ザ*ハルシオン*ツリー

トト | update : 2012.2.15
お金のない低い身分の親子の物語。もう生き延びることも難しいかと思われた矢先に次々と起こる「キセキ」。その正体は……。


 まだ会ったことのない誰かが、
 いつも私に希望をくださいます。
 「誰か」に私は、何度救われたことでしょう。
 そして、二年前のあの日。
 春の光の中、私は一本の横笛を、
 いただきました。


   *   *   *


 私の家は貧乏で、母子家庭なのに、生計も立てられないほどです。父のことについて、母はあまり語ってくれません。それ故、私自身、父のことは全くと言っていいほど知りません。母も決して丈夫なわけでなく、ここのところ床(とこ)を離れることもままなりません。
「……本当に、ごめんねぇ……」
 真っ青の母に言われます。いつも、そう。実際何を謝っているのか、分かりません。でも、訊くのは怖いから、私は微笑むことしかできません。
 お医者様も呼べません。お金がないというのは、あまりに辛いです。ただ、長屋の中で事情を知っている方が気を遣ってくださるので、最悪の状況ではないはずです。
だから私は、頑張れます。

 油が、もったいない。
 そう思って、私は灯台の火を吹き消しました。すると、部屋の中は一瞬にして闇と化します。
「寒っ……」
 私は手と手をこすり合わせて、何とかして身体をあっためようとしました。寝る際の布は、全て母にかけてあります。冬となると、ありったけの布を被っていないと寒さに母が耐えられないのです。
 といっても、冬に何も被らずに体温を保とうとするには、限界があります。翌朝には、私の身体は完全に冷え切ってしまっていました。
「…食べ物……」
 冷たい風に身体を震わしながら、私は外へ出ました。草履の裏を越えて、足からも冷たさが伝わってきます。
 先程言いました商人の方は、長屋の一番端に住んでいらっしゃいます。そこへ行きますと、商人の方はまた、少しだけ食べ物を分けてくださいました。粟のお粥と、焼魚を一匹と、焼芋を三本――――三本?
「こ、こんなに頂くわけには…!」
「ああ、心配しなさんな。どっちかってぇと、俺が謝んなきゃなんねぇ」
「え…?」
 商人の方は、申し訳なさそうに、私の頭に手を置きました。大きな、手です。それで、優しく、ポンポンと撫でてくださったのですが―――

「上京…ですか……」
「あァ…。明日には、もう…」
 つまり、食料はもう分けられない。だからこの方は、私に謝りたいと言ってくださったのだと思います。
「ほんとに、すまねぇ」
「いえ…。……これまでのお気遣い、深く感謝いたします」
 商人の方は悲しそうに笑い、
「…まだ十五だってのに、本当、しっかりした娘さんだよ、おめぇは。母ちゃんのこと、大変だとは思うが…」
「心配には及びません。…何とかします」
 そうか、と頷き、彼は会釈をすると、部屋へ戻って行かれました。
 さて困った、と思いました。食料に関しては、恥ずかしながらあの方に頼り切りだったのです。とりあえず、再び私は部屋に戻って、母を起こさないように注意しながらその食料を置いて、再び外に出ました。
(……ふぅ。まずは、井戸…)
 飲み水は井戸から得ていました。水売りから買うにも、それは高値で売られていたのです。井戸から得たものを飲んで、伝染病等にかかりはしないか。それはもう、神に祈るしかありません。
 井戸のあるところへ行き、水を汲み上げるといういつもの作業。ですが、それをしたときに僅かな目眩を覚え、自分がかなり疲労していることに気付きました。
(………ほんと…参ったな…)
 これで自分が倒れてしまっては、母を看病する者がいなくなる。ならばそろそろ自分自身が休むのが一番なのでしょうが、そのような暇がありません。
(どうしよう…)
 考え込み、動きを止めていると、誰かに話しかけられたような気がしました。

「       」
 
 耳を澄ますと、やはり何か聞こえます。でも、言葉として入ってこないので、何を言っているのか全く分かりません。
 ヒュウッ……。
 冷たい風が、通り抜けました。ふと、そこで疑問に思ったことがあります。それは、先程までとその風の来る方向が、まるで違っていたということです。私はその、明らかに別方向から来た風の方角へ歩を進めてみることを決意しました。
 寒くて身を縮めながら歩き続けてみると、次第に森に入っていくこととなりました。ここを抜けると、海であったと記憶していますが、何分幼いときのことなので、定かではありません。
 そのまま進んでいきますと、一本だけ種類の違う木を見つけました。とても植物に詳しいといえるような私ではないのですが、恐らく桜だろうと思われました。
「あっ…」
 そして、私の瞳に飛び込んできたもの。それは、葉と蔓を細かく編むことで形作られた布でした。桜の木の下に、丁寧に畳まれて放置されていたのです。お侍様がお忘れになられたものでしょうか。
「これ……見た目より、あったかそう…」
 予想しているよりも、その布は柔らかく、分厚いものでした。これを被れば、少しは寒さを防ぐことができると思い、悩んだ末に私は、これを一日だけお借りすることにいたしました。

 粟のお粥を食べておりますと、母は薄く笑いながら言いました。
「また、こんなに頂いてしまったんだねぇ…本当に、この食料をくださる方には、頭が上がらないよ」
 私は曖昧に頷きました。母は焼魚を美味しそうに食べています。焼芋は一本を半分にして分け合いながら食べました。空腹を満たすものなら何だっていいのですが、商人の方がくださる食べ物はいつも、新鮮で美味しいものばかりです。ズルズルッ、と粟のお粥をかきこむと、私はモヤモヤとした気持ちを、それと一緒にお腹の中へと落としました。いつ、母に商人の方のことを言うか。それは妙に勇気を要することでした。
 その晩、母はもう充分、沢山の布を被ることでかなりの寒さを防ぐことができていたようなので、私は昼に森から持ち帰った布を被って、眠ることにしました。すると、それはもう思った以上のあたたかさで、そして懐かしい感じにも襲われました。おかげで、私は随分久方ぶりに、ぐっすりと眠ることができたのです。

 そうは言っても、この布はすぐにまた、元の場所へ戻すことを元々決めておりました。使い続けたいのは山々なのですが、元は私の物ではないのです。きっと、置き忘れた方が、再び捜しに来るでしょう。
 昨日、商人の方から頂いた残りの食料を、朝に母と二人でたいらげました。あれだけの量でも、やはり丸二日はもちません。その後長屋の端にまで行ってみたのですが、そこにあの方の姿はなく、もぬけの殻といった状態でした。私からしてみれば、父や兄のような方で。上京なさった、ということは、こちらとしては残念でなりません。寂しいな、と、心の底から思いました。

 布を脇に抱えながら、私は森の中に入り込みました。今日はいつもに増してやることが盛り沢山です。まず水はまた井戸からとってきますが、食料を何とかしなくてはなりません。かと言って、盗み等をする気は毛頭ない私は、いよいよ僅かなお金を使うときがやってきたかと思いました。
 そして再び桜の木にまでやって来て、またもや私はぽかんとしてしまいました。今度は布のかわりに、何か見たことのない木の実が、大きな葉の上にコロコロと転がされて置いてあったのです。歩み寄り、鼻を近づけてみます。薄桃色のその謎の木の実からは、とても甘い香りがしました。
(毒があったら…)
 自分の想像に、思わずドキリとします。ですが、私の好奇心は「食べてみたい」と叫んでいました。毒があれば、一貫の終わり…。
(………でも。これで食料が見つからなかったら、どっちにしたって飢え死にだ)
 意を決し、私はその木の実を一つ、口の中に放り込みました。見かけより水分があり、甘く、そして一切の臭みもない。僅かな酸味には驚きました。
 それから暫しの間じっとしていましたが、身体には何も影響がないようでした。つまりこれは、食べられるということです。
 周囲を見回してみましたが、お侍様の姿はどこにも見られません。私は、今回は布を置いて、その木の実を全て持ち帰らせていただくことにしました。現状では、迷う余地などなかったのです。それだけ、私は母と、二人きりで生きることに、窮していました。

「………どこで、そんなものを…」
 昨晩、やっとの思いで私が言った、商人の方のこと。事情を知っていただけに、母は大変驚いた様子でしたが、私は、森で採ってきた≠ニしか言えませんでした。もしかしたら、実は盗みを働いたのかもしれない。そんな不安を打ち明けて、母に余計なことを気負ってほしくはありません。それについては、私の心中に留めておくことにしました。
 けれど、不安はその日の夜に消えました。また何も被らずに眠っていた私に、あの布がいつの間にやらかけてあったのです。そして、気付きました。誰かが、私達を助けてくださっているという、事実に。

 以後、似たような「キセキ」は度々起こりました。雨漏りがあって困り、森に行けば、穴を防ぐのに充分な大きさの葉が置いてあったり、母の容体が悪くなれば、桜の木にまた、薬草がたんまりと置いてあったりもしました。そこにいつも、私達の助けとなるものを置いてくださる方に御礼を述べたくて、私は丸一日、その木の下で待ってみたこともありますが、お会いすることはできませんでした。

 それから三ヶ月ほどが経過しまして、驚いたことに、上京したあの商人の方が戻ってこられました。
「しばらくだなァ」
 ニッコリ笑って、私をまたポンポンと撫でてくださいました。私は頭をさげることで、潤んだ瞳を隠しました。
「あれから随分経つが、母ちゃんの方はどうだい?」
「ああ、あなたが以前、食べ物を分けてくださっていたという、商人の方ですね?」
 私が答えようとしたところで、母が長屋から出てきました。かつての母の様子を知っていたこの方は、大変驚いたご様子でした。
 この頃、母の病状は日に日に良くなり、自ら床から離れられるにまでなっていました。母は私の看病のおかげだと言いますが、私は「誰か」のおかげであることを知っています。まず、母が突然良くなり始めたのは、桜の木の根元に置いてあった薬草を扱い始めてからなのです。
(御礼……したいなぁ…)
 私は母と商人の方に会釈し、また森へと向かいました。

 例の桜の木まで来てみますと、今日は少しいつもと違うものが置いてありました。手作りの横笛です。全体を漆に塗られたもので、高麗笛に似ているようにも思いましたが、違うようです。その片端から、一つの赤い蜻蛉玉がぶら下がっていました。
(…私…笛を吹きたい、なんて…言ったっけ……?)
 疑問はありましたが、折角なので持ち帰らせていただくことにしました。
 長屋へ戻ると、母が笑顔で私を迎え、見たことのないような食べ物を見せてくれました。
「これって…」
「先程の商人の方から、頂いたのですよ…」
 何でも、京で手に入れた食べ物を、私達にと持って来てくださったそうなのです。やはりあの方は、相変わらず親切でした。
 しかしその翌日から、この三ヶ月間「日常」にさえなりつつあった「キセキ」が、一切なくなりました。いつも何処からか食料をとってきていた私が、あまり持ってこなくなったことに母は首を傾げていましたが、何も尋ねては来ませんでした。それに、母ももう動いて働くこともできますし、万一のときでも商人の方が助けてくださるので、「キセキ」がなくても生きられそうではありましたが――

 「誰か」から頂きました、この希望。
 感謝してもしつくせません。
 私は「誰か」を、待ちましょう。
 最後に頂いた、横笛を吹きながら。


   *   *   *


 二年後。
 森の中に、高い笛の音が響きます。私の吹く横笛から、出ている音です。二年もすると、笛の腕は格段に上がっていて、今ではこの森までわざわざ聴きに来てくださる方もいらっしゃいます。
 母は今ではすっかり元気で、床に伏すことはほとんどなくなりました。商人の方もあれから一度も上京せず、この地で商売をなさっています。お金も少しばかり増えて、随分と安定した生活になりました。
「………ふー…」
 唇を離し、桜の幹に身体を預けます。そよそよと吹く風は、あたたかいです。木漏れ日を見つめていた私はまどろみ、そのまま眠ってしまいました。

 ふ、と目を覚ました時、日の光がオレンジ色になっていたので、もう夕方なのだと思い、あわてて起き上がりました。
「………!」
 身体にかかっていたのは、あのときと同じ、布でした。横笛を握り締めて、すぐに立ち上がります。辺りを見回して、人の影を探しました。
 ザァ…。
 あたたかい風が、通り過ぎていきます。しかし、その風は、先程までのものとは違う方向から、流れてきたのです。

「       」

 声が、聞こえたような気がしました。
 後ろを振り向き、桜の木を見上げました。今はもう満開で、美しいピンク色に染まっています。
 その、桜と桜の合間から、ひどく懐かしいような、幸せな気持ちになれるものを、見つけました。
「………初めまして、でしょうか」
 泣きそうな思いで、心から笑います。
「いいや。久しぶり、であろうな」
 クスクスと笑い、瞳を閉じます。
 私はもう一度、横笛に唇を近づけたのでした。





fin.


時代設定としては江戸時代あたりでしょうか。例によって文芸部提出作品となっております。雅楽というか和楽器がとても好きです。横笛が作品の中心にやってきたのは多分そういうことだったかと。
小説に限った事ではなく、物語の鉄則として、伏線は回収しなきゃいけないと思ってます。それが自分が作った作品への礼儀でもある。
でも回収するために全部を明言しなきゃいけないとか、そういうことではなくて。読者様の考え方にお任せします、という形でこの作品は終えています。そういう伏線回収の仕方もまた一興。

最後に出て来た人物が誰かは、私自身にも分からないのかもしれないなーとぼんやり。
でも当時そこまで考えがあって書いてはいないと思います(笑)
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