■ 左文字相談室

「甘えるってどうやるんだ」
「あなたは相談相手を間違えていると思うよ」

 真剣な顔で放たれた言葉に、僕は思わずそう返していた。燭台切さんが剥いてくれた柿と、一緒に渡して貰った緑茶を、目の前で頭を抱えて突っ伏す薬研に勧める。
 僕と薬研は、それぞれ初めて鍛刀された短刀と、初めて戦場で拾われた短刀だ。本丸の初期から寝食を共にして、日々戦ってきた。薬研藤四郎は他の刀よりもずっと、人の身を得て共に過ごした時間は長い分、僕としても比較的気軽に接することができる刀だと思っている。
 ……思っているけれど、どう考えても今回ばかりは、僕に相談するものではないとも、思う。
「でも仲直りするにはそれしか……」
「……どうして、喧嘩になったの?」
 薬研と不動が恋仲なのは、この本丸で全員が知っていることだ。どちらも素直じゃない上に不器用で、恋仲としての関係に至るまでにも、結構色々大変なことがあったし、協力している刀もいたから、やっと恋仲として落ち着いたときは全員が安堵したほど。
 それからの二口の関係は円満で、心配する事なんてほとんどなさそうだったはずだけれど…。
「俺が甘えねえなら暫く口聞かねえって、行光が言った……」
「……もう少し、詳しく…」
 控えめに言って、とっても分からない。
「あー……」
 顔を上げて、ぐしゃぐしゃと乱暴に自分の頭を掻いている。顔は何となく疲れていて、あまり普段の凛とした振る舞いは見られない。
「ええとな……うーん……」
 いかにも、説明を始めそうな雰囲気を醸し出していたのに、なかなか薬研が口を開かない。無遠慮というわけではないけれど、どちらかと言えばはっきりと物を言う性格だから、珍しい光景だなと思った。
「……言いにくいことなの?」
「え、いや、言いにくいっていうか…言いにくいわけじゃないんだが……」
 ええい、と薬研は大きく首を振ると、卓に手をついて身を乗り出し、物凄く真剣な表情で僕の顔をのぞき込んだ。その表情は、新しい戦場が開かれたときなんかに行われる軍議のときにも見たことがある。
 ……戦でも、始まるのかな……。
「……良いか、小夜すけ。これから俺が話すことは、明日には忘れてないといけねえ」
「……?」
「いいな?」
「あ……うん」
 忘れないといけないようなことなのか、と僕は思わず身構える。そんなに他言できない事情、僕に話して、大丈夫なのかな…。
 薬研は意を決した様子で、言葉を紡いだ。
「……昨夜、行光とその、夜這いをしてだな」
「ああ……」
 無駄に納得してこっそり物凄く脱力した。
 不思議なことに、宗三兄様と江雪兄様は、そういうことに関しては僕に伏せたがる。僕はまだ知らなくていいって。早すぎるって。……でも、曲がりなりにも短刀だし、寝床に置かれていた経験もあったから、流石に僕もそういうの、知っているんだけれど…。
 なるほど。薬研は、兄様たちに怒られるのを警戒していたんだ。
「それで、まあ、何だ。……その、主導権を握るのが、いつも、俺でだな…いや主導権っつうか、あー……」
「……分かるからそれでいいよ」
「ああ、うん、すまん」
 夜這いという言葉を使っておきながら、できる限り直接的表現を避けて説明をしようとしている薬研に言う。
 そういえば、粟田口のみんなの、兄上である一期一振さんも、弟の耳にそういう話が入らないようにしているって、聞いたことがあったような気がする。もしかしたら、短刀よりも打刀や太刀の方が、「人間らしい」側面があるのかもしれない。なんて言うか、見目にとらわれるというか、子供(に見える僕たち)にはまだ早いって思いこんでしまうというか。
 ……他でもない短刀の薬研と不動は、そういうこと≠しているわけだけれど、どちらも短刀らしい無邪気さとかが欠落していたから、黙認されているのかな。よく、分からない。
「小夜すけ?」
 声を掛けられて、ハッと我に返る。
「……ごめん、聞いてなかった」
「あ、やっぱりこういう話は……」
「そうじゃなくて、ちょっとだけ、考え事してただけだから。ごめんなさい。もう一回……」
「お、おう…」
 たどたどしく、薬研がもう一度、僕に説明をしてくれる。やっぱり直接的表現は必死に避ける物言いだったけど、言葉選びは上手かった。何を言いたいのかは伝わる。
 つまり、昨晩、不動と体を重ねたとき、主導権はいつも通り薬研が握っていた。でも、全部済んだ後に、不動が、いつも薬研に頼り切りであることが心苦しいことを言った。全然構わないと薬研は答えたのだけど、不動の方は納得できなかった。でも行為のときにどうしても不動が主導権を握れるとは思えず、本人もそれは感じていた。ならば、せめてそのとき以外に甘えてくれれば、甘やかすことくらいできると豪語した不動だったんだけど……
「…甘えるのは俺の柄じゃねえし、俺が甘えても気持ち悪いだけだろうって言ったら……」
「怒っちゃったんだね……」
 不動は、自分を卑下する割に、話している相手が自己卑下を始めると、「そんなことはない」と、いっそ積極的と言えるくらい肯定しにかかってくれる。僕も、復讐にまみれた刀なんて、と目の前で言ったら、そんなこと言うなって怒られた。
 この際、果たして薬研の発言が自己卑下に分類されるのかはさておき、どう怒ったのかは僕でも想像できる。
「でも、それなら薬研がその場で謝って、撤回すれば済んだんじゃ…」
「いや…俺がそうする前に、行光がどうせダメ刀に甘えても何も満たされないもんな≠チて言うから……んなわけねえのに何言ってんだこいつって思って無性に腹が立って……」
「………怒っちゃったんだね……」
 目の前の短刀は、ぐったりした様子で頷いた。
「……それで、向こうも向こうで、甘えてくれないなら口聞かねえって…そのまま俺も部屋、飛び出して来ちまった…」
 そうやって繋がるんだ。
 なんて言うか、物凄く怒り方が似てるんだけど……
「……平和な喧嘩だね……」
 江雪兄様が聞いたら凄く……優しく笑ってくれそう。
「満たされねえわけねえだろあいつで満たされるからこそ好きで毎晩抱いてんだろうがぁっ! 可愛く啼きやがって畜生!」
 薬研が、ダンッ、と卓に拳を叩きつける。直前に置いてあった二人分の湯飲みを避難させて、一つは置き直して、もう一つはそのまま飲んだ。美味しい苦みが微かに舌を痺れさせる。
 薬研が再び卓に突っ伏した。包み隠さない表現が聞こえた気がしたし毎日って言葉に正直驚いたけど、顔には出さないで突っ伏した姿を眺める。そもそも、乱暴な言い方ではあるけど、それってただの惚気じゃないのかな……。恋愛感情なんてよく分からないから聞けば聞くほど難しく感じる。
 突っ伏したまま、薬研は、うろうろと手を空中で彷徨わせていたから、柿を探しているんだということはすぐに分かった。楊枝が刺してあるのを近くに寄せると、手に触れると同時に顔を上げる。
「なあ、小夜すけ…俺はどうしたらいい?」
 言いながら柿を口の中に入れて咀嚼する薬研に思う。どうしたらいいって……不動は甘えてくれないと口を聞かないって言ったんでしょう?
「……それは…不動に甘えるしか、ないんじゃ…」
「だよなぁ…」
「…嫌じゃ、ないんでしょう?」
 満たされないわけないって、言ってたし…。
「嫌じゃねえけど、言ったろ。甘え方が分からん。教えてくれ」
「あなたの目に僕はどう映ってるの……」
 だから僕のところにきたのかと思うと、ちょっと、やっぱり、脱力する。
 寧ろ僕は周りから、もっと宗三兄様や江雪兄様に甘えた方がいいと言われる立場だ。それに実際僕だって上手な甘え方なんてまるで心得ていないし、そもそも甘えることの意味とかその辺の認識も曖昧で、とてもではないけど教えられるような立ち位置ではないことの自覚くらいはある。
「でも前より、甘えるようになっただろ? 宗三や江雪に」
「それは、兄様の方から気を遣ってくれるからで……」
「じゃあ行光が俺に気を遣ってくれれば…?」
「そうじゃないと思う……」
「うん、だよな。行光はいつでも俺に気を遣ってくれてるし…」
「そういう意味でも、ないんだけど……」
 薬研はどうして、不動のことになるとこんなに、……何て言うか……頓珍漢なことを、言い出すんだろう。普段はあんなに、頼れる兄貴≠ニして充分すぎるほどしっかりしているのに。その証拠に、粟田口派のみんなは、薬研のことを同じ短刀であるにも関わらず、「薬研兄」と慕っているのを、僕は知ってる。
 ……そうだ、兄弟。
「ねえ、薬研」
「ん? 何か妙案が浮かんだか?」
「妙案っていうか…薬研の兄弟に、信濃が、いるでしょう…?」
「信濃? 信濃がどうした」
「信濃に、その……甘え方の極意、の、教えを乞うのは、どうかな…」
「その心は?」
「えっ……だって、信濃は一番、甘え方が、上手だから……」
 僕はそろりとお皿に手を伸ばして、楊枝が刺してある柿を取り、口に運んだ。程良い甘さで、堅さで、美味しい。こんな些細なものでも、美味で、お腹を満たしてくれると思うと、不思議と安心した。
「信濃が甘え上手なぁ……」
 予想に反して、薬研の反応はあんまり良くない。なるほど、とか納得したものは返ってこなかった。どちらかと言うと、僕の考え方にぴんときていない方。
「違うの?」
 すぐに誰かの懐に入りたがるし、遠慮なく誰かに飛びつきに行って、満足するまでそこに収まっていることがあるのはよく見かける。時々、宗三兄様や江雪兄様の懐に落ち着いていたのを見たこともあった。
 羨ましいな、と思ったことが何度かある。僕はあんな風に甘えることはできないから。僕が触れることで、その相手を傷つけることになってしまうんじゃないかと思うと、怖くてできない。
「違くはないんだが……じゃあ、小夜すけ」
「うん」
「俺が行光〜懐入れて〜!≠チて、言えると思うか?」
「どうして信濃の口調まで真似るの……」
 頓珍漢だ。
「普通に……懐入れてくれ≠チて、言ってみたら?」
 普通に、と言っても、僕もその発言を兄様達にするのは正直気恥ずかしいし、難しい。だから一瞬言うのは躊躇ったけど、毎晩やっていることに比べたら大したこともないかと思って、提案してみた。けど、
「いや、恥ずかしすぎるだろ…」
「何で」
 薬研の恥ずかしい≠フ基準が分からない。
「いや、だって……えええ……無理だ…絶対無理…」
 薬研が頭を抱える。その耳は赤い。本当に照れているみたいだけれど、夜にやってることよりは圧倒的に刺激は少ないと思うな…。
「ああもう、どうすりゃいいんだ……!」
 自ら選択肢を削っている気がするんだけど気のせいかな…。
 でも本気で悩んでいる薬研に、何も助言できないのは嫌だった。僕だって、兄様達とどう接していけばいいのかとか、今までに相談したことはあるし、その度に色々助言はしてくれていたから。例えば、一期一振さんと接するとき、薬研はこう考えている、とか。逆に、薬研が兄様達の立ち位置だったら、弟の粟田口のみんなにこう接して貰えるだけで嬉しい、とか。視点を変えた考え方を教えてくれたのも、薬研だ。
 ……視点を、変える?
「……ねえ、薬研」
「んー?」
 突っ伏した顔を上げて頭をぐしゃぐしゃと掻き乱し、湯飲みのお茶を啜っていた薬研が首を傾げる。
「……長谷部さんに聞くのは、どう?」
「は?」
 きょとりと藤色の瞳が丸くなる。何を言っているんだ、と問われているのが分かった。
「……長谷部さんだって、甘やかすのは、得意じゃないでしょう? ちょっと、不動と似ているところがあると思う」
「それは俺も感じてる。あの二人は仲こそ悪いが、何だかんだ似てる。でも何で、長谷部に甘える極意なんて訊くんだ? 誰かに甘えてることなんてあったか?」
「そうじゃなくて……甘えられる立場、だから」
 上手く言葉が続かない。案の定、薬研もよく分からないと言いたげに、また逆方向に首を傾げてしまった。えっと……
「…博多が、長谷部さんに甘えてるの、見たことあるんだ。でも、長谷部さんは甘やかすのが、その、あんまり上手じゃないと…思うから。それでも、博多は満足そうにしていたし、長谷部さんも、満更でもないっていうか……」
 僕は、あまり他の刀をちゃんと見ることができているか、分からない。誤解かもしれない。でも凄く古参だから、指揮をとる立場になることも多くて、できるだけ本丸のみんなを注意深く見ているつもりなわけで…。
 自信は無かったけど、思い切って言ってみた。
「どう甘えられると、甘やかしやすいのか、とか。受け身の視点で、長谷部さんに意見を貰うのは、どうかなって…思ったんだ…」
「……長谷部か……確かに、甘える側のことばっか考えちまって、甘えられる側のことは忘れてたな…俺も基本甘えられる側とは言え、行光のことになると実際わかんねえことも多いし」
 顎に手を添えながら、納得したみたいに頷く。よし、と声を出して薬研は自分の膝を叩いた。悩みに悩んで淀んでいた目が僕に向けられる。
「流石小夜すけだ、参考になったぜ!」
「……そう」
「そうと決まりゃ善は急げだ。早速長谷部のとこに行ってくる」
「えっ、今から?」
「おう。後にしたら行光と喋れない時間が長引くってことにもなっちまいかねないからな。ありがとな、小夜すけ。あと、ごちそうさん」
「あ、うん」
 自分の湯飲みは持って、大股で部屋を出て行く。
 僕はその背中を見送り、お茶を啜ってから残っている楊枝の刺さった柿を取ると、一つ口の中に入れた。柿の甘みが、お茶の苦みと絶妙に絡んで、美味しい。
 長谷部さんには、今度謝ろうと思った。何となく。



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