきも起こすか?」
 気を利かせ、さとるがそう言う。しかし、予想に反して、彼は首を横に振った。
 そして、数秒の沈黙の後、辰也はテーブルの下に手を突っ込むと、そこから一冊のノートを取り出し、四人の前で掲げて見せた。
「これ、交換日記だよな?」
「そうだよ。そう、書いてあるじゃん」
 あやが、首をかしげる。
「すまん。読んだ」
 その科白に、全員が一瞬、凍りついた。
 ページを開き、まず、あやの文章を指差した。
「なおきのこと、嫌いなんだよな?」
 問われ、しかしここで否定しても無意味だと考えて、あやはゆっくりと頷いた。
 次に、こうすけのページを開いて、文章を指差す。
「これ、お前等は全員、読んだ?」

ナオキは、別に部外者だろ

 全員は、互いをチラチラと見る。
 さとるが、ポツリと、
「…昨日の夜、読んだ」
 そう言ったのを引き金に、「自分も」とあやとりこの二人が声を揃えた。
「率直に、どう思った」
 また、沈黙。今度は、あやが口火を切った。
「…それでも、いいかなって」
 辰也が、さとるを見た。彼は曖昧に頷いていた。どうやら、日記にはそこまでのことは書かれていなかったが、さとるにしてみても、なおきはあまり良い印象がないらしい。その証拠に、「次は○○です」の文字を書く中で、「次はなおきです」はなかった。さとるが意図的に、飛ばしたとしか思えなかった。りこは、ただ唇を固く閉じていた。
「こうすけ」
 恐る恐る、顔を上げる。
「お前は、どう思ってこれを書いたんだ? 本音か?」
 眉根を寄せ、はっきり、頷いた。
 深い、深い、ため息を吐いた。ノートを閉じて、隣にポンと投げ置く。
「あのな」
 息を吸い込み、居心地悪そうに項垂れている四人の顔を、順に見回した。
「そういうことをするために、俺はお前等に交換日記をするよう、言ったんじゃないんだぞ」
「分かってる」
 さとるが即座に答える。
 指と指を絡めながら、
「でも、だって、…気持ち悪いんだもん」
 あやは、ボショボショと、呟くように言う。
 その意見は皆同じらしく、首肯した。たしかに、なおきは少し異質な感じを受けるだろう。それは、否定しない。紛れもない事実だ。
「…あのな」
 トーストののった皿をどかして、テーブルの上に手を置く。手持ち無沙汰になったように、指を細かく動かした。
「お前等には、言ってないけどな。なおきは、病気なんだ」
 思わぬ言葉に、四人が同時に顔を上げた。
「やっぱ、最初に言うべきだったかな」
 苦笑して、辰也は頭を掻く。
「なおきは、元気じゃないの?」
 りこが無邪気に尋ねる。頷いた。
「それに、なおきは、お前等とはちょっと違うんだ」
「違うって、何が?」
 たしかに、漠然と「違う」とは思っていた。しかし、辰也の言い様には、何か具体的な理由を知っている、そんな感じがした。こうすけも、なおきを良く思ってはいないが、興味はあった。
「うん。違う」
 ふー…と息を吐いた。溜息ではない。これから話す準備を整えた、という風だ。
「お前等、試験官ベイビーって、知ってるか?」
 さとるは眉を顰め、こうすけはギョッとした様子になった。ぽかんとしているのは、あやとりこだけだ。
「なぁに? それ」
「あたしも。何、それ」
 二人が尋ねてくるので、辰也は少し考える仕草をする。
「人工授精っていうか…不妊治療…えーと…」
「つまり、両親の手で生まれるんじゃなくて、他人が手を加えて、意図的に研究室だとかで子供を作るってことだよ」
 説明が上手くできない辰也に、さとるが助け舟を出す。
「生殖手術な」
 こうすけが頷く。
こう見えても、こうすけは中学での、生物の成績が異常にいい。テスト範囲外にまで手を伸ばし、やたらに勉強したがる。本人曰く、生物にも歴史のような流れがあり、その一定の流れに突然変化が生じたりするところが面白いのだそうだ。ちなみに、他の科目は赤点ギリギリのラインをいつも通っている。
「そうだ。しかも、その手ってのが、研究者とはいえ、ド素人の手なんだよ」
「ド素人?」
「そん中で、子供を無理矢理作ってみようって話になったらしい。たしかに、デカイ金と人手、あとは知識さえありゃ、そう難しいことじゃない」
 その気になれば、人工授精など、一般人でも試してみることはできる。精子と卵子を器か何かの中で受精させ、人間の形になるまで栄養を与え続ける。それだけだ。
「なぁ、まさか、なおきって…」
 さとるが尋ねる。もうそろそろ家を出なければならない時間だったが、気にしている余裕はなかった。
「そのまさかだよ。なおきは、それで生まれた子供の一人なんだ。それこそ、試験官ベイビーと呼べる子供だ」
 りこが首をかしげる。全く分かっていない、という意思表示だろう。しかし、これ以上話を簡単にすることはできそうにないし、それは辰也だけでなく、さとるもこうすけも、そうできる自信は皆無だった。
「えーっと…でも、とりあえず、なおきは生まれたんだよね」
 自分なりに話の内容を整理しつつ、あやは慎重に話す。
「なら、あたしたちとは同じなんじゃないかなって」
 たしかに、生まれ方がどんなに特殊であれ、生まれた事実は変わらない。そして、それが成長すれば、自分達と同じになるのではないか。
「たしかに、なおきは生まれた。成長して、お前等と同じようになれば、人工授精は大成功だ。……けど、この実験をしたのは、あくまでド素人だ」
 渋い顔で言う辰也に、こうすけが顔を歪める。
「なおきは、失敗の方?」
 彼は、首を振った。縦に。
「大℃ク敗ではないだろうけど。一応、人間の形して、普通に歩いて、普通に食べて、普通に寝られるんだから」
 しかし、それでも失敗は失敗だった。
 さとるはこめかみを人差し指で掻いた。
「…まぁ、普通にいけば、まともじゃねぇわな。人間に人工授精を使ったなんて、あんま聞いたことないし」
 人工授精で子供ができた、という話は、聞くにしてもせいぜい牛くらいのものだ。
「受精の過程で何があったかは分からないけど、なおきは重い障害を背負ったんだ。まともには喋れない、重度の言語障害。そして、書字障害」
「書字障害?」
 あまり、耳慣れない言葉だった。
「学習障害の一つなんだそうだ。俺も、話を聞くまで知らなかった。まともに文章を書けないらしい」
 再びノートをとって、テーブルの上に置く。全員の視線が、それに集中した。
「なおきはまともに字を書けない。でも、これを回すイミはあると思うんだ」
 あやと目を合わせた。
「お前の毛布をもってったって、書いてたよな。それは、口にできないから行動で示したんじゃないか? 仲良くなりたいって」
 彼女はまた俯いた。
「たしかに、お前等の言うとおり、なおきは変だ。それは認める。否定もしない。だけど、それはアイツが好きでそうなってるってわけでもないんだ。だから、お前等が受け入れてやらないと、なおきは居場所がなくなっちゃうだろ」
 な?
 全員の顔を覗き込む。皆、困ったように視線を彷徨わせていた。
 ノートを手に、辰也は立ち上がった。
「とりあえず、交換日記は一日没収。ちょっと、なおきのこと、考えてやってくれよ」
 四人は暫く俯いていたが、小さく頷く。最初に「分かった」と口に発したのは、意外にも、りこだった。



          4


 こうすけがドアを開けて、玄関で靴を脱ぐと、派手な足音を立てながら部屋に入った。今日は短縮授業だったので、帰宅はいつも以上に早く、まだ誰も帰ってきていなかった。あやは、お姉さんらしくいつものように、りこを引き連れてマーマレードでも買いに行っているのだろう。あの二人は、小学校も同じだし、基本的に共に行動している。
 部屋を眺め、隅に縮こまっているなおきを見つける。れいによって辰也は今日も帰りが遅いだろうし、あやとりこが帰ってくるまでは二人きりだ。
 面倒臭せぇ…。
 そう思ったが、今朝辰也に言われたことを思い出すと、そうも言えなかった。鞄を棚の横に置いて、なおきに近づく。
「よう。今日も学校行かなかったのかー?」
 ピクリ、と反応して、なおきはそっと顔を上げた。彼と目線をあわせたのは、初めてだった。
「辰也が学校の手続きは、もう済ませてあるってよ。行ったらどうなんだよ」
「…………」
 瞳をパチクリと瞬かせ、小首をかしげる。
 やがて、口を開いた。
「…あーうー」
 言語障害、という言葉が、再び頭に蘇る。
「ぅあー。あー」
 相手はもう十一であるにも関わらず、赤ん坊さながらな言葉に、こうすけはうんざりした。こういった子供は、面倒臭いし嫌いなのだ。障害者など、相手にしたくもなかった。
 しかし、次の瞬間、なおきがニッコリと笑ったのだ。それを見て、思わず毒づきかけていたのが、止まった。
「なんだ。笑えるのか、お前」
 笑うと、なおきは随分優しそうに見えた。
「うー」
「…で、それしか喋れねぇわけか」
「…あ…うー…」
 申し訳なさそうに俯くなおきに、罪悪感が沸いてきた。

『アイツが好きでそうなってるわけでもないんだ』

 そりゃ、そうだよな。
 こうすけは、自分の器の小ささに、少しだけ泣きそうになった。
「なぁ、トランプやらねぇか」
 声をかけると、再びなおきは顔を上げた。首をかしげる。
「あー?」
「えっと…」
本棚の端に手をつっこみ、中から埃塗れのカードケースを取り出す。開けて、中からスペードのエースや、ジョーカーのカードを出した。
「こういうの」
「………うー?」
「……分かんねぇか…」
 溜息を吐き、トランプをしまう。
 と。
 ガタン、と音がして、驚いて振り向いた。六畳の部屋の方からだ。入ってみると、たたまれて積まれた布団の脇で、丸くなってモゾモゾと動いている、りこの姿が目に入った。
「りこ?」
「うわぁ!」
 わざとらしい大声をあげ、りこが振り向く。
「びっくりしたぁ。こうすけ、おどかしちゃやだ」
「驚いたのはこっちだアホ! あやはどうした?」
「あやちゃんは、お買い物。りこは一人で帰ってきたの」
「…で、一人で帰ってきて、何やってんだよ?」
 覗きこもうとすると、りこは身体を張って彼から見えなくした。
「…見せろよ」
 イラッとして、声を低くして言う。
「やだ」
「見せろ」
「やだ」
「見せろって」
「やだ」
「見せろ!」
「やだ!」
 中学二年生と小学一年生が、睨み合う。りこがよっぽど、一年生の割に、あやと同様にませているからか。それとも、こうすけが単純に子供っぽいだけか。
 しかし、当然力で勝つのは、こうすけだ。彼は力ずくであやをどかすと、無理矢理そこにあるノートを取り上げた。それは、棚の中にしまわれたはずの交換日記だった。
「馬鹿か? 一日没収って言われただろ。辰也、怒んじゃねぇの?」
「だって、次、りこの番だもん」
「いや、そうじゃなくて…」
 話が通じねぇ…っ!
 こうすけは、辰也が本気で怒ったのを、一度だけ見たことがある。自棄を起こした自分が、癌になった母親に向かって、「いつでもくたばっちまえ」と怒鳴ったときだ。不良と喧嘩していたところを助けた、それだけの関わりの辰也に、自分を預ける、と聞いたとき、とっさに「捨てられた」と思ったのだ。それに対する精一杯の反抗のつもりだった。
 まず、かなり強く殴られた。そのあと、まるで罵倒するかのように叱られた。再現などできないほど、強烈だった。彼の言っていることは全て正論だったが、こうすけはそのときに密かに誓ったのだ。絶対に、二度と、辰也を怒らせはしない・と。…なおきの件に関しては、自分が、その誓いを忘れるほどに気に食わなかったのだろう。今回も、あのときのように怒られるのではと、正直のところ恐怖心がかなりあった。一応、実際は事実を教えられるだけに留まったが。
「ねぇ」
「あん?」
「こうすけは、なおきのこと、きらい?」
 突然の、問いかけ。素朴かつ簡潔な疑問。
 どう答えようか迷って、とりあえず、こうすけは答えた。

「大嫌いだよ」




          5


 辰也は彼等のことを、信じていた。今朝話して、一日考えさせたのだ。きっと、交換日記もちゃんと、なおきに回してくれる。
 そうなるのが一番なのだが、そうなった場合、ノートはどうしようかと思案した。書字障害なのだが、決して読字障害ではないのだ。おそらく、文章自体の理解はできるだろう。それを、言葉にしたり、書いたりして表に出すことができない、というだけなのだから。そうなると、あや、さとる、こうすけの文章を読むとして、なおきも傷つくだろう。新しいノートにした方がいいだろうか。
 そう思いながら、棚から交換日記をとって、パラパラとページを捲った。そして、おや? と思い、手を止めた。
 没収してここに入れておいたのに、文章が増えている。今の時刻は十二時十分。やっと十一日になったところなのだが、何故か空白だった「二〇一二年 五月十一日(金)」のページに文字が並んでいた。ちょっと崩れた文字で、漢字が使われていないところをみると、勝手に棚から交換日記を取り出し、追加して文章を書いたのは、りこのようだ。
 文章を読んでいて、思わず、視界が少し歪んだ。鼻の奥がツンとする。最後の文章が、無邪気で、優しい。

これを なおきに わたします

 それに加え、さとるの文字で、「次はなおきです」の文字が追加されていた。前に書かれていた「次はあやです」が、二重線で消されている。
 これは、彼等が「なおきを仲間に加える」意思だととって、間違いないはずだ。こんなに早く、理解してくれるとは思わなかった。
 ボロリ、と涙が零れた。それがノートのページに浸みこんでしまい、円形の不自然な染みができてしまう。しかし、嬉しすぎた。あったかいと、心から思った。
「ったくよぉ……」
 手の甲で、ぐいっと拭う。それでも、感涙ともいうべきものは、なかなか収まらなかった。
「お前等、ほんと、サイコーだよ………」
 嗚咽が漏れた。もう止めようとは思わなかった。五人はもう夢の中なのだ。構うもんかと思う。
 最高だった。本当に。



          6


 朝からなかなか大騒ぎだった。それにさえも、辰也は涙しそうで、「トーストがなかなかできねぇなぁ」なんて、どうでもいいことを大声でつぶやくことで、誤魔化した。
 しかし、五人はそれをとくに意に介すことなく、騒いでいる。
「なーおーきー! 朝だよ! 起きてって!」
 あやがなおきの布団をバシバシと叩く。しかし、彼は頭までもぐりこんで、一向に出てきそうになかった。
「朝ー! なおき、朝ー!」
 りこが、なおきに、掛け布団の上から馬乗りになって、目覚まし時計の如く、同じ言葉を連続して叫んだ。
 そろっ、と掛け布団が動き、目だけを布団から出した。
 状況を把握できていない様子だ。
「うるせぇなぁ。いいんじゃね? なおきが学校に遅刻しようが、俺達の知ったことじゃねーだろ」
 こうすけが面倒臭そうに言いながら、布団を畳んでいく。それを尻目に、
「つか、お前等もまだ起きなくていいんだよ…」
 ボソリと、さとるは呟いた。
 結果、あやとりこが、布団に潜り続けているなおきを引きづり出して、リビングへ連れてきた。
「ほい、朝ご飯だぞー!」
 辰也がトーストののった皿を、テーブルに置く。
 五人はテーブルを取り巻くようにして座り、「いただきまーす」と合唱すると、ガツガツ食べ始めた。あやが買ってきてくれたマーマレードをたっぷり塗って、こうすけは実に美味しそうに口を動かす。
「あ、そーだ。たつや、ノート、返して!」
 りこが言った。
 辰也は、心の中では「待ってました!」と叫んだが、表には出さずに不思議そうにしてみる。
「え、あとでいいだろ?」
「いいだろ。一日、没収したんだから」
 こうすけに睨まれた。
「まぁ、そうだけど」
 心の中は跳ねるように喜び、表では渋々といった様子で、辰也が棚に向かう。中から、交換日記を取り出した。
「ほい」
 りこに渡すと、彼女は嬉しそうに受け取って、そのままなおきに向き直った。
「はい、なおき!」
「?」
 なおきが首を傾けて、ノートと彼等を交互に見つめる。
「交換日記だよ」
 食べながら喋るこうすけに、汚い、とあやは顔を顰めた。
「俺達は、一人になったところを辰也に助けてもらったんだ。で、その中で、いつも交換日記をして、互いのことをよく知ろうとしてるってわけだ」
 さとるが言うと、辰也は苦笑した。
「助けてもらったって、大袈裟だよ。何度も言うようだけど、俺はやりたくてやったんだから」
 彼は少し困った顔をした。自分でも、まともに文字を書けないということは自覚しているのだろう。
 しかし、りこはお構いなしに、ノートを押し付けた。
「一文字でもいいんだよ」
りこの後ろから、あやが言った。
 暫く沈黙していたが、やがて、なおきはニッコリと笑うと、交換日記を受け取った。
(もう、大丈夫かな)
 辰也は、肩から力を抜いた。
「あーう」
 なおきが、意味不明な言葉を発した。
 しかし、彼等はその意味が分かるかのように、黙って頷いた。
 それは、漸くなおきが、「家族」になったことに相違なかった。



          7


 あやは、宿題と言われた算数のプリントと格闘し、さとるは一年のときと比べて格段に難しくなった英語の問題集に集中していた。こうすけは受験ということもあって、ここのところ参考書と問題集を往復中である。りこは、近日中にある遠足がよっぽど楽しみであるらしく、ずっと遠足のしおりを眺めている。
 そんな中、なおきはテーブルに向かって、左側に置いている白い紙を見ては、ノートに何かを書いていた。ノートとは、交換日記のことである。
「…なー、なおき、お前、さっきから何やってんの?」
 こういうことを、そっとしておくことができないのは勿論こうすけだ。彼は参考書から顔を上げて、そう尋ねた。
 しかし、とうの彼は全くの無反応で、自分の作業に夢中になっている。
 こうすけが尋ねたことをキッカケに、ずっと無視していたさとる達も、猛烈になおきのやっていることが気になってきた。
 全員が全員、後ろから覗き込む。
 そこで漸く、見られていることに気付いたらしく、なおきは慌てて振り向いた。
 彼等は、眉を顰めて、なおきの今書いたものを凝視していた。

 E コ π
  め ソ が ヒ ウ 

「…なんだこりゃ」
 こうすけが苦笑いする。全くイミがわからないのだ。
「うー!」
 なおきが、怒鳴るように叫ぶ。
 書字障害の彼は、この家に来て一年経つものの、全く文章というものが書けない。
 …ということは。
「なおき、その白い紙、何て書いてあるんだ?」
 さとるが尋ねると、彼は傍らに置いていた白い紙を、躊躇わずにとって見せてきた。

  たつや
   ありがとう 

 全員、言葉を失った。彼は、学校で誰かしらに頼み、書いてもらったらしいこの文章を、必死に写そうとしていたのだ。
「…え、何でお礼?」
 思わず呟いたあやに、「あー!」と叫ぶ。こういうとき、彼が喋れたらと思ってしまうのは、仕方のないことだった。
「ひょっとして……いつかお礼を言いたいと思ってて、それがたまたま今日だった?」
 さとるが言うと、なおきは深く頷いた。そうらしい。
 純粋な少年だ、と改めて思った。
「…りこもお礼、言いたい」
ふいに、彼女はそう言った。彼等が、りこを見る。
「りこも、たつやに『ありがとう』って、言いたい」
 その気持ちも、彼等にないわけではなかった。頼んでもいないのだが、それでも、たつやがいなければ、自分達がここまでまともに生きてこられたか分からない。施設に行って、いい思いができるとは思えなかった。きっと家族もいなかっただろう。
 たつやに会えたから、こいつらといるんだなぁ。
 さとるは、何気なく彼等といることが、とても幸せなことであるのだな、と思った。
 こうすけが、頷く。
「…たしかに、お礼、言ったことねぇや」
「こんなに一緒にいるのにね」
 あやがひょいと肩を竦める。
「なぁ、なおき」
 さとるは、なおきの書いているノートを指で指し示す。
「俺達も、手伝っていいか」
「………」
 少し考える仕草をした後、
「あー」
 なおきは首肯した。

   *   *   *

 帰ってきたのは夜の十一時だった。残業で遅くなったのだ。辰也は半年ほど前から、郵便局の仕事についていた。今日は、荷物がちゃんと届いていないだとかクレームをつけられ、その対応だとかで仕事の時間が大幅にずれたのだ。
 五人は既に寝ているらしく、部屋は暗かった。うーん、と伸びをして、上着を脱ぎ、椅子の背もたれに引っ掛けた。
 そこで、ふと、リビングのテーブルの上に、ノートが開いたまま放置されていることに気付き、近づいてみた。
 そして、口許だけで笑い、余白部分にこう書き加えた。
 こちらこそ≠ニ。










―――――――――――――――
【 二〇一三年 五月十日(金)     「なおき」の番です】


  E コ π

           ありがとな。

 め ソ が ヒ ウ

感謝〜♪

                   サンキュー。

    ありがとう。



【                    次は「あや」です】








fin.



縦書きじゃないと訳が分かりませんね!?(コピペして驚いた)
交換日記を題材にした物語でした。先輩方の卒業式にあたって書いた作品です。つまりはやはり文芸部提出作品です。

そしてこの時期にたしか「マルモのおきて」が流行っていたのかな?多分それがかなり影響しているかと思います。今までに交換日記形式の小説なんて書いたことがなくて、随分前に書いた手紙形式よりもだいぶピンとくるものがあったので、本来お気に入りの作品です。

こうやってネットに載せたら破壊的に読みにくくなりましたがね!!
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