■ 弟の俺たち

 ガッキューイインチョー、というものが何か分からない彼であったが、とりあえず、何かと真面目で何かと場をまとめる役職とか、その辺りだろうと見当をつけていた。そして、姉には似合う役職かもしれない、と頭の端で考えていた。が、いざこうなると、ガッキューイインチョーがいかに面倒なものなのかと嘆息の一つでもしたくなってくる。
 永世不戦協定を結んですぐ、ゼビオンで起きた悲劇。他国の王が逃げるため、時間稼ぎを買って出た一行は魔物だらけの、まさに多勢に無勢といった有様での苦戦を強いられた。闇の衣を纏った魔物達に、攻撃が一切効かなくなってからはとくにだ。何とか相手の猛攻をかいくぐり、防御をすることでダメージを最小限に抑え、逃げるための足と急所だけを必死に守りながら脱出したばかりの現在。他に、するべきことは山積みだろうと思う。だが、少女の鋭い視線は、他でもない自分に向けられていた。
「ねえ、聞いてる?」
 これなら熱血バカとも言えるもう一人の方がまだマシだった。何を言っても、丸め込めやすい。
「だから……何なんだ、さっきから」
 言葉を返したとき、声が予想していたよりもずっと不機嫌な色を持っていたので、ああそんなに自分はこの問答が嫌なのかと真顔になる。
「やっぱり聞いてないんじゃない! もろば斬りのことよ!」
「聞いてるだろ。だからもろば斬りの何が悪いって言うんだ」
「そんなことも分からないの!?」
 声を荒げるガッキューイインチョーに思わず舌打ちをしそうになる。しかし、この喧嘩が泥沼化するのも面倒くさい。此方に非があるとは思っていないが、自ら非を増やすこともないだろう。寸でのところで、舌打ちはどうにか堪える。
「さっきの戦いもそうだけど、何でテリーってもろば斬りばっかり使うの!? 何とか全員でゼビオンを脱出できたからいいものの、あなただけじゃない、そんなに傷だらけなの!」
 ――つまり、そういうことだ。
 どうにもこのガッキューイインチョー、もといテレシアは、テリーがゼビオンで戦う際に、もろば斬りを多用していたことに不満を隠せないでいるのである。
 もろば斬りを利用することは今に始まったことではなく、ハッサンと共に仲間に加わった当初からそうだった。そして今までの戦いでも多用していたし、ミネアのベホマラーやゼシカのハッスルダンス、トルネコが商品として持ち歩いていた賢者の石で、もろば斬りに生まれた体の傷はすぐに癒すこともできた。
 だが、先ほどのゼビオン脱出時には、全員が全員逃げることにいっぱいいっぱいで、回復には手が回らなかった。結果、避難してきた先の野営地で落ち着いたときに見てみると、とんでもない重傷を負っていたのはテリーただ一人だった。他の仲間もかなりの怪我は負っていたものの、彼に関しては敵からの猛攻に加えて、自分で自分を傷つける技を使っていたのだから、当然と言える。
「俺のもろば斬りで状況を打開できたことだってあっただろ」
「そうよ。でも連携もうまくとれないようなあの状況じゃ、あなたを回復できないことくらい分かるでしょ? なのに何で無茶な戦い方をしたのかって聞いてるのよ!」
「別に誰も回復してくれなんて頼んだ覚えはないぜ」
「私たち仲間でしょ!? 一緒に生きて、ゼビオンを脱出したかった! なのに、テリーったら、自分なんかどうでもいいみたいな戦い方するんだもの!」
「だからそんなに気にくわないなら俺に構わなきゃいい話だろう!」
 思わず怒鳴り声が出た。すると、テレシアはますます納得いかない様子で眉根を寄せる。
 ――嗚呼、泥沼化した。めんどくせぇ。
 自分の中でもふつふつと煮えるものがある。戦い方を云々言われる筋合いはない。このようなお叱りを姉からされれば、もう少し考えて物を言ったであろうが……どうしても、このガッキューイインチョーは面倒くさい。頭では、ゼビオンから逃げ出さなければならなかったことや、ゼビオンに残った町民の心配など、気持ちが不安定になっているからこそ、テレシアがこのような爆発を起こしたのだろうことは分かっている。しかしそれの矛先が自分に向けられるのではたまったものじゃない。
「まあまあ、二人とも!」
 慌てて割って入ってきたのは、オルネーゼだった。
「あんたたち、気持ちは分かるけど落ち着きなよ。今はそんなことしてる場合じゃないだろう?」
「でも!」
「テレシア、落ち着けって。俺によく言ってるだろ、熱くなりすぎるなってさ!」
「そうそう、それにテリーも悪気あるわけじゃねえんだって! な?」
 なおも噛みついてこようとするテレシアの前に回り込んだのはラゼル。そしてテリーを擁護する発言をして入ってきたのはハッサンだ。
 擁護されたことにも何となく納得がいかず、テリーは彼女のことを、ほぼ無意識に睨んだ。完全に彼も、キレてしまっている。踵を返して、歩き始めた。
「お、おい、テリー?」
 戸惑った声で、ハッサンから声がかかる。
「気分が悪い。適当に歩いてくる」
 まだ怪我してるだろ、といった声も他の仲間からかかってくるが、「大した怪我じゃない」と一蹴。テリーは荒野の中、一人で出かけていった。
「皆さん、混乱しているようですね……」
「そりゃそうよー、私だってわけわかんなかったもの!」
 一連の喧嘩を遠巻きに眺めていたミネアが呟き、はっきりとマーニャが肯定する。
「も〜、何なのよこの世界は! 何がどうなってるの! ほんっと意味わかんない!!」
「オイラ達は、何とか逃げ出せたけど、ゼビオンにまだいるみんなは大丈夫かなぁ……」
 膝を抱えて座っていたマリベルが苛立ちを露わにして見せ、隣りでゼビオンがあるであろう方向を見つめガボが言うと、少年は切なげな遠吠えをして見せた。
「戦えない辛さが身にしみたわ……闇の衣…あれをとらないと、どうにもならないわね…」
「しかし、とても禍々しいものを感じました。あれをとるにはどうしたら良いのでしょうか……」
 流石に戦いで消耗しきったアリーナを労るように、クリフトがリホイミを唱える。だが怪我は治っても、疲れそのものをとるには少々足りない。
「とにかく一度ちゃんと寝た方が良さそうね。結局、体力を戻すのに一番良いのは睡眠なんだから。……ククール?」
 全員の様子を眺めて困り笑いを浮かべたゼシカだったが、そこでいつもお喋りな、腐れ縁の聖堂騎士が何も言わないことに気づいた。顔をのぞき込んでみれば、彼は腐りかけた木立の向こうに視線を投げていた。丁度、テリーが先ほど歩き去った方向だ。
 ゼシカは、彼のこの目を知っていた。元いた世界。封印が解かれた暗黒神。それをした人物が、歩き去るとき。ククールは、同じ目で彼の背中を見送っていた。
「行ってきたら?」
 少し大きめの声をかけてみれば、ククールは全身をびくんと震わせて驚いた目を向けてきた。初めて、声をかけられていることに気づいたらしい。
 思案するように顎に手を当てていたが、やがて、彼は頷いた。

   *   *   *

 放っておけばいいんだ、と思った。元の世界でも初めの内は一人で旅をしていたのだし、やはり自分に団体での旅は合っていないのかも知れない。仲間が嫌いなのかと問われれば、違う。嫌いなのではなく、「合わない」のだ。何故「合わない」のか。それは――

 ……剣を握る手。力ばかりを追い求めていた自分。そして――

(………やめよう)
 うんざりとため息を吐いて、帽子を脱ぐと銀髪を露わにする。ぐしゃぐしゃと乱し、己の前髪を掻き上げた。
「っ!」
 激痛に顔を歪める。恐る恐る自身の髪に触れて、その中をまさぐるように指を動かす。再び痛みが走り、同時に指先にぬるりとした感触を覚えた。手を見下ろしてみると、指先が赤く染まっている。こんなところも怪我していたのか、とため息を吐いた。帽子を裏返してみると、なるほど少し血が付着している。が、長らく被っているものなので、そのような汚れは初めてではない。周りのシミに紛れていて、目立ってはいなかった。
(仲間、仲間、か)
 元の世界にいる賑やかな「仲間」のことを思い出す。初めは随分ぞろぞろと大人数を連れ歩いて目障りだと思ったものだ。何度も町ですれ違い、その都度声をかけてくる彼らは本当に五月蠅い存在だった。一人で旅をし、一人で戦い抜いて、一人で最強の剣を求めて、一人で強くなった。それでも足らず、もっともっとと力を欲した。「最強」を目指しすぎて、魔物に魂を売ってしまうほどに。
 でも負けた。目障りな、友達ごっこをしている彼らに。そして、思いがけない再会を果たした。そして、――仲間に、なった。
「俺ほどじゃないイケメンの剣士さん、隣り、いいですかね?」
「!?」
 出し抜けに声をかけられて体を竦ませる。先ほどまで大変な戦いの中にいたためか、手が反射的に傍らに置いていた剣を握った。しかし振り向いて相手を確認し、今度は一気に体の力が抜ける。
「………」
 無視して、視線を前に戻した。
 本人はこれを良しとして取ったのか、すぐ隣りに腰をおろす。ごりごりごり、と音がした。何気なく横目で見やり、小さな擂り鉢の中で何かを擂り潰している様子を確認した。
「何の用だ」
「怪我の手当」
「大した怪我じゃない」
「そうかねぇ」
 ククールはテリーの腕をぎゅっと握った。剣士の顔がひどく歪められる。ただ、意地かプライドかが邪魔したのか、ぎゅっと噛むようにして結ばれた唇から、呻き声は出なかった。その代わり、射殺すような目で睨まれる。「おっと、怖い怖い」とおどけながら、騎士は彼の腕から手を離した。
「でも今、そんなに力入れて握ってないぜ? やっぱりかなりやられてるんじゃないか」
「余計なお世話だ」
「素直じゃねえなぁ」
 ぼやきながら、くつくつと喉を鳴らして笑うと、また擂り鉢の中のものを擂り潰し始めた。先ほどまでの会話から、擂り鉢の中にあるのは薬草あたりだろうと見当を付ける。本当に余計なお世話だ、とテリーはククールに半眼を向けた。
「俺も少し気になってたよ」
「?」
「何でテリーはもろば斬りばっかり使うんだ?」
 擂り潰す手を止め、視線を此方に向けて真っ直ぐに問うて来た。対して、テリーは酢を飲んだような顔つきになる。
「お前もどうせ言うんだろう、自分にもリスクのある技は使うなって」
「それより気になるのは、自分自身に対する危機感が全然ないことに興味があるね、俺は」
 間髪入れず言い、ククールが続ける。
「『俺はこういう人間だ、だからどうなっても大丈夫』……みたいな? 投げやりっつうか、何つうか? そういうの、お前の戦い方には感じるんだが、これは俺の気のせいか?」
 碧い瞳が、探るように此方を映す。それが無性に落ち着かず、テリーは顔を背けた。また、ククールの喉の奥から、笑い声。
「お前ってさ、素直じゃねえけど、わかりやすいよな」
「………」
「……そうだな。じゃあこれは俺の推測だ。お前の『自分がどうなっても平気』っていうのは『どうなっても平気なくらい強くなってみせる』っていう覚悟の裏返し。何かと自分を『最強の剣士』って言うのは、その覚悟の強さの証ってところか。……どうだい?」
 当たってるか?
 得意げな笑みで覗き込んでくる相手が鬱陶しい。適当に構えば多少なりとも早くどこかへ消え失せてくれるだろうか、と思い、無視を決め込むのはやめて、しかし適当にテリーは答える。
「……さあな」
「テリー。お前は、何でそんなに強さに拘るんだ」
 今度は、随分確信めいた声だった。思わず、言葉が詰まる。
「もろば斬りをやめないのは、一番『強い』技だからだろ」
 女性ばかりを口説く、聖堂騎士とは到底思えない振る舞いが目立ったククールを、内心テリーは呆れていた。雪山の幽霊に関しては流石である部分はあった。とはいえ、他は神を冒涜するようなことも平気で口にするし、剣士の元いた世界にいる仲間の、神の一族と自称するゲント族の彼がククールを見れば、さぞ頭を抱えたことだろうと思った。同じ世界にいたというゼシカの反応も慣れたものであったので、彼の様々な行動は何もかもが通常運転であることも悟ることに難くない。
 だから、驚いた。こんなに的確に「正解」を口にされるなんて。
「……やっぱ、教えてくれねっか」
「俺には護りたい人がいた」
 思いがけない相手だったから。適当に受け流してくれそうな相手だったから。――何が、皮切りになって自分が正直に言葉を発しようとしたのかは、分からないが、その辺が理由として妥当なところではなかっただろうか。簡単に言うなれば、多分、魔が差した。
 諦めようとした矢先、はっきりとした返事に、驚いて目を丸くしている聖堂騎士。折角途中まで擂り潰したのに、擂り鉢ごと手から取り落としそうになって、あわあわと手元を忙しく動き出している。
「……護るには力がいる。だから、俺は力が欲しかった」
 両手を組み合わせ、テリーは空を見上げた。まだ夜は明けそうにない。
「…へえ。護りたいのは可愛い彼女さんってところか?」
 ゆっくりと頭を振った。
「俺の姉だ」
「……姉?」
 長いのか短いのか、よく分からないため息を吐く。傍らの剣を取って、掲げる。テリーの切れ長の目が、切なく細められた。
「ガキの頃、俺と姉は引き離された。でもそのとき、俺に力があれば、本当は姉のことを護ることができた」
「……それで弱い自分を嫌ったのか」
「……そうだな。だが一人で最強の剣を求めて旅に出て、力を求めて……本当は姉を護るためのものだったのに、その目的がすり替わっていた」
 剣を握る手に、ぐっと力が込められ、再び、傍らに置き直す。視線はいつの間にか、空から地面へと落とされていた。ぱさぱさに乾いた地面は荒野と呼ぶに相応しく、何の栄養も持っていない質の悪い土で構成されているようだった。
「……より強大な力を求めて、俺は魔物に魂を売った」
「!」
「笑えよ。バカな奴だって」
 自嘲気味に笑ってみせるテリーは、この世界で共に行動をしてきた中で見たことがないほど、傷ついていた。ククールの表情が微かに、歪む。
「……そして、ある旅の連中がその魔物のところに現れた。俺はその魔物の手先としてそいつらと戦った。――だが。旅の連中に、混ざってたんだ。俺の、姉が」
「……お前……」
「笑える話だろう。姉さんを護るために力を求めたのに、その力を、あろうことか姉さんに向けてるんだから。何度も、何度も、気づく機会なんてあった。だけど俺は、姉さんがいることに気づけなかった」
 結果的に、姉と再会し、共に旅に同行させてもらえることになったものの、そのときの後悔は容易に拭い去ることができるものではなかった。
「……一緒にいたくて、でもいられなくなって、それが悔しかったから求めた力だったのに……馬鹿なことをしたと、今でも思ってる」
 既に清算した気持ちだと思っていたのに、あれだけ、本音を語ることを渋っていた自分なのに、姉のことを口にし始めた途端、何から何までどんどん零れていく。それは、自分の後悔や、愚かさを改めて直視することと同義。
 ただ、言葉にすることで、少しずつ自分の中にあるものが整理されているのも、感じていた。自分なんて、と卑下する思いは、全ての後ろめたさから顕れたものだと、自分でも納得する。そして、
「……一緒にいたかったのに、いられなかった姉弟か……」
 ごりごり、と擂り鉢の音が聞こえてくる。
「だからお前は、自分が嫌いなんだなぁ」
 ククールが、棒で擂り鉢の縁をコンコンと叩いた。
「自分のことを最強の剣士って言うから分かりにくいけどさ、昔の弱かった自分がまだ許せないから、自分の怪我には無頓着なんだな」
 分かるよ、何となく。そう続けられたので、訝しげな顔になるのは、今度はテリーの方だった。
「分かる?」
「ああ。どっちかって言うと、分かるのはテリーの気持ちより、そのお姉さんの方だろうけどな」
 こんなときまで「女性」に拘るのか、それもまだ面識のない自分の姉を。そう思って睨みつければ、「そんな怖い顔をすんなよ」と、また飄々とかわされてしまう。
「別に信じられないなら信じなくていいけど、俺にも兄貴が一人いてな」
 テリーの話を聞いている間は休めていた手だが、自分の話をするとなると別らしく、擂り鉢の中ではまた繰り返しごりごりといった音が響く。
「テリーとお姉さんとは違って、俺と兄貴は同じ修道院で暮らしててな。一緒にいられる環境ではあったのよ。尤も、あいつは俺のことを目の敵にしてたけどさ」
 擂り潰し終えたものに水を数滴垂らすと、軽く棒で練る。右手に擂り鉢を持ったまま、ククールは左手の黒革の手袋を口で外すと、少しとろみがついたそれを左手で掬った。若干距離の空いていたテリーを引き寄せると、腕に擦り込むように塗り始める。沁みるのか、剣士は顔を顰めた。
「そこに、あるお人好しの旅人連中が来てな。色々あって、俺はそいつらと同行することになり、兄貴とは離れることになった。ってのもまあ、兄貴ってのが騎士団長で、命令というか、厄介払いみたいにされただけだ」
 見かけと違って、治療の手際が良い。傷口に薬を何度も塗り込み、じんわりと熱を持ちながら効果をもたらしてくれているのを実感しながら、テリーはククールの言葉に耳を傾ける。
「なのに、その馬鹿兄貴ときたら、とびっきりヤバイ魔物……暗黒神が宿った杖なんか使いやがってよ。勿論野心まみれの、聖職者とは到底思えないようなクソ兄貴だったんだけど、まさか魔物の力まで使うとは思わなくてなぁ」
 魔物の力、と聞いて、テリーが少なからず反応する。姉の気持ちなら分かる、と言った意味が、ここまで来てようやく見えてきた。
「いざ魔物の力がなくなって死にかけたところ助けようとすりゃ、『お前なんかに助けられてたまるか』って、健気な弟の手を振り払おうとするんだよ。挙げ句の果てに『助けたら後悔する』とかまで言いやがってさ」

『さあ殺せ! 殺すがいい! 生かしておいたら俺はきっと、あんたらを殺すことになる。今の内に息の根を止めておくが賢明ってもんだぜ。さあ、ひと思いに殺してくれ!』

 フラッシュバックする、テリーの過去。彼もまた、あの旅人達に、殺せと叫んだ。魔物の力を使った自分を、殺せ、と。自暴自棄になっていた自覚はある。だが、何故あんな所行をした自分を生かしておいたんだ、とも、今も思う。どんなにお人好しな旅人と雖も、どんなに優しい姉と雖も、未だに。
「殺せるわけねーだろ、って思った」
 ククールは困ったように笑いながら、そう言った。面食らったように見つめ、テリーが「何で」と短く問い返す。
「だって、兄弟だからさ。腐っても兄弟なんだよ、俺も、あいつも。結局、兄貴はその後どっか行っちまったんだけどな」
 嗚呼、とテリーは思う。
「……一緒にいられたのに、いたくなかった兄弟……か」
「そういうこと。よーし、仕上げは……“ベホマ”」
 手を翳して完全治癒魔法・ベホマを唱えると、凝った肩を解すように腕を回す。傷口のじんわりと聞いている薬も、そして、開いたままの傷口を塞いだベホマも、正常にテリーに作用しているようだ。事実、彼は先ほどまでの独特のだるさは少し抜けていることに気づいていた。
「それで話は最初に戻るけど……兄貴が自分のことなんてどうでもいいって、まだどこかで無茶しでかしてたら、それこそ俺はいい加減学べよって思うね。めちゃくちゃな力の使い方したら身を滅ぼすことくらいもう分かってんだろって。きっとテリーのお姉さんもそう思ってるんじゃねえかな」
 想像する。今ここに、姉がいて、もろば斬りばかりを使う自分を見たら、彼女はなんと言うであろうか。「偉い」? 否。
「………多分叱られるな」
「だろ?」
 簡単に想像ができてしまった。姉の元を離れてから、力ばかりを優先させた戦い方をしていたなど言えば、元の世界に戻ったときに大目玉を食らうこと間違いなしだ。
 世話好きの姉が怒る姿を想像して、実に姉らしいと思える姿に、一瞬は口元が緩む。だが、続いて彼女の周りに、次から次へと、ハッサンを含めた、元いた世界いる仲間たちが現れる。そして、同じように自分を叱っている姿が、否応無く想像され、あまりのやかましさに顔を顰めた。だが、「それに……」と付け足されたククールの声に、意識が現実へと引き戻される。
「何だ?」
「……別に、兄弟じゃなくても、やっぱり仲間が自分から傷つく方法とってたら、一言くらい言ってやりたくなるさ」
 目を瞬かせる。テレシアが怒ったことも分かってやってくれ、というククールのフォローだったのだろう。だが、それよりも気になったことがあった。ククールが初めて、テリーの前で「仲間」という言葉を口にした。そして「仲間」という言葉は、滑稽なほどに、“彼”という存在に似合わず、また溶け合うことができない異物なものとして感じられた。
 そしてやっと、悟る。仲間という言葉が、この聖堂騎士も、それほど得意ではないのだろうということを。
 テリーが微かに、アメジストの瞳を細めた。
「……あんたも難儀なことだな……」
「何だ、心配してくれてるのかい」
 我ながら同情めいた言葉だったかもしれない。ククールも、肩を竦めて軽く受け流し、冗談に変えてしまう。下手したら、自分よりもずっと面倒な感情を抱いているのではないだろうかと、勘ぐってしまいそうになる。
 だがそんな彼が、仲間からどことなく距離を置こうとしているテリーを引き戻しに来たわけだ。テリーの内情を、何となく察しながら。だから、最強の剣士は、口を開く。
「仲間に面倒な奴がいると、苦労するぜ」
 今度はククールが、きょとんと目を瞬かせる。少し考える仕草をして、ああ! と手を叩いた。
「テレシアのことか?」
 溜息を吐いて、立ち上がる。先ほどまで痛かった箇所は見事に治っていて、動きに支障を来すような怪我かと思われていたものも含め、一切残っていない。
 座ったまま呆けて此方を見上げている相手を一瞥し、テリーは実に投げやりに言った。
「さあな」
 どうも、自分のこととなると、この聖堂騎士は妙に鈍いようだった。
 近くから、しかし少し遠いところから、遠吠えが聞こえる。記憶が正しければ、「仲間」の一人である黒髪の少年の声だ。……と気づくことができた時点で、まだ長い時間を共に過ごしているわけではないのに、自分は随分毒されてしまっているではないか、と思った。柄ではないなと思う反面、先ほどまでのような嫌な感覚には、不思議とならなかった。

   *   *   *

 ゼビオンを奪還せんと、市街地に飛び込んでいく。火が放たれていたりと悲惨な有様を晒す部分もあるが、兎に角この辺を我が者顔で歩く魔物を一掃することが最優先だ。闇の衣を剥がされた彼らを前に、全員が武器を携え、猛反撃に出る。
 士官学校の生徒だと言うラゼルとテレシアも、多くの戦いを経て、武器の扱いはなかなか様になってきている。が、元の世界では一人で旅を続け、平和が訪れてからも最強の剣士として修行を怠らなかったテリーからすれば、まだまだだ。
 闇の衣はなくなったとは言え、魔物達の反撃も凄まじい。多勢に無勢とはまさにこのことで、波のように大量の群を成して襲いかかってくる。
「あっ!?」
 どろりとした油で満たされた床に着地し、テレシアが狼狽の声を上げた。
「テレシア! くそっ!」
 すぐに助けに行こうとしたラゼルだが、魔物の追撃は緩まず、なかなかそちらに足を向けられない。身動きの自由が利かなくなったテレシアに向けて、魔物が大きく牙を向いた。―――と、
「っ! ククール!」
 横合いから飛んできた矢が敵を打ち据え、おまけとばかりに複数の矢を一気に解き放つ、さみだれうちを見舞った。
「レディは丁重に扱うことを覚えな!」
 次の矢を既に弓に添え、周りを鋭く睨みつけるククール。しかし、彼の攻撃に怯むことなく、また多くの魔物がテレシアに押し寄せた。魔物側とて、必死なのだ。自分たちの陣地としたはずの場所を、取り返そうとまた人間が攻めてきたのだから。
 ククールの後ろから、青い影が走り出る。器用に足場の悪い場所を避け、閃光のように奔りぬけ、テレシアのすぐ真上まで飛び上がってくると、剣を大きく振りかぶる。
(―――もろば斬り……!?)
 テレシアが青ざめる。敵の猛攻で、既に仲間は分断されているようなものだ。今ここに、ゼシカやクリフトはいない。怪我を治す存在が、欠けている。
「テリー、だめ!!」
 瞬間。テリーの剣が、エメラルド色の光を帯びた。それはまるで、回復魔法と同じ光で、癒しの力を持っているかのような――

「ミラクルソード!」

 豪快に相手を斬りつけ、ひとまず、テレシアの安全を確保する。テレシアがぽかんとしたままテリーを見つめると、彼は鬱陶しそうに睨み返した。
「おい。見ろ」
 前を見れば、たった今テリーが斬りつけたはずの敵がゆるゆると起き上がって来るではないか。剣士は肩を竦める。
「ミラクルソードだと威力が弱い。いつものように一掃することはできない。援護しろ」
 緑色のあたたかな光を纏ったままの剣を何度も振るい、そう告げる。同時に、彼の腕や肩に負われていた傷が癒されていくのが見えた。
「ククール、この辺の敵蹴散らすぞ」
「へいへい、仰せのままに?」
 天井へ向けて、ククールが一気に矢を引き絞る。弓に添えられた矢に光が集積し、解き放たれると同時にそれは、天上の一点に集中し、ほんの一瞬、瞬く。
「シャイニングボウ!」
 瞬いた光は、息をつく暇も与えずにまばゆく輝き、無数の光の矢が敵陣の上を、雨のように降り注いだ。傷つき、ふらつく魔物たちの中へ飛び込んでいくテリーの刃が、竜巻のようなものを纏う。
「しんくう斬り!!」
 ぐんっ、と一度天高く差し伸べ、渾身の力で振り下ろすと、刃から巨大な竜巻が巻き起こった。竜巻と風の刃に斬り裂かれた魔物は、とうとう力尽き、倒れ込んで消えていく。高く跳び上がっていた小柄な剣士は、膝関節も柔軟に曲げて衝撃を殺し、小気味良い音を立てて着地した。
 テレシアは驚く。敵をこれだけ斃した後、彼の身体にこんなにも傷が見られないのは、仲間として共に戦う様になってから初めてだった。はっと我に返って、慌ててククールに視線をやった。すると、彼はすぐに気づいて、少し呆れながらも笑い、そっと肩を竦めた。
「どんなに気難しくても、それなりの事情はあるってことだな」
 何も話を知らない彼女は、「それなりの事情って」と尋ねようとした。が、その疑問を口にする前に、テリーが言った。
「おい。喋ってる暇はないんじゃないのか」
 剣を肩に担ぎ、顎で奥をしゃくる。
「取り返すんだろ。ゼビオン」
 相変わらず、愛想はないし声も冷たい。だが、言葉の後ろに隠れている優しさが、やっと垣間見えた気がした。
「ええ、勿論!」
 テリーとククールの二人の距離感が、前より少し近づいていることには気づいていた。喧嘩したこととは別にしても、未だにテレシアは、テリーとの距離を掴み損ねている。元々お喋りなタイプではない剣士であったし、気の好いハッサンが共にいることが多いのだから、余計に会話の数は少なくなっていた。かく言うテレシア本人にしてみても、理屈っぽく、また相手を気遣いすぎてしまうことが、会話を増やさない原因になっていることは、自覚していた。だからきっと、本当はもっと、歩み寄ることができる。そう、確信する。
 ゼビオンを取り返して見せる。その気持ちを込めて、剣を握りなおすと、彼女の胸中を物語るかのように、刃には炎が燃え上がった。それを見たテリーは、くっと口の端を歪めた。
「上等だ。いくぜ!」
 奥へと走り出す青い剣士。その後ろを赤い騎士が追いかける。
 二人に続いたテレシアは、あれ、と彼らの背を見つめた。妙に、似ている。容姿も性格も全然異なる二人だが、何となく咄嗟に、纏っているものが、似通っている。
 方々から、魔法を放つ音や、爆撃音が聞こえてくる。意識を集中しなければ、彼女は気持ちを切り替えた。他の仲間と連携するには、少し離れてしまっていても、今ならテリーとも、勿論ククールとも、戦うことができるような気がした。

 彼女が、二人の「弟」から事情を聞くことができるのは、もう少し先の話。
 

 



fin.

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