■ 鬼の目にも何とやら

 顔に被せていた週刊少年座雑誌のジャンプが、身じろぎしたことで少しずれた。薄汚れた天井が目に入る。実家はそう遠くないくせに何故か我が物顔でしばしば寝泊まりまでする道場復興を志した青年が、まめに掃除をしてくれるおかげで、「薄汚れた」程度で済んでいるのは知っている。尤も、頼んだ覚えなどないのだが。いつも気が付くと勝手に掃除をして、手伝えと雑巾を投げて寄越してくる。
 ――――嗚呼、ソファで寝ちまったのか。
 起き上がって頭を振った。大きな欠伸を一つかくと、ぼんやりしている頭の中枢を叱咤する様に腕を回し―――そこで、無表情のまま彼は動きを止めた。肩に鈍く走る痛み。手をやって軽くさすってから、今更のように思い出す。少し前に、例によってこのかぶき町で一騒動あり、黒幕を叩き潰すためにこの銀髪の男は、木刀を握りしめて奔走した。だが、黒幕もまたおいそれとやられることはなく、なかなか苦戦を強いられた。挙句、万事屋で働いている二人が人質にとられたのだから、彼も心中穏やかではなくなった。
 ほとんどその後のことは覚えていない。し、覚えていたくない。ただ、滅茶苦茶な戦い方を披露して、最終的に黒幕を斃した。人質になっていた二人も、何とか無事に救出したが、無論彼は無傷では済まなかった。それどころか肩口から腕を落されるか落とされないかの瀬戸際のような、とんでもない大怪我だ。
 騒動が治まってから暫くは、かぶき町内の病院で療養し、つい先日、退院してこの万事屋に戻って来た。
 くしゃりと額から髪を掻き上げる。耳には何も音は入って来ない。時計を見やれば、まだ午前五時だ。普段ならば到底目覚めやしない時刻である。当然ながら、志村新八は来ていなかった。まだ自宅で寝ているのだろう。
(………神楽は?)
 この万事屋に完全に居候する形になっている、チャイナ娘の姿を探す。気配という気配がしない。試しに障子を開いてみたが、そこに布団は敷かれていることもなく、彼女はいない。また、その相棒である巨大な生物・定春もまたいなかった。この時間帯で神楽がいないというのも珍しい話で、だがキッチンを覗いてみれば酢昆布を食べ散らかした形跡があるので、特別急を要するような危ない目に遭っていることもなさそうだ。
(まー、アレだな、神楽もそんなガキじゃねえし好きに動くわな)
 キッチンに落ちている酢昆布の包み紙を取り上げるとゴミ箱に放り、それから流し台にふと視線を落とした。蛇口を捻り、冷たい水を流すと、そこにめがけて低く下げ、直に頭を突っ込んだ。後頭部からばしゃばしゃと冷たい水がぶつかっていく。あっという間にびしょ濡れになり、天然パーマでくるくると跳ねている銀髪がぺったりと頭の形にそって落ち着く。
「……あー………」
 水を止めて首を振り、猫の如く髪についた水気を飛ばす。そして、びっちょりと濡れた顔を拭うこともなくその場にずるずると座り込んだ。次いで、顔を覆う。
(………やっちまったよな)
 掌に伝わってくるひんやりとした感触。はっと息を吐いて見ると、濡れて感度が増している手にかかるのは、不規則で断続的な、明らかに震えていると分かる。手を離し、流し台の下でごつんと後頭部をぶつける。この時期に水を被るのは、やはり寒い。
 新八と神楽はどう思ったろう。もしかしたらもう来ないかもしれない。神楽も、だから今いないのかもしれない。
(………それが正解かもしれねぇよなぁ……)
 自嘲気味に笑みを浮かべる。

 二人が人質に取られた際、銀時は冷静さを欠いた。二人がほんの僅かでも傷つけられたのを目にして、体の中で噴きあがるものをどうにも止めることはできなかった。人質をとった男の目の前にまで跳びあがり、木刀を振りかぶる。目がぎらついており、獣のそれになっていることは多分、自覚していた。
 新八と神楽に向いた刀の切っ先を、全て木刀で叩き折る。それならばと男が取り出した脇差は、素手で刃を掴むことで、振らせることを許さなかった。二人を救出し自分の後方に追いやってからも、ふつふつと燃え上がる自分の中の血を止めることなどできず。滅茶苦茶に木刀を振るって蹴散らした。いずれも急所を狙った、普通の侍には到底できない芸当を銀時はやってのけた。
 今までに、新八や神楽の前で滅茶苦茶な戦いをして見せたことはあっただろう。だが、あそこまで自分がはっきり暴走してしまうのは初めてだった。全員を斃しても目をぎらつかせ、黒幕の姿を探る。気配があればそこに斬りかかる。どうせ敵の本陣だ。気配があれば往々にしてそれは敵である。そして、下っ端―――とは言っても暗殺を得意とする輩であったりと、普通の人とはとても言えたものではないのだが―――を目にすれば、片っ端から殴り、斬り伏せる。
 桂小太郎が援軍に駆け付けてくれなかったら、どうなっていただろう。
 数多くの、未だに攘夷を志す攘夷志士達が本陣にまでやって来て、桂は銀時のところへすぐに来てくれた。

『桂さん……! 僕達は無事なんですけど……』
『ヅラ……銀ちゃんが……』

 何となく、覚えている。新八が困った様に唸り、神楽が泣きそうな声で桂に訴えていたのを。
 振り返ると、桂が真っ直ぐこちらを見つめていた。全身、敵の血に塗れた自分を見ていた。

『……銀時。お前……』

 自分は、桂を睨むことをやめられなかった。全てが敵に見えていた。
 それは桂にも分かっていたのだろう。刀を握りしめてこちらを見つめ返してくる。

『……銀時、新八くんもリーダーも無事だ。お前はよく頑張った』
『……………』
『………残るのは奴だな。俺も一緒に行こう。お前一人で背負う必要はない』
『……………』
『……行こう。銀時白夜叉』

 はっきりと告げられて、次第に気持ちが落ち着いた。
 白夜叉――――嗚呼、それ、俺のことだ。と。

『……ヅラ……てめぇの手なんざ借りるまでもねえけどな』
『ヅラじゃない、桂だ。まあそう言うな。俺もそろそろ腕が鈍る』

 それから周りを見回して、酷く沢山死体があると思った。
 あのときと同じだ、と思った。


 鬼の子。
 そう呼ばれたのは、まだ吉田松陽と出会う前だ。戦争でうまれた屍をまさぐり、食べ物を手に入れる。ついでに自らを守るために刀も拝借して。
 今にして思うと、たしかに正気の沙汰ではなかったかもしれない。あるいは子供ながらに、人々に貼られた「鬼の子」というレッテルに従って生きていたからなのかもしれない。当時、自分は、全てを拒絶していた。だが松陽に出逢って、周りからどういわれても、鬼の子ではなくなる瞬間が来るかもしれない、等、そんな妄想を繰り返していた。そんな妄想をさせるような安心感が、自分を拾ったあの男にはあった。それに、鬼の子であることを気にせずに接してくれる、桂や高杉晋助の存在もまた、大きかったと言えよう。

 だが。あれから色々なことが起きて。大好きで信頼を置いていた己の師の首を落として。
 白夜叉≠ニいう通りに、自分は、結局、鬼≠フ子であることを痛感した。鬼は、所詮どう転んでも、どう抗っても、鬼だった。
 やっぱり俺は鬼だったか。
 そう呟いたのは、もうどれほど前か。
(そうだ、俺は結局鬼なんだ)
 重い身体を持ち上げて立ち、ふらふらとソファへ舞い戻る。髪に触れると、やはり濡れていた。
 今更涙なんか流れやしない。ただ、少しだけ、普通の人間が羨ましいだけだ。
 ソファに寝そべり、目を閉じる。新八にも、神楽にも。あの子達に、あそこまで露骨に白夜叉≠フ自分を晒したのはある意味正解だった。勿論ショックは受けただろう。だが同時に知ったはずだ。自分達はこの男といたら、とんでもないことに巻き込まれる、と。このような鬼と一緒にいれば、幸せな日常もいずれは壊れることになると。
(元々一人でやってたんだ、俺ぁ)
 万事屋銀ちゃん。そう、万事屋は元々、一人で始めた仕事だった。そこに、あの二人と定春が、勝手に転がり込んできただけだ。どうせ一人でやり始めたのだから、元通りになるだけだ。それに新八と神楽と定春がいるせいで、初めは広いと思っていたこの部屋も随分狭く感じるようになっている。丁度いいじゃないか。毎日毎日五月蝿いのもいい加減嫌気が差していたところだ。人の安眠まで妨害するのだからいい加減にしてほしかった。

 ぎゃあぎゃあ喚いて、頬を引っ張り合ったりとくだらない喧嘩を繰り広げた、松下村塾での日々が頭に浮かんでくる。チビの高杉とおにぎりばかり握っている桂。怒鳴り合い、折に触れて喧嘩して。いい笑顔でコツンと殴るだけで、地面にめり込むような恐ろしい力を持った先生も一緒の、日々。

(俺は、騒がしいのは嫌いなんだ)
 ぎゅっと目を閉じた。

 大事なものはもう、背負わない。



 次に目を覚ましたのは午前十一時。割とがっつり二度寝を決め込んでしまっていたらしい。頭が濡れたまま寝たので、いつもに増して天然パーマは酷い有様となっていた。 
 が、そんなことは気にならない。銀時は状況が読めず、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「あ、銀さん、起きたんですか」
 向かいのソファで、「寺門通ニューアルバム情報!」等と書かれた雑誌を読んでいた眼鏡が顔を上げる。
「うわー酷い頭ですね。ちゃんと頭乾かして寝ないと風邪引きますよ? 折角病院から離れられたのに」
「え。え。ちょっと待って、お前何してんの? つかこれ何?」
 自分でかけた覚えもない毛布を蹴飛ばしながら起き上がり、目の前のテーブルに置いてあるものを指さす。そこには、白い立方体の箱が鎮座していた。
「これですか? ちょっと待っててください、多分もうすぐ、」
「ぱっつぁーん帰ったアルよー!」
 ガラガラと引き戸を開ける音と共に聞えて来る声。キュゥン、と明らかに犬の声も聞えて来たので、定春も一緒らしい。足音を豪快に鳴らしながら入ってくると、神楽は銀時を見つめるなり白い歯を見せて笑った。
「あ、銀ちゃんおはようネ。お寝坊アルなぁつまり今日もお仕事なしってことダロ? やっぱりマダオアルな」
「それで神楽ちゃん、切れてたお茶っ葉買ってきてくれた?」
「もっちろんヨ! 見て! 酢昆布!!」
「いや僕の話聞いてた!? お茶っ葉だってば! 何、僕が貸したお金で全部酢昆布買って来ちゃったの!?」
「これで銀ちゃんも元気出るアル、酢昆布は人類の宝ネ」
「元気出るのお前だろうがアアアアア!!」
 状況がやはり理解できず、また、銀時は目を瞬かせた。えーと、と彼らを順繰りに見つめる。
「……お前ら何しちゃってんの?」
「もー…すみません銀さん、甘いだけなのもアレだしって思ってお茶煎れようと思ってたんですけど無理みたいなので……」
 言いながら、新八が箱を開けた。そこから出てきたのは―――
「……ケーキ……? は、何で……?」
 テーブルの上にどんと置かれ、これでもかと言うほど存在を主張してくるホールの、少し不恰好なショートケーキ。
 隣には袋一杯の酢昆布。これもどことなく、神楽よりも銀時の方に寄せるように置かれていた。
「何でって、退院祝いに決まってるアル!」
 ………何だって?
「ばたついてて、銀さん折角退院したのに何もしてないなって思ったので。だから今日やろうって神楽ちゃんと話してたんです。僕達も割と無茶な戦い方したので、壊したのを直したりとかしてたし……」
 今朝無理して急いで作ったケーキなので、ちょっといびつですけど、と新八が頬を掻く。
 デコレーションをしたのは私ヨ! と神楽は得意げに胸を反らした。
 銀時は呆けたまま、もう一度ケーキと酢昆布を見おろし、それから正面のソファに座っている二人と一匹に目をやった。すると、にぃと笑って、声を揃える。
「銀さん」
「銀ちゃん」

「助けてくれてありがとう」


 そんな、「らしくない」顔を見せるのは嫌で、必死に飲み込みながら、いつものように返す。
「お前らよォ、銀さん今回めちゃくちゃ頑張ったかんね? パフェもあったら嬉しかったのになぁー」
「無理ですよ、だって今回も収入ほぼほぼ無しですよ? お登勢さんに家賃も本当は払わなきゃいけないんですからね! 我慢してください!」
「そうアルよ! それにパフェよりも酢昆布の方がずっと美味しいネ!」
 何かと文句を垂れながらケーキを切り分けて、万事屋一同は手作りケーキを食した。スポンジは潰れていてぱさぱさで、しっとり感なんてまるでなく。生クリームもキメが荒くて口どけも良くない。甘いことに違いはないけれど、この甘ったるさは胸焼けでも起こしそうな不快な甘さ。やっぱり失敗してたなぁ、と二人がケラケラ笑う。笑いごとじゃねえ、またどっか具合悪くなりそうなケーキだ、と銀時は大袈裟に顔を顰めた。恐ろしく、まずい。



   *   *   *


 あー、まっず。まずすぎて笑えねえ。ほんっと、マジでまずい。これコンビニのケーキのほうがまだうめえよ。
 まずい。まずい。まずい。もーまずい。
 これケーキだろ。何でしょっぱいんだよ。酢昆布食べたっけ、俺。


 あーあ。しょっぺぇなぁ、チクショー。




fin.


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