■ 卑怯者

「よーし、今日はここで野営とするぞー」
「荷物はまとめとけよ、必要なものだけ表に出しとけー」
 アルス達と別れて、一か月が経過していた。
 この時代に残ったオレは、あいつらに宣言した通り、ユバール一族のみんなと共に放浪を続け、神の守り手としての役目を果たしている。
 初めは正直なところ結構重かった剣も、今となっては自在に扱えているし重みもそこまで感じない。ただ慣れただけなのか、オレに筋力がついたのか。どっちもかな?
「キーファ」
 振り返ると、テントの中からライラが顔を覗かせていた。
「ライラ、何してんだ。寝てなきゃダメだろ」
 オレは少し慌ててテントへと駆け戻り、ライラを押しやりながら自身も中に入った。
 ライラは困ったように微笑む。
「だって、急にいなくなるから、驚いて」
「寝てろってば」
 不満そうに頬を膨らますライラに「そんな顔をしてもダメだ」と顔を顰めてやると、やっと彼女は諦めて体を倒した。
 ライラはここ数日間、ずっと体の調子が悪い。というか、ちょっとだけ身に覚えはあるのだけど、だってまだオレ十八だし、とかよくわからない言い訳を自分にしている。彼女もまた同じような感覚であるらしく、だがしかし信じられないというか信じたくないというか、まだ早いだろとか複雑な感情を宿しているみたいだ。
 ユバール族と行動を共にしてそれほど経たないうちに、オレはライラと結婚した。結婚なんて、まだ全然先のことだと思ってたし、どうせ結婚相手なんて親父に決められちまうんだろうなあ、とか思ってたのもあって、まさか自分がこんな形で妻をもつことになるとはと、我ながら驚いていた。
 その結婚の席で、オレはこれまであった全てのことを、みんなに話して聞かせた。最初はみんな半信半疑だったみたいだけど、最後の方には全員、全面的に信じるような方向になっていた。
『じゃあ、キーファの言っていた、“遠くにある小さな国の王子”っていうのは、嘘であると同時に本当でもあるのね』
 何ともややこしい!
 ただ、放浪の民であるユバールは、グランエスタード王国なんて知らないというし、だからきっと、この時代にはまだ全然ない国だったんだろうなと思う。別にオレの国の歴史も長くねえな、とつい苦笑してしまった。そのときに、オレはあの国に戻ることはもうねえのか、とも同時に、思った。


 今回野営した近くの林を抜けた先に、いい感じに広くなっている場所を見つけた。崖もあるけど近づかなければいいだけの話で、オレはその丈の低い草原の上に仰向けに倒れ、一人で大の字を作り出す。
「気持ちいー!」
 叫んで、ぱちっと目を開ける。暗黒に浮かぶ星屑が、青色の瞳に映った。
「すっげぇ綺麗!」
 思わず叫んで、オレは続けた。
「なぁ見ろよ、アルス! 星が―――」
 そこまで言って、我に返った。
 勢いよく起き上がって、周囲を見回す。誰もいない。あるのは、傍らにおろしている剣だけだ。テントのある方から少し、みんなの会話する声とかが聞こえてくるだけで、オレの周りに音はなかった。いや、なかったというと語弊があるけど、あったのは精々風で草木が揺れる音だけだ。
「……いっけね。何言ってんだ、オレ」
 黒い革手袋をつけたまま、オレは自分の額に手をあてて、そのまま金髪を掻き上げた。
 もう慣れたはずだった。自分の周りに、ガボも、マリベルも、アルスもいないなんていうのは。なのに今自然と口にしてしまった、仲間の名前。この星の美しさを、共有したいととっさに思った自分。
「情けねぇなあ。まだ抜けてねえな……」
 両拳で、頭をゴンゴンと何回か叩いた。
 溜息を吐いて、手を後ろにやり、上体を反らして再び、夜空を見上げた。
「綺麗だなー……星……」

 ――――わーっ! 本当だぞ! すっげぇ、綺麗だぞっ!
 ――――素敵! ……何よ、その目。あたしが「綺麗」とか言っちゃいけないわけ?
 ――――うん。綺麗だね。


 目尻から滴が零れたことに気付いて、オレはあわてて拭った。でも、不意打ちっていうか……なんか、忘れてた分が一気に噴き出してきたみたいに、オレの目はみるみるうちに涙でぬれた。
「ちょっ、おい、待てよ……何、泣いてんだよ……止まれよ、バカ。止まれよっ……」
 両目を手でこする。でも、涙は止まることを忘れたように零れ続ける。
 どうして泣いているんだ、と思った。もし泣いているとしたら、それはアルス達の方だろ。あいつは最後までオレと笑っていてくれたけど、あいつらの手を離したのはこのオレなんだ。オレが無理言って、アルス達から離れた。もう、アルス達と二度と会えない道を選んだ。オレが、自分で選んだ道なんだ。なのに、その道を進んでいるのに、どうしてオレは泣いてるんだ。
 夢中になって涙をぬぐっていると、背中に何か温かさを感じた。と思ったら、オレは優しい腕に包み込まれる。白くて細くて、ちょっと力を加えただけで折れちゃいそうな腕が、しっかりとオレの体を包んでいる。
「……っ、寝て、ろって……言ったじゃねえかよ……っ」
 しゃくりあげながら、言う。
 小さく笑う声が耳に入った。
「ごめん。でも、キーファが泣いている気がしたから、来ちゃった」
「バカ。戻れっ」
「嫌」
 ぎゅっ、と。ライラは、オレのことをもっと強く抱きしめた。
「アルスさんたちのこと、思い出した?」
「っ!」
「やっぱり。ずっと我慢してたもんね、キーファ」
 オレの肩に、ライラは顎をことんと乗せる。オレは、唇を噛み締めるだけだ。
 彼女は、オレのことを抱きしめたまま、口を開いた。
「『オレも、一端の伝説を背負う男になるわけだ。わかってくれるよな? アルス』」
「……!」
 思わず息を止めたオレに、ふふっ、とまたライラは笑った。
「アルスさんたちに、キーファが言ったセリフだよね。あのとき、キーファが私たちと来てくれるんだって思ったから、よく覚えてるんだ。嬉しかった。そのあとの、アルスさんのセリフも、私は嬉しかったんだよね」
 少しの沈黙がおりて、オレは徐に唇を動かす。
「…………『わかったよ、キーファ』……」
「そう、それ」
 ポタポタと涙が顎を伝って、滴り落ちる。そこにある草にあたって、月明かりを反射する。
 ライラの、いい匂いがした。オレは、今はアルス達じゃなく、このライラと、その一族と一緒にいるんだ。
「引き止めて、欲しかったんだよね」
 びくっ、とオレの体が震えた。すると、またライラはくすくす笑って、「わかってたよ」と言った。オレはもう、視界が涙で全然見えなくなっていたけど、涙をぬぐうようなことはできなかった。ただ、涙を出し切ってしまおうと思っていた。どうせ、自分の意思では止められないから。
「……そー、だよ」
 答えたオレの声は、情けないほどに震えていて、かすれていて、小さかった。
「『わかってくれるよな』なんて、卑怯な言葉使ったのは……怖かった、から」
 怖かった。
 この一族と共に行こうと、ジャンの一件があってから決心して、それをあいつらに言ったあとに「行かないで」と言われるのが怖かった。それで決心が揺らいでしまうのが怖かった。自分で、「わかってくれるよな」なんて言ってから、凄げぇ卑怯な言葉、と自嘲気味に笑ってしまった。オレがアルスの立場だったら、絶対、キレてる。
 でも、さすがオレの親友だよ。アルスはたぶん、オレが「引き止めてほしい」と心のどこかで願っていて、それでいて恐れていることを見抜いていた。あいつは、言ったんだ。「わかった」って。オレを、引き止めなかった。
 何がきつかったって、あいつらがこの時代を去る時。マリベルがオレに、叫んだんだ。「バカ王子」。畜生と思ったよ。その通りだとも思った。オレはバカだ。バカ王子だ。
「オレ、ライラともっといたい」
「うん」
「でも、アルス達ともいたかった」
「うん」
「……オレ、バカ王子だ」
「そうだね」
 でも……。
 ライラはオレの正面にまわって、両頬に手をあてた。彼女の手は少し冷たくて、でも気持ちよかった。
「でもね。私は、キーファがここにいてくれて、嬉しいよ?」
 僅かだけど、オレは目を見開く。微笑するライラは心の底から、どんなものよりも美しかった。マリベルに、殴られるかもしれないけど。
「キーファはたしかにバカかもしれない。でも、私はそんな貴方が好き」
 呆けた瞬間、涙が止まったかと思ったら鼻水が垂れてきて、かっこわりぃ、と思って慌てて吸い込んだ。そうしたら、ズゴゴゴってすごい音がして、ライラに「汚いっ」と顔を顰められた。その顔がちょっとマリベルに似てて、また泣きそうになった。こらえたけど。
「キーファはそれでいいのよ。それに、ここは貴方にとって過去の世界。なら、この世界で貴方のしたことは、アルスさん達にとっていいものになるかもしれない。一緒にいなくても、キーファとアルスさん達は繋がってる」
 ね? と言われて、オレは泣きまくった酷い顔のまま、やっと笑って頷いた。
「さ、戻ろ、キーファ。族長様に怒られちゃう」
「ああ」
 ライラに促されて立ち上がり、オレはふと視線を海へと投げた。
 限りなく続く水平線。このどこかに、いずれ、フィッシュベルという町と、グランエスタードという国のできる島がある。オレは崖のぎりぎりのところまで歩いていく。落ちないように気を付けながら、オレは海に向かって叫んだ。


「アルスー! 見てろよ! オレ、お前より大物になってみせるからなっ!!! 競争だぞ!!! アルス!!!」


 夜空に、キーファの声が響いた。


   *   *   *

「!」
 表情を急変させ、突然足を止めて、少年は後ろを振り返った。しかし、そこに広がるのは広い広い海ばかりだ。
「アルス? どーしたんだ?」
 先行していたガボとマリベルが戻ってきた。
 アルスは言葉を濁しながら、頬を掻く。
「まさか、石版を家に忘れたとか言うんじゃないでしょうね?」
 殺気を滲ませて言うマリベルに、ぶんぶんと大きく首を横に振る。
 もう一度、海を振り返った。相変わらず、フィッシュベルにいる漁師たちが、船を出している。


「今、誰かに呼ばれたような気がしたんだ…………」








fin.



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