■ 悲しみのジェノム

「……どうして貴方はここにいるの」
 尋ねられて、少年は肩を竦めた。
 ジェノムとしての精神が導いたのか、彼女は意図していたわけでもないのに彼を見つけた。身軽な彼は、屋根の上でただ、沈もうとしている夕日を見つめている。しかし、その夕日の光も、霧に覆われていてはっきりとしていなかった。
「ガイアで出会った人たちに、会いに行くと……」
「ああ。だからみんな、インビンシブルを途中で降りたよ。明日迎えに行くって言ってある」
 皆、行きたいところは様々で、この黒魔導士の村に残ったのは、ビビとジタンの二人だけだった。
 初めは、急いでクジャをとめるために、イーファの樹へ行くはずだった。それを留めたのは、黒魔導士の288号の提案があったからだ。

『クジャを止める前に、一度、個人の大切な人に会いに行ったらどうだろう』
『別に君たちが負けると思っているわけじゃない。でも、僕は君たちに出会ってから、クジャと戦おうと必死になっている君たちのことが心配だった』
『つくられた僕が、こんなことを思うんだ。きっと、君たちを大切に思っている人たちは、僕以上に心配している。少し顔を見せてあげてもいいんじゃないかな』

 その点では、スタイナーとダガーの意見は初めて割れた。というのも、いつもならばダガーの護衛としてついていくスタイナーなのだが、彼は今回、そういった行動をとらなかった。ダガーの、シド大公に会うという目的に対し、スタイナーは女将軍のベアトリクスに会うことを選んだのだ。
 フライヤは、会うのではなく、空気を吸いに行くと言ってブルメシアに行った。きっと彼女は、恋人のフラットレイが微かな記憶をたどって、ブルメシアに帰ってきているのではと考えたのかもしれない。
 クイナは、一度師匠であるクエールに、これまでの旅の中で食してきた様々なものを教えるために、霧の大陸のク族の沼へ帰った。
 エーコは、モグが召喚獣であったこと、死んだのではないがいなくなってしまったことを伝えると、マダイン・サリへ向かった。モーグリ達が、突然の“霧”の復活に混乱しているのではと懸念したからでもあったようだが。
 サラマンダーはとくに行先も告げず、だがトレノ付近の上空で降ろすことを要求してきた。彼が何処に行くつもりなのかは全くわからなかったが、降りたところと同じ位置でインビンシブルを待つとだけ答えた。どうやら、最後の戦いにはついてきてくれるつもりのようだ。
 ビビは、自分のいるべき場所は、いたい場所はこの黒魔導士の村だと言い切った。だから少年は、ジタンと共に戻ってきたのだ。
「貴方に、ガイアに帰るところはやっぱりないのね」
 無機質な声で言われ、はは、とジタンは短く笑う。
「何言ってんだよ。俺はほとんどガイアで暮らしてるんだ。帰る場所がないなら、俺はこれまでどこにいたっていうんだ?」
 帰る場所なら、ちゃんとある。
 ミコトを振り返り、目を細めた。
「じゃあ、どうしてそこに行かないの?」
「殴られるのが分かってるからさ。『やることやらねーで帰ってくんじゃねぇ!』って。同じ失敗はしねーの、俺」
「何を訳の分からないことを……」
「本当だよ」
 風が吹くと、それは少年の金髪を撫でて去ってゆく。風の通り道は、“霧”が蠢くために視認することができた。
 ひねっていた腰を元に戻して、天を仰いだ。そんな彼の背中を少女はただ見つめ続ける。妙なジェノムだと思った。特別に作られたのだから、それは当たり前なのかもしれない。しかし彼は、極端に妙なジェノムだ。自分に、名前があるんだろ、と尋ねてきたことも、自分を妹と言い始めたことも、全て。
「俺……前に、テラを探しに行ったことがあるんだ」
「……前に?」
「ああ。ダガーやビビと知り合うよりも前に」
 “霧”がどうしてか、とても美しく見えてしまう。同時に、悲しい光を放っているように見える。
「手がかりは、青い光だけだった。唯一、俺の記憶に残ってる青い光」
「……それは、テラの……」
 テラには、青い光があった。ジェノム達に不快感を抱かせる、忌まわしきあの光。自分たちの運命を決定づける、疎ましきあの光。
「ま、俺自身、ガイアの人間だって信じて疑ってなかったし、まさかガイアの人間じゃないなんて夢にも思わなかった。そもそも、俺はガイアの人間じゃないのかもしれない、なんて考えたこともなかったよ。で、ガイアにはあるはずのない、テラの青い光を俺は探し求めてたわけ」
 ジタンは何も知らなかった。自分のような種族を見たことがなくて、それでも、ガイアのどこかに、似たような姿をした誰かに会えるのではないかと、その誰かのいる場所に、青い光もあるのではないかと。そう思っていた。また、考えもしなかった。自分がまさか作られた存在で、しかもガイアを滅ぼすための道具であったことなど。
 事実を知って混乱して、一時は自分を見失った。
「結局、俺は自分の故郷を見つけられなかった。青い光だって見つけられなかった。そのまま、俺は育て親のところに戻ったんだ」
「……哀れね」
 視線を落とした少女に、首を振る。
「いんや? それが予想外なことにさ、帰ったら収穫があったんだよ」
「………え?」
 驚いた表情で顔を上げる。
 少年の金色の尻尾が、ゆらゆらと揺れていた。
「……その育て親が、テラの情報を持っていた?」
「んなわけ、ないだろ。もしそうなら俺は、もっと昔にテラまで来てた」
 よっと、と体を回転させ、胡坐をかき、ミコトを見上げた。右拳を持ち上げ、彼は己の頬を軽く押した。
「盛大に殴られたんだ。その育て親に。無言でだぞ? 無言で顔面殴打って、すげえ怖いぞ。まぁ、俺が何も言わずに故郷を探す旅になんか出たから、なんとなく殴られるかなぁとは思ってたけど。さすがに腹立って、畜生って思って……だけど」
 ジタンが口角を吊り上げると、顔には無邪気な笑顔が浮かんだ。
「ボスは………笑ってたんだ」
 馴染みのないボスという言葉に困惑しかけたが、文脈的にも育て親のことだろうと思った。
「……そのとき、俺、思ったんだ。俺の『いつか帰るところ』は、ここなんだって」
 暫く、無音の時が流れた。
 透き通るような碧い眼が、しっかりと少女の姿をとらえていた。対して、彼女は戸惑ったように視線を彷徨わせたのち、口を開く。
「故郷を……テラを見つけられなかったのに、『いつか帰るところ』は見つけられた……」
 ジタンは頷いた。すると、ミコトは眉間に皺を寄せた。
「……それって、変じゃないの」
「変じゃないさ」
 即座に首を振った。どうしてそのように言い切れるのか、ミコトには分からなかった。
「『いつか帰るところ』が、必ずしも故郷だとは限らないんだ。そりゃ、テラは俺の帰るところでもあるんだと思う……ミコトだって、『おかえりなさい』って言ってくれただろ?」
 たしかに、テラに行ってすぐ出迎えたのは自分で、ブラン・バルに入るときにジタンを迎えたのも自分だ。貴方が何者かわかる。そう告げた。残酷な現実を見せることを躊躇わなかった。何故なら、運命だったから。
「でも……テラが帰るところであると同時に、俺はガイアにだって居場所がある。俺の居場所を、ずっと守ってくれてる奴らがいる」
 それは、ブランクやマーカス、シナ、ルビィ、バクー等のタンタラスの皆で、共に旅を続けてきたビビやスタイナーやフライヤ、クイナにエーコにサラマンダー、そして、ダガー。皆のいるところが、己の帰るところだ。居場所なのだ。
「貴方って……本当に、変なジェノムね。魂をもつのに、それでもクジャを倒すというの? 無駄だと、わかっているのに」
 ジタンは立ち上がり、遥か遠くに視線を投げた。
 山を越えた向こうに、イーファの樹がある。“霧”のせいで、山すら霞んでしまっているけれど、たしかにあの向こうには、イーファの樹がある。そしてそこには、きっと、クジャがいる。
「……パンデモニウムにいたとき……俺は初めてクジャと戦ったんだ。これまで戦った……あの場で戦った、ガーランドなんかとは比べものにならない強さだった。だけど……」
 悲しかった。クジャの瞳と顔に宿っていたのは、悲しみだけだった。
 ガーランドは、ジタンとクジャを作った。しかし、本命はジタンで、クジャにおいては完全体のジェノムとして作られたわけでは、なかった。クジャの命は、じきに尽きる。それを知ったときの彼はただ、悲しみに暮れていた。怒りも憎しみもあったのだろうが、全面に出ていたのは全て、悲しみだ。己のこれまでやってきたことへの虚しさが、悲しみをより強いものにしたのかもしれない。その果てが、トランスをした状態での力の暴走だ。今のクジャは、何をするかわからない。
「だけどそれでも、負けるわけにはいかないんだ」
 それは、ガイアを救うため。
 また、許すわけにはいかなくとも――クジャを救うため。
「……理解、できない」
「いつか理解できるさ。この村にいる黒魔導士達や、お前らジェノム達だけじゃない。誰もが最初は理解できない。だから生きるんだ」
 振り返ってみると、少女はまた顔を俯かせていた。
 おーい、ミコトー? と、ジタンは少し屈んで、彼女の顔を覗き込む。小さな唇が、動いた。
「……約束、して」
「ん?」
「……器がこんなことを言うのは、おかしいかもしれない。でも、クジャを止めたら……理解できなかったことを全部教えてくれるって、約束して」
 初めてかもしれなかった。
 自ら、他人に何かを求めるのは。自ら、ただ自分の意思で、言葉を発したのは。
 ジタンが、ニッと笑った。
「おう! お兄ちゃんを信じろ、ミコト!」
 おどけた様子で胸を張り、親指で自分自身を指して得意げにする彼に、祈った。









“どうか彼が、イーファの樹に存在する悲しみのジェノムを救わんことを――”









fin.

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