■ 何もできない自分

 何をやってんだ、と一人で悪態をつく。
 考えたところで仕方ないのだが、らしくないと言えばらしくはなかった。自分にしか分からない程度の舌打ちをして、路地の壁に体をもたせかけ、腕組みをした。マーカスも恐らく似たような心境だったのであろう、この小劇場に来てからはしきりに溜息を吐いていた。それもこれも、どうせまたジタンの影響だと思うと何となく癪であった。
 ブランクとマーカスは、ジタン達をアレクサンドリア城から逃がしたあと、傷だらけで立ち上がることすら困難そうな様子のスタイナー、フライヤ、ベアトリクスを発見した。見捨てるわけにもいくまいと、思考を巡らせた結果、ルビィの小劇場に二人は彼らを運び込んだのだ。
 ギシ、ギシと板のきしむ音に、ブランクは首を回した。兜と鎧を脱いで、布服となっている男が壁に手をつきながら階段をのぼってくるところだった。普段は鎧姿で歩くたびに賑やかな音を鳴らす彼だ。一目でスタイナーであると判別することは少々難しかった。
「どうした? まだ傷、癒えてねぇだろ」
 生々しい傷を覆った包帯は体の至る所に巻かれていて、まだ彼は普通に立つことすらも危うかった。
「それとも、何か? また姫さんを助けなきゃってんで、今から追いかけるつもりか?」
「よく喋るな、貴様は……」
 顔を顰め、頭に巻かれている包帯に片手を添える。
 漸く階段を上がりきり、壁にもたれてずるずると座り込んだ。
「外の空気を吸いたかっただけである……」
 狭い空を見上げ、深く息をつく。
 そんな彼を横眼に、ブランクは密かに肩を竦めた。
「今でも……分からないのである」
 かすれた声で、呟くように、しかし語り掛けるように、彼は口を開く。
「自分のしたことは正しかったのか……本当に姫様から離れてしまって良かったのか……」
「何が正しいのかは、分からぬ」
 ふいに挟まれた声に、ブランクとスタイナーが階段の方を見やると、こちらもまた不安定な様子で一段一段を踏みしめながらのぼってきたのは、フライヤだった。
「フライヤ殿! まだ起きては……」
「おぬしに言われる覚えはないのう、スタイナー?」
 負けず劣らずの大怪我であるスタイナーは、言葉を詰まらせる。
 彼女はいつものように帽子を被っていないため、普段よりも表情がはっきり見られた。汗が伝っているし、治療した包帯からもわずかに血が滲んでいる。フライヤもまた、傷は深かった。が、路地にまで出てくると、先ほどのスタイナーを再現するかのように壁に背を預け、座り込む。
「ったく、お前ら、怪我人なんだから大人しく寝とけってのに……」
 ブランクは呆れた様子で頭を振った。
「動かないのもまた、体に毒じゃからな」
 すまして答えたフライヤは、改めて彼に視線を合わせる。
「スタイナー。私も、何が正しいのかは分からぬ。クレイラを襲ったベアトリクスと戦うなど……そんなことをすることになるなど、思いもしなかった。クレイラが消滅したのを目にしたとき、私は誓ったのじゃ。アレクサンドリアもベアトリクスも、決して許さぬと……」
 しかし現実は違った。ベアトリクスが、アレクサンドリアは間違っていると気付いたのだ。そうなっては、もうベアトリクスを許せないなどと言っていられなかった。許せない相手と己は、共に戦ったのだ。お互いが、倒れないように、支え合いながら。
「……それは……なんと言ったら良いか……自分は」
「謝罪も同情もいらぬぞ、スタイナー。そんなものがあっても、クレイラも死んだ者も、皆戻っては来ない」
 鋭く遮られて、スタイナーは項垂れた。
 居心地の悪い沈黙が、彼らの中を支配する。思うことは様々なのだろう。フライヤは、アレクサンドリアを許せない。しかしジタン達を救うべく、ベアトリクスと力を合わせた。そして、スタイナーは、ずっと忠誠を誓い続けてきた国が、誤った道を進み始めていることに漸く気付き、己の意志で初めて、ガーネット・ティル・アレクサンドロス17世をアレクサンドリアから遠ざけた。
「……ジタンは強い」
 スタイナーが、徐に顔を上げる。
 ブランクはあらぬ方向を向いたままだったが、その声は明らかに彼に向けられていた。
「あいつは女好きだけど、仲間のことを人一倍大事にするやつだ」
 盗賊の一人の言葉を、スタイナーは真実であることを知っている。決まって口論にはなっていたけれど、戦闘の際にはいつも、ダガーに矛先が向けば、自分よりも真っ先に動いて攻撃から庇った。それに対してはダガーはいつも怒っていたが、おかげで彼女に決定的な傷がつくことはほとんどなかった。
「あんたがジタンに姫さんを預けたのは、数少ない言い切れる正解だと思うぜ」

 ―――ジタン、おぬしに頼みがある!
 ―――ジタン殿、ビビ殿、頼りにしているぞ!
 あのとき、自然と盗賊の力を認めていた自分がいた。だから、自身の命よりも大事なダガーを、任せることができたのだ。もうブラネのところへ行っても、彼女はダガーを護ってくれはしない。
「……私もそう思う。ジタンじゃからな」
 フライヤは静かに笑った。
 彼女は一時期、ジタンと二人だけで旅をしたことがあったが、あのときも彼は、ことあるごとに自分を護ろうとしてくれていた。子供のくせに無茶をするなと、年上として幾度か叱ったことはあったが、思えば叱ったところで直りはしないのだ。他人を護ろうとするあの少年の行動は、最早意図して行っているものではない。ほとんど反射で、手の届く範囲を全力で守ろうとするのだ。
「それなら、安心ですね……」
 彼らが驚いて階段を振り返ると、階段の一番上の段に腰かけてこちらを見ているベアトリクスの姿が瞳に映った。
「ベアトリクス! まだ寝て……ぐっ……」
「おい!」
 とっさに壁から離れて、アレクサンドリアの女将軍に近づこうとしたスタイナーが、顔を歪めて座り込んだ。傷ついた体では、自分自身の体重を支え切れなかったのだろう。
「何やってんだ……世話の焼ける……」
 うんざりとした様子で、ブランクは歩み寄ってスタイナーに肩を貸してやり、改めて壁にもたせかける。
 重い頭を持ち上げ、もう一度彼女を見た。
「……起きては、傷の治りが遅くなるのである……」
「私は大丈夫ですよ、スタイナー。戦いの中で何度も庇ってくれましたからね」
 あの苦しいアレクサンドリア城での連戦の途中、加勢に戻ってきてくれたスタイナーの力はかなり大きく、フライヤとベアトリクスも救われた部分があった。そして、どういうわけか彼は頻繁にベアトリクスを攻撃から庇っていたのだ。
 ブランクは腕組みをしたままスタイナーを見やり、頷く。
「ほー……」
「な、何であるか、その眼は!!」
「いや……あんたもそういうことするんだーと思ってな……」
「う、うるさい! 貴様には関係ないであろう!?」
 顔を真っ赤にして言う彼に、ベアトリクスはそっと忠告する。
「スタイナー、怒鳴ると傷が開きますよ」
「……大丈夫ではなかろう」
 小さい声であったが、その言葉はベアトリクスに届いた。彼女は少し背筋を伸ばして、フライヤを階段口から見た。
「そなたは我々ほどの傷を負っていなくても、白魔法の浪費で精神面にかなりの影響を及ぼしているはず……ある意味、そちらの方が辛いやもしれぬ。無理はしない方が良いじゃろう」
 彼らがここまでボロボロになってしまっているのは、ある意味奇跡的で、また運が良いことなのだ。ベアトリクスの白魔法がなければ、この程度では済まなかっただろう。
 一瞬、彼女は目を丸くしたが、すぐに表情を曇らせる。
「……ありがとう、ございます」
 後ろめいた気持ちが入り交ざった感謝の念に、フライヤは何も答えない。
 しかし、傍目でブランクは気付いていた。あのギリギリの中での戦いは、三人の間に絆めいたものを芽生えさせたに違いないことに。スタイナーもフライヤもベアトリクスも、ただ大切なものを護ろうとしたのだ。
(しかし……ジタンの奴、ちゃんとトレノに着いたんだろうな?)
 ブランクには一つの不安があった。ゾーンとソーンの罠にかかったジタン達を助けにいく途中、彼はマーカスから話を聞いた。トレノからアレクサンドリアのガルガントステーションの間で、一度ガルガントの天敵と思われる蛇のようなモンスターに襲われたことがあったのだという。しかもそのモンスターは、誰も止めを刺せないまま何処へと逃げ去ったらしいのだ。万一、再びそこにモンスターが現れていたら、ジタン達が無事にトレノへ行き着けるかと言ったら、確証はなかった。まさか彼らに限って最悪の事態はないであろうが、何らかのトラブルに巻き込まれている可能性も高い。
 ルビィが使っているらしいモグネットでも使って連絡をとろうか……と考えていると、焦った声が路地裏を駆け抜けた。
「ブランク〜〜!!」
「兄貴〜! 大変っス〜〜!!」
 何事かと、腕組みをといた。
 走ってきたのは、ポーションや包帯の買い出しに出かけていたルビィとマーカスだ。二人とも、随分焦った顔をしていた。一体何が起きたのだろうと、フライヤ、スタイナー、ベアトリクスの三人も、顔を見合わせる。
「どうしたんだよ? そんなに焦って……」
「焦りもするわ!! えらいことになってしもてん!!」
 ルビィが目の前で叫ぶので、思わずブランクは顔を引きつらせる。彼女の声は高いので、至近距離で叫ばれると鼓膜が無駄に大きく振動するように思えた。
「だから、一体何が……」
「……アレクサンドリアが、リンドブルムに攻め込んだっス」
 マーカスの言葉に、空気が凍る。
「何じゃと……!?」
 リンドブルムといえば、狩猟祭の開かれた発展都市ではないか。
「そんな……ブラネ様が……!?」
 思わず、ベアトリクスは口に手をあてる。
「……っ……!」
 トン、と音がした。スタイナーが、今できる限りの渾身の力で、壁に拳を叩き付けた音だった。彼の肩が、ひどく震えている。
「何故であるか……! どうしてブラネ様は……! どうして……何故……!!!」
 誰も何も言えず、ただ項垂れる。
 はっとして、ブランクが顔を上げた。少し前に、タンタラスに少年と少女が入ったのだが、まだ連れまわすには幼すぎた。だから、安全性を考えてアジトに残してきたのだ。
「おい! リンドブルムには俺たちのアジトが……あそこには、まだバンスとルシェラがいたよな!? あいつらはどうなったんだ!?」
 マーカスは、ゆっくりと首を横に振る。
「分からないっス……でも、もしかしたら、………」
「そんな………」
 すると、スタイナーが顔を歪めながら、壁に手をついて立ち上がった。ゆっくりと足を進め、階段口のベアトリクスをよけて入っていく。
「スタイナー……?」
「行かなくては……」
 崩れ落ちそうになる膝に、必死に力を込める。
「何を言っておる! その体では無理じゃ!」
「そうです! まだ立つことすらままならないではないですか!」
「リンドブルムを攻めこんだのはアレクサンドリアなのだぞ!? 放っておくわけにもいかないのである!!!」
「やめときな」
 感情的になりそうな三人に、ブランクは声をかけた。
 いつの間にか、彼は再び腕組みをして壁にもたれていた。
「……あんたが今リンドブルムに行って、何になる? 戦争なんか、始まっちまったらもう止まらない。……ましてやボロボロじゃ、足手纏いになる前に死ぬだけだぜ」
「うるさい! 貴様に何が……」
「俺は事実を言ってんだ、いいからとっとと怪我を治せっ!!!!」
 言い募ろうとしたスタイナーに、鋭い怒声が飛んだ。
 マーカスとルビィは、黙って俯く。彼が怒鳴ることは滅多になく、だからこそ、理解できた。ブランクも余裕がないのだ。本当は、今すぐにリンドブルムへ行って、バンスとルシェラの無事を確認したいのだ。それにリンドブルムにも知人は沢山いる。全ての安否を確認したいのだ。タンタラスにとってもリンドブルムは帰る場所であり、愛着のある場所なのだ。
 ルビィが弱弱しくブランクの腕を掴み、マーカスは小さく首を振る。スタイナーは、また、壁を叩いた。フライヤは拳を握りしめ、ベアトリクスは深く俯き唇を噛み締める。
 やりきれない思いが、彼らの心の内を満たしていった―――。



fin.

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