■ No matter how hard I try, I can't be saved.3
「はっ……はっ……はっ……」
未だ興奮が冷めないらしく、息を切らせている彼女の目の前に、織姫は冷たい麦茶の入ったコップを置いた。
「たつきちゃん……」
「……ごめん、織姫…そこの、花瓶…割っちゃって………」
先ほどまでそこにあった花瓶は、今現在ゴミ袋の中にある。花は、大きめのマグカップに生けなおした。
有沢竜貴は、下唇を噛み締めて小さく震えた。怒りで震えているのか、恐れか。どちらにしても、彼女はとても辛そうに顔を歪めている。大学の帰りに、一護の突然の死で落ち込んでいるであろう織姫を慰める為、わざわざマンションを訪れたのに、自分がこんなことになってしまうなどと思っていなかった。
来てよかった、と思う反面、来なければよかったとも思う。
つい数分前、ここにルキアと恋次がやってきた。二人はたつきがいることは予想をしていなかったらしく、初めは意外そうに眉を上げていた。
――――丁度いい…今、茶渡のところにも行ってきたところだ。有沢も聞いてくれるか?
死神のルキアと面と向かって話すのは二度目だった。一度目は、藍染との戦いの後、一護が長く眠っていた間にクロサキ医院を織姫と訪れたときに、少し会話した。そのとき、黒崎一護の今までのことを全て聞いた。だから、死神が何なのか、自分達がしょっちゅう町中で目にするバケモノは一体何なのか、全て理解した。無論、織姫や石田、チャドが普通の人間でないことも。
あのときのルキアは淋しそうだったが、どこか穏やかだった。すぐにその感情を汲み取ることができた。
しかし、今回はその真逆。とても深刻そうなものであると予期し、織姫と共に二人の話を聞くことにした。
そして、知った。死した一護の魂魄が行方不明である、と。その理由は未だ分からず、最悪虚に喰われている可能性もあると。
その言葉を聞いたとき、たつきは思わずルキアの左頬を力強く殴ってしまった。聞いているのが、堪えられなくなったのだ。
――――たつきちゃんっ!!
――――ルキア!!
派手に吹っ飛んだ彼女は、その後ろにあった花瓶にぶつかり、そのときにそれは粉々になった。あとは、この仕打ちに対し怒鳴ろうとした恋次を制し、「すまぬ」とだけ謝罪の言葉を述べて、二人はいなくなってしまった。本当は、もっと話をするために、わざわざ織姫が大学から帰ってくる、こんな遅い時間を狙って来たのだろうが、仕方ないことだった。
「あいつに、限って、そんなこと、あるわけ、ない…」
歯を食いしばり、拳を力強く握り締めた。
肩を震わして、テーブルを力強く殴りつけた。大きく揺れ、コップから麦茶が零れる。
「一護っ……!!」
織姫も俯いた。無意識のうちに、手が、震えた。
空座第一高等学校の屋上で、ルキアと恋次はそれぞれ少し離れたところに座っていた。
恋次が心配そうに彼女を見やる。ルキアの左頬は、僅かに赤くなっていた。空手のインターハイに出場し、準優勝にまでなった(本人曰く、準決勝の前にあった事故で片手を怪我していなければ優勝していた)記録のある女からの拳骨は、恐ろしく痛いものだろう。それでも彼女が涙目にすらならないのは、肉体的よりも精神的な痛みが今は強すぎるからだ。
「……また、明日、な。もう一回、井上のとこに行こうぜ? 結局、今の状況を俺達が教えるだけで、情報を集められなかったし…有沢、だっけか? あいつも、多分今度は大人しく聞いてくれるだろ」
明るく声を出そうと努めるが、自分でも呆れるほど暗い声であることはよく分かっている。ルキアは彼の気遣いに気付いているのだろう、「そうだな」と辛そうに微笑んだ。
恋次はルキアに歩み寄り、しゃがむ。
「っていうか、まじで赤けぇな…大丈夫かよ?」
「当たり前だ。人間ごときの力に負けるものか」
と言いつつ、彼女は少々涙目だ。今更になって痛み出したのだろうか。
そのとき。
「ルキア副隊長、恋次隊長」
二人は思いもよらぬ声に、立ち上がり、振り向く。
彼女は、月を背に、大きな桜の木の上に立っていた。
肩につくくらいの茶髪を二つに結っている死神。月光を反射する、白い羽織。
恋次は顔を顰めた。
「夜光……!」
彼女の青眼が、二人を見据える。
「用件は言わなくても分かるよね?」
「帰還命令、だろ?」
「今のところは」
厳しい表情でこちらを見ているルキアに気付き、溜息を吐く。
「ルキア副隊長もそう。修平が、困ってた」
突然自分の所属する隊の隊長の名を出され、ルキアは少し戸惑っていた。
「あたしもさ、正直こういうこと任されるの嫌なんだよね。必死に昔の仲間を捜してる二人をつれて帰れ、って」
すると、長く息を吐き出す。
改めて開かれた夜光の瞳は、真剣みに帯びている。
恋次は引き攣った笑みを彼女に向けた。
「…俺とルキアは見つからなかったって、報告してくれねぇか?」
「冗談。護廷大命、それも第一級厳令だよ? このイミ、分からないわけじゃないでしょ?」
じり、と恋次とルキアは、厳しい顔つきのまま僅かに後ずさった。どうやら、大人しく尸魂界へ戻る気は毛頭ないらしい。
手を腰にあて、呆れたように首を横に振った。
普段は夜光も、恋次とルキアのことを“隊長”“副隊長”などと余所余所しく呼ばない。自分が隊長になってから、この二人にはすぐに馴染んだ。一護のことも、稀に話で聞いた。だが、到底信じることはできなかった。人間が死神になって、隊長以上の力をもつなど。
自分で見たものしか信じられない、それが夜光だ。ただ、ルキアと恋次、この二人それぞれのことは信じられる。普段、どのような者なのか見てきているから。故に、できるなら、穏便に済ませたかったのだ。
「……じゃあ、もう仕方ないなぁ…」
鞘から斬魄刀を引き抜く。
恋次の頬を、冷たい汗が伝った。
「…夜光…! 分かってくれ!」
彼の後ろから身を乗り出し、ルキアも叫んだ。
「私からもお願いします! 夜光殿、どうか見逃してはくれませぬか!?」
夜光は無表情で、その言葉を聞く。
「私達は、あやつを…! 黒崎一護を見つけねばならないのです!」
「見つけたら、処刑でも何でも受ける! そう誓う! だから、ここは退いてくれ! 頼む!!」
必死になって二人は叫んだが、そこで夜光は、斬魄刀を横にゆっくりと持ち上げた。
「夜光……殿…?」
「うん。二人の決意はよく分かった」
二人がホッと息をつくが、彼女の言葉は続いた。
「でも、それ言う相手……あたしじゃなくて、総隊長にしたら?」
そして、桜の木の太い枝を蹴ると、猛スピードで二人に迫った。
恋次とルキアは慌てて左右にそれぞれ避け、抜刀する。夜光が追走し、斬魄刀を振り下ろした。それを、恋次は斬魄刀・蛇尾丸で受け止めた。刀と刀がぶつかり合い、火花が散る。
「くっ……夜光…!」
「そんな目しても、ダメなもんはダメだよ。さっさと戻って。しっかり話せば、総隊長もちょっとは話を聞いてくださるかもだし?」
聞いてくれるわけがない。
死神や魂魄の一つ二つのために、隊で重要となる隊長副隊長の自由行動を許すような人ではない。それに、護廷十三隊を統一する者として、そのような人であるべきでもない。
「はああぁぁあ!!!」
横合いからルキアが斬魄刀・袖白雪で夜光に斬りかかった。夜光は素早く蛇尾丸をはじき返すと、袖白雪と自らの斬魄刀をかち合わせる。
「どういうつもり? ルキア」
“どういうつもり?”。
その言葉には、多くの意味があった。ルキアがここまで頑張って、四年も前に世話になった人間を捜す必要があるのか。そして、他隊の隊長に斬りかかることの重さを知っていながら、どうして斬りかかってきたのか。
「申し訳ありません、夜光殿…! ですが、私達は…」
「帰れねぇんだよ!」
恋次が背後から蛇尾丸を振るう。夜光はそれを瞬歩でかわした。
ここまで頑なに拒否されるとは、思っていなかった。それだけに残念である。本当は、二人を連れ戻すのに斬魄刀など不要とさえ思っていたのだが―――。
「…もー…めんどくさい……」
斬魄刀の切っ先を二人に向け、瞳を細める。
「―――『希(のぞ)め、』……」
彼女の斬魄刀が、パープルに光り輝く。二人は身構えた。
「『霜天に坐せ!“氷輪丸”』っ!!!」
突如、夜空に響き渡る声。
驚いて構えをとき、三人が天を仰いだ。遥か上空から、身体をうねらせながら氷の飛龍がこちらに向かってくる。
「恋次!!」
ルキアが叫ぶと、恋次は我に返って夜光との間合いをとった。丁度その間に、龍が突っ込む。瞬間的にそれは形を失い、高校の屋上が白い冷気に満ちた。互いの視界が遮られ、これを機に二人は瞬歩でその場から離れる。
冷気の中、二人の霊圧が瞬時に離れたことに気付く。白い冷気にまぎれて逃げ出した恋次、ルキアそれぞれの霊圧をとっさに探ったが、あの二人もそこまで迂闊ではない。どちらも完全に閉じており、どこへ逃げたかを特定するには無理があった。
夜光は僅かに歯軋りをすると、斬魄刀を鞘に収めた。チン、と音がすると同時に、日番谷が隣りに現れる。
「逃がしたか……」
「……日番谷…」
彼は氷輪丸を軽く振るうと、鞘に収める。
首を回して辺りを観察するのが、恋次もルキアも、姿を認められなかった。
「悪りぃな、瑠璃谷。俺がもっと狙いを定めて放ってりゃ、捕らえられた」
彼女の方を見ずに侘び、息を吐く。周辺が氷で覆われているので、それは白く塗られた。
日番谷のおろされた前髪が、夜風に吹かれて揺れる。
「……行くぜ。尸魂界(むこう)に戻って、もう一度出直す」
足を前に進め始めた瞬間、彼の肩を掴んで無理矢理振り向かせた。とくに何の感情も抱かず、日番谷は「何だ」と尋ねる。
夜光は眉間に皺を寄せたまま、言った。
「…何したか、分かってるわけ…?」
「取り逃がしたんだろ」
ふざけんな、と呟いてから、彼の翡翠の瞳を睨み付けた。
「………わざと外して、わざと逃げ道を作ったでしょ」
語気を強め、共に肩を掴む手にも力を込めた。
彼は無表情のまま、その手を払い除ける。
「さあな」
夜光から視線を外し、改めて斬魄刀を抜いた。
穿界門を、開いた。
* * *
廃ビルの中から天を仰ぎ、漸く安堵の表情を浮かべた。
「帰ったみてぇだぜ」
「そうか」
こちらも肩から力を抜いた。
確信があったとはいえ、尸魂界からの命令が来るのは予想より遥かに早かった。これだと、あまり時間をかけている余裕はないかもしれない。
「……恋次、どうする?」
「どうする・ったって…」
困ったように手を額にやる。
「仮に、一護が戻ってきたらと思って、見つけやすいように霊圧を少し流してたが…こうなると、そうもいかねぇし…」
何せ今さっき、夜光と日番谷の二人が自分達を連れ戻しに来たのだ。彼等には、できるなら自分達の居場所を教えたくはない。
「だが、いつまでもここに隠れているわけにもいかぬだろう?」
「そうなんだよなぁ…」
腕組みをし、汚れた壁によりかかった。
だが、今出て行くのはあまりにも危険な気がした。先ほども、てっきり夜光一人だと思えば、であったのだ。実際は、あの二人の他にも誰かが潜んでいる可能性もある。浦原商店へ行ってみるのも一つの手だが、尸魂界がそちらにも何か手を回していたらと思うと、容易には近づけなかった。
月光に照らされた廃ビルの中は、不気味な色でコンクリートを染めている。
「………おかしいと、思わぬか」
「あ? 何が」
手元を見つめながら、
「手がかりが無いに等しいことが、だ」
と言った。
それに対し、恋次は怪訝そうな顔をする。
「そりゃあ…四年経ってて、多少の接点はあってもそれぞれ疎遠になってたからだろ? だから一護の身の回りの事情を知る奴は少ねぇし、突然の事故だったんだから、ほかに気を配る余裕もねぇ」
肩を竦めた。
「ありそうなことじゃねぇか」
「だとしてもだ」
ルキアは立ち上がり、恋次に歩み寄った。
「手がかりが無さ過ぎる。不自然なほどにな」
そんなこと言われてもな…。
恋次は腕組みをし、また月を見上げた。こちらの気も知らずに、それは美しく輝いていて、無性に腹が立った。
「じゃー…明日、井上んとこ行く前に、クロサキ医院行ってみるか? あいつの親父と、妹に話を聞く」
「…考えた、それも。だが…」
妹二人など、自分達のせいで兄は死んだと思っている。その彼女等に、一護のことを質問するのは酷な気がした。
「……なんかよォ、こうなると、人の情って、邪魔だよな」
恋次の言葉に、ルキアも「全くだ」と頷くしか、なかった。
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