■ 新芽、風の歌を聞く。

 憐れだろう あの小鳥

 地にも天にも 居場所がない

 だからせめてお前が 空に枝を 地に根をのばし

 小鳥の止まり木になっておやり


   *   *   *


「*****。**?」

 初めて会ったアイツが、俺に何を言ったのかなんて、小指ほども覚えていない。
 ただ、決して俺を歓迎する風でなかったことと、冷たい雪の上に放り出されたことだけは覚えている。

 ――――兄弟のように育てばいい

 声は、聞こえていた。
 でも、いくら白緑の言うこととはいえ、アイツも、そして俺も嬉しくなかった。だって、樹妖の俺を粗末な扱い方したヤツのこと、「兄」だなんて考えたくもない。反吐が出る。

 俺がやっと、物心つきはじめたころから、既にあいつはしばしば森の外に行くようになっていた。とくに、冬に。
 他の妖から噂で聞いてはいたけど、なんか、人間に会いに行ってるみたいだ。

 …変なヤツ。

 漠然と、そう思った。
 妖と人間が、対等の立場で交流できるわけがない。
 人間は、妖を祓うことしか考えていないし、妖はそんな人間を嫌う。妖を統べる者を目指して、時々人間の中で重要とされている奴を襲うことはあるけど、少ない。そういう標的にする人間は大抵、厄介な術を持ってる。だからこそ人間の中でも重要とされているんだ。
 結局、自爆するように祓われて、はい、お終い、なんてことはよくあることだ。

「いいかい、露草。約束をしよう。
 もし森に人がいても、話してはいけない。
 彼等は災いをもってくる」

 だから、白緑の言うことは尤もだと思った。
 俺は人間を見たことはないけど、少なくとも良い噂は聞かない。人間は、災いの中心だ。俺達妖は、静かに暮らしたいだけなんだ。

「決して話をしてはいけないよ。
 露草。私とお前の、約束だよ」

 白緑と、俺の、約束。
 アイツが外されているのは、きっと、白緑も、アイツが既に人間と接触して、普通に話していることを知っているから。それに、アイツは白緑が嫌いだから、言ったところで聞かないのは目に見えているから。

 初めは、この約束を破る気なんて、全くなかった。
 実際に、「人間」を目にするまでは。



 どこからか、声が聞こえる。俺は何だか気になって、木の枝と枝を飛び移り、様子を見にいった。
 トン、とおりて、茂みを掻き分ける。
 小さい、女の子供が、丸くなって泣いていた。

「……なぁ、お前…」

 約束を、忘れていたわけじゃない。
 でも、考えるより先に、口を開いていた。

「お前、どっから来たんだ」

うえぇ、と泣きながらも、肩をぴくつかせた。
俺の声に気付いたらしい。

「泣いてちゃわかんねぇだろ」

 ほっときゃいいのに、好奇心がそれを許さなかった。
 あと、人間とだって普通に交われるんだぜ、みたいに白緑への反抗心を剥き出しにするアイツの、真似のつもりもあった。

 くるり、と小さな頭が動いて、子供がこちらを見る。
 涙で、鼻水で、顔はすげぇベチョベチョになっていた。

「誰?」

 涙で声が出にくそうだけど、そう尋ねてきた。

「お…お前こそ誰だよ」

 少し緊張した。何か、こいつ、最初に見て思ったとおり、人間っぽい。
 手も足も目も普通に二つあって、こういう奴は、俺とアイツと白緑くらいしか、俺はまだ見たことがなかった。

「兄様を知らない?」

 また、尋ねてくる。
 兄様って…、

「は? 鶸のことか?」

 認めちゃいねーけど、「兄」といえば、アイツ…鶸くらいしか、浮かばなかった。
 子供はぽかんとする。

「ひわ? 誰?」
「だからお前が誰だよ!!」

 何だか、会話が成立しない。さっきの俺の質問にも、答えなかったし。
 変な子供だ。人間ってのは、皆こうなのか?
「真朱。遊んでくれる人をさがしてるの。
 お前は一緒に遊んでくれる?」

 ――――…遊ぶ…?
 幼い心が、揺れた。
 俺も、毎日暇で、飽き飽きしてて、遊んでくれる奴が欲しかった。
 白緑はいつも鶸のことしか見ていなくて―――…

「…別にいーけど、お前人間? 妖?」

 俺も、人の形ではあるけど妖だ。
 こいつ…真朱は、どっちなんだ?
「? お前は?」
「だからなんで答える前に聞き返すんだよ!!」

 初めは、本当に、ただの、白緑譲りの好奇心と、鶸を真似た反抗心だけだった。

「てーん てーん てーまり てーんてーまりー」

 鞠をつく真朱。
 俺は、この手の遊びには慣れていなくて、あっさり負けた。

「わたしの勝ちっ」

 両手を挙げて喜ぶ真朱を見て、ちょっと悔しくなったりもした。

「なんだよ。木登りなら俺の方がうまいぞ」

 でも、あれから真朱は毎日俺のところへ遊びに来るようになって、とうの俺も邪見にはしなかった。だから、白緑に隠し通すのも無理があって、俺は、正直に話した。人間と話をしてる、って。
 約束を破ったこと。少しは怒られるかと思ったのに、

 ――――そう お前がそうすると選んだのなら 私は何も言わないよ

 全く怒られないで、ただ、理解してくれる。
 それがかえって、寂しかったのを覚えてる。

 ――――遊んでおいで

 真朱が遊びに来ても、咎めたりしないで、こう言われた。
 やっぱり、怒られたかったわけではないけど、言い知れない孤独感があった。


「露草も? 兄様が遊んでくれないの?」
「兄…っつーか、どっちかってーと、親みてーなもんだけど」

 真朱はよく喋るやつだ。
 尋ねてもいねぇのに、いろんなことを喋る。俺が無理強いしているわけでもない。

「どうせ、白緑は鶸のことしか見てねーんだ」


『白緑』
 白緑は、いつも側にいてくれた。
 呼べば応えてくれたけど、

『白緑』
 その視線はいつだって、

『露草』
『何見てたの?』
『空と、小鳥だ』

 遠くばかり見て、分かち合えなかった。
 小鳥っていうのは、鶸のことだ。

 鶸は、ここのところ、よく、森にいる。
 時々フラリといなくなるけど、すぐに戻ってくる。すごく、不愉快そうな顔をして。
 噂によると、鶸が会いに行ってたっていう人間は、よりのもよってあの姫巫女だったらしい。その姫巫女が、最近外に出てきていないという。
だから鶸も、会えなくて、イライラしているんだ。

 真朱と友達になった俺は、少なからず鶸に同情したけど、それでも、不愉快だった。

『白緑はいっつもひわひわひわばーっかり。鶸のことしか気にしてない』
 反抗心しかもたない鶸の方が、愛情を注がれている気がしてならない。
 悔しかった。

『俺のことは大事じゃない!!』
 すると、白緑は一瞬呆けて、
『お前のことも大事だよ、露草。お前は主殿の苗木だもの』
『主殿なんて俺知らねーもん!!』

 白緑は、今度は少し考えて、
『お前がいずれ大きくなって、枝と根を盛りと絡ませて、ひとつになればすぐにわかる。この森はお前のもの。この森の意志はお前のもの。この森に生かされるものはお前のもの。この森を見守る私もお前のもの』

 なんか、難しい話になった。でも、黙って耳を傾ける。
『私が見守らずともいずれ、お前は全てを手に入れ、私を見守るものとなる』
 チラ、と遠くにいるアイツに、目をやった。
『それに比べて、あの子はどうだ。たった一羽で震えている。たった一羽、誰も小鳥の名など知らず、歌に耳を貸すものなどなく、たった一羽、地にも空にもおれぬのだ』

 白緑は、俺の頭を撫でて、淋しそうに笑う。
『実に憐れとは思わないか?』

 そうなのかもとは思った。
 鶸は俺よりずっと、恵まれていないのかもしれない。
 でも、やっぱり白緑は、鶸ばかりを見ているとも、思った。

「兄様もね、最近お仕事ばっかりで、わたしと遊んでくれないの」
「ふぅん」

 適当に、相槌をうつ。
 真朱の兄ってのは、仕事に視線を向けている。
 こいつも、「自分」を見て欲しくて、仕方が無いのだろう。

「わたし達、一緒だね」
「おう」

 ごく自然に、頷いた。
 互いの痛みを知っていた。

 ――――真朱と共にいるのが、楽しかった。


「お前の言う兄様って、そんな凄いのか?」

 ある日、俺はふいに気になって、尋ねてみた。

「すごいよ! この世で一番きれいで頭がよくてやさしいの」
「この世で一番は白緑だ」

 なんかムッとして、言い返したら、

「ええ―――? うそだァ」
「本当だ!!」
「本当にィ?」

 嗚呼、何で俺はこのとき、何て軽はずみな言葉を口にしちまったんだろうな。

「じゃあ会わせてやるよ!!」



   *   *   *

 人間達が森に入ってきた。
 大妖をしとめた、と声がする。向こうから進んで、この森に入ってくるなんて、一体何だってんだ…!?
「よし!! 真朱の姿は…」
「こちらにはありません」

(なんだあいつら…!! しかも真朱を捜してんのか!?)

 俺は木の上からそいつらを眺めていた。

「まったく…煩わせてくれる」
「巫長。そういえば、真朱様はどういう子供なんです?
 私達がこうも必死に捜す必要があるほどの子なので?」

 …?
「さてな。私も、双頭の巫女の養い子ということしかわからん。
 漏れ聞いた話によればなんでも―――…


 森の主を討つ切り札だとか」


 …真朱が?
「たかが童一人が…どうして―――…」

 そうだ。嘘だ。あんな子供が、真朱が、白緑を倒す切り札っていうのか。
 有り得ない。そんなこと。

『わたし達、一緒だね』

 ――――まてよ。

 そんなに大事な存在なら、真朱が森に行くのを、どうして誰も止めなかった?
 あいつが、そっと抜け出したから?
 …それなら。
 どうして真朱は、森に来ようと思った?
『遊んでくれる人をさがしてるの。
 お前は一緒に遊んでくれる?』

 ――――俺と、接触するためか?

「―――てめぇら!!!」
 堪えきれなくなり、叫ぶ。
俺は木から飛び降り、人間共の前に姿を晒した。
「ここで何してやがる!!」

「…!! 子供?」
「いや、妖だ」
「油断するな、そいつもまた襲ってくるぞ!!」
「しかし…人と区別がつかない上、言葉を操るぞ!?」

 俺を見て騒いでいるそいつらから視線をそらし、辺りを見た。
 友達だった妖が、血を流して倒れている。
 いや、友達じゃなくても―――少なくとも、俺と同じ、この森に住んでいた奴が、血を流して死んでいる。

「まさか…真朱様をたぶらかしたのはこいつか?」
「馬鹿な! 子供だが妖だぞ!」
「しかし歳は近い」

 ……なんでこんなに死んでんだよ。

「…おいお前。ここらで人の子を見なかったか」

 ……なんで、こんなことになったんだよ。

「正直に話せば、見逃してやるぞ」


 ――――真朱様はどういう子供なんです?
 ――――森の主を討つ切り札だとか
 ――――ここらで人の子を見なかったか


 …………真朱だ。

 こうなったのは、真朱が、いたからだ。

「―――…っ」

 歯を、食いしばる。
 …楽しかったのに。

「……あのガキ、てめえらの仲間だったのか…」

 …信じてたのに…!
「知らねーよ。
 今頃どっかで食われてんじゃねーの?」

 許せねぇよ。俺を騙してたなんて。なんでだよ。どうしてだよ。

「ここいらにゃ、人間のガキが好物な奴らも多いからな!」

 嗚呼、もう、

「お前らみてえなのの仲間なんだったら、
 むしろ俺の手でつぶしてやればよかったぜ!!」

 もう、人間を信じられない……―――


 けど、俺はまだまだ弱い妖で、結構な人数の人間相手には分が悪くて。
 俺は、しだいにボロボロになっていった。
 最後に、一思いに叫んでやる。


「お前らなんて、白緑に食われちまえ!!」

 その後、派手に斬りつけられて、符が契れて霧散して、俺は樹妖の姿に戻った。

 それからの意識は途切れている。



 そして、俺はどういうわけか、それまでにあった全てを、忘れた。



   *   *   *


 
 ――――なんで俺だけいつも何も知らない!!

 何度、鴇や梵天を詰り、真実を問い詰めたのか。

 ――――白緑は一体どうしたんだ!!

 何度、同じ問いを繰り返したのか。

 ――――お前だって人間だ!

 何度、人間を憎んだのか。


 “本体”に戻って全てを思い出した俺にしてみれば、そんな自分が滑稽だ。

 銀朱が、苦しむことになったのも。
 白緑が、死んだのも。
 真朱が、ああなっちまったのも。

 梵天だけじゃねぇ。
 全てに、俺も責任があった。情けない。


 そもそも、真朱は銀朱を真似して森に入ってきただけだ。
 俺がいることなんて、知らない。
 あいつはやっぱり、「俺と同じ」だった。何も目論んでなどいなかった。

 なのに。それなのに、俺は。

 そんなことを、全部、都合よく忘れて……


 人間を責めた。

 梵天を責めた。



 信じられねぇよ…俺はっ…!


「そんなこと今はどうでもいい!!」


 怒声が聞こえた。

 驚いた。梵天の声だ。梵天が、声を、震わせている。


「お前は…っ…」

 泣きそうな顔で、叫んでいる。

「これ以上…!! 俺を一人にするつもりか!!」

 ずっと、ずっと。俺の瞳から、堪えていた涙が、零れる。
 いつもいつも空回りして、いつもいつも歯痒かった思いが、頬を伝っていく。

 鶸のときから一人だったお前。

 俺が生まれてから、お前には弟ができた。
 でもお互いにそんな関係は無視していた。

 なのに、やっと、今更。
 その関係に気付けたよ、白緑。

 梵天が俺に手を伸ばす。

 それが、どうしようもなく嬉しい。


 “居場所のない小鳥の、止まり木になってやれ”
 
 それは白緑が俺に言っていたこと。
 でも、もう、出来そうに、ない。

「白緑」

 もう、死んじゃった、あいつを。
 梵天が、何か、叫んだ気がした。

「ごめん」





 ――――そら 露草さん 空の器はそれじゃない

 ――――あちらに



   *   *   *



 露草

 憐れだろう あの小鳥
 地にも天にも 居場所がない
 だからせめてお前が 空に枝を 地に根をのばし
 小鳥の止まり木になっておやり

 そうすれば もしお前が孤独を感じた時に


 小鳥が風を歌ってくれるよ―――――

「梵天」


 俺は初めて “風”を聞くことになる―――――





fin.


[ prev / next ]

back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -