■ 返せる愛を忘れない

 記憶喪失という病気がある。
 物理的に、あるいは精神的に大きな衝撃を受けたときに発症したり、何か重い病気のせいで併発したり……まあ、原因は色々考えられるらしいが、それまでの自分のことも、周りのことも忘れてしまう病気だと言う。
 顕現当初から刀の頃の云々が原因で記憶がない奴は、人間でいうところの記憶喪失とはまた少し違うようだし、実例を見たことなんてない。ただ、興味本位で読んでいた医学書で知った病気だった。
 人の身を得たところで、刀は刀。腹は減るし風邪も引くが、それでもそんな病気とは縁がないんじゃないかと思っていた。急に全部忘れてしまうことなんて、あるわけがないと思っていた。

「……お前、誰?」
 
 不動行光が、俺の顔を見てそんなことを言うまでは。

   ***

 時は遡り、二日前。
 朝っぱらから泥酔した様子で部屋から出てきて、ふらふらと覚束ない足取りで廊下を歩く姿には呆れた。
「行光」
「あー? ……何だぁ、薬研か。…ひっ、く」
「朝餉のときはまだ素面だったってのに……」
「朝餉のときに飲んでなかったからいいじゃねぇかよぉ」
 ひっく、と定期的にしゃっくりを挟みながら、酒精で赤くなった顔を俺に向けてくる。
 甘酒が「飲む点滴」と称されるほど栄養価が高いことは知っている。が、それは適量の摂取の場合のみだ。そろそろ好きに厨から持ち出せないように制限しないといけないな、とか考えながら俺は肩を竦めた。
「それよりぃ。良いのかぁ? こんなとこで油売っててさぁ」
「ん、ああ、そうだったな。俺も呼ばれてるんだ。行こうぜ、一緒に」
「へいへい……」
「あ、手ぇ貸してやろうか?」
 ふらふらと体が揺れている相手に手を差し出してやると、思い切り顔を顰められた。痛いほどに強烈に、というわけでもないが、緩く拒否の意で払いのけられる。
「いらねーよ、気持ち悪い」
「お前がふらふらしてるのが悪いんだろう」
「うるせぇな、しゃんと歩きますよぉ、しゃんと」
 手は繋いでくれない。でもそのまま歩き出せば大人しく隣は歩いてくれる。長い綺麗な黒髪が揺れて、時折視界に入る。ちらりと横顔を見て、ああ別嬪だなぁと思うのはいつものことだ。
 その視線に気づいて行光が此方を見て、「何見てんだ」とガンを飛ばすのもまた、いつものことだ。
 山姥切の旦那や御手杵以上に、極端に自己評価の低い短刀は、どんなにはっきりとアピールしたところで、到底想像もしていないだろうし気づいてもらえることなどないのだろうが。

 俺は。
 薬研藤四郎は、不動行光に恋していた。



「入るぜ長谷部」
 返事も待たずに障子を開けると、そこには部屋の主である長谷部の他、宗三に小夜すけ、青江の旦那が座っていた。
「遅いぞ、薬研。不動」
 それほど大変な遅刻ではないだろう。だが、置いてある時計が示している時刻は確かに予定より数分経っていた。すまん、と詫びながら空いている場所に行光と腰を下ろす。長谷部の視線が俺の隣に向いて、目つきが険しくなった。酔っ払っているくせに詫びの一つもないからだろう。相変わらずこの二人、どうも上手くいっていない。
「おやおや、また随分と赤いねぇ。何をしていたのかな?」
「大方また甘酒でも飲んでいたんでしょう」
 場を和ませようと考えてか、敢えて指摘した青江の旦那に便乗して、宗三もあくまで「いつものこと」と流した。
 こうなってはわざわざ皆の前で叱るのも憚られたのか、今にも怒鳴りそうだった長谷部がぐっと堪えた様子で唇を結ぶ。旦那方も慣れたものだと思う。
「で? 大将は何だって? 近侍殿」
 近侍≠ニ呼べば長谷部の表情から微かに険が落ちたのが分かった。俺が言うのもなんだが、ちょろい。これくらい分かりやすいと良いんだがなぁ。俺は隣で赤ら顔のままぼんやりしている思い人――というより思い刀を見やる。
 長谷部は文机の上に置いていた書簡を見せてきた。しっかりと審神者の印も入っていたし大将からの伝令で間違いがなさそうだ。目の前で広げると、読み上げた。
「『新たな合戦場が現れた。しかし時代、場所は共に不明。恐らく政府の不手際によるシステムエラーの一環で一時的にのみ発生しているものと考えられるが、歴史修正主義者の出現を確認。直ちに迎撃せよ』」
「時代も場所も分からないのに、何故歴史修正主義者はわざわざそんな場所に行くんです? 僕らが守る歴史も、彼らが修正したい歴史も、そこにはないでしょうに」
「所謂異空間とも呼べる奇妙な合戦場になってしまっているらしい。恐らく政府のシステムとも直結している部分があるんだろうと、主は仰せだ」
「歴史修正主義者も頭が良いねぇ。自分たちの邪魔をする僕らを虱潰しに倒すより、大元の政府を叩こうって腹かな?」
「……好きには、させない」
 簡単な話が、バグで発生した合戦場なのだろう。基本的にいつも歴史修正主義者が現れた時代に飛び、殲滅するのが彼らの仕事である。しかし、時を超えるために開発された二二〇五年の複雑なシステムは、たまにこうしたトラブルを生む。だが、それを全て了承した上で何処の本丸も運営しているのだから、放っておくわけにもいかない。
「ってことは、今ここにいる六人が大将の選んだ出陣部隊の編成か?」
「そうだ。どうも不安定な場所らしく、昼か夜かも判然としない。だからどちらでも対抗できるこの編成になった。隊長は、最高練度を誇るこの俺だ」
 後半を妙に強調し、得意げに答える彼に行光がぼそりと。
「……この本丸のほとんどがもう最高練度じゃねえかよ」
 びきりとこめかみに青筋を浮かべる長谷部には気づいているのだろう。これでいて行光は聡くないわけではない。ただわざと言ってしまうのだ、とくに長谷部には。我関せずと顔を背けるそいつに、やはり長谷部は堪えきれない様子で肩を震わせたが。
「貴様っ」
「確かになぁ。行光も鬼のように出陣した時期あったもんな」
「……ふん」
 また俺が先取りして柔らかく言うと、長谷部は出鼻をくじかれた顔をしていた。すまん、長谷部。
 実際、この本丸のほとんどの刀が最高練度だ。大将が「一口も折らない」と豪語しており、絶対に敵に折られるなんてことがないように、満遍なく出陣命令は下された。おかげで新参者は最初の期間は基本的に地獄を見る(常軌を逸した回数の出陣と周回をする)ことになるが、その分周りと肩を並べられるのも早い。今日に至るまで誰も欠けることなく来ているし、概ね高評価をされた本丸になっていると聞くので、何も間違っていないのだと思う。
 強いて言うなら俺や小夜すけは最高練度ではない。でもそれは俺たちが修行に出たせいで、色々と基準とするところが変わってしまったからだ。力で言えば、修行前なら手も足も出なかった太刀や大太刀にも引けを取らないくらいになったのだから、申し分ない。
「出陣時刻は未の刻。各自準備を終えて門に集合すること。遅刻は許さん」
 以上、と長谷部が話を畳むと、宗三や小夜すけ、青江の旦那が部屋を出た。
 俺は部屋に戻ろうか薬部屋に一度籠もろうか悩んだが、なかなか立ち上がろうとしない行光に気づいて声を掛ける。虚空を眺めて、また、ひっく、としゃっくりを出してから、低い声で。
「……戦か……戦ねぇ……」
 そうだった。こいつは出陣の命令が下ると、必ずこうして浮かない顔をするのだった。
「行きたくないとでも言うつもりか?」
 文机に向かった長谷部が上体を捻って、行光を睨めつけた。行光もこれでもかと言うほど苦い顔をする。
「……別に誰もんなこと言ってねえだろへし切」
「長谷部だ」
「知るか」
 盛大な舌打ちを漏らして、急に立ち上がると目の前がくらんだのか、足元をよろつかせた。慌てて支えてやろうとする。
「触るな」
 今度は俺までが睨まれる。
「……おう、すまん」
 大股で歩いて、部屋から出て行く。俺はその背中を見つめて息を吐いた。行光は俺に触られるのを嫌うのは知っている。別にはねのけられるわけではなくて、ただ短く拒絶される。それが本気かどうかの見分けくらいはつくから、ダメだと思ったときは素直に引き下がることにしている。
 嫌われているわけではない。そう信じている、と言うと女々しいかもしれないが、他の刀といるときよりは比較的口を聞いてくれるし、先ほどのように隣を歩いても文句を言われないし、距離が開いている感じもない。
 でも不用意に触るのだけは、許してもらえない。顕現して結構経つのに。
「薬研」
「ん?」
 呆れ以外の何者でもない表情だ。いや、他の意味でとれるとしたら、同情か。
「あれの、どこが良いんだ」
 長谷部は俺の、行光に対する気持ちを知っている。……これが、何も言わないまでも気づいたのだといえば随分と、燭台切の言う「かっこいい」部類に入ったのかも知れないが、生憎そうではない。行光への思いを色々こじらせた時期に……というか、自覚した時期に、長谷部に絡み酒をして自ら吐いた。
「さてなぁ」
 俺にも分からんが、
「強いて挙げるなら、全部だと思うが?」
「……物好きめ」
 長谷部は嘆息した。
 そんなことを言われても、全部愛しいと思うのだから仕方ないだろう?



 そして約束の時刻に、全員が戦装束に身を包んで、門の前に集合した。行光は相変わらず酒が抜けきっていないようで顔が赤かったし、それに長谷部もいい加減にしろと怒鳴りつけていたが、慣れた様子で無視をしていた。
「小夜すけと出るのは久しぶりだな」
 大きな笠を背負って立つ小夜すけも、修行を経たせいで前とは少し違う戦装束だ。俺とは時期がずれていたので、修行の後で一緒に出陣するのは初めてかもしれなかった。それまでは顕現時期が近かった分、同じ部隊に配属されることは多かったため、お互い気やすい関係は築けているはず。少なくとも俺はそう感じている。
「……うん。そうだね……」
「やるか? 誉れ争奪戦」
 厚なんかを初めとした兄弟達とやる遊びのようなものだ。ただ遊びと侮るなかれ、存外士気が高まり、自分の知らないところ(例えば太刀の間)でも採用されているのを前に聞いた。
「……戦でそういうのをするのは、違うと思うから……」
 別に咎めているわけではないのだろう。でも小夜すけの持つ逸話からして、戦いと復讐は切っても切り離せないもの。そういう意味では修行でさらに深く掘り下げてしまったらしく、戦に対して鬱々とした表情がなくなることはなかった。よく頑張った、と宗三と江雪とが順繰りに小夜すけを抱きしめていたくらいだ。普段、兄弟でありながら距離があまり近いとは言えない三人には珍しい光景だった。
「つれねえなあ、小夜すけは」
 予想していた答えであるがゆえ、残念だとは思っていないけど口先だけでは残念ということにしておく。
「薬研」
「ん?」
 無言で、しかしおずおずと、小さく握った拳を差し出してきた。まだ顕現して間もない頃に、よくやっていた二人の合図だ。俺は頬を緩め、しっかり握った拳を小夜すけの拳にコツンとぶつけた。
「暴れてやろうぜ」
「うん」
 頷いたことで、高い位置で結った群青の髪が揺れる。
 そのとき丁度、門の確認を終えた長谷部が号令をかけた。俺たちは了解の旨を示し、足を踏み出そうとして……
「行光?」
 いつまで経っても動こうとしない行光に気づいた。ぼんやりとした目は、残っている酒のせいだろうか。早くしろ、と急かす隊長と、不思議そうに首を傾げる同隊の奴らとを見比べて、俺は行光の肩に触れようとする。
「え?」
 ところが、寸でのところでハッと我に返り、俺を見た。無意識だろうか、俺の触ろうとした手から逃れるように、一歩、身を引きながら。
 無意識だったらそんなに嫌かと凹むものがあるが、それはあとだ。
「どうした?」
「……どうしたって?」
「出陣するってのに、お前が動かないから」
「……嗚呼、ごめん。ぼーっとしてた」
 気にするなと手を振り、歩き出す。
 不思議に感じたが、今の態度だと恐らく行光は、何を聞いても頑なに答えないだろう。その辺りはもう分かる。でもこの後も様子がおかしいようだったら、問い質そうと心に決め、俺たちは門を潜った。

 このときに、先に問い質していれば、まだ何か違ったかもしれない。でも俺は、気づけなかった。


   ***

 敵の急所に突き刺し、柄まで通った確かな手応えを感じる。雄叫びを上げながら血の一線を引き、蹴り飛ばしながら短刀を抜く。しっかりと柄を握り直し、跳ね返りながら後ろへ下がった。背中がぶつかる。
「あー、くそ、ダメ刀だからってなめやがって……」
「行光、無事か?」
「無事じゃなかったら喋れねーよ」
 飛び込んだ戦場は、夜になろうとしている夕方あたりの時刻と思われた。その中、歴史修正主義者のあまりの多さに目を剥いた。陣形を考えるどころではなく、早々に戦力は分断され、長谷部や宗三、青江の旦那、小夜すけは俺たちとは離れた場所で戦っている。ただ、長谷部が分断されかかった際に大声で出した命令には、行光を含む誰もが従った。
 それは、絶対に一人で戦わないこと。最低二人。それすら分断されそうになっても死に物狂いで二人になれというものだ。
 敵もかなり強く、一人で捌くのは最高練度でも無茶だと思われた。隊長の命令の無視は死に直結しただろう。二人で戦っていても、無傷で済んでいるわけではない。切れている唇の端から流れた血を、手の甲で拭った。
「頑張れ。あと少し」
「分かってるって……」
 顔を顰め、荒い息に混ぜながら苛々とした口調で答える行光に、仕方ないなと肩を竦めかけて――
「……行光?」
 背中合わせの状態なんて、別に戦場で珍しい現象ではない。長いこと共に戦ってきたのだから当然だ。でも、おかしい。背中をつきあわせて、お互いが立っているのではない。
 行光の背中が俺の背中にべったりと密着して、しかも微かに震えている。そして背中越しでも分かるほど……酷く、熱い。
「……!? おい、ゆき、」
 周りの空気がざわめく。慌てて構えて周囲を見るが、包囲している敵に動いた者はいない。何だ、と警戒するも、頭は半分以上後ろにいる行光のことで占められていた。まさか、こいつ、体調が……。
 ちゃんと戦場に集中してれば、こいつを守れただろうに、どうしてもそれができなかった。
 どん、と背中に衝撃が走った。熱い掌で、突き飛ばされたような。
「……え」
 尋常ではないほど顔を真っ赤にした行光が見える。それも一瞬。
 真上から降ってきた巨体が、行光の上に豪快に着地した。もうもうと土煙が上がる。
「行光!!!」
 土煙の向こうで、行光は相手の攻撃をまともに受け、力なく手足を投げ出しているのが見えた。もう一発大きな打撃を加えられれば、ただでは済まないことは傍目でも分かった。
 俺は他の敵を無視して大太刀に猛進した。後ろから矢が飛んできて刺さったが、何も感じなかった。ただ、今は、目の前の大太刀を倒して、行光を助けなければと。
 大太刀の緩慢な動きに劣る俺ではない。劣っていたら何のために修行したのだと言う話だ。叫び声をあげながら、短刀を敵の首めがけて振り下ろす。それだけで目の前の大太刀はあっけなく消滅した。行光でもきっと倒せた程度の、大太刀。その分、どれだけ弱っているのかを確認してしまったような気持ちになって焦った。
 仰向けに倒れている行光は血塗れで息も細切れで、顔も赤い。酒精が原因とは思えない。目も開いているが一体何を映しているのか分からない、虚ろなもの。医療の知識がある俺はぞっとした。重傷なのは一目瞭然で、さらに息がおかしい。肺に異常を来しているんだと、分かった。
「行光…! しっかりしろ! 行光!」
 非情にも、そこに苦無が飛び込んでくる。呼びかけることに夢中になっていた俺は、間際までそれに気づけなかった。せめて行光だけはと、覆い被さって庇おうとしたが、素早い動きで横合いから走り込んできた長谷部が苦無を斬り伏せてくれる。
「長谷部!」
「何をしているんだ貴様らは!!」
 鋭い叱責が飛ぶ。言うや否や、長谷部は倒れている行光を引っ張り上げ、小脇に抱えた。
「説教は帰城まで待ってやる。今は目の前の敵に専念しろ!」
「でも行光が!」
「貴様がこいつを抱えて戦えるのか!? 感情で語るな考えて物を言え! 戦場では感情を優先させる奴が死ぬ!!」
 俺は、短刀だ。得た人の身は、人間でいうところの子供のそれだった。同じ短刀の行光と大差のない大きさでしかない体だ。そんな体を抱えながら短刀を振るうなんてできるわけがなかった。
 何も言い返せず唇を噛んだ。その間に長谷部は、行光を抱えたまま敵を次々に斬り伏せていく。
「必ず二人で戦うこと=v
 肩を叩かれる。振り向くと、そこには脇差を構えた青江の旦那がいた。
「隊長が出した命令なのにねぇ、さっき急に僕から離れてこっちに一直線。焦ったよ、一人になってしまったからね」
 大袈裟に肩を竦める旦那は、続ける。
「隊長も、みんなで生き残りたいのさ。さあもうひと踏ん張りして、早く帰ろう。本丸に」
 行光のことが心配。それはきっと、ここで戦っている全員が思っていること。なら尚更早く戦いを終えて、本丸に帰り、大将に手入れをしてもらわなければならない。
「……ああ、そうだな……」
 旦那の言葉で少し落ち着いた俺は、どうしても心配だという思考がちらつく自分を叱咤し、短刀を構えた。前の敵を、見据える。
「ぶっといのをお見舞いするぜ……!」
 今は、戦うことだけを考えろ!

   ***

 満身創痍で帰城した俺たちを出迎えたみんなは、慌ただしく手入れ部屋の準備をしてくれ、また薬部屋の応急処置の道具も手際よく持ってきてくれた。
 審神者に就任して間もない頃、つまり、まだ戦術等が全く分かっていなかった頃以来の有様に、大将は衝撃を受けていた。「自分の采配のせいだ」と自責の念に駆られていたが、全部の戦を思うとおりに動かせるなんてできやしない。できたら、信長さんだって光秀の謀反に気づけたはずだ。何が起こるか分からないのが戦場なんだ。
 長谷部に抱えられていた行光を優先的に手入れは行われた。破壊される一歩手前だったと聞いて肝が冷えた。でも今まで、手入れをして助からなかった者はいないから、手入れ部屋に突っ込まれた行光を見て幾分安堵した。手入れを待っている間、応急処置で包帯を巻いた長谷部には、延々と説教をくらった。宗三も近くにいたが、今回ばかりは何も言葉を添えてくれなかった。
 行光が目の前で折れかけたとき、戦場にあるまじき行動をした自覚はある。だから長谷部の説教は、甘受した。

 俺を含め、行光以外は手入れが終わってすぐ、いつも通りの生活に戻ることができた。報告すべきものを大将に報告して、妙なあの戦場の有様を伝える。俺のふがいない行動もしっかり伝えられたらしく、長谷部に続いて大将にも叱られた。采配が悪かった自分にも非はあるが、守りたいのなら心配するのは後にして戦え、と。ごもっともすぎて泣けた。
 一体どこから隠していたのか(多分、ほぼ最初からだろう)元々最悪の体調であったための高熱と、怪我とが重なった行光は、手入れが終わってもすぐには目覚めなかった。
 目覚めたのは、丸二日経った後だった。


 廊下を走り抜け、手入れ部屋の前まで来ると、長谷部とはち合わせた。やばい、怒られる、と思ったが、長谷部も走ってきたようで気まずそうに目を逸らしていた。何だ、あんたも心配で急いで来たのか。何も言わず顔を見合わせて、俺が襖を開いた。
 布団の上で上体を起こしている行光を見て、ホッと息が漏れる。見たところ傷も綺麗に消えているし、顔色も悪くない。元々白い肌だから悪いようにも見えるが、少なくとも体調を崩しているような様子はない。
 俺と長谷部に気づいた行光が、ゆっくりと此方に視線を向ける。
「大丈夫そうだな……」
 長谷部がぼそりと告げ、もっと素直に喜んでやればいいものをと笑いそうになるが、堪える。歩み寄って、行光の布団の傍らにしゃがんだ。
(ああ、よかった、生きてる)
 もっと、ちゃんと生きていることを実感したくて、手をのばした。そしたら、払いのけられることなく、俺の手は行光の頬に届いた。驚いた。いつもなら、すぐに避けられてしまうのに。まだ意識がはっきりしていないのだろうか。
「行光」
「………」
 大きな紫色の目が、きょとりと瞬く。
「……よかった。体の方は何ともないか?」
 拒否されないのなら良いか、と思い直して、頬を撫でながら尋ねた。
 行光は、言った。

「……お前、誰?」

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